第一研究会第3回「ファシズムと人民戦線」

99.9.文責:すなが けんぞう


【レジュメ】

1. トロツキーはファシズムをどのようにとらえていたか。

 @ファシズムの誕生の条件

@)(資本主義が死に瀕しており、革命的情勢が到来する中で )ブルジョワジーが新しい出口を発見するためには、労働者組織の圧力から完全に脱しきり、それを排除し破壊し壊滅させてしまわなくてはならない。(『次は何か』序文)
         −−→資本主義の破壊期にある

A)深刻な社会的危機が、小ブルジョワ大衆を、その平衡状態からはじき出している事。(『共産主義インターナショナルの転換とドイツの情勢』)
         −−−→生活の破産の危機に見舞われ不安と絶望にかられた小ブルジョワジー

B)ファシズムがその魅力を保つ事ができるのは、プロレタリアの勢力が分散し弱く、それゆえプロレタリアートがドイツ人民を勝利に至る革命の道へ導いていく事ができなくなっているときだけ・・・(『生産の労働者管理』)
         −−−→革命党の未成熟・指導部の誤りによりプロレタリアートがが自信を持っていない
         −−−→小ブルジョワジーを革命の方向に引きつけられない

 Aファシズムを担う勢力

@)ファシズムは、プロレタリアートのすぐ上にあって、プロレタリア階級の中に転落してしまうことを恐れている階級を目覚めさせ、公式国家の衣の下に隠れながら、金融資本の力によってかれらを組織する。(『次は何か』)

A)ファシズムの主要な戦力は、小ブルジョワジーと、職人・都市の小商人・役人・事務員・技師・知識人・破産した農民などの、新中間階級で構成されている。(『国際情勢の鍵はドイツにある』)
          −−−→破産した小ブルジョワジー

 Bファシズムの歴史的使命とその性格

@)ファシズムは、ただ単なる弾圧や暴力・警察テロなどの制度ではない。それはブルジョワ社会の中にある全てのプロレタリア的民主主義の要素を根絶することによって成立する、特殊な国家的制度ななのである。ファシズムの任務は、ただプロレタリア前衛を打破する事に有るのではなく、すべての階級を、強制化された細分状態の中に維持していく事でも有るのだ。そのためには、もっとも革命的な労働者層の肉体的破壊だけでは不十分なのである。すべての独立した自由な組織を破壊し、プロレタリアートのあらゆる支点を無に帰せしめ、その上、社会民主主義と労働組合の四分の三世紀にわたるしごとの成果を粉砕してしまわなくてはならない。(『次は何か』)
         −−→プロレタリア組織全体の破壊(歴史的使命)
         −−−ファシズムの本質と機能は、労働者組織を完全になきものにし、その再建を妨げる事にある。
             それに到達する唯一の道は、プロレタリアートの攻撃に、プロレタリアートが弱体化している時をねらって、
             怒りにわれを忘れた小ブルジョワジー大衆の攻撃を対抗させることである(『次は何か』)

A)権力の座にあるファシズムは、全く小ブルジョワジーの政府ではない。反対にそれは、独占資本のもっとも仮借のない独裁なのである。(『国家社会主義とは何か』)
          −−−→独占資本の走狗(歴史的性格)

  Cファシズムといかに戦うか

@)ブルジョワジーは労働者階級に中にブルジョワの機関を作ったり、すでに存在する機関を利用したりして、労働者のある層を他の層に対抗させようとする。プロレタリアートの内部ではいくつかの異なった政党が行動している。それゆえにこそプロレタリアートは、その歴史的歩みの多くの部分を、細分化されたままで過ごす。そこからーある時期には、とくに尖鋭にー統一戦線の問題がうまれてくる。(『次は何か』)

A)プロレタリアートが自意識を獲得するのは、中断を許さない階級闘争を通じてである。プロレタリアートは闘いの為に自らの隊列の中に統一を必要とする。(『次は何か』)

B)(党が階級の指導権をとるためには)権力を求める闘争と、改革を求める闘争の抱き合わせ。党の完全な独立と、労働組合統一の維持。ブルジョワ体制に対する、その体制の諸機関を利用した闘争。議会主義の議会壇上からの非妥協的批判。改良主義者にたいする仮借なき闘争。ただし、部分的な仕事については、改良主義者との実践的強調など(の戦術の体系がある)。(『次は何か』)
         −−−→社会民主党をふくめた全ての労働者組織による反ファシズム統一選線による階級の統一

