第一研究会第4期「新たなる戦略を求めて」

(1) 戦後思想の総括 @問題の所在と研究の進め方

 2003.11  文責:すなが けんぞう


【問題の所在】戦後政治を支えた基盤の崩壊−新しい枠ぐみはいかに語られるか?
※参考図書:「民主と愛国」(小熊英二著・新曜社・2002年10月刊)

▼現状認識: 戦後政治の基盤の崩壊

 総選挙の結果は、社民・共産両党が退潮し、新民主党も社共などの後退分を吸収しただけで政権には届かず、与党の安定多数確保と言う結果に終わった。しかしこの選挙の表面的な結果の裏に、深刻な構造的変化が進んでいることを見逃してはならない。
 無所属候補の追加公認と保守新党の吸収で単独過半数となった自民党だが、この議席は公明党・創価学会の全面支援がなければあと40議席は落し、新民主党に政権を奪われかねなかったことは、各種の選挙結果分析の示す所である。長引く不況と金ばらまき行政の規制によって、従来の業界団体を基盤とした自民党の集票組織が動かなかったことは、自民党を支えた利益誘導組織が解体し始めていることを示している。しかし対する民主党も支えるべき連合が求心力を欠いているために組織的基盤がなく、漂う無党派層だのみとなっていることも明白である。そして社民・共産両党の退潮は、両党を支えてきた、「平和と民主主義」を求める国民的思潮が大幅に風化し、その活力を失っていることを示している。
 日本の戦後政治を支えてきた国際的基盤である冷戦・平和共存というアメリカの時代は90年代初頭に終わったが、10年遅れで、戦後政治を支えてきた国民的意識が崩壊をはじめ、その再編が不可避であることを、総選挙の結果は示しているのである。
 しかし、アメリカの時代に変わる新たな世界的枠ぐみや日本の未来も展望できない中での総選挙は、未来を積極的に選択できない状況を生み出し、高い棄権率と現状維持的結果を生み出してしまった。時はまさに、戦後政治を支えてきた構造に変わる新たな枠ぐみを構想し、それが提示されることが不可欠な時代に入ったのである。

▼今必要なことは?: 戦後世界認識再考・"発想の転換"へ

 では、戦後政治を支えてきた構造に変わる枠ぐみをいかにして構想するのか?。
 この問題を考えるには、戦後政治の枠ぐみの成立・変遷・崩壊の過程を振り返ってみることが肝要である。そしてこの際、最も大切なのは、その戦後構造を支えてきた政治思想・世界認識の成立・変遷・崩壊の過程をつぶさに振り返って見ることが大事である。
 なぜならば、政治・経済・社会の崩壊・再編期には、その基盤が崩壊しているという現状とその理由とを認識することなしには、新たな枠組みを構想する力は獲得されないからである。やさしく言えば「発想の転換」。発想を転換するためには、今までの世界を認識してきた意識の構造・言葉を再検討し、基盤の崩壊の現実に合わせ、その意識の構造・言葉の転換を図ることが不可欠である。
 この作業をする上で、「民主と愛国」という書物は、格好の素材を提供してくれるものといえる。

