大量失業時代を闘う戦略的展望のために
解体される企業社会と自立的労働集団の再生
JC派の基盤を掘り崩した、後期資本主義の歴史的危機


反動的諸法制の成立と社会再編の実態

 小渕自民党政権の登場と自民、自由、公明3党の連携によって、戦後日本政治の保革対決の最大の焦点ともなってきた歴史的な政治課題が、保守勢力によって次々と突破される事態が急速に進行した。
 戦後労働法制の根本的転換の意図をはらんだ労基法改悪をはじめとする一連の労働法制の改悪。「極東アジアの有事」を想定し、事実上の「日米(韓)連合軍」による戦争に道を開いた新ガイドライン関連法の成立。あるいは亡霊とも言うべき「日の丸・君が代」の価値観を強制し、帝国主義的国家統合の強化を図ろうとする国旗・国歌法の成立などは、こうした国家再編の急速な進展を象徴する事件であった。
 だがこの一連の反動的諸法制が、「55年体制」を崩壊させ、今日ではグローバリゼーションに対応しようと一段と加速されている日本資本主義の歴史的な社会再編との関係では、どの程度有効な戦略的意義をもつかは、はなはだ疑わしい。理由は2つある。
 その第1は、今日の国家再編の核心的課題は[社会に対する内在的統制力]の再建、つまりブルジョアジーが社会的合意を調達する手段の新たな組織化にあるが、現実には旧いシステムの解体が進行しつづけ、それに替わる新しいシステムの再構築はほとんど進展していないからである。解体されつつある旧いシステムとは、「政官財の癒着構造」と言われる、政治利権をめぐる業界談合秩序や地域ボスが支配する地域共同体等々であり、総評の解体以降は、[企業社会]に合流して労資一体となった連合が「労」の代弁者としてその一翼を占めるようになった、日本的な諸利益集団と国家の癒着構造である。
 つまりグローバリゼーションに対応する社会再編が、こうした利益集団と国家の癒着構造の解体を促進し、戦後日本社会を大きく変貌させはじめているのに対して、自自公が推進した一連の反動的諸法制は、むしろ旧来的な[政官財労]の癒着構造が機能していることを前提にした、その意味では社会再編の実態に対応する明確な展望にもとづいているとは言い難いからである。
 第2は、この諸利益集団と国家の癒着構造の解体に連動して、利益集団の要求を代行的に体現する政治勢力=ブルジョア代議制下の諸政党が、その社会的基盤の弱体化にほとんど対処しえていないことである。つまりブルジョア諸政党が、国民の大多数派が包含されていると見なすこれら諸利益集団の支持を取りつけようとやっきになるのとは裏腹に、社会再編の進展がこうした集団の解体と機能マヒを促進し、むしろその外部に膨大な「無党派層」を生み出しているという現実に対応できていないのである。
 結果として代行的民主主義に他ならないブルジョア議会は、国と地方とを問わず、社会的多数派の要求とは乖離した〃おしゃべりの場〃であることを自己暴露し、それがまた労働者民衆の政治不信を増幅して無党派層を生む悪循環に陥っており、今日の議会は、ますます社会の狭い範囲の利害しか反映しなくなり始めているのである。
 この2つのことから言えるのは、一連の反動的諸法制を成立させた議会内の力関係は、現実の社会再編に基づいた諸勢力の再編とは必ずしも連動していないという、国家・政治再編の立ち遅れである。言い換えればそれは、ブルジョア代議制に対する大衆的不信と対をなす有力な反対勢力の不在を条件にして、戦後労働法制の清算を意図した労基法の改悪を突破口に、これまでの歴史的懸案にも決着をつけたいとする国家官僚機構の願望の実現ではあっても、新しい展望にもとづいた日本社会の資本主義再編の推進と言うよりは、むしろ旧態依然たる社会システムに依存した旧来的路線の延長に他ならない。小渕が、この旧来的システムを象徴する旧田中派の継承者であるのは偶然ではない。
 もちろん成立した諸法制は、国家が社会を再組織し統制するための道具であり、議会における法制化阻止闘争の一連の主体的敗北は、社会的な抵抗や反抗が負債を負って出発せざるをえなくもした。しかし他方でそれは、社会的諸要求と国家政策の間の亀裂や矛盾を拡大し、その歪みの大きさに比例して社会の側からの抵抗や反抗が、解体しつつある政官財労の癒着構造の間隙を縫って台頭し、国家にとってますます制御し難い社会運動として発展する客観的基盤を拡大する。こうして国家官僚機構は、盗聴法など組織犯罪対策と称する治安立法の強化を急ぐ衝動にかられることにもなる。
 したがって、自自公連立が推進した一連の諸法制はむしろ今後、再編のすすむ現実社会との関係で、どのような摩擦や混乱を引き起こすかという客観的条件と、そうした摩擦や混乱を契機に、労働現場や地域社会の反感や抵抗がどの程度組織されるかという主体的条件の相互関係の中で、その有効性や実現の成否が試されることになる。
 こうして階級的労働者は、地方的で分散的にだが登場しはじめる「社会の側からの抵抗や反抗」を相互に結びつけ、全国的な運動へと転化するためのイニシアチブの形成という一致した課題に直面する。
 この過程でもっとも重視されなければならないのは、労働者民衆が自律的に自らを組織して抵抗する実在の運動、例えば新潟県巻町の反原発住民投票への挑戦を皮切りに全国に広がった公共事業の賛否を問う住民投票の直接請求運動、あるいは新ガイドラインに抵抗する市民平和条例制定の運動、そして倒産や首切りによる失業に抗する自発的な働く場の再組織(自主再建闘争)や生産協同組合の組織化といった、総じて代行的民主主義に対置される[大衆自治と自己決定]を内包する大衆運動との結合であり、またそうした運動の発展と連携を促すことである。

