【寄稿】勝ったぞ!郵政4・28裁判

ありったけの愛と感謝を送りたい

−28年間争議の総仕上げを、キッチリとやりとげたい−

名古屋哲一(郵政4・28ネット、免職者)

(インターナショナル第171号:2007年3月号掲載)


 さる2月13日、1979年4月に郵政省(当時)が行った懲戒免職処分をめぐる裁判で、最高裁は被告・郵政公社の上訴を不受理とする決定を行い、処分撤回と職場復帰を求めてきた原告側が「逆転勝訴」した、04年6月の東京高裁判決が確定した。
 免職者の名古屋さんから、勝訴確定の報告と支援者へのお礼とあわせて、28年間の闘いをふり返る手記が寄せられたので掲載する。なお見出しと小見出しは、編集部で付けたものである。

▼ムチャクチャ上訴が不受理に

 1979年4月28日、郵政省は「前代未聞」といえるメチャクチャ大量処分をだした。そして今年2007年2月13日、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は、5人の裁判官全員一致で「郵政4・28処分はメチャクチャ不当処分だ」との決定を下した。
 郵政省から総務省=郵政事業庁を経て業務を受け継ぎ、本年10月に民営分社化される日本郵政公社は、「命令と服従」体質も4・28処分責任も受け継いだ。それで、04年6月30日の東京高裁判決「4・28処分の取消し・無効=原告7人全員の地位確認(原職復帰)」に対して、「上告受理の申立(重大な判例違反、法解釈の逸脱)」というムチャをしていた。
 通常は「(憲法違反の)上告」も一緒にするのだが、「国家公務員の争議権剥奪は憲法違反」等の論点では、高裁判決が当局側に軍配を上げていたので「上告」は無しだった。
 「重大な判例違反、法解釈の逸脱」での上訴がムチャなのは、何せ「前代未聞」の新処分政策だったので、判例の「前例」となるものを探し出すのはほとんど不可能だったからだ。それで「前例」となるはずのない判例を「前例」だと言い張る、ヒッチャカメッチャカな「法解釈逸脱」等を自らがして上訴理由を書き上げたのだが、それはいくら何でも論理矛盾がひどすぎた。
 今回の最高裁による「不受理」決定は、メチャクチャもムチャもヒッチャカメッチャカも、それが国家による行為であってさえ、それを「メチャクチャでムチャでヒッチャカメッチャカだ」と主張し続ける者がある場合は、通用しないことを示したのだ。
 共に主張し続けてくれた全国の仲間たちに、心からありがとう! この勝利は支援してくれた皆さん全員の勝利だ。こんなに嬉しいことはそう滅多にあるものではない。
 そして、四半世紀を越えて支え連帯してくれた実に多くの人たち、喜びを分かち合える仲間がこんなにも多くいることは、断じて滅多にあるものではない。

▼郵政「新方式」と国鉄「新々方式」

 28年前、全国の郵便局で「差別は許さない」と2ヶ月間も闘った全逓反マル生越年闘争、これに対する58人の免職等8183人への政治的な4・28報復処分、そして全逓(04年6月よりJPU)本部による変節・裏切りと91年免職者の組合追放、このことに負けず4・28反処分闘争は自立自闘の歩みを続けてこれた。
 全国からの支援の手、捨てる神あれば拾う神あり、だ。ボクたち4・28ネットは、免職者全員の統一と職場復帰を目指して活動を続けた。今日の最高裁勝利は、郵政当局=政府自民党の敗北であると同時に、JPU本部=堕落した労働組合の敗北でもある。

 4・28処分は、政府自民党が音頭をとっての当時の新処分政策だった。「全国闘争を指導した役員には軽い、指導された現場組合員には重い首切り処分」で現場組合員に恐怖をまき散らした。
 このあまりにものメチャクチャさ一点により、江見弘武・東京高裁裁判長は、「重大且つ明白に」不法な「処分裁量権の逸脱」と判決を書いたのだった。さらに、提訴時効無しの「処分の無効確認訴訟」も認め、原告以外の免職者にも「再提訴=職場復帰」の道を開いた。
 江見裁判長が善人なのかというと、全くそうではない。越年闘争に至った、郵政当局による17年間ものマル生差別=全逓労組ツブシの不当労働行為=200人もの組合員を自死に追いやった人権否定=命令と服従の職場支配には目もくれない。彼は、やはりメチャクチャな国鉄1047人首切り新々方式作り(国鉄改革法第23条)に加わった裁判官であり、善人ではなく悪人として名を馳せている。
 鉄建公団訴訟原告団や全動労争議団などによる「江見裁判長糾弾」キャンペーンが、彼を追い詰めた。追い詰められた彼にすれば、「国鉄からJRへと別組織にする際の首切りは合法」との国労ツブシの新々首切りメチャクチャ方式の方が、全逓ツブシの4・28新メチャクチャ方式よりも優れている、労働法体系逸脱に関して言い逃れがしやすい優位性を持つと、叫びたかったのかもしれない。
 日本中を巻き込んだ総評最後の全国的大衆闘争でもあった全逓反マル生越年闘争、これ以降大労組による大闘争はなく、従って4・28新方式の首切りもないのに比して、江見裁判長ご自慢の新々首切り方式は、1987年国鉄分割民営化以降、民間でのリストラなどにも応用され大流行だ。
しかし今、安全問題・過疎地切捨て・赤字問題等々、分割民営化の矛盾は噴出し、国鉄闘争が江見的新々首切り方式に対峙し続けている。そして郵政では、不着郵便・過疎地切捨て・莫大資産横取り合戦等々、民営分社化の矛盾が既に噴出し、この惨状を招くとっかかりとなった4・28新首切り方式は、今回の最高裁決定で葬られた。
 国家が発明したメチャクチャ新首切り方式と新々首切り方式の2つの内、既に1つは頓挫した。