2.トロツキーはドイツファシズムの勝利をどうとらえていたか

 @敗北の原因

@)ヨーロッパ最強のプロレタリアートは、ヒトラーの政権獲得および労働者組織に対する最初の凶暴な攻撃に対し、何の抵抗も見せなかった。もしドイツ・プロレタリアートが、最大の歴史的試練に際して、無力となり、武装解除され、麻痺させられていたとすれば、直接、即座の責任は、レーニン死後の共産主義インターナショナル指導部に帰する。(『ドイツ・プロレタリアートの悲劇』)

A)1923年以来、スターリン主義的指導部は、社会民主主義がドイツ・プロレタリアートの道を誤らせ、混乱させ、弱体化させるのを全力をあげて助けた。四囲の状況が勇敢な革命的攻勢を命じていた時に、労働者を押し止め抑制し、革命的情勢がすでに通り過ぎた時に、その接近を宣言し、「第三期」と街頭闘争を宣言し、真剣な闘争を跳ね上がりや冒険や示威行進に置き換え、共産党員を大衆的労働組合から孤立させ、社会民主主義をファシズムと同一視し、国家社会主義者の挑戦的な徒党の前で、大衆的労働者組織との統一戦線を拒否し、地区防衛の統一戦線のに関するわずかな主導権をとる事も怠り、真の勢力関係については、組織的に労働者を欺き、事実を歪曲し、味方を敵、敵を味方と教え、党ののどもとをますます強く締め上げて、もう自由に呼吸する事も、話す事も、考える事もできなくしてしまった。(『ドイツ・プロレタリアートの悲劇』)
        −−−−もし、指導部が権力を奪取し、維持する能力があることを示す事ができていたら、プロレタリアートは共産党を政権の座につ
              かせただろう。しかし指導部は、混乱・ジグザグ行動・敗北・苦悩以外のなにものをプロレタリアートにあたえなかったの
              である。(『ドイツ・プロレタリアートの悲劇』)
        −−−→コミンテルン指導部の階級的裏切りにより労働者階級が混乱させられ意気消沈し、ばらばらに分解させられた事

 Aファシズムの拡大にたいしててどう闘うか

@)ドイツ国内では、過去の批判的解明、戦闘分子の前衛の士気維持、戦闘分子の再結集、各種の戦闘的集団が、一大軍隊に結集するときを待ちながら、可能な限り後衛戦を組織する。

A)ファシスト・ドイツを、プロレタリアートの城砦の強力な輪で包囲しなければならない。ドイツ国境の周囲に、武装したプロレタリアートの陣地を構築しなければならない。

B)共産主義インターナショナルの執行委員会は、下からばかりでなく上からの統一戦線の道をたどろうとしている。スターリン官僚主義は、主導権を第二インターナショナルに委ねた。これほどまでに彼らは、自信を喪失し堕落してしまった。(『ドイツ・プロレタリアートの悲劇』より)
         −−−→人民戦線路線の批判 

3.トロツキーは人民戦線をどうとらえていたか

 @人民戦線の性格

@)人民戦線は、プロレタリアと帝国主義ブルジョワジーとの提携である。この場合帝国主義ブルジョワジーは、急進党および、これと同種でもっと小型の一連の腐敗物という形をとっている。

A)議会の内外で、急進党は、自らは完全な行動の自由を維持しながら、プロレタリアの行動の自由には露骨に掣肘を加えている。急進党自体は崩壊の過程にある。選挙がある度に、有権者は急進党を去って右や左に移っていく。・・労働者大衆の一般的傾向は左に向かっている。大衆が、投票や闘争によって急進党を打倒しようとしているのに、統一戦線の指導者たちはこれを救おうとしてる。

B)労働者党は、急進党のプログラムによって余儀なく活動を制限されている。(以上は『人民戦線と行動委員会』より)
         −−−→人民戦線はプロレタリアートと帝国主義ブルジョワジーとの提携であり、資本主義の救済を目指すもの

