第一研究会第5回 「過渡的綱領とその背後にある革命戦略」
1999。11 文責:すながけんぞう
【レジュメ】
@過渡的綱領とは?
1938年9月の第四インターナショナル創立大会で採択された「過渡的綱領」は、自己の性格を以下のように規定している。
「次の時期ー煽動・宣伝・組織の革命的時期ーの戦略的任務は、客観的な革命的諸条件の成熟と、プロレタリアート並びにその前衛の未成熟(古い世代の混乱と失望、若い世代の未経験)との間にある矛盾を克服することにある。大衆が、日常の闘争の過程において直面する諸要求と革命の社会主義的綱領の間の架け橋を発見するのを助けることが必要である。この架け橋は、今日の諸条件と労働者階級の広範な層の今日の意識から始めて一つの究極的結論、つまりプロレタリアートによる権力の獲得に不可避的に導く過渡的諸要求の体系を含まねばならない。」(著作集38ー39上、p241)
つまり過渡的綱領とは、
『今日の諸条件と労働者階級の広範な層の今日の意識から始めて、一つの結論・プロレタリアートによる権力の獲得に不可避的に導く過渡的諸要求の体系』である。
そしてその適用の前提となる今日の諸条件とは
(A)資本主義は死の苦悶の状況にあり客観的な革命的諸条件は成熟している
「プロレタリア革命のための経済的諸条件はもはや可能な最高の成熟度に全般的に到達している。人類の生産諸力は停滞している。もはや新しい発明や改善も物質的富の水準を高めることは出来ない。資本主義制度全体の社会的危機の条件下における循環性恐慌は、ますます激しい損失と苦悶を大衆に与える。増大する失業はまた国家の財政的危機を深め、不安定な通貨制度を掘り崩す。ファシスト体制も民主主義体制も一つの破産から他の破産へとよろめいている。ブルジョワジー自身、いかなる抜け道も見いだしえていない」(p238)
(B)プロレタリアート並びにその前衛の未成熟
「第四インターナショナルはすでに重大な事態、すなわち歴史におけるプロレタリアートの最大の敗北から生起しているのである。これらの敗北の原因は旧指導部の堕落と裏切りのうちに見いだされる。」(p285)
これが第一次世界大戦後のヨーロッパにおける戦後革命の敗北・ドイツプロレタリアートのファシストによる解体・フランスやスペインにおける人民戦線による労働者階級の敗北などをさしていることは明らか。
(C)しかし資本主義の危機の中で大衆の要求は資本主義と不可避的に衝突する
「現在の時期は、革命党を日々の活動から解放するのではなく、この活動を革命の現実的諸任務と緊密に結びつけて遂行し得るというところに特徴がある。第四インターナショナルは労働者の民主主義的よ権利と社会的既得の成果をあくまでも防衛する。大衆の古い部分的な最小限要求が、退廃的資本主義の破壊的で退化的な諸傾向と衝突する限り第四インターナショナルは過渡的諸要求の体系を提起する。」(p242)
「資本主義の死の苦悶と第四インターナショナルの任務」は「プロレタリアートとその指導部」の項で旧指導部の日和見主義的傾向と危機の情勢の中での大ブルジョワジーとの緊密な結びつきと大衆の革命的圧力や意識を抑制マヒさせるという裏切りについて、スペイン革命・フランス人民戦線・アメリカにおけるCIOの闘いにおける実例をあげて述べている。
この意味で「過渡的綱領」は1930年代におけるこれらの闘いの中における第四インターナショナルの苦闘の経験を背景に作られていると言える。
「過渡的綱領」の背後にある戦略的展望は1940年5月の緊急協議会で採択された「帝国主義戦争とプロレタリア革命に関する第四インターナショナルの宣言」に次のように具体化されている。この宣言は第2次世界大戦の勃発とドイツの優勢という事態を受けて書かれている。
「フランスとイギリス諸島が強固な支援の拠点としてとどまる限り、アメリカの武装力の介入は成功するだろう。フランスが占領されドイツ軍がテームズ川に現れる時、力関係は急激にアメリカ合衆国に不利に変化するだろう。このような観点からワシントンは一切のテンポをはやめざるをえない。」
