99春闘 労問研報告と連合白書を検証する
失業問題とワークシェアリング
失業と賃下げ時代の階級的労働者の闘い


 昨年11月の完全失業率が史上最悪の4・4%を記録するなど、長期の不況で失業が深刻さをます中で、連合と日経連の「99春闘」にむけた動きが本格化しはじめている。まず日経連の春闘対策マニュアルでもある「労働問題研究委員会報告」(労問研報告)が1月12日に発表され、その2日後の14日には連合が中央執行委員会と構成組織・地方連合会代表者会議、そして99春季生活闘争決起集会を開催、日経連も20日に臨時総会を開き、賃金や雇用をめぐる基本方針などを確認した。
 春闘が、各企業の決算(予算編成)時期に合わせた、労働組合による集中した賃金交渉であるなら、その焦点は賃上げ交渉と統一闘争の内容や時期ということになる。だがこの点では、すでに労働組合(連合)側の連戦連敗の中で統一闘争の形骸化が顕著になり、今年もこの状況が突破されるような条件は、客観的にも主体的にもほとんどない。しかし春闘に向けた日経連と連合の「論戦」は、グローバル経済下での国際競争の激化や長期不況の中で、日本帝国主義ブルジョアジーが日本の国家社会再編を当面どのように展望し、またナショナルセンター連合が、この再編にどう対処しようとしているかを相互に示す場となってもおり、現在の日本の労資の力関係と交渉(攻防)の内容を集中的に検証できる期間と言えるかもしれない。
 とすれば、春闘をめぐる日経連と連合の主張を検討してみることは、階級的労働者の今後の課題を明らかにするという意味で、無駄なことではないだろう。

ワークシェアリング?

 今年の労問研報告は、「雇用安定は勤労者にとって最大の福祉であり、いまは労使ともに雇用の維持・安定に最大限の努力を傾注すべき時である」と、雇用を権利とは認めないとの思いを滲ませながらも、雇用確保を最重要課題に設定している。しかし同時に同報告は「雇用維持に最大限注力してきた企業努力にも限界が生じ、雇用情勢は一層の悪化が避けられない段階にきている」と失業の増大は避けられないとの認識を示し、これに対する社会的政策として、@新規雇用を創出する事業や産業の育成、A労働者のエンプロイヤビリティー(雇用される能力)を高める教育訓練の充実と整備、B労働移動の円滑化を促進する民営職業紹介や派遣事業の規制緩和、C雇用の受け皿としてNPO(非営利団体)の成長に期待、などをあげている。
 その上で個別資本の対応では、「許される総額人件費の中で、雇用の安定を最重要視し、その他の労働条件については労使で柔軟に対処すべきである」と主張、具体的には「ワークシェアリングの考え方の導入」や「多様な雇用形態」の組み合わせ、そして「能力や成果・貢献度に応じた賃金配分の徹底」の三つの方策を提唱している。政策提言は後で検討することにして、三つの個別資本の対応策から検討してみることにしたい。
 まず「多様な雇用形態」は、言うまでもなく「新時代の日本的経営」が提起した正規雇用労働者の削減と、有期雇用や派遣労働者そしてパート労働者などの不安定雇用労働者の大量導入によって総額人件費を削減する方策であり、「能力や成果に応じた賃金配分の徹底」は、いわゆる能力主義労務管理の強化と賃金格差の拡大によって、総額人件費の増加を抑えようとする方策である。それはすでに始まっているリストラ策であり、何ら目新しいものではない。注目したいのはワークシェアリングの「考え方の導入」だが、これが本来の意味で、つまり労働運動の歴史的伝統が育んできた「仕事と賃金の分かち合い」という労働者の相互扶助や連帯を含んだ意味で使われているとすれば、たしかに興味深い提言だからである。
 ところが労問研報告に盛られたワークシェアリングには、「例えば一人分の賃金を二人の雇用者で分け合う発想」という解説が付され、要は「一人当たりの賃金を半分にして雇用を確保する方策」として提案されているのであり、これが能力主義的な賃金格差の徹底や多様な不安定雇用労働者の導入とワンセットで提唱されている以上、それは「賃金引き下げなしに雇用確保はない」と言う以外のことを意味しないことになる。事実同報告は、「競争力強化と経営コストの抑制が経営課題となる中で、国際的に高い人件費コストをこれ以上引き上げることは困難」と主張、賃金上昇率を国民経済生産性上昇率の枠内に抑えるマクロレベルでの生産性基準原理の堅持を改めて強調し、春闘での賃上げは「個別企業の支払い能力に即して決めるべき」と、業種や企業間の賃金格差の拡大を当然のこととしており、それは言い換えれば不況業種や企業では、賃上げどころか賃下げが検討対象であるとの示唆であろう。
 1月に発表された労働省の毎月勤労統計調査によれば、昨年(98年)の現金給与総額が前年(97年)比で初めて減少(1・3%)したことが明らかになったが、それは「賃金切り下げの時代」がすでに始まっていることを示すものと言えよう。もっとも中労委の賃金事情等総合調査(1月速報)では、前年比2・6%の賃金増が報告されているが、この調査対象はいわば中堅以上(資本金5億円以上、従業員1000人以上)の335社であり、むしろ基幹的部門の賃金事情と一般的なそれとの間に落差があることを示すだけである。こうして今年の日経連・労問研報告は、基幹的部門の「賃下げの立ち遅れ」を憂慮し、賃金切り下げの流れに棹さすように、その必要をはじめてそして公然と打ち出したと言うべきであろう。

