所定労働時間の破壊を許すな!
全国キャラバン成功させ労基法改悪法案を廃案へ
反転攻勢のために、広範な労働者大衆と結合を

(インターナショナル第87号:1998年2−3月号掲載)


中基審答申と法案上程

 労働大臣の諮問機関である中央労働基準審議会(中基審)は1月26日、裁量労働制の適用対象職種・業務を大幅に拡大するとともに、その実際の適用を企業ごとの「労使委員会」にゆだねることなどを盛り込んだ労働基準法(労基法)改正案の要綱について、その内容を妥当なものとしたうえ早急な法改定を求めるとの答申を伊吹労相に提出した。これを受けて橋本自民党政府は2月10日、この労基法改定案の今国会上程を決め、労基法改悪の動きは一挙に現実的となった。
 この中基審答申が妥当とした労基法改正案要綱は、日経連などの経営者団体が要求しつづけてきた「労働分野の規制緩和」の合唱を背景にして、労働省が原案をまとめて中基審の審議に委ねてきたものだが、提出された答申には、裁量労働制の拡大反対や罰則付きの残業規制を求める労働者委員の反対意見が付記されたことに端的に示されるように、連合をふくむ各労働組合や学者らが強く批判してきたものであり、答申もまた労働者委員7人全員の反対を押し切っての提出という、労資の合意を最大限求める労資協調型のこれまでの労働行政と比べ、きわめて異例な内容と経緯があったのである。

労働時間という概念の破壊

 改めて言うまでもなく、「労働分野の規制緩和」と称する裁量労働制の適用範囲の拡大や変形労働時間の拡大というブルジョアジーの要求は、95年に日経連が公表した「新時代の日本的経営」が提唱した賃金コスト削減などを実現するために、本質的には労基法が定める働かせ方の規制、とりわけ法定労働時間に関する上限規制の撤廃を意図した要求であり、すでに国際的にも強い批判を浴び、過労死(カローシ)を国際用語にまでした日本的経営下で、長時間労働や「サービス残業」と呼ばれるタダ働きの超過勤務を、文字通りの意味で野放し状態の実情に合わせて合法化しようとするもの以外の何ものでもない。
 その最大の焦点が、これまで研究開発やデザインなどの知的生産活動11職種に限定されてきた裁量労働制を、いわゆる管理や企画部門に働くホワイトカラー労働者全体さらには営業的業務にまで広げ、所定の労働時間を消滅させ、労働を時間によってではなく成果つまり出来高によって評価することで、すでに横行しているタダ働きの超過勤務を合法化する裁量労働制適用業務の拡大であり、資本の都合に応じて長時間の連続勤務を強制できる変形労働時間制の期間や拘束時間の上限の大幅延長など、法定労働時間の基準や制約を事実上なきものとする労基法の改悪である。ことに裁量労働制と近年流行の年俸制が組み合わされ、ノルマの達成つまり資本にとっての利益が上がらなければ労働者は生活賃金の保障すらないという事態になれば、ホワイトカラーや営業の労働者の労働時間という概念は、事実上完全に破壊されることになるのは明白である。
 ではなぜ政府・労働省は、こうした労基法改悪をこうまでして強行しようとし、だからまたそれはすべての労働組合とその運動に、戦後労働運動の総括を含めてどのような課題を突きつけることになるのだろうか。
 以下、若干の考察と問題提起を試みることにしたい。