「戦争の結末がどのようなものであれ、ドイツの優勢はすでに明らかである。・・・ただアメリカ合衆国だけがドイツの殺人機械を乗りこえうることは明らかである」
「ドイツの勝利に依拠することによって日本がその確立を準備しつつある新秩序は、日本の支配をアジア大陸に向けて最大限に拡大することを展望している。ソ連邦はドイツ化されたヨーロッパと日本化されたアジアによって包囲されることになるだろう。北・中・南のアメリカはすべて、オーストリアならびにニュージーランドとともにアメリカ合衆国の手に落ちるだろう。もし地方的なイタリア帝国をさらに考慮に入れるとすれば、世界は五つの生活圏に一時的に分割されることになる。だが帝国主義はその本性からしていかなるものであれ権力の分割を嫌う。アメリカに対抗する自由をえるために、ヒトラーは昨日までの友人たるスターリンとムッソリーニに向かって血の決済をつけなければならない。第三次世界大戦は、諸所の民族国家ある意は旧来の諸帝国によって展開されるのではなく、まさしく全大陸を単位として展開されるだろう。」
「我々は、帝国主義戦争を資本家に対する労働者の戦争に転化する事、あらゆる国々の支配階級の打倒、世界社会主義革命をめざしてその政策を打ち立てる」
Aトロツキーの展望の限界
以上に示されたトロツキーの展望にはどのような限界があったのか。
(1)トロツキーが展望した第三次世界大戦は、第2次世界大戦と不可避的に一体の間断のない一連の戦争として遂行された。つまり、アメリカ合衆国の急速な驚異的なドイツと日本という二つの正面作戦を同時に遂行していったアメリカの巨大な力の爆発である。
(2)労働者階級の資本主義への完全な吸収。つまりトロツキーが全面否定した「ファシズムに対する民主主義擁護の戦争」の流れに労働者階級が完全に組み込まれ、その戦争に熱狂的に動員されていったこと。
以上の点においてトロツキーの展望は根本的に崩壊している。
トロツキーはいくつかの小休止を含む間隔を置いた戦争の数次にわたる勃発を想定した。しかしアメリカの反撃はトロツキーの予測を超えるものであった。アメリカは困難とも見えた2正面作戦を、ソ連邦と中共という「共産主義勢力」との提携とそれらへの全面的な経済的軍事的援助によって逆にドイツ・日本を包囲する体制をつくり、各個に撃破して行った。
そしてこの構造はアメリカ国内にも貫徹しており、戦闘的労働組合であるCIO指導部はルーズベルトの民主党に吸収されて行き、アメリカ労働者階級は「ファシズムに対する民主主義の戦争」に熱狂的に動員され、しかも世界をファシズムと専制からの解放の先兵との自覚を持って積極的に参加していく事態が生まれたのである。同じ事は戦争終結時における日本やヨーロッパでも起こり膨大な援助に支えられた日本とヨーロッパのブルジョワジーは危機を回避し、労働者階級を資本主義の再建・福祉国家へと吸収して行った。この事態の中では「帝国主義戦争を内乱へ」の戦略はその実現の基盤を失っており、資本主義の危機の中で労働者の最小限綱領が資本主義そのものとぶつかる事態の中で労働者の諸権利をまもりつつ、彼らを資本主義との全面衝突・社会主義革命へと向かわせようという過渡的綱領の戦略も適用する基盤そのものを失っていたのである。
ではなにゆえトロツキーの予測を超えて事態は進んだのか。
アメリカ資本主義の巨大な力。旧帝国主義ヨーロッパとは違ったその性格にこの原因は求められるしかない。
トロツキーはアメリカCIO指導部の帝国主義への屈伏の過程を具体的に検証する中でこのことに手を着けていたのではないだろうか。
【討論の要点】
●過渡的綱領の考え方は正しいのか?
@「死の苦悶の資本主義」という捉え方でよいのか?
A帝国主義戦争を内乱へという考え方で良いのか?
