労働災害と社会的被害の新しい関係
労働組合の社会的役割が復権するとき


労働災害の視点の欠落

 昨年12月21日、核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所の臨界事故で被曝した同社職員の大内久さんが、ついに力尽きるように死亡した。事故のあった9月30日から83日目のことである。
 大内さんの主治医を努めた東京大学医学部付属病院の前川和彦教授は、大内さん死亡後の記者会見で「人命軽視も甚だしい。責任ある立場の方々に猛省を促したい」と憤りを露にしたが、今年2月の朝日新聞(7日:夕刊)のインタビューで、「この発言はJOCに対してのものか」との質問に、「そうではありません。わが国の原子力防災態勢が不十分なことについてです。国に対して、と考えていただいてもいい」と述べ、「科学技術庁の原子力発電所等防災対策委員会の場でも『やる気がないのなら、しかるべき省庁に任せたらいいのではありませんか』と申し上げた」とつけ加えた。
 前川教授の人命軽視への憤りは、「原発のある自治体は防災計画をもっています。ただ、周辺住民の健康対策が中心になっているので、原発や関連施設で働く職員の被ばくのことをほとんど考えてない。(中略)重症の被ばくをするのはたぶん職員でしょう。そういう視点が抜け落ちています」ということに向けられている。ただその結論は「原子力にいったい何兆円使っているか知りませんが、被ばく医療に振り向けられる費用は極端に少ない」と、いささか職能的偏狭さを感じさせないではないが、「職員の被曝」つまり「労働者の被害の視点が抜け落ちている」という彼の指摘は、原発行政の欠陥にとどまらず、危険な作業に従事する労働者の被害すなわち労働災害(労災)に対する行政の無関心、あるいは労災に対する社会的な関心の低さへの警鐘として貴重である。

ごみ行政と健康被害

 原発事故による周辺住民の健康被害もそうだが、近年では環境ホルモンやダイオキシンによる健康被害が注目を集めている。なかでも、大量の廃棄物(ごみ)の処理・処分が毎日くりかえされる大都市圏での被害は、かなり深刻な社会問題になっている。
 だがここでも健康被害の問題は、汚染物質の発生源と見られる諸施設周辺住民の被害として語られることがほとんどで、まさにその汚染物質発生源で働く労働者の被害つまり労働災害については、ほとんど無関心であると言って過言ではない。
 東京都でも今年2月2日、都の不燃ごみ積み替え施設である「杉並中継所」周辺の、いわゆる「杉並病」被害者から直接訴えをきく場を設け、杉並区も8日から被害を訴える住民を対象に、専門医によるはじめての健康相談をはじめた。昨年秋に3千2百人を対象にした疫学的健康調査で、「一定の相関関係」が明らかになったからだが、96年4月に中継所が本格稼働して以降、「杉並病をなくす会」などが「ごみの圧縮過程で有毒物質を含むガスが発生しているのが原因」として運転停止を求めたのに対して、「環境調査では、原因と思われる物質は検出されていない」(東京都清掃局)と、4年ものあいだこれを拒否してきたあげくの対応である。
 東京都や杉並区が、ごみ処理施設と健康被害の一定の因果関係を認め、これに対応しはじめたのは歓迎すべきことだが、この問題でも、中継所で働く清掃労働者のことはまったく報道されなかった。そして清掃局は「大気で薄まる倍率(希釈倍率)を考慮すれば問題ない」とか「被害が出始めたころ、近くの環状8号線でトンネル工事があり、渋滞がひどかった」などと責任回避に懸命で、清掃労働者の健康を考慮する気配すらない。
 結果として都も区も、さきの前川教授の言に従えば、「重症の被害を受けるのはたぶん職員でしょう。そういう視点が抜け落ちている」ことを露呈している。

労働運動の社会的役割

 少し古いデータだが、労働省が昨年3月に発表した大阪府能勢町のごみ焼却施設で働く労働者(92人)のダイオキシン汚染実態調査によれば、最高値では805ピコグラム(血液中の脂肪1グラム当たりの濃度)もの高濃度が検出され、平均でも84・8ピコグラムという結果であった。一般人の平均は20から30ピコグラムとされていることと比較すれば、その高濃度は歴然としている。だから調査を担当した「豊能郡美化センター・ダイオキシン問題に係わる調査研究委員会の桜井副委員長も、「データを見たとき私も驚いた」と記者会見で漏らしたほどであった。
 ところが労働省は、安全値も決まっていないし健康被害との因果関係も明らかでないことを理由に、「まだデータが少ないので、今後の知見の集積を待ちたい」と対応策を先送りしたのである。しかしこうした行政のずさんな対応は、実は今日の労働運動が「新しい労災問題」への対応で立ち遅れていることと表裏の関係にある。
 かつて労災と言えば、機械による手足の切断や工事現場の墜落事故などが圧倒的で、有害物質の取り扱いも労働現場での安全性が中心課題であった。だから総評時代には、安全装置の設置や防災・防毒用具の支給を義務づけるなど、資本側の安全確保義務を明確にする闘いが展開されてきた。
 しかし今日の労働災害は、原発事故にしろ有害物質被害にしろ、現場の労働者が最大の被害者であると同時に、広範な周辺地域と住民を巻き込む「社会的災害」となるケースが増加している。しかも連合の結成以降、労資が協調して企業社会を防衛する労働運動が主流となり、労災と企業周辺の社会的被害はますます深く分断され、公害企業の労働者が周辺住民の被害の訴えに資本と共に敵対するような、70年代の反公害闘争で見られた状況がむしろ常態化した。
 その結果が、労働組合が「組合員の生命と健康を守る」という、最も基本的な役割すら果たしえない現実である。だが逆に言えば、現代の新しい労災に対応する最も基本的な労働組合の役割の再生それ自身が、地域社会の求める社会的災害の防止のために労働組合が大きな役割を果たし得る、客観的な可能性が示されているとも言える。労働組合の社会的役割の復権である。
 そうした意味で、廃棄物から生まれる汚染物質被害が社会問題となっているいまこそ、清掃労働者とその労働組合が、「労働者の生命と健康を守る」という労働組合の最も基本的な役割を再生し、それが労働組合の社会的役割として地域社会からも認知される、そうした闘いの先陣を担うことを期待したい。

   (K・S)


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