後期資本主義の危機と企業社会の解体

 グローバリゼーションに対応しようとする今日の社会再編のなかで、最も注目すべき問題は[企業社会]の解体の進行である。というのも企業社会は、日本の独占資本が厳しい国際競争に直面した70年代後半以降、日本資本主義の国際競争力の強さの秘訣として喧伝された「労使安定帯」論の影響もあって、その強化こそが労資対立を超えた「大衆資本主義」を実現し、「一億総中流意識」を組織する日本資本主義の核心をなす基盤と考えられ、その解体はむしろ階級的労働者の闘争的課題とされてきたからである。
 その企業社会がいま、資本自身の手で積極的に解体されはじめ、戦前戦後を通じた失業率の最悪記録を更新する大きな一因となっている現実は、日本資本主義をとらえている今日の大規模な社会再編が、文字通りの意味で歴史的であることを示している。
 この歴史的再編の推進力は、言うまでもなくグローバリゼーションと言われる国際的な金融自由化の進展なのだが、それも第二次大戦後に再組織されたフォーディズムという資本蓄積様式の、歴史的限界の結果としてもたらされている。
 つまり20世紀前半の2つの世界大戦以前は、労働者からの無制限の搾取と植民地からの強収奪が資本に利潤を保障していたとすれば、大戦後の後期資本主義の利潤は、労働者大衆を巨大な消費市場として資本自らの運動の中に包摂し、技術革新による高い労働生産性と大量生産による量産効果でコストダウンを実現し、これをテコにして大衆消費市場の大量消費を拡大しつづけることで保障されるシステムであり、これによって保障された高い利潤率が、大衆消費を拡大する高賃金の支払いをも可能にした。これが大量生産・大量消費の好循環メカニズムであった。
 この後期資本主義が最初の危機に直面したのは70年代の二度のオイルショックだが、この危機を契機に明かになったより本質的な危機は、自動車や家電というフォーディズム資本主義を代表する耐久消費財の大衆消費市場が、70年代半ばから急速に狭隘化し始めたことであった。それは四半世紀におよんだ後期資本主義の繁栄が、過剰生産という古典的な資本主義的危機にはじめて直面する事態であった。以降ヨーロッパでは失業者が急速に増加し、80年代にはアメリカでもレイオフと解雇の嵐が吹き荒れ、それと共に福祉国家やアメリカンドリームといった、後期資本主義の労働者支配の幻想を解体する激しい社会再編が労働者を襲ったのである。
 だがこのとき日本資本主義は、新たな援軍を見い出していた。戦後労働運動の改良主義と労資協調に対抗して、労資一体の理念を体現し続けてきたJC派の台頭が、ついに労働組合の大多数をして企業社会に合流する動きとなって具体化したのである。連合の結成は、労働組合の企業社会への合流を基調とする労働運動の登場を画したが、これによって新たな援軍を得た日本資本主義は、世界貿易を撹乱するような集中豪雨的輸出攻勢によって危機を打開するという、ヨーロッパやアメリカとは異なる道を突き進んだ。