B客観的条件は成熟しているが主体は未成熟であるという捉え方で良いのか?
@について
・「人類の生産諸力は停滞している。もはや新しい発明や改善も物質的富の水準を高めることは出来ない。」とトロツキーは捉えているが、これはヨーロッパにはあてはまるが、アメリカには当てはまらない。トロツキーはアメリカもヨーロッパ資本主義の崩壊に巻き込まれていくと捉えていたがゆえに、1929年の恐慌を、資本主義の衰退の決定的証拠と捉えた。しかし29年恐慌は、資本主義の終わりではなく、アメリカが世界を再組織化しないとアメリカ資本主義の発展はありえないということを示したにすぎず、この恐慌を契機に、世界からの孤立的政策をとっていたアメリカが世界の再組織化にはいったとみるべきである。
Aについて
・情勢の基本的性格は、「ヨーロッパは衰退し、アメリカは興隆する」という資本主義のヘゲモニーの交代の過程であった。したがって第2次世界大戦は「ファシズムの暴力から資本主義・民主主義の救済」という性格をもっていたのであり、ドイツ・イタリア・日本に対する戦いは、「民主主義を擁護」する「人民戦線」でもって戦われた。ここにおいては、人民戦線に積極的に参加し、「民主主義の擁護」のために革命派は戦うべきであった。実際にはドイツファシズムがヨーロッパを席巻したあとにおいて、反ナチ地下抵抗運動として人民戦線の運動は継続され、革命派もそれに参加したいたわけであったが、それは現実的選択としてなされたに過ぎず、戦略的なものではなかった。
・反革命に屈服したとトロツキーが断じた共産党は、この反ナチ地下抵抗運動において主導的な役割を果たし、それゆえ戦後ヨーロッパにおいて大きな大衆的権威を獲得することができた。資本主義はアメリカによって救済され、資本主義の発展は当分続くと言う前提にたって人民戦線の戦いに参加しておれば、革命派もまた戦後のヨーロッパにおいて(いやアメリカにおいても)大衆的権威を持ち、資本主義の発展の過程において、労働者階級の自治の拡大の戦いの中で、地歩を固めることができたのではないだろうか。
Bについて
・革命へと向けた客観的条件が成熟しているのなら、主体も成熟するわけである。主体が革命に向けて準備されていないということは、客観的条件もまた成熟していないととらえるべきであった。やはり「死の苦悶の資本主義」という前提が間違っていたのである。
●過渡的綱領の前提である「レーニン主義」の再検討が必要
過渡的綱領は資本主義の一定の復興の中における、労働者の民主主義的権利とその社会的な既得権を擁護し、その権利の拡大のための戦いを通じて労働者の意識の覚醒と革命の主体としての力量を向上させるという新しい側面をもってはいた。これはフランス・ドイツ・アメリカなどの進んだ資本主義国における1920から1930年代の戦いの経験から導き出されたもので、労働者はいきなり「社会主義革命」の必要を悟るのではなく、自己の権利の拡大の闘争を経る中で、徐々にその社会統制の力に目覚めていくという、改良から革命へといたる発展の道筋を示していた。
しかし過渡的綱領の基本的な前提は、「死の苦悶の資本主義」という認識を基礎とするレーニン主義によって成り立っていた。
この資本主義認識が間違いであるとすれば、そこから導き出された諸原則にも間違いや限界があることになる。たとえば資本主義の中では労働者は搾取の結果窮乏化せざるをえないという理論や、植民地の発展は帝国主義の環境においては自国資本の未成熟ゆえに資本主義の枠内ではありえないとする理論。これなどは、戦後の資本主義の発展中で事実として覆されている。さらには、社会の一層の発展や差別の廃止のためには、まずプロレタリアートが権力を握り、その権力に依拠して社会改革がなされるというプロレタリアート独裁の理論など社会的改良が革命には繋がらないという理論は、戦後の資本主義の発展の中で再検討が必要なのではないだろうか。こうした、資本主義には既に社会を発展させる余力はないという認識にたつ諸理論がもつ限界や誤りを検討し、新しい革命へと向けた理論を構築する必要がある。