▼ 戦後思想総括の前提:私たちは「戦後」を知らない

 これは本書の帯カバーのキャッチコピーである。
 戦後の枠ぐみを再検討しようとする動きは近年盛んであるが、どの論者も「戦後」を知らず、それを誤解したまま論じているというのが著者小熊氏の認識である。
 彼は戦後を三つの時期に区分する。
 第一の戦後は、1955年まで。戦後の国際的な混乱の時期。そして第二の戦後は、国際体制の安定を基礎にした高度経済成長が続いた時期。中心的には1960年代と70年代であり、その余波は1990年まで続いた。さらに第三の戦後は、1990年以後、現在の時期である。
 小熊氏は、第一の戦後と第二の戦後とが、全く違った世界であったことを踏まえ、この二つの戦後の時期において、『日本のナショナル・アイデンティティイをめぐる議論に、何らかの質的変化があったのではないか』(本書、序章、p12より)という仮説を提示する。そしてこのことは、日本の国のありかたを認識する言語体系、すなわち「国家」「民族」「民主主義」「愛国」などの言葉もことなる響きをもって使われていたのではないかということを意味し、これを念頭に置かないと、「戦後」を誤解することになる。
 氏は、その例を二つあげている。
 一つは、「戦後民主主義」を批判する右派団体「新しい歴史教科書をつくる会」の主要な論者たちの「戦後民主主義」に関する言説である。
『それは、「国家」を否定して「個人」を重視した世界市民思想であり、アメリカの影響をうけた「近代主義」「西洋主義」であり、共産主義への信仰を抱いており、大正教養主義の延長であった』(本書、序章、p15より)。
 しかしこれは共産主義の影響の強い第一の戦後の思潮とそれを否定した第二の戦後の思潮とをごちゃまぜにしただけであり、事実誤認でもあるという。
 そしてもう一つ、小熊氏は、「戦後」を評価する戦後思想の研究者たちをあげる。
『あたかも敗戦直後から、丸山眞男をはじめとした「市民社会派」や「市民社会論者」なるものが存在したかのように述べる研究者や評論家は数多い。』(本書、結論、p805より)。
 しかし、これも誤解である。「市民」という言葉が肯定的に使用されるようになるのは、1950年代後半、ことに1960年の安保闘争以後のことであるという。
 この人々が「戦後」を誤認した理由について小熊氏は以下のように述べている。
『「戦後民主主義」という呼称もまた、1960年前後から現れたものであった。「第一の戦後」に生きていた人々は、同時代の多様な運動や思想を、総称する言葉をもっていなかった。「戦後民主主義」とは、「第二の戦後」から「第一の戦後」を表象するために発明された言葉である。そのような表象が、しばしば実情とかけ離れた、単純化されたものになりやすいことはいうまでもない。(中略)「第一の戦後」と「第二の戦後」では、同じ言葉でも、その響きが異なっていた。本書で検証してゆくように、たとえば「市民」という言葉、「近代」という言葉、あるいは、「民族」という言葉は、「第一の戦後」と「第二の戦後」とでは、異なった意味をもっていた場合が多い。そうした問題に無自覚であれば、同じ文章を読んでも、当時の響きとはまったく異なる解釈を下してしまう危険性がある。』(本書、序章、p16より)と。
 まとめていえば、多くの論者は、「戦後」を知らず、そこにおける言葉の響き(著者は「言説」という)を知らないまま、後の世、自分が育った時代での響きをもとにして、「戦後」を批判したり、評価したりしたものだということである。
 したがって小熊氏は、戦後の世界認識・その変遷を総括するために、そこにおける言葉の使用法を、その言葉を使った個人のテキストを、その人の生育歴や環境を踏まえつつ、その人の初発の意味を大事にしながら、戦後の思潮の変遷を解析していくという方法をとる。そして、本書の第1章から第16章、総ページ数にして760ページあまりを使用して、「戦後」の世界を生き生きと蘇らせることで、その思潮の成立・変化・衰退の過程をとらえようとしている。

