グローバル経済の危機と不況下の倒産争議
景気回復か労働者の生活と権利の防衛か

(インターナショナル93 98年10月号掲載)


ヘッジファンド神話の崩壊

 8月のロシア通貨危機を契機として世界に広がった同時株安は、ついに「最後の砦」であったニューヨーク市場でも株価の暴落を引き起こすに至った。つい数カ月前の7月には9337・94ドルの最高値を記録したニューヨーク株式市場のダウ工業株30種平均(ダウ平均)は、8月31日に史上2番目の下げ幅を記録してあっと言う間に8000ドルの大台を割り、翌1日には一時7400ドル割れ寸前にまで急落した。ダウ平均はその後も乱高下をつづけ、ニューヨークもまた世界金融恐慌の危機から国際経済を防衛する守護神たりえないことを自ら証明することになった。
 しかもこのニューヨーク株式市場のバブル崩壊を伴った世界同時株安の過程では、ロシア国債への投機の失敗を含めて、国際的な金融自由化によるグローバリゼーションの申し子としてもてはやされてきたヘッジファンドも巨大な損失を被ることになった。中でも経営陣にノーベル経済学賞を受賞した2人の学者が名を連ね、「ウォール街きっての明晰なプロ集団」との評価を受けてきたヘッジファンド=ロング・ターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)の経営破綻の危機は、グローバリゼーションとヘッジファンド神話の崩壊を強く印象づけただけでなく、9月23日にニューヨーク連邦準備銀行が仲介したLTCM救済策のとりまとめが、市場自由化と規制緩和一本槍であった国際的な金融政策にも波紋を広げることになった。

ダブルスタンダード

 あらゆる価格の決定を市場原理に委ねることが最も効率的な経済をつくるとする「市場至上主義」と言われる特殊なイデオロギーは、いわゆるシカゴ学派と呼ばれる人々によって主張されてきたものだが、このイデオロギーがレーガン政権によって擁護され、国際貿易の自由化ばかりか、国際金融の急激な自由化もまた、以降のアメリカによって強力に推進されてきたと言える。
 だが昨年のアジア通貨危機と、これにつづく今年8月のロシアの通貨危機は、この金融自由化の推進が作り出したグローバリゼーションなるものが、国際金融恐慌を引き起こしかねない危険をはらむばかりか、戦後の資本主義世界が長期にわたって築きあげてきた様々な金融危機管理の手段をも無力化し、まったくコントロールのできない国際経済の撹乱要因を醸成することも明かになった。アメリカ帝国主義はレーガノミックスの8年間とクリントン政権の6年間を通じて、あらゆる地域と国家にこの「市場至上主義」を強要しつづけてきたとも言えるのだが、その「市場至上主義」の本家本元のアメリカで、他でもない自由な市場競争の結果として破綻した名門ヘッジファンドの救済のために、たとえその資金が民間金融機関による供出によるものとは言え、連邦準備銀行の仲介によって行われたという事実は、あからさまなダブルスタンダードとの非難を免れることはできない。
 そしてこのダブルスタンダードは、9月23日に行われた日米首脳会談の席上、クリントンが小渕に対して「迅速な公的資金の投入による金融不安の解消」を公然と要求し、さらに10月3日の主要7カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G7)の共同声明に、日本を名指しした破綻前金融機関つまり危機に陥った大手都市銀行への「十分な公的資金の投入」を要求する文言が明記されるにおよんで、さらに決定的なものとなった。アメリカ経済の危機、より具体的には「ウォール街・財務省複合体」(米『フォーリン・アフェアーズ』誌98年5-6月号/ジャグディシュ・バグワティ論文「資本の神話」より)の危機に直面したアメリカ帝国主義は、その最大利益のために、時には金融市場の開放を強要し、時には国家による金融資本の救済を求めるというダブルスタンダードを、平然と使い分けることを自ら暴露したのである。
 その意味で、金融市場の開放と規制緩和を旗印にしたアメリカ帝国主義の国際金融政策は、重要な転機に直面しはじめたということができる。もちろんこの事態が、ただちに現在の金融自由化の流れを逆転させるなどということはありえないが、少なくとも90年代のアメリカ経済の一人勝ちを実現してきた金融自由化政策と、そのアメリカの経済的パワーを象徴するグローバリゼーションをめぐって、経済システムをめぐる論争や批判の応酬が始まるのは避けがたいし、ニューヨーク株式市場の動向によっては、政策転換を含む論争も避けられなくなるだろう。