 A人民戦線成立の背景

@)フランスの政治関係の中にも、大衆の政治的精神状況の中にも、人民戦線に対する支持が全くないということは、全ての政治的事実が証明している。人民戦線戦術は、上から、つまり、急進的ブルジョワジーや、社会党の悪質周旋屋、政治ゴロや、ソ連の外交官とその下男である「共産党」などのよって、押しつけられたものなのである。彼らは力を合わせて、人民大衆を政治的に欺き、わなにかけるため、そして本当の意志をねじ曲げるために、あらゆる選挙制度の中で最も悪質なものを使って、できる限りのことをしたのである。それでも、このような条件の下にありながら、大衆は自分が望んでいるものが急進党との連立ではなく、全ブルジョワジーに対する労働者の連合なのだということを示したのである。(選挙における急進党の議席の大幅減少、共産党の躍進。各地でのストライキ闘争の高揚という事態に対してのトロツキーの論評ー『決定的段階』よりー)
          −−−→共産党の政策によって上から押しつけられた

A)現在の共産主義インターナショナルのプログラムは、1928年の第6回大会において採択されたものである。(これは)ソ連における社会主義の自力建設という展望からでたものである。共産主義インターナショナルのプログラムはの本当の意味は、ソ連の利益のために(実はソ連官僚制の外交計画の利益のために)フランスにおけるプロレタリア革命の利益を犠牲にしうる、また犠牲にしなければならないということなのだ。共産主義インターナショナルは世界のプロレタリアを、日和見主義地と冒険主義の混合物に他ならないその政策で分裂させ、弱めることによって、ソ連の真の利益さえ傷つけている。(以上は『再びフランスはどこへ行く?』より)
          −−−→ソ連官僚の一国社会主義論に基づく「ソ連防衛」のために世界革命を犠牲にする路線からきている

 B人民戦線といかに戦うか

@)二つのインターナショナルのプログラムと方法が、プロレタリア革命という要請とはどうにもならないほど矛盾していること、そしてこの矛盾が小さくなるどころか、絶えず大きくなっていることを、諸事件の経験を通して進歩的労働者に示し、証明しなければならない。(『再びフランスはどこへ行く?』より)

A)現段階における行動委員会の任務は、フランスの労働者大衆の防衛闘争を統一し、大衆に、来るべき攻撃のために自己の力を自覚させることである。現在人民戦線という障壁に突き当たっている大衆運動は、行動委員会なしには前進しないだろう。(『人民戦線と行動委員会』より)

4.トロツキーの限界は

○共産主義インターナショナル指導部のジグザグ路線ー第三期論に立つ社会ファシズム論という左翼急進主義でのドイツ革命の圧殺、その後の人民戦線戦術という日和見主義によるヨーロッパ革命の圧殺と資本主義の救済。この背景を、充分につかみきれていなかったことにあるのではない か。

○ヨーロッパ革命の遅延によるソ連邦の孤立。資本主義の包囲の中での崩壊の危険。そして内戦における戦闘的労働者の激減。これらがソ連官僚の一国社会主義路線の背景にあることはトロツキーは充分認識していたと思う。

○だが、ヨーロッパにおける革命の遅延と資本主義の復活の背景にアメリカ帝国主義の卓越した力があることはトロツキーも認識してはいたが、「これも旧帝国主義ヨーロッパの崩壊の構造にまきこまれる」と考えていたトロツキーは、アメリカの力を過小評価したとおもう。

○しかしこれはなにもトロツキーだけの限界ではなかったと思う。アメリカの対ヨーロッパ戦略の展開は、国内に根強くある「孤立主義」に制限されるとともに、系統的な一貫したものではまだなかった。アメリカ資本主義自身が世界における自己の地位と役割にまだ自覚的ではなかったのだから、周囲のものがそれを自覚出来るはずもない。ヨーロッパの帝国主義ブルジョワジーの政治的代弁者でさえもそうであった。

○アメリカの力の決定的な性格が白日の下に現れたのは、1939年に第2次世界大戦が勃発し、西武戦線がドイツ有利のままでこうちゃくし、ドイツが戦争の新たな展開をめざしてソ連に侵攻した1941年以後ではないか。そしてイギリスを介してのアメリカとソ連の相互援助協定により対ドイツ戦争が「反ファシズムの民主主義防衛戦争」となった時にそれは決定的なものとして立ち現れたのだと思う。