▼戦後思想の総括の問題が示すもの: 戦後思想の強さと弱さを乗り越えて

 では小熊氏は、「平和と民主主義」と総称された戦後思想の本質をどのように総括し、そして今後を展望したのだろうか。
『戦後思想とは、戦争体験の思想化であったといって過言ではない。』『戦後思想の最大の強みであり、また弱点でもあったのは、それが戦争体験という「国民的」な経験に依拠していたことである。』『それはまさに、戦争という悪夢を共有した者たちがつくりあげた、一つの共同体であった。』『おそらく日本でもフランスでも、敗戦国における「戦後思想」の活力の源泉は、死の恐怖と結びついた崩壊感覚であった。それは、現存の秩序や世界を、安定した必然と考えることができない不安感でもあった。』『戦争体験は、少なからぬ人びとに、言語を絶した心情を植えつけた。そこから、既存の言葉や思想への懐疑と、新しい言葉を作り出す努力が始まった。』『戦後思想の最大の弱点となったのは、言葉では語れない戦争体験を基盤としていたがために、戦争体験をもたない世代に共有されうる言葉を創れなかったことであった。』『戦後思想の崩壊感覚は、秩序が安定した高度成長期以降は、およそ理解されないものとなっていった。』『もちろん、戦争と戦死者の記憶は、「第一の戦後」が終わったあとも間欠的に想起され、戦後思想に活力を与えることもあった。60年安保闘争やベトナム反戦運動の広がりを支えたのが戦争の記憶だった(中略)。戦争の記憶の活力に依拠したまま、戦争体験の言語化が一定程度にとどまり、戦争を知らない世代との断絶を創り出したことは、戦後思想の大きな限界だった。』『「第二の戦後」の安定を背後から支えていたのは、「第一の戦後」の残像である平和主義であった。60年安保闘争は、安保改定を阻止できなかったことから「敗北」と認識されたが、日米の政権を動揺させ、アメリカの対日軍事要求を抑制させた効果は少なくなかったと思われる。こうした運動の高まりがなければ、アメリカの対日軍事要求はずっと強まり、日本が経済成長に邁進することは不可能になっていたかもしれない。もちろんその経済成長は、沖縄を米軍に提供することによって成立していたものであったのだが。しかし冷戦の終結とともに、「第二の戦後」を支えていた国際秩序は消滅した。それと同時に、「第二の戦後」で達成されていた日本の経済成長も止まった。さらに世代交代のいっそうの進展とともに、戦争の記憶を基盤とした「第一の戦後」の残像も、最終的な減衰段階に入ってきた。』と、氏は戦後思想を総括した。
 しかし、氏の研究によって、戦後思想の形成と変容と衰退の過程を、このように理解することは、今日なぜ戦後思想が崩壊しつつあるかを理解するには充分ではあるが、戦後思想が投げかけた問題を理解し、それが今日において持つ意味を理解するには、この要約だけでは不充分である。
 戦後思想を「総括」するには、それが投げかけ、今だ未解決の問題が何であったのか、そしてそれが何を意味するのかを、戦後思想を語った「言葉」にそって実証的に見ることは必要である。また、この作業をしてこそ、新しい時代に向けての「言葉」、我々の言葉でいえば、新しい戦略が生まれるのだと思う。

 小熊氏は、新たな枠ぐみを語る言葉の形成に向けて以下のように述べた。
『「第一の戦後」の言葉が影響力を失い、「第二の戦後」が終わったいま、新たな「言葉」の創出が必要とされているのである。』『戦後思想は既存の言葉の読みかえによって変遷してきた。(中略)戦後知識人たちは戦中思想の読みかえや、アメリカから与えられた憲法の領有によって、戦後の言葉を創りあげてきた。こうした戦後思想が、多くの人びとに受け入れられていったのも、それが既存の言葉の読みかえであったことに一因がある。まったく新しい言語体系を「輸入」しても、多くの読者は、それを共有することができにくい。』『多くの戦後思想は、何らかの公的な共同性―それは「国民」「民族」「市民」「人間」などさまざまは呼称で表現されたが―を追求していた。その場合、「国民」や「民族」はもちろん、60年安保闘争やべ平連などで唱えられた「市民」や「人間」も、ナショナリズムを全否定するものではなかった。』『新しい時代にむけた言葉を生み出すことは、戦後思想が、「民主」や「愛国」といった「ナショナリズム」の言葉で表現しようと試みてきた「名前のないもの」を、言葉の表面的な相違をかきわけて受けとめ、それに現代にふさわしいかたちを与える読みかえを行ってゆくことにほかならない。それが達成されたとき、「戦後」の拘束を真に乗りこえることが可能になる。』(以上、本書、結論、p794〜829より引用)と。

▼ 本書の構成と取り上げた問題:この本は巨大なレポートである

(1) 序章:問題の所在と方法論(省略)

(2) 第1部:戦後思想の成立―1940年代の人々の心情―

@ 第1章:モラルの焦土―戦争と社会状況―<39ページ>
※ 戦況とそれが人々に心情に与えた影響。以下の章を理解する前提。
A 第2章:総力戦と民主主義―丸山眞男・大塚久雄―<38ページ>
※ ここでは、丸山眞男が「民主主義革命」を唱えた背景と心情が検証される。この問題は、戦前の講座派と労農派の論争や32テーゼの問題、すなわち日本革命論をどう総括し、アメリカニズムという形で復活成長しつつある資本主義をどう捉える必要があったかを考える手がかりとなる。
B 第3章:忠誠と反逆―敗戦直後の天皇論―<50ページ>
※ ここでは天皇の戦争責任論の裏側にある思想・心情を検証。戦後思想のキーワードの一つであった「主体性」の問題と表裏の関係にあったことが論じられる。
C 第4章:憲法愛国主義―第9条とナショナリズム―<23ページ>
※ ここでは、憲法がどう受けとめられたかを検証。とりわけ9条の受取られかたから、「平和主義」が日本のナショナルアイデンティティイの問題であったことを検証。
D 第5章:左翼の「民族」保守の「個人」―共産党・保守系知識人―<35ページ>
※ ここでは、共産党と保守派がナショナリズムをどう表現していたかが論じられる。共産党の革命論のあり方と、なぜ戦後共産党の権威が高まったかを理解するには必須。
E 第6章:「民族」と「市民」―「政治と文学」論争―<43ページ>
※ ここでは、文学において行われた「主体性論争」の意味が論証される。「戦後民主主義」と総称されてきたものの初発の姿を総括的に捉えた章。