銀行救済と労働者の要求

 ところでこうしたアメリカのダブルスタンダードと対日要求の軌道修正は、先の参院選で歴史的大敗を喫し、参院では少数与党として苦しい国会運営を強いられていた小渕自民党政府に、国際公約と外圧という、絶好の援軍を送ることになった。事実上破綻した日本長期信用銀行(長銀)の処理をめぐって、結局は住友銀行との救済合併に失敗し、破綻銀行の一時的国有化や経営陣の責任追及をも認めざるをえない事態に追い込まれていた小渕は、この外圧をテコに、破綻前銀行に対する公的資金による資本注入を柱とする「破綻前」銀行の救済スキーム=早期健全化法案は、自由党と旧公明党の支持をとりつけることでようやく成立させることに成功した。
 宮沢蔵相が、ソフトランディングと称する大手都市銀行の「破綻前救済」を公言し、経営責任の追及をも棚上げにする早期健全化法の成立は、文字通りの意味で、労働者民衆から吸い上げた税金を、バブルに踊って大儲けを企み、バブル崩壊後も株や不動産の含み益に依存する経営に固執して不良債権の処理を先延ばしにしてきた金融資本を、ほとんど無条件に救済するものと言える。
 だがより肝心なことは、自民党的な金融資本の救済には反対した野党各党(ここでは主要に民主党と共産党のことだが)も、眼前の金融危機について、税金の投入に反対か賛成かとか、景気を回復する消費の刺激は効果的か否かなど一般論に終始するばかりで、現実の不況下で失業したり、あるいは近い将来の失業や倒産の危機に脅える働く市民・労働者の要求に応える提言は、ほとんどどこからも聴こえてこないことである。
 例えばだが、破綻前銀行への資本注入は貸渋り(金融収縮)による倒産回避のために必要だとの自民党の主張があるが、株価と担保不動産の含み益の減価で債務超過にに陥りかねない金融資本が、とりわけ金融ビックバンに備えて8%の自己資本比率を維持するために債権回収に奔走している現実の下では、全く何の効果も期待できない。投入された国家資金は、自己資本比率改善のために不良債権処理に空しく消費されるか、隠蔽されてきた損失の穴埋めに回るだけである。したがってもし、貸渋りによる倒産防止を主張するのであれば、国民金融公庫などの諸機関の融資条件を大幅に緩めるなどの措置を通じて、銀行融資の打ち切りによって黒字倒産や経営難に直面する中小企業に、国家資金を直接融資する方がはるかに効果的であろう。そして現実には、すでに1千億円の公的資金の資本注入を受け入れている大手都市銀行の強引な債権回収が中小企業の倒産を促進し、失業率を日々増加させてもいるのである。
 これと同様に、総額100兆円とも言われる巨額の国家資金を投入するのであれば、現在の失業給付期間9カ月をドイツ並の2年間に延長することも不可能ではないし、そうした失業労働者の生活を保障する施策の整備が、社会不安を助長しない不良経営者の整理や淘汰をも可能にするだろう。
 求められているのは、景気の回復を政府とブルジョアジーに要求し、その経済的好条件の下でより良い労働条件を保障させようとすることではなく、不況下の労働者が現に直面する困難に応えうる「対案」を掲げ、それを政府と資本に要求する労働者の大衆的な直接行動を組織することなのである。その意味で金融資本の救済策を自民党と競う民主党には期待できないとしても、労働者の党である共産党と、その影響下にあるナショナルセンター・全労連の要求の体系は、労働者の現実的要求とは大きなズレがあると言っては言い過ぎであろうか。消費税率の引き下げや消費刺激の賃上げといった要求は、むしろ日本資本主義の経済成長を前提にした、旧態依然たる国民春闘の要求と少しも変わらない体系と言った印象が強いものであろう。

実践的な模索のはじまり

 こうした局面で、労働者の直面する要求に応える新たな試みを実践的に模索しはじめているのは、実は産別的な労働組合と一般型の労働組合である。
 この実践的模索のひとつの焦点は、言うまでもなく倒産争議である。つまり企業倒産による突然の失業に抗する闘いと運動の模索は、極めて実践的であると同時に、不況下における労働組合の真価を問われる争議であり、他方で労働者の体系的要求を作り上げるための経験の蓄積に貢献するものであろう。
 そうした模索のひとつは、連合傘下のゼンセン同盟が打ち出した労働債権の優先的回収の要求である。未払いの賃金や退職金など労働者に支払われるべき債権(労働債権)を税金や銀行融資債権よりも優先的に回収できるような制度や施策を要求する運動に取り組むというゼンセン同盟の決定は、急増する倒産争議の経験にもとづく実践的なものと言うことができる。
 労働債権の優先的回収は、倒産による失業に直面した労働者にとっては全く当然のことなのだが、現実の法制度では税金や銀行融資債権回収が優遇され、労働債権の回収率は、破産管財人など倒産企業の資産を管理する人間の恣意的決定に大きく左右されるのが現実でもある。そしてこうした労働債権の優先的回収が可能になれば、それは労働者の働く場を確保するための企業債権などの条件を大きく改善することにもなるだろう。
 そしてもうひとつの模索は、破産手続きに抗して労働者の持つ技術を生かし、自ら働く場を確保しようと企業再建をめざす争議の登場である。倒産に抗して企業再建に取り組んでいる争議は、埼玉県大宮駅前のカメラ販売店・ニシダである。このニシダの倒産も、前述した銀行による債権回収の策略ではないかと言われているのだが、10月1日づけの朝日新聞で報じられているところによれば、倒産前には組合員が2人であった労働組合(全労協・全統一労働組合)に、倒産当日に29人が新たに加盟、破産管財人との交渉などを通じて、7月の倒産からおよそ2カ月後の9月初旬には、DPE店の開店にこぎつけたという。たしかに倒産争議のなかで、労働者の自主管理や企業の再建が試みられた例はこれまでも数多くあるが、「みんなが寄って立てる場は、組合だけだった」「会社がつぶれたら、どうしたらいいか。教科書に書かれているわけではない。その道筋をここで示してみたい」(同紙)として始まった企業再建の闘いは、やはり不況下での労働運動の性格を帯びている。開店にこぎつけたDPE店は、職場占拠とか自主生産といった、かつては勇ましい表現で呼ばれた闘争戦術というよりも、再就職のままならない状況下で、いかに自らの働く場を確保しようとするのかという、その分だけ労働者の日常や生活に密着した切実な要求にもとづいた労働者の知恵の感が強い。管財人との関係も考慮した「店舗分の家賃」20万円を供託するという方法も、その切実さを、だからまたこの企業再建闘争に秘められた強靭さを示すものであろう。
 不況下の労働者の要求の体系は、こうした現場における実践的模索の中から生み出されることだろう。

(ふじき・れい)


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