 オイルショックを契機に危機に瀕した大量生産・大量消費の好循環すなわち生産部門の利潤率の低下は、こと日本では、JC派イニシアチブが労働組合ナショナルセンターを制圧したことを条件にして、長時間の無償労働や極限的過密労働といった搾取率の引き上げと、資本の急速な多国籍化や「軽薄短小・薄利多売」の大衆的新製品の輸出攻勢による市場占有率(シェア)の急拡大で埋め合わされ、これを原動力にした日本資本主義は、国際貿易の霸者=「ジャパン・アズ・ナンバーワン」へとのぼりつめた。
 この過程で企業社会は飛躍的に強化され、それと共に過労死や家族の崩壊といった、労働現場の変容がもたらす社会問題も一層深刻になった。にもかかわらず労働運動の側からは、企業社会と対峙する運動はほとんど現れなかった。なぜなら、総評の解体に反対して連合に抵抗した戦後労働組合運動の左派の多くも、企業社会を支持はしないまでも、後期資本主義の経済的好循環を改良的要求の実現に連動させるシステムとして企業社会を暗黙のうちに容認し、ついにはそれが労働運動の不動の前提であるかのように無自覚的に観念してきたからである。
 こうして、「国鉄一家」と呼ばれた企業社会から国家によって排除され、労働者の団結に立脚した自立的抵抗を余儀なくされた国労闘争団の闘いが孤立して企業社会に対峙する、階級的労働者にとっては困難な状況が長くつづくことになった。
 しかし90年代に入って、バブル崩壊を契機とした長期不況が、世界的な過剰生産に対する日本的な危機打開の道が、結局は一時しのぎに過ぎないことを暴きはじめた。そして97年夏、タイ・バーツの危機から始まったアジア通貨危機とアジアバブルの崩壊が、この道の未来を最後的に閉ざしたのである。しかもこの間に資本の国際競争は、かつて日本が覇者となった世界貿易を舞台にした価格とシェアの競争から、国際金融市場を舞台にした投機を主役とする剥き出しの資本効率の競争へと変貌をとげ、ストック経営=つまり量産効果を追求する巨大な生産設備など資産化された資本を重視する経営から、キャッシュフロー経営=つまり最高の利潤率をもたらす資産や商品に自在に変換できる通貨(現金や金融商品)を重視する経営への転換を、80年代の成功のゆえに膨大な過剰設備を抱え込んだ日本資本主義に、待ったなしに突きつけることになった。
 こうして、最大の量産効果を追求した巨大な生産設備は「不良資産」として破棄され、これに伴う労働力の大量削減が、失業率の歴史的急上昇をもたらした。すべては、大衆消費市場を対象にした社会的生産が生産過剰のために利潤率の低下に直面し、これに対応して資本主義が、より高い利潤を貪欲に追い求めようとした結果である。
 しかもそれは、企業社会の縮小とその構成員の減少を意味するだけではない。それは企業社会に依存して、その経済的繁栄の恩恵を得ようと生まれた様々な日本的利益集団とシステムを、つまり系列化された「グループ企業」群の談合秩序を、あるいは企業社会と自治体の癒着によって共存共栄を謳歌した「企業城下町」を、そして労資の利害を一体のものとして改良的要求を追求してきた労働組合を、その土台から揺さぶりまた解体することによって、日本社会の広範な再編として貫徹されるのである。