【どの章も相互に連関しており、全体で戦後民主主義の当初の姿とそれがはらむ問題を浮き彫りにした。】

(3) 第2部:戦後思想の変質―1950年代の人々の心情―

@ 第7章:貧しさと「単一民族」―1950年代のナショナリズム―<52ページ>
※ ここでは、中国革命の進展と戦後冷戦ん構造の成立という時代の状況を受けて、日本のナショナリズムがどう変容していったかを概説。以下の章の前提。
A 第8章:国民的歴史学運動―石母田正・井上清・網野善彦ほか―<48ページ>
※ ここでは戦後歴史学の主流をなしたマルクス主義歴史学がどのような形成されたかを論じながら、その人々の主張にナショナリズムとしての「民族」という考え方がどう反映していたかを論証。
B 第9章:戦後教育と「民族」―教育学者・日教組―<40ページ>
※ ここでは左派教育学者たちの戦後教育論を論じる中で、彼らの主張にナショナリズムとしての「民族」という考え方がどう反映していたかを論証。
C 第10章:「血ぬられた民族主義」の記憶―竹内好―<52ページ>
※ ここでは、竹内好の思想を検証。かれが彼の提言から産まれた「国民文学論争」で主張した「民族」や、彼が批判した「近代」が何を意味していたのかを論証しながら、すでにこの時代に言説の理解の行き違いがあったことを論じる。
D 第11章:「自主独立」と「非武装中立」―講和問題から55年体制まで―<52ページ>
※ ここでは冷戦がおこりアメリカニズムとしての戦後体制が成立していく過程で、戦後思想がどう変質し始めたかを、憲法と講和をめぐる問題に関する言説を検証する中で明らかにする。
E 第12章:60年安保闘争―「戦後」の分岐点―<50ページ>
※ ここでは、60年安保闘争をめぐる人々の言説・心情を検証する中で、戦後思想が変質しながらもまだ生命力を保ち得ている理由を問う。いわばその後において「左翼バネ」と呼ばれた動きが、戦争の記憶の噴出であったことを論証した。60年安保闘争総括としても出色。

【戦後思想の変質の過程を見た章。それを踏まえて60年安保闘争を総括した12章は圧巻】

(4) 第3部:戦後思想の衰退―1960年代の人々の心情―

@ 第13章:大衆社会とナショナリズム―1960年代と全共闘―<48ページ>
※ ここでは、高度経済成長の中で戦後思想が以下に解体・変質していったかを検証するとともに、戦後思想の生命力の噴出としてのベトナム反戦運動の意味と新左翼が戦後思想をどう捉えたかを論じる。以下の章の前提。
A 第14章:「公」の解体―吉本隆明―<58ページ>
※ ここでは、全共闘世代が共感した吉本隆明の思想を、彼が戦後思想としての革新ナショナリズムをいかに捉えそれを誤解したか、またその誤解の基盤である彼の戦争体験と彼の思想との関係を検証。このことをつうじて、安定期としての第二の戦後における左翼のナショナリズムを検証する。
B 第15章:「死臭」への憧憬―江藤淳―<60ページ>
※ 江藤淳の思想を検証することを通じて、高度成長期以後の保守のナショナリズムの姿を検証する。
C 第16章:死者への越境―鶴見俊輔・小田実―<76ページ>
※ ここでは、60年安保において「声なき声の会」を組織した鶴見俊輔、そしてベトナム反戦闘争において「べ平連」を組織した小田実、この二人の思想を検証し、彼らの取り組みが風化しつつある戦争体験の問いなおしによって戦後思想の生命力を「再生」または「発展」させようとしたものであることを論証。21世紀における「平和主義」の読み替え作業をする上で、多いに参考になる章。