労働行政の形骸化と社会的労働運動

 今回の労基法改悪を労働省が積極的に推進しようとした背景は、橋本自民党政権のもとで行財政改革の決め手として省庁再編がはじまったことであろう。たしかに日本帝国主義の国家・社会再編のひとつの重要な焦点は、肥大化した行政官僚機構の再編であり、その膨大な許認可権限の大幅な削減、つまり官僚権限を厳しく規制することであることは疑いない。だがそうした行政改革の核心的課題は、様々な利権をめぐる諸勢力による激しい抗争の中で、例えば大蔵省改革が財政再建と緊縮財政に矮小化され、郵政省改革が郵便事業への競争原理導入と民営化へと歪められたように、省庁と結びつくあらゆる法的規制を緩和する競争原理の導入こそが、行政改革の決め手であるかのようなキャンペーンにとって代わられた。
 こうした背景のもとで労働省は、不要論すら現れはじめていた労働省という官僚機構の存亡をかけて、労基法の見直し作業を「規制色を薄める」方向に誘導することに全力を挙げ、労働時間の上限規制を実情すなわち長時間労働の実態に即して大幅に変更し、「労働法制の規制緩和」を実現することで自らの存在価値をブルジョアジー(経営者団体)に示そうと、裁量労働制と変形労働時間制の拡大を推進するに至ったと言える。その意味では、労働省主導の今回の労基法改悪は、省益防衛という不純な動機によって推進されていると言わなければならず、「規制色を薄めることに注力せざるを得なかった」(1・27:朝日)という労働省の弁明は、こうした事情を雄弁に物語るものである。
 しかし同時に階級的労働者は、労働省をして労基法の「規制色を薄める」ことで省益防衛に向かわせたのは、競争原理やら国際競争力の強化をかかげ、利潤を求める資本の完全な自由を保障する国家・社会再編を求めるブルジョアジーの攻勢の結果であるばかりか、すでに実態としては、労基法が定めた法定労働時間が有名無実化している日本の労働現場の実情があることを、改めてはっきりと認識しておく必要があるだろう。
 つまり現行の労基法では明かな違法行為であるホワイトカラー労働者への事実上の裁量労働制は、労使の合意つまり労働協約の形ですでに実施している大手民間企業が少なからず存在し、これを労基法違反で取り締まろうとすれば、労働協約という労資の合意を楯にして「法律が実情に合っていない」と批判されかねないという、企業内労資関係の腐敗した癒着構造と、これに対抗できずに違法行為を黙認する労働行政の形骸化という現実があることである。こうした現実は、戦後日本の労働組合が伝統的に企業内労組として組織されてきたという問題点とあわせて、労基法などの社会的規範以上に、企業内労資の合意つまり労働協約を優先するのを当然視する、資本と企業内労組に共通する非社会性、あるいは反社会性を背景にしている。日本の内外を問わず、企業利益のためには違法行為すら辞さないという日系企業の摘発が繰り返されるのは、こうした日本的経営の社会的非常識が、いかに根深いかを教えている。
 そのうえ、それぞれの産業界で大きな市場占有率をもつ大手企業でこうした違法行為がまかり通れば、それらの企業に依存する以外にない下請けの中小企業を含めて、その業界全体に同様の違法行為が蔓延するのは理の当然であろう。その意味で社会的労働運動、つまり労働運動における社会性の復権は、違法行為すら強制する資本のくびきから労働者を解放する闘いの一環なのである。
 そうであればこそ、「違法状態を合法化することによって改めて行政の網をかぶせる側面がある」(同上)などという労働省の言い分はまったく容認できない。だが労働者の最低限の権利保護を目的とした法定労働時間を遵守させようとする労働行政が、当の労働者を形式的にではあれ代表する労働組合、とりわけそれぞれの産業界にも強い影響力をもつ連合の主要産別組織によってないがしろにされる現実を前に、省益の危機に直面した労働省の役人たちが資本の「規制緩和」の要求を積極的に受け入れる一方で、反対を唱える労働組合に対して「労使間で勝手に決めればいいではないか」と居直るのもまた、当然の成り行きだったのかもしれない。
 こうして労働省は、規制と摘発に代わる労働行政と称して、労働時間に関わる具体的な適用方法を「労使委員会」に委ねる「労使自治」なるものを編み出し、これを推進することで労働時間の短縮が図れるはずだと、中基審での労働者委員による残業時間の具体的規定や罰則のある残業規制の要求をはねつけることになった。そして実は労働省のこうした居直りを許した事態の中に、中基審の労働者委員の後ろ盾であるはずの連合の不統一が、つまり裁量労働制と変形労働時間制の拡大に積極的に加担するJC派労組官僚と、労資協調とは言えこうした労基法の改悪に危機感を強める旧総同盟系と旧総評系労組官僚の、組織基盤の相違に根差す、その意味では深刻な内的分岐が表現されていた。