JC派イニシアチブの衰退と新たな倒産争議の登場

 こうした企業社会の解体は、当然のことだが、労資一体の理念を体現して企業社会に労働組合を合流させた、連合・JC派イニシアチブを直撃することになった。
 倒産や解雇を伴う人員削減による失業者の増大は、予想もしなかった没落を労働者に強いることで、企業社会に対する人々の期待を打ち砕き始めたからである。雇用調整金の廃止による「社内失業者」の切り捨てや、国家による雇用創出で「余剰人員」の削減を促進する「産業再生」政策は、企業社会が労資の共存共栄という幻想で労働者大衆を買収し続けることができなくなったこと、あるいはそれを維持するつもりのないことを象徴する事件なのであり、雇用と生活向上を保障できなくなったJC派イニシアチブの基盤を、確実に掘り崩しつづける。
 しかもこの「産業再生」の過程は、かつてレギラシオン派によってポストフォーディズムとして称賛された、日本的労務管理の土台をも掘り崩すに違いない。なぜなら、大量の正社員の解雇や退職強要による「世帯主」男性労働者の非自発的失業の増大は、生活賃金の獲得と対になった家長(夫と父)の権威を失墜させ、戦後の日本的核家族の家父長的秩序を揺さぶって「企業戦士」の労働力再生産過程に打撃を与え、「自己責任」やリスクの強要を声高に叫ぶ功利的個人主義と欧米型能力主義の扇動が、日常的人間関係にもとづいた集団的労働効率を重視してきた対面的労務管理といった、日本資本主義が編み出した特異な日本的能力主義の基盤にも打撃を与えるからである。企業の労務管理機構と一体化してきたJC派の労働者支配は、ここでも基盤の衰退に直面する。
 こうした企業社会の解体によるJC派イニシアチブの衰退が決定的に暴露され、またこれに対抗するイニシアチブの不在が明確になったのは、一連の反動的諸法制成立の突破口となった、昨98年の労基法改悪反対闘争の高揚とその敗北であった。
 労働者勢力の代弁者を自認する連合執行部と民主・社民両党は当初、JC派イニシアチブの衰退の間隙を縫って登場した、連合内外を貫く中小民間労働者を中心にした大衆運動の圧力に押され、8時間労働制の清算を意図した裁量労働制と変形労働制の規制撤廃に反対を表明し、一旦はこれを継続審議へと追い込んだ。JC派は大衆運動の高揚に不意を打たれ、一時的にだがマヒ状態に陥った。だが企業社会の牙城であり、だからまたJC派の拠点である電機や自動車といった基幹産業の現場では、8時間労働制はすでに空洞化していたし、他方で長時間無償労働の合法化は、搾取率を一段と引き上げて資本が生き残るために、つまり企業社会の防衛にとって不可欠であった。こうしてJC派による資本と一体となった巻き返しが始まると、大衆的に登場した中小民間労働者など、企業社会に対抗する社会的基盤との結合を欠いた連合執行部と民主・社民両党は、ひとたまりもなく敗退を余儀なくされたのである。
 だがこの一連の過程は、盤石と思われてきたJC派イニシアチブと企業社会が、潜在的にだがその内部に、極めて深刻な亀裂を抱え始めたことを暴露することになった。社会再編の進展が労働者と資本の利害を鋭く対立させはじめ、企業社会はその周辺部である地域社会や中小民間労働者にとどまらず、自らの直接的基盤である基幹産業労働者に対しても、実現される改良以上に多くの犠牲を要求しはじめたからである。と同時に、労基法改悪反対闘争の大衆的高揚を、ナショナルセンターの枠を越えて牽引した中小民間の若い労働者層の台頭は、JC派イニシアチブと対決して日本労働運動の復権を実現する労働者運動が、いかなる性格を持つことになるかを示唆することにもなった。