 同じ国家による不当労働行為首切りでも、4・28処分は戦後55年体制下で発動され、国鉄1047名解雇は、新自由主義グローバリズム時代の幕開けも兼ねて発動された。
そして今、新自由主義の矛盾がそこここで噴き出している時にだされた最高裁勝利決定は、客観的に、弱肉強食の新自由主義へ一撃を与えるものとしての意味をもつ。国鉄闘争のみならず、ナショナルセンター所属の別を越えてのすべての労働者・・・・ワーキングプアとか不払い残業代法案とかセーフティーネット崩壊とかにより、生存権さえも脅かされる至ったすべての労働者の「NO!」が、この一撃に込められている。
 4・28政治処分は、労戦再編(全逓ツブシ〜国労ツブシ〜総評ツブシ)という国家の思惑によるもので、それは政界再編を経て、現在の新自由主義・改憲・格差社会へと至った。
 それにしても、「権利の全逓」から「連合全逓(JPU)」へと変質し免職者を切り捨てた本部の誤りと卑劣さ(98年、最高裁は「組合員資格剥奪は違法」との決定を下し、全逓本部は赤っ恥をかき、今また全郵政の求めに応じて「謝罪文」とも言える赤っ恥回答をして、10月郵政民営化前までに二組合併を実現すると猛進している)、2000年四党合意問題で1047名を切り捨てようとした国労本部の誤りと卑劣さ・・・あまりにも情けなく衰退した戦後労働運動とは何だったのか、深刻な総括論議が求められている。

▼免職者を追放した全逓の変貌

 1970年代初頭の官公労を襲ったマル生(合理化・生産運動のための組合ツブシ・差別攻撃)で、全電通は「敗北」、国労は「勝利(現場協議制度などにより職場主導権を保持したが、その成果を地域民間労働者へ波及させることなく、1973年ストでの上尾暴動に見舞われた)」、全逓は「半分勝利半分敗北」をした。いずれも企業内労働組合の弱点を抱えたままだった。
 決着がつかなかった全逓は、その後も職場闘争が日常化し続行されていき、活動家も育成され続けた。全逓は「東京タワー」と比喩され、下はしっかりしているが上は左右にぐらぐら揺れ動いていた。それ故に、4・28処分は、しっかりしている現場を集中狙い打ちにしたのだった。
 4・28処分からわずか半年後、全逓本部・民同は「10・28労資協調確認」を当局と結び、マル生容認へ転じてしまった。
 それから半年後には「4・28免職者の再配置(強制配転)」を打ち出し、4・28係争事案はまだ維持しつつも反処分闘争の解体へ向け突っ走りだした。「再配置」に最後まで反対し続けたボクには、本部から「自宅待機命令」や「犠牲者救済制度による生活給は打ち切り」などのイジメがなされた。当初「再配置」賛成者は、支部の全員だけでなく地区本部役員の一部まで含め誰もいなかったのだが、全逓一家主義による「職場八分」態勢が瞬く間に拡がっていった。
 「犠牲者救済制度」は両刃の剣だった。この決定権を握る本部は、免職者の生殺与奪の権を握り続けた。国労闘争団が、早くから自主生産・村起こしなどの自立的活動を始めたのとは異なった。
 合理化施策に協力する全逓本部と現場との攻防は10年近く続いたが、一般組合員よりも現場活動家の変わり身の方が早く「物言えば唇寒し」の職場が出現し、当局をバックボーンとする本部の勝利となった。1989年「連合全逓」となり、90年に「自民党のボス金丸氏と社会党のボス田辺氏とのボス交が成立したから4・28提訴を取り下げろ。郵政省採用試験に受験すれば受かることになっている」と免職者に指令、この嘘と騙しにホッカムリしたまま、91年6月、免職者の全逓からの首切りを行ったのだった。
 しっかりしていたはずの下部も、「職場では社会党、家(地域)に帰れば自民党」といわれる実態も見られた。
 組合組織は、組合員一人一人の自立・要求を基礎にした団結というよりも、幹部請負のピラミッド型だった。現場首切りの4・28処分によってのみ現場は縮みこんだわけではない。現場組合員には、どこからも別の選択肢・指針が提示されなかった。伝家の宝刀「年賀飛ばし」の反マル生越年闘争でも成果を得れなかった情況、これに対し「来年も今年を上回る越年闘争」との想いだけで、他の戦略構想を打ち出せなかったボクら活動家集団の限界もあったのだ。