国家・社会再編と連合の分岐

 昨年10月の連合大会では、中基審に提出された労基法改定案要綱を厳しく批判する決議が採択された。その決議原案は連合女性局が中心となってまとめたもので、今回の労基法改定に反対であることを事実上明快に表明するものであった。だが他方で連合JC派の有力単産である電機連合や鉄鋼労連は、前述した労働協約の形で裁量労働制の拡大などについて、すでに資本と合意していたという現実もあった。日本最大の労働組合ナショナルセンターである連合が、労働法制の最も基本的な法律=労基法の大幅な改定をめぐって、一方では事実上の先取り実施を資本との間で合意し、他方ではセレモニー化したとは言え大会という最高意思決定機関の決議ではこれに反対を表明するという事態は、もちろんこの官僚化したナショナルセンターのタガの緩みを端的に示すものだが、同時にそこには一段と激しさを増す資本主義的国際競争、とりわけ市場開放と金融自由化などの国際的圧力の高まりの下でいやおうなしに進展する日本帝国主義の国家・社会再編の波が、かつては総評を旧勢力として退けた連合にもまた、新たな再編の圧力として押し寄せはじめていることが示されている。
 たしかに連合の成立は、戦後労働運動が長年にわたって築き上げてきた労働現場の常識を破壊した。今回の労基法改悪の焦点でもある労働時間の問題に限っても、勤務時間以前に作業着に着替えて職場を清掃し、超過勤務の上限規制は無視されているという基幹産業の大手民間の職場の実情が、だからまた圧倒的な下請け中小企業の厳しい実情が「公務員の甘え」を指弾するために当時も引き合いに出され、着替えや清掃を勤務時間内にすることを当然視し、超過勤務の業務命令に必要な労資協定(36条協定)を闘争戦術として破棄したりする総評労働運動、とくに官公労職場の常識と既得権は「ヤミ・カラ」として激しく攻撃された。しかしそれは、70年代の2度のオイルショックを契機に危機感を深めた基幹産業の独占資本の、厳しさを増す国際市場での輸出競争力を支える労働生産性向上の追求に応え、いわば企業の難局に労資が手を携えて立ち向かい、それによってまた企業は労働者に雇用と福利を保障できるという展望にもとづいていた。
 だがそうした労資の協調で実現した高い労働生産性なるものが、生産拠点を次々と海外展開して多国籍化する過程で露呈したのは、滅私奉公的な労働者の資本への従属や、あらゆる手空き時間を削る程の労働者の異様な労働密度、あるいは企業のためには違法行為も辞さない反社会的な労働のあり方などで支えられた、その意味では資本主義的競争において必ずしも普遍的優越性を持たない脆弱な生産性だったのである。それは当然ながら、最大限の資本効率と極限の低コストを求めて資本とモノが、そして労働力すら国境を越えて自在に移動するグローバリゼーションと言われる国際的条件の下では、強力な多国籍資本に対抗するにはあまりにも不十分なシステムであることも明かになった。総評を解体し連合という「労使安定帯」を組織することで国際的な輸出競争に打ち勝ち、そのもとで戦後日本の国家・社会再編を行政改革として推進しようとした日本資本主義は、相対的に脆弱な競争力と行政改革の遅延に挟撃されて、新たな国際競争のための再編を強力に推進せざるを得ない事態に直面したのである。
 こうして日本帝国主義の国家・社会再編は、文字通りの意味で国際的規範をクリアーし、かつより以上の競争力実現を保障する新たな展開を余儀なくされ、そのモデルとしてサッチャリズムを継承して「規制緩和」を推進したイギリスの「再生」が、あるいはレーガノミックスとして始まったアメリカの「規制緩和」と空前の株式市場の活況が声高に宣伝され、弱肉強食の原則を信奉する新自由主義を実現する「規制緩和」こそが、資本主義的繁栄の持続のための必須条件として説かれることになった。
 そしてまさにこの国家・社会再編の新展開が、連合の内部に組織基盤の相違に根差す深刻な亀裂を生み出した。鉄鋼、電機、自動車などの基幹産業部門の労働組合を支配するJC派は、強力な独占資本との癒着を維持することで特権的地位を防衛しようと新自由主義を歓迎し、金属機械、連合全国一般、ゼンセン同盟など、中小企業労働者や女性労働者など、圧倒的に労基法の基準以下で働く労働者の改良要求に基づいて組織された労働組合は、新自由主義がもたらす中小企業の没落の危機を企業内労働組合の消滅の危機と受け止め、労働時間規制の緩和を改良要求の基盤の弱体化の危機として受け止めることになった。そして旧総評官公労の主要労組は、行政改革の人員削減による組合員の減少をくい止めようと、官僚機構との癒着=官僚機構防衛のアベック闘争に向かいはじめたのだが、それは独占資本との癒着と同様に、国家(行政機構)との癒着を強める道なのである。