【我々の戦後思想観を再検証し新たな言葉を作る上で大事な視点を提供してくれる】

(5)結論(省略)

▼ 研究の進め方:

※ この本自身が膨大な文献にあたって作った戦後思想のレポートである。したがってこの本全体を一回で要約したりレポートしたりするのは不可能だし、無理。最善の方法は、皆で一章ずつ読書会を行い、戦後思想の実相と意味を論じていくのが良い。しかし少なくとも14回はかかる(前提としての1章・7章・13章は必読として)。したがって重複する章をまとめて一回とし、レポートに基づいて議論する方法ではどうか。

 <1回>問題の所在:本時
 <2回>戦後思想の初発の姿@:丸山眞男の民主主義革命を中心として・・・・・・・・2003.12
      ※必読:第1章 ※レポート:第2章・3章
 <3回>戦後思想の初発の姿A:戦後ナショナリズムをめぐる言説構造・・・・・・・・2004.1
      ※必読:第1章 ※レポート:第4章・5章
 <4回>戦後思想の初発の姿B:主体性論争の意味するもの・・・・・・・・・・・・・2004.2
      ※必読:第1章 ※レポート:第6章
 <5回>戦後思想の変容@:ナショナリズムとしての「民族」・・・・・・・・・・・・・2004.3
      ※必読:第7章 ※レポート:第8章・9・10章
 <6回>戦後思想の変容A:55年体制と戦後思想(60年安保総括)・・・・・・・・・2004.4
      ※必読:第7章 ※レポート:第11章・12章
 <7回>戦後思想の衰退@:高度成長期以後のナショナリズムの変容・・・・・・・・・2004.5
      ※必読:第13章 ※レポート:第14章・15章
 <8回>戦後思想の衰退A:戦後思想の再生の試み・・・・・・・・・・・・・・・・・2004.6
      ※必読:第13章 ※レポート:第16章
 <9回>まとめ:戦後思想総括(今後の研究会の進め方を含む)・・・・・・・・・・・・・・2004.7

【討論:録音をとっていないのでメモと印象に基づく不完全なもの】

a:ナショナリズムということで言えば、左翼の側のナショナリズムは、明治以来の歴史的連続性を失っている。「平和と民主主義」という左翼のナショナリズムは、明治以来の歴史を切断、全否定したところでなりたっているんだ。明治以来、日本のナショナリズムは、左右を問わず、大アジア主義だった。いわば、欧米の侵略に対抗してアジアをまとめて抵抗する。その盟主に日本がなるというものだった。この伝統は孝徳秋水なんかにも受け継がれていた。だから、日本が中国を侵略することには反対だったし、21か条要求なんかにも断固反対で、侵略戦争反対が左翼のナショナリズムだった。しかし日米戦争が始まって、日本が「大東亜共栄圏」を掲げた時、日本の左翼は雪崩をうってそれに唱和し、転向し、消滅していった。唯一残ったのが獄中18年の共産党幹部だった。だから戦後、徳田球一なんかが獄中から出てきたとき、彼らには侵略戦争に一貫して反対したという権威があった。保守派も彼らには一目置いたし、戦争に協力せざるをえなかった左翼知識人たちにとっても、戦争に協力したという劣等感もあって、共産党の権威は絶大なものだった。しかし共産党は、なぜ侵略戦争を阻止できなかったかということを総括していない。それゆえ彼らの革命戦略は根無し草になってしまったのだ。

b:丸山眞男などは、その共産党の革命戦略と距離をもって、そうではない日本の革命の道筋を考えたのだと思う。そこには、戦前の共産主義運動の敗北がなぜ起きたかという問題を、日本には市民社会がまだ成立しておらず、日本は家父長制共同体の中で、主体的に侵略戦争という道を選んだのじゃなくて、全体として無責任に戦争に突入したという彼なりの総括があった。これを明治維新が市民革命ではなく絶対王政だったという講座派の理論、日本には民主主義革命が必要でその後社会主義革命に移行するという理論を下敷きに、丸山は民主主義革命を唱えた。