▼自立自闘支えた支援の広がり

 4・28闘争は恵まれた争議だ。信頼・安心の支援が常にいた。敵の全国性に対して「伝送便(郵政全協)」運動など味方の全国性が作られていた。
 郵政当局が、あまりにものムチャを休むことなく続けているために、郵政職場で争議・係争事件が絶えることはなかった。全逓からの免職者首切り直後に結成された郵政全労協(現郵政ユニオン)は、非常勤・下請け労働者の組織化や、公共性を破壊する民営化に抗して対案戦略を対置するなど、「権利の全逓」でも踏み込むことのなかった課題に挑戦し、国際連帯・社会的労働運動にも取り組んでいる。
 「修善寺大会を見ろ。少数派組合へと転落した国労みたいにはなるな」という全逓本部のオルグに対して、「修善寺大会を見ろ。変節漢を少数派へ追い込んだ国労みたいに闘おう」とオルグしたボクらの仲間、総じてボクらは正しい方針で歩むことができた。人の冷たさに対して、人の暖かさを対置し続けることができた。
 反処分活動を続け拡げられることができたのは、「内ゲバ主義」勢力と強固な一線を画した方針に因るところも大きい。「裁判に関することのみは原告団一致で統一して、運動はそれぞれの独自性を尊重して別個に」という原則を、打破させなかった。最も幅広い統一戦線を志向するためには、最狭の統一戦線でも破壊してしまう「内ゲバ主義」を一掃せねばならない。
 国家機関に対する勝利、しかも国と大労組コミでの弾圧に抗しての勝利。どんなに酷い仕打ちをしても自立自闘を続けることに、敵は驚き、格差社会の矛盾噴出と10月郵政民営化を目前に、不本意でも終結を急がざるを得なかったのかもしれない。
 闘争継続を可能にしたのは、郵政ユニオンや独立労組や反全逓本部などの現場の仲間、「全国労組連」「10月会議」など全労協結成に向け潮流を越え協力し合った人々、このなかで結実した「在ってよかった」全労協など地域の仲間、国鉄闘争や東京総行動や労働情報等々、これらの人々は、4・28処分が目論んだ労戦再編からすれば「在ってはならない」人々だった。寄ってたかって、不法国家の蛮行と連合路線の愚かさを笑いものにしてやったのだ。
 同様に、人の暖かさと民主主義感覚とをもつ実に多様な人々が費やしてくれた28年という時間と労苦。「赤羽局共に闘う会」「4・28守る会」「京都ガンバロー会」等をはじめ以前の「八王子N君を守る会」など各地での「支える会」運動、今は亡き友も含む友人・知人たちや親愛なる家族たち、ミニコミ各紙に加えビデオ「郵政クビ切り物語」制作やホームページなど新しいメディア媒体を駆使してくれたレイバーネット等の仲間たち、諸党派・市民団体・ピースサイクルを含む諸運動、署名活動や連続講座、全国行脚連鎖集会等に取り組んでくれた人々、さらに物販活動を支えてくれた仲間・購入者・そして業者さん等々、数え上げたらきりがない。
 「権利という言葉はもう使わないでくれ」という全逓本部からの要請を一蹴した4・28全逓弁護団の多数の弁護士さん、そして、全逓からの首切り後ほぼ連戦連勝を続けてくれた6人の新弁護団。
 すべての人々に、ありったけの愛と感謝を送りたい。そしてこの勝利が、国鉄闘争をはじめ今後の様々な運動に貢献できるものになればと願っている。

 3月7日現在、「争議解決交渉」へ向けて準備中だ。郵政公社東京支局が、2月26日に、職場復帰に関しての「説明会」を一回だけ開いた。質問にも答えられない、説明になっていない「説明会」だった。「明白且つ重大な」違法行為を28年間も続け苦痛を強い続けたのに謝罪はナシ、復帰後の賃金もバックペイも「計算中で金額は解らない」などムチャな内容のまま、「3月1日復帰日」なので「翌2月27日に各局総務課長に連絡し打合せをすること」「出勤日などは所属局において指示する」とのたまうのだ。
 ボクは「まず、本社交渉をするのが先決」と復帰手続きを保留中だが、他の6人の免職者は「3月1日復帰手続き」を済ませ、3月1日から出勤の人、3月中旬から出勤の人、まず3ヶ月の介護休暇をとる人、体力や勤務地などの問題で既に退職手続きをした人が3人となっている。28年間は、各自の生活環境を激変させている。しかし当然のことながら、誰も「謝罪無し」などに納得はしていない。
 28年間争議の最後の総仕上げを、キッチリとやりたい。3月30日東京総行動でも郵政公社への申し入れ行動にノミネートしているし、既に西日本で計画されている「全国連鎖お礼報告集会」等々、楽しい活動もやりきらなければ損だ。
 そういうわけで、今後ともしばらくお付き合いをお願い致します。

【3月7日記】


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