JC春闘惨敗の構図と日本資本主義の社会再編
「生産性基準」賃金論の破産


「教科書のない」春闘

 99年の春季賃上げ交渉に大きな影響を与える金属労協(JC)4単産の一斉回答が3月17日午前に出揃ったが、その結果は、長期不況と企業資産デフレの進行を背景にした資本の攻勢の前に、春闘史上最低の賃上げ率を更新する惨憺たるものであった。
 連合の成立以降、賃金ベース引き上げのリード役を自認してきた自動車総連傘下でも、トヨタでわずかに700円(35歳、勤続17年の標準労働者)、フランス・ルノー自動車との資本提携で苦境からの脱出を図る日産自動車は、基幹産業としては初のベア・ゼロとなり、大量の人員削減計画を公表している電機各社も軒並み500円にとどまり、現在の状況下では比較的高いと評される造船重機も、三菱重工の1300円が最高という惨状である。皮肉なことに、連合内部でも強い批判を浴びた隔年春闘を主張し、今年は賃上げ交渉を行わなかった鉄鋼の昨年妥結額1500円が、今年最高のベースアップとなった。
 ナショナルセンター連合の無力ぶりを一層印象づけた99春闘の惨憺たる結果は、もちろん当初から予測されたものであった。それはデフレ下の「教科書のない初体験の春闘」と言われ、「物価上昇と経済成長率に見合う賃上げ」という、JC派の賃上げ要求の論理が、物価下落(デフレ)とマイナス成長(不況)という未経験の状況下で、根本的な見直しに直面していたからである。なぜなら、こうした「生産性基準原理」に基づく賃金決定論に従うかぎり、深刻な不況とデフレに見舞われている今年のベースアップは、当然ながらゼロまたはマイナスになる以外になく、さらには、基幹産業において本工労働者を資本に従属させる道具でもあった定期昇給(年功待遇)さえもが、つまり企業内本工労働組合の権化であるJC派労組支配の「聖域」と言える日本的労資関係の支柱すらが脅かされる事態も予測されたからである。
 そして実際に99春闘では、ベア・ゼロや賃下げを労働組合に突きつけた資本の先制攻撃は、「競争による活力の再生」を理由に定期昇給制度そのものの見直しにまで踏み込む動きへと連動し、連合・JC派は「賃金構造にまでは手をつけさせなかった」(3/18:朝日)と虚勢をはるのが精一杯であった。

「賃上げで景気回復」論の無力

 こうした賃上げ論の破綻を取り繕うように、今年は「景気回復のための賃上げ」論が例年にもまして前面に押し出されたのだが、それも資本の攻勢には全く対抗できなかった。賃上げで大衆消費を刺激し、消費主導で内需中心の景気回復を計るべきだとするこの〃賃上げ論〃は、連合のみならず全労連や全労協にも共通する性格をもった論理だったのだが、それは二つの意味で有効性を持たなかったと言えるだろう。
 そのひとつは、今春闘でブルジョアジーが追求した賃下げや人員削減は、現在の不況を凌ぐ一時的な処置ではなく、日本資本の国際競争力の低下に対応する〃企業体質の転換〃を意図するものであって、景気や業績が回復すればベースアップに応じるといったこれまでの合理化とは、あらかじめ性格を異にしていたからである。
 しかも日本ブルジョアジーに深刻な危機感を抱かせているこの国際競争力の低下は、単に欧米製品との価格競争力というレベルではなく、日本資本と欧米資本、とりわけアメリカ資本と比較した〃資本収益率の低さ〃という問題なのであり、その最大の要因が、過剰な生産設備(要するに設備稼働率の低下による資本効率の悪化)と有利子負債(借金)、そして高い労働コスト(要するに搾取率の低下)にあるとの認識が、ブルジョアジーの間で全般化し始めていたのである。
 ふたつめは、この資本収益率の悪化という事実の中に、実は戦後日本の持続的経済成長を、だからまた賃上げ→消費の拡大→経済成長そしてまた賃上げという、資本主義的好循環を可能としてきた産業構造の破綻が示されているのだが、「景気回復のための賃上げ」論は、この旧来的な好循環を前提にした論理だったからである。
 戦後日本の経済成長と好循環は、自動車や電機といった戦後の基幹産業において、大衆消費財の量産効果を極限的に追求することで賃上げ(労働コストの高騰)を吸収できる高利潤を確保する、その意味ではフォーディズムの模範とも言える産業構造をその基盤としてきた。だがそれは少し言い換えれば、不動産などの高騰という資産インフレを無条件の前提にして、設備投資資金の多くを銀行融資などの借金(有利子負債)に依存し、それによって生産規模の拡大を追求することで量産効果を追求した結果として、消費の低迷とか需要不足と言われる過剰生産に対応する遊休設備の破棄(スラップ)が難しい、いわゆる〃水ぶくれ〃体質の産業構造でもあった。
 こうした日本的産業構造が突き当たった過剰生産は、これまでは搾取率を極限まで高める労働生産性の向上、つまり過労死に至るほどの労働密度の強制や長時間労働による〃コストダウン〃で価格競争力を高め、この低価格を武器にした集中豪雨的な欧米への輸出ドライブによって吸収するか、あるいは国内産業の空洞化を伴う生産拠点の海外移転、とりわけアジアの安価な労働力を利用した利潤率の確保で対応してきたのだが、いわゆるグローバリゼーションが事態を大きく変化させることになった。
 つまり製造業における巨大設備投資の停滞が生んだ巨額の余剰資金が、1%でも高い利潤率を求めて世界中を駆け巡る状況が促進され、これが為替を乱高下させてドル建ての貿易決済を撹乱し、ついにはアジアやロシアの金融危機に象徴されるように、利潤率(資本効率)の低い国民経済や産業そして資本を容赦なく打ちのめしはじめたのである。生産規模を拡大し、その量産効果で利潤率を高めようとする戦後資本主義の競争は、新技術や新製品を媒介にした資本効率の競争、つまり1円でも高い株価や1%でも多い金利をめぐる競争へと変貌し、量産効果を極限まで追求してきた日本資本主義は、そこでの成功の分だけこの転換に立ち遅れたのである。
 もちろん、70年代半ば以降の国際的な経済成長の長期的な鈍化が、そして最近ではごみ処理や環境負荷などの社会問題の深刻化が、日本資本主義の量産追求に見合う大衆消費市場の拡大をもたらさなかった、つまり市場の相対的狭隘(きょうあい)化が始まっていたことが根本的要因ではあるのだが、グローバル経済とくに国際的な金融自由化が、量産効果の追求だけでは対処しえない危機に日本資本主義を直面させたのである。
 この国際資本主義の変貌こそが、今日の日本における産業再編を促す動因であり、今春闘で資本が断固たる攻勢に出た本質的な背景なのである。それはいま遅ればせながら、だが同時に社会的諸制度の再編を伴っていやおうなしに本格化しはじめたのであり、99春闘の顕著な特徴となった資本の攻勢は、この国家社会再編に必要な諸費用を、労働者大衆の犠牲によって賄おうとする攻撃の始まりに他ならないのである。
 こうした条件のもとで、賃上げによる消費の刺激が、量産効果を再生して景気を回復するという賃上げ要求の論拠は、あまりにもナイーブにすぎたと言うべきであろう。

