労基法改悪法案、衆院労働委で継続審議に
「自発的働き過ぎ」と裁量労働

(インターナショナル90 98年6月号掲載)


  5月19日、労働基準法改正案を審議していた衆院労働委員会は、労働省が画策していた妥協案成立の見通しが立たなくなったことを受け、会期末まで同法案の審議を事実上棚上げにしたことによって、労基法改悪法案の今国会での成立は不可能となった。しかしこの労働委員会の処置は、法案の廃案ではなく継続審議となることを意味しており、労基法改悪反対の闘いはむしろこれから本番を迎えることになるのである。
 しかしともかくも、昨年11月に連合、全労連、全労協の代表がそろって労基法改悪阻止を訴えた日比谷集会を契機に、4ネット(変えよう均等法ネットワーク、女性のワーキングライフを考えるパート研究会、派遣労働者ネットワーク、有期雇用労働者権利ネットワーク)が中心となって呼びかけた「労働基準法改悪に反対する共同アピール」運動と、それをベースにナショナルセンターの枠を越える労働者共同行動として取り組まれた4月の全国キャラバン、そして4月22日の「労働基準法改悪No!中央集会」など、中小民間の労働組合と労働者を先頭にして労働者の大衆行動の広がりをつくりだしてきた労基法改悪反対闘争は、労働省のなりふりかまわぬ法案成立のもくろみに抗し、労基法改悪法案の成立を阻止することに成功した。

連合の混迷の背景

 しかしもちろん、労働省が次期国会で改悪法案の成立を画策するのは明らかであり、他方でゼンセン同盟や金属機械、全国一般など、民間の中小労働組合を主要な基盤とする単産の圧力を受けて、今回の労基法改悪には反対を表明してきた連合内部でも、JC派とくに裁量労働制の拡大を積極的に支持する電機連合などの巻き返しも必至である。
 労働省は今国会でも、連合と民主党に妥協案を示し、その合意を取りつけて法案の成立を図ろうと画策した。その妥協案は、裁量労働制では本人同意の必要を盛り込み、適用職種も今後1年かけて審議するという2点であり、残業規制については、激変緩和措置として法案成立後1年間は150時間の規制を盛り込むというものであった。ところがこの労働省妥協案の提示を受けて混乱したのは、他ならぬ連合であった。国会審議の中では、社民党の質問に対して「労働省案の撤回の要求に変わりはない」と言明しておきながら、民主党と連合の主導で妥協案を成立させようとする〃社民党はずし〃の動きが露呈するなどして紛糾し、伊吹労相の画策は不発に終わったという。
 だがこうした連合のドタバタ劇の背景には、今回の労基法改悪法案がどのような意図と内容を持つのかについて、ほとんどの連合幹部がよく理解していなかったことが挙げられよう。実際に衆院の労働委員会の審議でも、連合系の民主党議員の不勉強と無理解ぶりには傍聴者もあきれ顔であったが、連合幹部たちの労基法に対する無知と無理解は、ある意味では連合の成立がもたらした必然的な結末、つまりJC派イニシアチブによる企業内労組主導型労働運動のひとつの帰結を示しているのである。
 というのも、とくに民間大手の企業内組合の経験しか持たない多くの連合幹部にとって、労基法は職場の実情とはあまり関わりのないものであり、現実の職場での労働は、資本との間で締結される労働協約によって支配・統制されているのが「普通」だからである。しかもその労働協約が労基法との関係で適合的か否かも、企業内の労資協議が協調的に維持されている限り、さほど関心を払う必要を感じない瑣末なことであろう。そのうえ生産現場の機械化と人員削減が進行し、現場労働が下請けや臨時工に置き換えられて正規社員組合員が減少し、他方では日経連の「新時代の日本的経営」のいう「長期能力活用型」にあたる正規社員組合員の比率が増大した職場では、研究開発や企画立案にたずさわる労働者がむしろ積極的に裁量労働や変形労働時間を支持し、それを労働組合の要求として押し出すことにもなる。富士通などを中心として、電機連合が労基法の労働省改正案に積極的に賛成したのにはこうした労働現場の変化が背景にあり、すでに富士通では94年度から、事実上の裁量労働制(SOIRIT)が専門職とされた主任職の8割に適用されており、NECでも昨年度から「Vワーク」という裁量労働が営業職に適用されている。
 しかし他方では、そうした職場や組合員構成の変化の少ない連合幹部は、ほとんど無関心のまま消極的賛成の態度をとってきたのであり、労働省と社民党の厳しい対立という予想外の事態を前にしては、ただただ困惑するだけだったのであろう。