失業は減るのか

 ではこうした賃下げによって、「福祉」に格下げされた「労働者の働く権利」はそれなりに保障されるのだろうか。これについて労問研報告は、もちろん具体的な言明を避けている。つまり保証はないのだ。
 ところで現実には、賃金の切り下げのみならず各企業での人員削減が激増し、これが失業率を急上昇させる一因ともなったのが昨98年の実情であった。『週刊東洋経済』1月23日号の「『雇用調整』に軋む日本型経営」によると、昨年、人員減、減量、特別退職など様々な名目で人員削減を行った企業は365社と、一昨年の59社から実に3倍強に激増した。さらに同誌も指摘する「中高年失業者の中にはあきらめて失業登録をしない人たちもいる」ことを考慮すれば、実質失業率は5%を超えていても不思議はない。
 こうした人員削減の動きは、連合の「緊急雇用実態調査」(連合傘下労働組合のある民間企業での調査)にも示されている。同調査によれば過去1年間に「雇用調整」が行われた企業は27%にのぼり、時間外労働の規制や出向・転籍など以外の、つまり失業に直結する希望退職(18・1%)や解雇(10・4%)が、94年の同調査(希望退職3・7%、解雇1・9%)との比較で急増しており、94年との比較はないがパートの雇い止めも25・5%に達している。さらにこの調査で、前年比の正規従業員数の増減には、実に49%の企業が「少なくなった」と回答しているのである。
 こうした実態は、ナショナルセンター連合が失業問題で無力であるだけでなく、本工主義つまり正規社員の権益防衛を最優先する労働組合としての基盤が掘り崩される事態にすら、十分には対処できていないことを物語っているが、と同時に労問研報告が「雇用の維持・安定」を最重要課題と位置づけたのは、昨年11月の失業率が4・4%の最悪を記録する一方、アメリカの失業率が4・3%(98年12月)に低下したという衝撃的事実に配慮せざるをえなかった、その意味で強い政治的配慮の産物であると思わせるに十分であろう。なぜなら、総評を解体し連合を成立させた労働戦線再編の主要な目的は、日本資本主義の「安定帯」として企業内組合との労資協調を強化することであり、その基盤である「日本的労資慣行」とは、個別企業ごとの生産性基準原理に基づく長期安定雇用と毎年上昇する賃金、つまりπ(パイ)の配分の持続的拡大の保証であり、それがまたJC派イニシアチブの正体でもあるからである。
 したがって日経連が、賃下げばかりか人員削減と失業の増加をも公然と容認するとすれば、それはJC派イニシアチブの基盤の崩壊を、だからまた連合の破産を宣言するに等しであろう。かくして「雇用か賃金か」という、70年代のオイルショック当時と同様の最後通牒がいまや連合に突きつけられ、ブルジョアジーはそのいづれをも保証しない決意を示しはじめているのである。

生産性基準原理

 こうした日経連の「失業も賃下げも」という対応に対して、もちろん連合は「雇用も賃上げも」を主張して反発を強めている。会長の鷲尾が1月14日の「構成組織・地方連合会代表者決起集会」で、「ベア・ゼロは景気の足を引っ張る」し「賃下げしたからと言って雇用が守られる保障はない」と述べ、「雇用も賃上げも」を合言葉に、企業内の議論に没することなく、マクロ経済を見据えた労使交渉の展開を訴えたのは、その象徴である。だがしかし、労働生産性の上昇と直接連動する賃金配分という、日経連と同じ「生産性基準原理」に立脚した労働運動を基調としてきた連合が、どのような対抗的論理をもち得るかが核心的問題である。
 たしかに、連合の「労問研報告に対する見解」には、「破綻した生産性基準原理に基づく賃上げ抑制論は、国民経済に対する経営者の社会的責任を放棄するもの」との批判はあるが、それは「回復軌道に戻りつつある消費支出の増加に水を差し、日本経済をデフレスパイラルに陥れる」という観点からの批判であって、結局は生産性基準原理によって賃上げが実現するような経済的好循環を「取り戻すため」の賃上げ必要論に過ぎず、「マクロレベルの生産性基準原理」という日経連の主張を一歩たりとも抜け出てはいない。そうである限り、グローバル経済下の激しい国際競争での生き残りをかけて、利潤率と生産性を低下させている過剰設備や過剰資産を廃棄し、これに伴う過剰人員を削減するか労働コストの大幅削減の必要に迫られているブルジョアジーは、連合の要求する雇用確保と賃上げに対して「企業がつぶれたら(つまり市場での競争に負けたら)元も子もないではないか」と居直ることができるし、現に連合はこうした居直りの前に、なすすべなく春闘で連敗しつづけてきたのだ。この現実の前では「市場万能主義を排し、市場と道義および秩序を三位一体化させる努力」を説く労問研報告(日経連がこう主張しているのだ!)も、空しく聞こえるだけである。
 こうしてまったく同様に、企業防衛のための「やむを得ない措置」としての人員削減つまり失業に対しても、連合型労働運動は、昨年12月に日経連と共同で提案した「100万人雇用創出」を制度・政策要求として推進する以外、ほとんど何の対応もできないことになるだろう。そして日本資本主義の国家社会再編つまり「新時代の日本的経営」に向けた構造転換を推進しつつ、大幅に切り下げられた賃金体系を社会的に定着させ、その上で何年か先には失業率を抑えようとする、そうした戦略的観点ではむしろ日経連の方が先を進んでいるとさえ言える。
 先に検討した「ワークシェアリングの考え方の導入」は、その先鞭をつける問題を内包しているからであり、「賃金低下を伴わないワークシェアリングによる時短と雇用増」といった「連合白書」の一般論では、これに対抗することはほとんどできないだろうことも明白だからである。