労働組合再生の基盤

 連合春闘の惨状もさることながら、むしろ階級的労働者が注目すべきことは、この賃上げ要求の論理的破綻である。
 改めていうまでもなく、日本の戦後労働運動を半世紀にわたって主導してきた総評そして連合の主要な役割は、日本資本主義の経済成長に見合う賃上げの獲得であったし、それはまた戦後日本経済の発展によって生み出された富を、賃上げを介して社会全体に還元させようとする大衆的要求という性格をも持っていた。だが90年代初頭のバブル景気の崩壊以降は、この日本労働運動の中心課題であったと言っても過言ではない賃上げ闘争はかつての精彩を失い、基幹産業から人事院勧告を介して官公労へ、そして中小企業さらには米価にまで連動する大衆的で社会的な波及効果を、だからまた労働組合運動の社会的影響力を大きく後退させた。
 前述したように、毎年の定期昇給や賃上げを吸収するほどの利潤率の伸びは、大衆消費市場の相対的狭隘化とともに鈍化しはじめ、それとともに搾取率もまた低下したからであり、他方では連合・JC派の提唱する「生産性基準原理」に基づく賃金決定論に屈した日本の労働運動が、その論理の延長として、相対的に資本効率の低い中小企業や一次産業(農林業や漁業など)の零細経営者や農漁民との連携を自ら断ち切り、むしろそうした企業外部の下請けや産業の淘汰と犠牲の上に、日本資本主義の発展を願望するブルジョア的キャンペーン、すなわち規制緩和や市場至上主義と言った特殊なイデオロギーに対抗しえなかったからである。
 こうした意味で99春闘における賃上げ要求の論理的破綻は、総評を解体して成立した連合労働運動が、資産インフレを無条件の前提に量産効果を極限まで追求する日本的フォーディズムに最もよく適合した労働運動であったこと、だからまたこの日本的産業構造が根本的な転換に直面することで、いやおうなく歴史的な衰退過程に入ったことを明らかにするものであろう。むしろ「生産性基準原理」に基づいた賃金決定論は、すでに始まっている「賃金革命」と称する日本的賃金構造の転換、すなわち定期昇給などの年功的処遇を一掃し、業績評価による能力給や業績連動の賞与(夏冬の一時金ではない)の導入による本工労働者の賃金格差の拡大に抗しえないだけでなく、逆にこうした賃金体系の労働者個々への貫徹を補完し、賃上げなどの企業内労働条件の決定力を軸とした企業内本工主義労働組合としての団結の基盤を、自ら解体する以外にはないからである。
 だがこうして、第二次大戦後の世界資本主義を再組織したアメリカ的資本主義に適合して成立した労働組合に代わって、言い換えれば資本主義的拡大再生産と賃上げ・労働条件の改善が好循環する時代に適合してきたJC派イニシアチブに代わって、倒産、失業、リストラに伴う労働者の就労権、生活権の侵害と対決し、あるいは賃金カット、労働条件の切り下げという搾取率の引き上げに抵抗する労働組合が、言い換えれば、企業社会から排除され、あるいは企業内処遇の格差によって没落を強いられる労働者の、最低限の就労権と生活権の擁護のために闘う団結形態が、労働者大衆の必要に応じて登場する客観的基盤を拡大することになる。
 労基法の改悪につづいて、労働者派遣法と職業安定法の改悪が国会で審議される状況に対して、一般型労働組合や旧総同盟の流れを汲む産別型労働組合の連携した運動が、ナショナルセンターの枠を越え、あるいは連合・JC派イニシアチブの間隙を縫うように台頭しつつある事実は、この歴史的転換と国家社会再編成の時代に必要な労働者の団結形態を、階級的労働者に示唆しているのである。

  (ふじき・れい)


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