労働組合の社会的有用性

 今日、連合内部に現れた労基法改悪反対運動への対応の相違は、こうした組織基盤の相違に根差している分だけ深刻ではある。しかしだからと言って、それが連合の組織的分岐に至ると考えるのも短絡的に過ぎる。というのも、そうした労働組合の組織基盤の相違にもかかわらず、連合が総評から引き継いだ労働組合組織が企業内労働組合、つまり各企業や事業所ごとに労働者を分断して組織することを基本としてきた以上、JC派との対決軸となる労働組合の資本からの独立という問題は、それ自身としては常に各々の企業の経営状態に規定されるという限界を背負うからである。総評産別組織が、だからまた連合産別組織も、産別自決にはじまって企業内労組ごとの単組自決へと向かい、産別統一闘争という建前すら投げ捨てるに至ろうとしているのはその端的な現れである。
 しかしだからまた、いま連合に現れている労基法改悪をめぐる分岐は重要でもある。なぜならそこには、前述した労基法違反の労働協約を平然と締結して個別資本との癒着を深める非社会的な労働組合への純化か、それともすべての労働者の働き方・働かせられ方を左右する基準法制の水準引き上げを要求し、それに依拠して最低限の労働条件の確保のために闘うなど、社会性を発揮しうる労働組合としての再生かの分岐が、萌芽的にではあれはらまれているからである。
 それは改めて日経連の「新時代の日本的経営」を持ち出すまでもなく、独占資本が大量の労働者に雇用と企業内福利厚生を保障することを放棄し、特権的待遇を手にする一握りの正規社員以外はすべからく生涯保障などない労働者に置き換えようとしている以上、企業内労組は少数の正規社員すなわち労働貴族の特権の維持・防衛を任務とする組合へと純化する以外にはなく、他方で「新時代の大衆的労働組合」は、後者の労働組合のような社会的性格をもつ運動を担う労働組合でなければ、だからまた企業ごとの利害に左右されない組織構成を持とうとするのでなければ、その社会的有用性を示すことができずに、だからまた労働組合としての存続すらが困難に直面することになるだろう。
 こうして連合、全労連、全労協という、労戦右翼再編によって強制された日本労働者階級の分断構造を越え、共産党、社民党、民主党、新社会党の超党派の議員たちをも巻き込みはじめた労基法改悪反対運動の陣形は、今後ますます深刻化するであろう倒産やリストラによる失業、あるいは不安定雇用の拡大による労働強化と労働条件の切り下げの蔓延という情勢のもとで、連合の成立以降の戦略的防衛戦を強いられてきた階級的労働者が、戦略的反攻に向かうための大衆的基盤をナショナルセンターの枠を超えて準備する、萌芽的ではあるが最初の闘いとなる客観的可能性をはらむのである。