a:丸山ら非共産党左翼知識人は、戦前の共産主義運動の敗北を総括し、新しいナショナルアイデンティティイを形成しようとしたのだと思う。しかし彼の民主主義革命は共産党の民主主義革命とは違う。共産党は、絶対主義的天皇制を妥当すれば日本には民主主義が到来し、それは自動的に社会主義に移行すると考えていた。いわば政治制度だけ変更すれば良いとする考え。だから敗戦によって国家権力が衰退したのだからあとは、絶対主義天皇制を支えた大地主などの地方の権力を打倒すれば、民主主義は到来し、直ちに社会主義革命に至ると考えた。それが武装闘争と山村工作だった。丸山らは、そうではなく、社会経済体制の変更も不可欠だが、それでただちに人々の意識が変わり、主体的に政治を動かして行く個人が産まれるというものではないということを考えていた。だから我々の言い方に変えていうと、社会革命が必要という主張であり、文化革命が必要という主張だった。彼のいう民主主義革命というのはそういうものだ。それが文学界における主体性論争なんかに現れている。同じ考えを労働運動で表現していたのが、細谷松太だ。共産党や高野実は労働者の経済要求をただちに政治闘争に転化し、政治体制を転換すれば良いと考えた。しかし細谷はそうではなく、労働者の権利などを企業において社会において拡大し地歩を固めていかないと社会政治体制を変革する主体は形成できないと考えた。

c:戦後思想の頂点は60年安保にあるというのが小熊の主張だと思う。60年安保の闘争で、全学連の部隊を取り巻く広範は部隊は全部市民だったという所に。だから丸山なんかは、夢中になって運動に参加した。

a:いやあれは戦後思想というか戦後民主主義の限界を露呈して闘争なんだよ。いわば敗北の果てにあった闘争。左の側は拠点を次々に失っていったその果ての運動なんだ。国労の新潟などの革同の運動は全国的に山猫ストを展開したが敗北し、同じく日教組の革同である平垣派も勤評闘争が敗北する中で解体されていった。あとは炭労だったけど、それも次々に敗北してあとは三池だけが残るという状態。つまり左の側が作ってきた拠点が次々と敗北し、安保改定を阻止するためのゼネストなど打てない状況。形式的な動員があっても闘争にはならない。だから労働者も拠点的戦いが出来なくなったから、一市民として国会の前に集まるという構造。民主主義を無視した国会での強行採決に怒りながらも何もできないという無力感。だから素手で国会に突入して行く全学連に同情が集まったんだよ。それを丸山などの知識人は、主体的に動く個人が登場したと捉えて、それらの「市民」と名づけ、ここに新しい時代が見えたと考えた。だがこれは戦後民主主義の敗北だったんだ。結局は、主体的に社会変革に動く主体が形成されないまま世の中は天皇制を支えてきた共同体の構造に絡め取られていった。だからその後の「平和と民主主義」という考えかたは、戦後の論争を一切無視し切り捨てられたところに存在しているんだ。総括していないんだよ。それは新左翼も同じだ。

b:でも60年安保における声なき声の会の動きも、そしてベトナム反戦におけるベ平連の動きなんかも戦後思想の核心をなしていた戦争体験の噴出であり、この生命力であると小熊は述べているが。

a:戦後、ナショナルアイデンティティを形成するときに、その基盤が戦争体験でしかなかったところにその限界があったということだよ。社会的闘争の歴史的伝統を継承した戦略がなければいけない。戦前の体制をファシズムと捉えるところがまず間違っている。ファシズムというのは、市民社会が成立し、その中から労働者の社会主義を目差す運動などの市民的な主体的動きが成長してきたところで、その主体的な動きを粉砕することで成り立った体制だ。日本ではその主体的な運動を粉砕していない。日本のそれは皆、共同体的構造の中に吸収されていっている。天皇制ボナパルティズムだ。だから支配者も含めて全体が受動的で無責任なんだ。その無責任体制が戦争を引き起こしそして敗北に導いたと丸山などは批判している。問題はいかに主体を形成するかなんだ。しかしその時に、非共産党系左翼知識人は、その主体たるべき大衆と切断されたところに存在している。彼らには大衆に対する蔑視がある。60年安保の問題は、結局彼らは大衆とは結合できなかったということなんだ。