 この労基法改悪反対闘争を契機にして、以降も「雇用破壊NO!」や「倒産・失業NO!」を掲げて展開されてきた労働者運動がその可能性を示しているが、これらの運動の特質は[自発性]である。それは職場活動にしろ労基法改悪や盗聴法反対などの政治課題への取り組みにしろ、執行部や上部団体が総てを取り仕切り、日当を払って労働者を「動員する」という上意下達の運動とは違って、具体的な闘争経験を通じて生まれた労働者活動家(指導部)と組合員大衆の信頼関係を前提にして、労働者大衆自身が自発的に運動に参加することによって支えられる、長らく忘れられてきた大衆運動の優れた特質の復権を示すものである。
 もちろんこの自発性は突然現れたのではなく、労基法改悪反対闘争のイニシアチブとなった4ネットが、あるいは連合結成との攻防の中で模索された様々な運動が、80年代後半以降の戦略的防御の局面で培ってきたものだが、各地の進歩的な市民的運動のスタイルとも通底する[大衆自治と自己決定]の萌芽を内包しているという意味で、しかも若い世代がそれを直接体験し、さらには現在の企業社会の解体と失業率の急上昇という局面で、倒産と失業に抗する新たな企業(職場)再建・自主生産闘争の中にも同様の大衆自治の萌芽が現れているという意味でも、注目に値するものなのである。
 とりわけ「倒産・失業NO」運動の先頭に立ついくつかの自主再建闘争は、70年代の自主生産闘争が労働運動の左派勢力によって支えられ、あるいは「労働者管理」や「職場権力」などの思想的拠点に仕立て上げられ、その意味で政治的色彩を色濃くつことを余儀なくされながら実践されたのとは違って、倒産や失業に直面するまでは労働組合の経験すらほとんど持たない労働者が、大量失業と倒産の時代に労働者の相互扶助に依拠して「生活をたてる」ことを目的に、つまり労働者という社会的存在そのものを基礎にして企業倒産に対抗しようとする、かつての自主生産闘争とは明かに異なる、時代を反映する新しい性格を持ち始めている。
 だから場合によっては、倒産以前の職場では労働組合に好意的とは言えなかった管理職労働者が、資本によって遺棄された職場に組合員と共にとどまり、自主生産を共に担うという自発的決断を条件にして、こうした運動の指導的役職に選出されたりもする。この事業運営能力を身につけた管理職労働者と現場労働者の協働の実現は、資本から自立した労働者自主生産にとって不可欠の条件であるというだけでなく、管理労働と現場労働が命令と服従の関係に分断され、同一企業の構成員たることでのみ統合される企業社会における労働者の対立関係を越えて、生産現場に[大衆自治と自己決定]を基礎にした労働者の統一や連帯を実現する最も初歩的な契機となるものであり、事業運営と現場労働の協働を組織する[自立的労働集団]の再生を意味しているのである。
 もちろんこうした先進的事例は、なお脆弱であり極少数派に過ぎない。しかしかつて総評の主流をなした民同労働運動が、職人技をもつ熟練労働者を職場長とする徒弟的秩序という限界を持ちつつも、職場の労働集団を組織し、それを基盤にした諸要求を体現することで台頭したとすれば、あるいは逆に企業社会と労働組合の合流を推進したJC派イニシアチブが、経済成長期の技術革新と相次ぐ合理化によってこうした労働集団が解体され、個別化された労働者が日本的能力主義の諸制度を通じて企業社会に統合される過程で強化されたとすれば、企業社会の解体による社会再編の進展の中で先進的に現れた自立的労働集団の再生は、これに直接基礎をおく新たな労働組合の、初歩的なひな型の登場と言って過言ではないだろう。

