警察の「不祥事」と公務員の労働組合
官僚主義と権威主義に抗する公選制と警察官の団結権


 神奈川県警で発覚した警察官の犯罪と、それを組織的に隠蔽した「不祥事」の発覚につづいて、今年の1月には、9年前に誘拐された少女の救出に際して、新潟県警幹部が接待マージャンにふけり、しかもその「失態」を隠そうとした同ようの「不祥事」があばかれたことから、警察批判の大キャンペーンがくりひろげられている。
 かつての急進主義左翼なら、マスコミのキャンペーンの尻馬にのった「警察悪玉論」を叫んですますところだが、いまの警察「不祥事」の頻発は、そう単純な問題ではないと思う。なぜかというと、ことは日本の官僚機構に蔓延している堕落、つまり急激な社会再編に対応する行政側の戦略的再構築に立ち遅れた官僚機構が、その「無能」を権威主義的にとりつくろおうと、事実を隠蔽したり身内をかばいあう居直りをきめこむのと同じ構図があるからである。
 しかも一連の官僚機構の「不祥事」は、最終的な処分はどうあれ、高級官僚たちの堕落が大きな要因なのは明らかで、それが軍隊と同じ「武装した官僚機構」にほかならない警察の高級官僚にまでおよんでいるのだから、安易にマスコミの尻馬にのるだけでははなはだ不十分だろう。
 つまり日本帝国主義の国家社会再編に抗する社会的変革を、労働者大衆の信頼と共感をえて進めようとする階級的労働者の対応は、なんらかの戦略的で対案的な性格をもつ必要があると思われるのである。

刑事警察と公安警察

 

 話をすすめる前提だが、まず公安警察という思想弾圧をおもな任務とする警察と、刑事警察という、まあ普通の人々がイメージしている警察とを、少なくとも区別して考えてみたい。つまり公安警察は無条件に解体の対象なのだが、刑事警察つまり社会のルールを破ったり他人を傷つけたりする輩を強制的に取り締まる社会的機能は、大衆自治による社会統治(コミューンと言い換えてもいいけど)が実現されたとしても、当分のあいだは何らかの形で、例えば互選された「民警」としてでも残るだろう。
 そこで問題なのは、資本主義体制下の刑事警察に雇われてはいたが、豊富な捜査経験を積んだ有能な刑事警察の警察官がいたとして、大衆自治の社会はこうした人材を活用しないだろうかということである。もちろん互選だから、悪事が露見すればリコールや選挙でふるいにかかることになる。
 そんな可能性があるのなら、階級的労働者は現実の刑事警察に対しても、この大衆自治の社会の展望にそって、警察機構の内在的変革を促進しうる対応を考えるべきではないだろうか。そのばあいの核心的な問題は、現実の警察の官僚機構を侵食し、その権威主義的な統制を弱体化させるような、つまり現場で捜査にあたる刑事警察の警察官が、その自治的組織にもとづいて警察機能をコントロールできるような、そんな可能性をみいだそうとつとめることだろう。

トップの公選制と現場の団結権

 ところで今回の警察批判キャンペーンの中で、主要なターゲットになっているのがキャリア制度、つまり「有能な人材の確保」を目的に維持されてきた高級官僚候補の採用と昇進の制度である。もちろんこの制度は、「不祥事」の最大の元凶のひとつである。
 しかし残念ながらというべきか、キャリア制度の「見直し」がおおかたの結論で、廃止という主張があっても、それにかわる制度として「公選制」つまり選挙という方法が提案されることはほとんどない。
 たしかに資本主義体制下での「公選制」にはさまざまな欠陥はあるが、すくなくともそれは官僚機構の頂点にたつ人物が、それなりの大衆的支持を必要とすることで、官僚機構の利害とはかならずしも一致しない社会的圧力にさらされることになる。
 と同時に、刑事警察の現場警察官たちの団結権と団体交渉権、つまり労働組合を組織する権利が保障されなければなるまい。
 この労働組合は、現在の警察官僚機構を維持するための昇進制度や、刑事警察の現場から聞こえてくる不満や要求、たとえば「公安警察の大幅削減と刑事警察の増員」とか、有能な警察官ほど昇進できない「筆記試験中心主義の昇進制度の改編」などの声を反映し、警察庁の高級官僚との団体交渉で労働条件の改善を要求することで、権威主義と官僚主義にこりかたまった警察機構に、現場で「まじめに働く」警察官たちによる圧力をくわえる可能性をひらくだろう。
 とここまで書くと、「いまの労働組合だってそんな事できないよ」と言われそうだ。たしかに、官僚と一緒に役所の防衛にきゅうきゅうとしている、警察官と同じ公務員の労働組合の多くは、昇進制度の交渉で現状を変える迫力はないし、まして社会的要求との整合性の実現は建前化してもいる。これでは警察官も労働組合に魅力を感じないし、もし組合ができてもこんな要求は実現できないと言われれば、そのとおりだろう。
 でもそれは、警察の「不祥事」が公務員労働組合にとっては他人事ではないことを意味するだけある。しかも現状はどうあれ、現実の官僚機構の将来に期待がもてなくなる度合いにおうじて、公務員労働組合が新しい労働運動の主体に変身する可能性はあるし、「絶対に変わらない」と断言するのは、マルクス主義的弁証法の否定だろう。つまり警察官の労働組合は、公務員労働組合の内在的変革の進展や攻勢的な運動の登場におうじて、現実的な課題となる。
 だから階級的労働者は、刑事警察の現場警察官たちの要求を公然と支持し、警察官の労働組合やトップの公選制という「宣伝のスローガン」をかかげるのである。  

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