b:左翼知識人に大衆への蔑視があることは確かだ。中国などで民衆に対して残虐な行為をしたのも彼らだし、軍隊に入営した知識人をたちをリンチしたもの彼ら。しかし、ニューギニアなどで敗軍の行進の中で、落伍していく同僚を助けようとして自らも落伍してしまった兵士がたくさんいたように、極限状態の中で人間的な優しさや連帯を表現しえたものこの大衆であり、その大衆を見捨てて帰還したのが知識人であったという悔恨。彼らには大衆への畏敬もあった。そこからなぜ大衆は主体的たりえないのかという問題意識が出て、根源は彼らに貧しさを強制する社会体制にあるという認識が産まれ、ではどうやったらその社会体制を変えられるかという意識ができた。つまり彼らには、大衆と結合しようとする意識はあったんだ。

c:その貧しさを一気に解決してしまったのが高度経済成長だね。

b:そう。アメリカ型資本主義を導入しアメリカの核も下で高度経済成長をとげていくなかで、日本の大衆の貧しさは一気に吹っ飛んでしまった。貧しいことを基盤に戦後のさまざまな社会闘争があったわけだし、「平和と民主主義」もあった。大衆の貧しさと世界の秩序の混乱ということを基盤にして成立していたナショナリズムとして「平和と民主主義」はあったわけだが、冷戦体制というアメリカの平和が確立し高度経済成長が実現することで、「平和と民主主義」の社会的基盤は一気に失われてしまったわけだ。あとは戦争体験の記憶が残るだけ。

a:戦前の敗北を総括して日本革命のために主体をどう形成するかという戦後の非共産党系知識人の問題を意識を継承したのは構造改革派だ。したがって戦後思想の総括のためには、構造改革派がなぜ敗北したのかということも検討してみなければいけない。構造改革派は最後的には過激な行動に移っていった部分と体制内化していった部分とにわかれた。その体制内化した部分は社会党へ移り、さらには自民党へと入っていった。今、構造改革派として自立しているのはないだろ。

c:生活クラブ生協を基盤としたネットワーク運動だけじゃないか。でもあれもすでに限界に来ている。

a:生産を基盤にしていないからだよ。消費市民社会は多数派にはなれるかもしれないが、保守的であり、変革の主体にはなれない。結局この派も、戦後の総括を踏まえていないし、とりわけ労働運動における変革の主体形成が失敗したという問題を総括せず、そこから逃げるということだから。

b:日本は戦前の天皇制ファシズムと言われた共同体的構造を温存したまま今に至っている。その共同体的構造に依拠して高度経済成長を推進してきたわけだから。しかしその中で市民社会が形成されはじめ、そして今、戦後の成長を支えた基盤も崩壊する中で、共同体的構造が壊れはじめている。その動きは都市で著しい。でもそこに新しいナショナルアイデンティティを提示できていないことが、新しい教科書を作る会などの大衆的な右翼的動きを産んでいると小熊は主張しているわけだ。

a:「平和と民主主義」というナショナルアイデンティティイが失われて、新しいそれを模索し始めたとき、眼の前に歴史的一貫性を持ったそれとしては、皇国史観しかなかったということだろ。左の側はそれに変わるものを戦後提起しょうとして果たせなかったわけだから。

d:小熊はこの動きは別にあまり危険視していない。まだ社会的基盤のない根無し草だからということで。

a:このまま政治的な社会的な混乱が続いていけば、やがてこの大衆的な右翼的動きが社会に拠点を作り始める。そうなるとファシズムになるおそれがある。

b:この点で改革派と呼ばれる知事たちの動きがすごく気になる。彼らは自治体を自警団に変えようとしているんじゃないか。

c:セキュリティの問題だろ。強い自信をもった国民を作ろうというのが彼らの主張。いわば新保守主義だよな。彼らの理論的中心である北川なんかの考えかたは。強い国民を守るという観点から警察力の増強とか、そのための広域自治体としての道州制だろ。

a:結局その動きは皆民主党に繋がっている。民主党をどのような党にするのかが問題だ。この際に、アメリカの動きの変化の意味を正確につかんでおく必要がある。

b:日本でこれをもっとも正確につかんでいるのは佐伯啓史ではないか。

c:ちくまの「新帝国アメリカを解剖する」だろ。彼の結論は今のアメリカニズムはニヒリズムだというものだ。

b:しかし彼自身の展望もまたニヒリズムに陥っていると思う。ともかく、戦後思想の総括を行うことは、それは戦前の日本革命論の総括でもあるし、戦後とはアメリカの平和といわれたアメリカニズムの最盛期とその衰退期だ。戦後思想の総括から全ての問題に繋がっていくので、じっくり総括し、来年の夏には一応のけりをつけたい。


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