全国キャラバンの成功を

 改定法案の国会上程が決まったことで一挙に緊迫することになった労基法改悪の動きに対して、昨年11月の画期的な全国集会【本紙86号で既報】の実現でも重要な役割を果たした4ネット(パート研究会、派遣労働ネット、均等法ネット、有期雇用ネット)の呼びかけに応じて、国労、全港湾、全日建、全水道、全労働、全国一般全国協、全造船関東地協、コミュニテイユニオン全国ネット、全統一労組、東京東部労組が「労働基準法改悪NO!98春の全国キャラバン行動」のための全国単産、団体調整連絡会議への参加を呼びかけ、北は北海道から、南は沖縄からはじまる、労基法改悪反対の全国キャラバンの準備がはじまった。幹線となる北コースと南コースは、4月2日に札幌、3月31日に那覇を出発し、ともに4月22日、労基法改悪をめぐる国会審議の攻防が山場を迎えるころ、東京・日比谷野音で開催される全国集会をめざすという基本的日程も決まり、他にも西コース(四国)などの計画や準備がすすめられている。
 このキャラバン行動のイニシアチブは、基本的に昨年の「意義あり 労働基準法改悪!11・27全国集会」のイニシアチブを引き継ぐものだが、全国キャラバン調整会議への参加を呼びかけた労働組合と団体が示すように、国労をはじめ全国的な組織をもついくつかの労働組合が、昨年以上に主体的に参加しはじめているのが特徴的である。と同時にこのキャラバン行動に積極的に関わろうとする各地の準備は、これまた昨年の11・27集会のナショナルセンターの枠を超えた労働者の共同行動という性格を受けて、連合、全労連、全労協を貫いた共同行動を積極的に追求していることである。
 前者の、全国的組織をもつ労働組合が労基法改悪反対運動に積極的に関与する事態は、東京でのひとつの集会で、その意味ではエピソード的に実現されたナショナルセンターの枠を越える労働者の共同行動が、組織された公務員労働者を含めて、全国各地で労働者大衆の実感を伴う運動として実現されることを意味しており、同時に戦略的防衛戦の局面で、全国的で横断的な連携を十分には保持できてこなかった地域の独立的な労働運動や市民的運動が、すべての労働者と〃働く市民〃にとって重要な課題である労基法改悪問題を媒介にして、最も初歩的な、だが大衆的な全国性を表現する可能性を示すものである。そしてこの労働運動の全国性を回復する初歩的経験は、連合の成立以来、階級的労働者にとってほとんど唯一の全国闘争と言える国鉄闘争の孤立が、基本的は突破されはじめるとう情勢の変化を示すものでもある。
 そして後者の、全国各地の地域の実情に即して実現されることになるナショナルセンターの枠を越える労働者の共同行動は、これまでは特定の地域や職場における例外的な戦闘的労働組合主義に基づく協働、つまり連合、全労連、全労協を貫いた先進的活動家たちの協働が、全国各地でも組織される可能性を切り開くことになるだろう。それは地県評の解体によって、あるいは資本系列に沿った縦割り組織の官僚的統制の強化によって、先進的労働者活動家たちの縦横な協働を徹底的に押さえ込んできた連合の支配を地域から掘り崩す、これまた初歩的な闘いの可能性を与えることになるだろう。
 当面する闘いの焦点はもちろん法案の廃案であり、それは前述した政府・労働省の強引な法案上程の結果として、与党3党の合意どころか、自民党内ですら十分な意思統一が図られていないために、十分な勝利の可能性をもってもいるのであり、その勝利は、ナショナルセンターの枠を越えた労働者の共同行動の広がりに、さらに大きなチャンスを与えることになるのである。
 こうして階級的労働者は、日本帝国主義の国家・社会再編の新展開を背景に始まった労働法制の抜本的な改悪策動と、これと連動して現れた連合の内部分岐という条件のもとで、最も広範な社会的課題への取り組みを媒介にした最も広範な労働者と結合することによって、戦略的防衛から戦略的反攻へと転ずる準備のために、労基法改悪法案の廃案のために全力を挙げて闘うことを求められていると言えよう。したがって階級的労働者は、あらゆる労働組合、あらゆる労働者的政治勢力をこの運動に引き入れ、それによって最も広範な労働者大衆の労基法改悪反対運動への結集をうながし、さらに最大の忍耐と粘り強さで一切の最後通牒主義を戒め、彼ら自身の大衆的経験を通じて、ナショナルセンターの枠を越えた労働者の共同行動に対する確信と信頼を促進するために闘うことになる。
 なぜならそれはそう遠くない将来に、資本と連合労組官僚が雇用や企業内福利の保障という労働者との約束を投げ捨て、だからまた資本と連合への不信を募らせることになる広範な労働者大衆との結合にとって、欠くことのできない合流のための水路を準備することに他ならないからである。

  (2/25:きうち・たかし)


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