裁量労働制拡大のねらい

 こうした意味で裁量労働と変形労働の全面的解禁をねらう労基法の改悪は、基幹産業で働く比較的めぐまれた中上層労働者の要求という側面をもつのだが、実はこれらの制度を歓迎する中上層労働者にも、それはさまざまな弊害をもたらすことになる。その最たるものが過労死なのだが、そこに行き着く以前にも賃金格差の拡大やそれにともなう差別の横行、突然の左遷や配転そして解雇まで、あらゆる弊害が彼ら自身を襲うのである。
 富士通労組のアンケート調査では、裁量労働になって「よかった」「どちらかと言えばよかった」との回答が65%を占めたと報告されているが、裁量労働制を積極的に受け入れた他社での労働者への1年後のアンケート調査では、多くが「自分の仕事に対する評価について不満がある」と答えたとの報告もある。裁量労働制は、労働者の期待どおりの報酬をもたらすとは限らない。しかも評価基準のあいまいな日本的な人事考課のもとでは、こうした不満は「落ちこぼれになる不安」と表裏の関係にあり、そうした不安が「自発的な働き過ぎ」へと労働者を駆り立て、資本は労働者相互の激しい競争を利用して「労働生産性の向上」、有り体に言えば低賃金の長時間労働を手にすることになる。そしてこの点では、富士通労組のアンケートでも「評価基準の明確化」が「業務手当や業績一時金の増額」と共に、今後充実させてほしい項目の上位を占めるという形で現れている。
 しかも人件費の総額管理という労務政策のもとで、上に行くほど数の少なくなるポストを争う競争である以上は、賃金や昇格で格差が拡大するのもまた必然的であろう。こうした条件のもとでは、労働省が妥協案に盛り込んだ「本人同意」は、働かせ過ぎの歯止めにならないのは明らかである。裁量労働に同意しなければ、落ちこぼれの烙印を押され真っ先にリストラの対象にされるだけだからである。男女共通の残業規制が、ぜひとも必要なゆえんでもある。

 裁量労働の原則自由化は、労働者にとって百害あって一利なしである。にもかかわらず、労働者大衆の「働きを評価されたい」という欲求に応えるという意味では、労働運動は資本に大きく立ち遅れている。資本はこの欲求を生産性の向上に結びつける仕掛けとして裁量労働を導入しようとしているのであり、富士通資本はその典型であろう。かつてJC派の拠点職場で、QC・ZD運動が「労働者の自発性」と労働生産性の向上を結びつけ、民同労働運動が基幹産業から一掃された歴史をくり返す訳にはいかない。
 甲南大学の熊沢誠教授は、その著書『能力主義と企業社会』の中で、「歴史の後知恵というべきだろうか、このゆとりある(高度成長期の)時代に、労働組合は消費生活を高める賃上げだけに力をつくすのではなく、優勝劣敗の競争は拒む論理を前提にしたうえで、労働のあり方→必要な能力→公平な評価→賃金の適性格差をみずからのイニシアチブをもって関係づけるイメージと政策をつちかうべきであった」と述べる。
 労基法改悪策動に対して階級的労働者が対置する権利基準には、労働組合のイニシアチブによる公平な評価や基準の明確化とその公表の視点も欠くことができない。                                                                    

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