ワークシェアリング

 「労働情報」1月1日号に、「雇用不安と対峙する労働運動」として、新運転(新産別運転者労働組合)でのワークシェアリングの取り組みが紹介されている。それは労働者派遣事業の伝統をもつ労働組合が、不況による事業所からの派遣要請(求人)の減少に対応し、組合員の互助と連帯を基礎に仕事と賃金を分かち合い、失業を少しでも減らそうとする運動である。他方、労問研報告に盛られたワークシェアリングは、先に検討したように総額人件費は増やさずに雇用を倍増させる、つまり低賃金による低失業率という組み合わせを意図したものであり、圧倒的多数の労働者にとっては賃金切り下げと不安定雇用を意味する「考え方」である。それは80年代後半から90年代初頭にアメリカで吹き荒れ、わずか半年で賃金が半減する労働者を大量に作り出したダウンサイジングの嵐を、「市場と道義および秩序を三位一体化させる努力」(労問研報告)という名目で、そしてもちろん日本的に実現することになるに違いない。
 もちろん、新運転が取り組んでいるワークシェアリングも一人当たりの賃金の低下を伴うし、その分だけ生活が苦しくなることも避けられない。しかし労働者にとっての、とりわけその階級的意識に対する影響の点で、両者の違いは歴然としている。
少し乱暴な言い方をすれば、日経連のワークシェアリングは、労働者間の賃金や処遇の格差を拡大し、したがって労働者相互の競争を一層激しい敵対的なものへと変化させ、そうして労働者の資本への依存を深めさせ、利己的な個人主義を助長し、大衆的労働組合の団結基盤の解体を促進するだろう。他方新運転のワークシェアリングは、労働現場で労働者の相互扶助の精神を広げ、これによって仲間を見いだし、かつての部落解放同盟のような分かち合いのための民主主義を育み、総評とともに解体された徒弟的団結基盤に代わる、労働者の連帯と民主主義にもとづく新たな団結の基盤を見いだすことになるだろう。
 それはバブル景気の下で、連合が一世を風靡しているとき、孤立しながらも頑強な抵抗をつづけてきた国鉄闘争で、闘争団に結集した労働者たちが苦闘の中で見いだしてきた新たな団結の質に通じてもいる。
 だがこうした闘いと運動を組織するには、フランスやオランダの実例を持ち出すであろう資本のワークシェアリングの提案について、労働組合の幹部たちが自覚的である必要がある。そしてこれこそが、現在の連合に欠けているものであろう。ワークシェアリングが能力主義的労務管理とは相いれないこと、それは格差の拡大ではなく縮小を目指すものであること、それは労働者の連帯を基礎に置くためにあらゆる職種や雇用形態の労働者の協力が必要なこと、だからこれを実践するには真に大衆的な労働組合や職場での横断的な共闘組織が必要であることなどの助言が、階級的労働者に求められる活動となる。

 長引く不況と失業の増大は、たしかに労働者大衆の抵抗を強める。にもかかわらず日本の労働者大衆は連合時代の10余年の間、労働組合として団結する基盤の解体に直面しつづけてきた。こうした条件の下では、不況下での抵抗がただちに攻勢へと転化する可能性は小さい。不況や失業の増加が労働者の抵抗を逆に弱めた例は、歴史的にはいくつもある。そして日本の労働運動は、連合JC派イニシアチブの衰退によって様々な可能性を見いだしつつも、なお「戦略的防御」からの転機を掴みつつある局面にある。
 しかしだからこそ、次の局面の「上げ潮」に向けた準備が、とりわけ労働者の階級的連帯を強化するためのあらゆる運動や闘いが決定的に重要な意味をもつ。階級的労働者が、日経連の賃下げと失業を労働者に押しつけようとする動きに対抗して、派遣法改悪反対や反倒産・反失業をかかげ、真に大衆的な労働組合のために闘わなければならないのは、このためなのである。

(きうち・たかし)


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