労働組合論の再構築、労働組合概念の拡張

 階級的労働者は、こうした実在する運動に依拠しつつ、その個別性や分散性を社会的運動へと転化するための全国イニシアチブの形成という課題に直面するのだが、そこには当面する組織的で戦術的課題と共に、戦略的で理論的な課題がはらまれる。
 後者の戦略的課題は、むしろ今後の全国イニシアチブの形成の過程で、新たな労働者的政治勢力や政策連合などの展望を切り開くものとして練り上げられなければならないが、そこでは後期資本主義の歴史的限界の露呈の下で、日本における企業社会の解体という現実の社会再編の進展に対応する[労働組合論の再構築]が、避けては通れない課題となるであろう。それは戦後日本の労働運動が、総評・社会党ブロックに端的に表現されたように、今後はますます民衆にとって重要な関心事となる福祉問題を含めて、社会的諸問題への対応の多くをブルジョア代議制下の代行勢力たる社会党に委任し、労働組合はもっぱら労働条件の改良に終始してきた限界を克服しようとする問題に他ならない。
 というのも欧米の労働運動が、決して順調とは言えないにしろ回復の兆しを見せ始めている背景には、アメリカの場合は60年代の公民権運動に端を発した社会的な人権運動などとAFL-CIO内の改革派の連携があり、ヨーロッパにおいても、環境問題や移民労働者問題に対応した社会的運動の存在と、70年代以降に新たに登場した左派系独立組合のそれらとの連携があり、それが労働運動の再活性化にとって大きな役割を果たしていると考えられるからである。
 したがってそれは、横断的労働市場に対応できない企業内労組に対する組織形態上の批判にとどまらず、戦後日本の伝統的な労働組合概念の拡張もしくは転換をはらむ、[労働組合論の再構築]という課題と言っても過言ではないかもしれない。すでに実践的な意味でも、ここ数年の倒産争議において、破産企業の下請け中小業者との連携が組織されたり(全日建東亜分会)、不況下の地元商店会との提携が模索される(東京労組埼玉支部ニシダ分会)など、企業社会の解体と社会再編の進行の中で、労働組合が業界や地域社会の再編や再生に関与せざるをえない、その意味で労働組合の社会的役割が改めて見直されるべき状況が経験的に生まれており、先進的労働者活動家の間で痛感されてきたシンクタンクや研究機関形成の必要性は、そうした問題への回答を迫られているという実践的必要性にも基づいている。
 一方、前者の戦術的課題の焦点は、実在する先進的運動と闘いを基盤にして、しかしなお部分的で個別的な闘争という現実と、今後も各地で自然発生的に登場する抵抗や反抗を連携させる全国性を、いかに有効に結合するかという課題であろう。
 この点でもまた肝心なことは、旧来型の全国産別組織や横断的労働組合の拙速な組織化ではなく、現実の争議の過程で登場した自立的労働集団を基礎にして、個別の闘争が直面する様々な問題に対処する実践的機能を持つネットワーク的結合が、つまり[大衆自治と自己決定]を最大限に活かす組織形態が重視されることである。
 なぜなら、労働者自身の闘争経験の中から現れ、現実の運動を通じてその可能性を示してきた自立的労働集団が内包する[大衆自治と自己決定]を、言い換えればプロレタリア民主主義の可能性を徹底的に発展させることは、企業社会の解体がさらに進行し、代行民主主義の機能マヒが深刻となり、倒産や失業が大きな社会問題として焦点化するであろう次の局面で、資本から独立的に組織された新たな労働集団が、社会的な公正と平等を掲げ、民主主義と自治に基づく新たな人間関係を社会的に提唱し、全国的なイニシアチブとして登場するための重要なテコと拠点を提供することになるからである。
 と同時に、労基法改悪反対闘争が明かにした連合・全労連・全労協を貫く新たな再編の胎動にも示されるように、倒産や失業と闘う先進的運動が依拠すべき全国的な基盤が未定形な現実のもとでは、こうしたネットワークの全国的な結合や統一性を保持するために、先進的労働者活動家を結集した、かつての総評オルグ団のような全国的なオルグ団的機能もまた欠くことのできない条件となろう。階級的労働者が、実在する先進的運動を担う労働者大衆との相互信頼を何よりも重視しつつも、全国的視野で相互の連携と協働に努め、労働運動の復権のための戦略的展望を構築する共同の研究機関を組織する等々は、こうした全国的結合と統一性を保持するためにも必要な作業の一環なのである。

 われわれは、日本における社会再編の進行の中で登場する先進的な労働者運動に注目し、それを基盤とした階級的労働者の協働の発展のために、今後も微力ながらも全力を傾けて闘うであろう。

(99年9月20日)


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