【討論の概要】

−−−テープをとっていないので、記憶に基づき概略のみ記す−−−

○ファシズム=旧資本主義ヨーロッパの危機を救う形態(A)
 没落しつつある資本主義の危機の構造にアメリカも巻き込まれていくととらえていたトロツキーの限界が、ファシズム論や人民戦線論にどのような限界を付与していたかがとらえられねばならない。
 ヨーロッパ資本主義の戦後危機はアメリカの一方的な莫大な額の借款によって一時的には救済され、労働者階級を社会民主主義の下につなぎ止めておくことが可能となった。しかしヨーロッパ資本主義の復活はアメリカとの間にさらなる市場争奪戦を激化し、資本主義の新たな危機は激しい恐慌となって爆発し、ヨーロッパにおいてはその危機の構造を救済するものとしてファシズムが登場する。そしてファシズムドイツはヨーロッパを組織し、アメリカは全世界を組織しようとする。両者の矛盾は帝国主義戦争として吹き出しそれなくして解決されえない。ヨーロッパ資本主義の危機の構造は深化しアメリカ資本主義の内部にも転化し、資本主義の救済をはかろうとするアメリカもファシズムへの道を走らざるを得ない。
 こう考えていたからこそ民主主義的ブルジョワジーとの統一戦線である人民戦線路線は、トロツキーにとって帝国主義ブルジョワジーへの屈伏であり克服されるべき路線ととらえられる。反ファシズムの民主主義的解放者とてしてのアメリカおよび人民戦線とういのは幻想であるというのがトロツキーの立場。しかしそれは本当に幻想であったのかが問題。
 ファシズムは前期資本主義の危機の構造なのであって、後期資本主義としてのアメリカには無縁であった。戦闘的労働組合運動であるCIOをも組み込んだアメリカは、民主主義の擁護者として立ち現れ、ドイツとの戦争は反ファシズム民主主義防衛戦争の性格を付与された。この構造が戦後ヨーロッパの労働者階級に人民戦線的心情を蔓延させ、共産党が救国内閣に参画しヨーロッパ資本主義は復活をとげた。だから人民戦線は幻想ではなかった。

○民主主義擁護の統一戦線はスペイン内戦後の出来事(B)
 しかしそれは、ドイツが独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻しレニングラードもモスクワも陥れられたソ連が、イギリスとの相互援助協定を結び、それを介してアメリカとの相互援助協定となり、ドイツを東西から攻める事態になってから現実のものとなったわけで、1938年のスペイン人民戦線の崩壊までは事態はトロツキーの分析・予言どうりに進行していたのであり、人民戦線は民主主義擁護の統一戦線としては実態はなかったのが事実だと思う。

○レーニンの帝国主義論からではそれは見えない(A)
 スペイン人民戦線の時はソ連邦の援助が決定的であった。しかしソ連官僚はそれを躊躇した。ドイツ・ファシズムとの激突を避けたかったから。フランコ政権はヒトラーによって全面支援されていた。人民戦線の側には国際義勇軍が派遣され、事態はファシズムか民主主義かの全面衝突になってた。もしこのとき、ソ連が人民戦線を援助し、アメリカも援助していたらフランコは政権を獲得出来なかったろう。しかしトロツキーはソ連とアメリカの同盟、国際的な人民戦線の構造が成立した時もそれが民主主義の擁護者だというのは幻想であると規定している。あくまでもトロツキーにとって資本主義の危機の構造はアメリカにも貫徹するのであって、ドイツ対アメリカの帝国主義戦争はアメリカの勝利の後に不可避的に資本主義を救済しようとするアメリカはファシズム化せざるを得ず、階級闘争は激化する。戦争を内乱へというトロツキーの戦略は不動であった。
 レーニンの帝国主義論の構造に立脚したトロツキーにとってはそれは一貫したものであった。

○後期資本主義の本質を当時見ぬくことは無理(B)
 ドイツ対アメリカの戦争は帝国主義戦争であったことは事実でありそれが後期資本主義と前期資本主義との帝国主義戦争であったことにより、アメリカがソ連邦と労働者階級を反ファシズム民主主義擁護の旗印に動員出来たことにより、戦後の状況に大きな変化がでた。しかしそれは戦後のこと。トロツキーは見ることは出来なかった。この状況の中でことの本質をトロツキーが分析しきることはかなり困難だったと思う。

○トロツキーの先見性と限界の根拠は?(A)
 第一次世界大戦後のヨーロッパ資本主義の危機をアメリカが救った。しかし資本主義に景気の上昇局面があったとしてもそれは新たな危機の爆発を準備しているのでありそれはやがて恐慌として爆発し不可避的に世界戦争に至るというトロツキーの分析は当時としては卓越したものであり、われわれは彼が何故そこまで事態を読み取れたのかという彼の現実をとらえる新たな枠組みを学ばなければならない。
 しかしそれはレーニンの帝国主義論の枠内にありこの限界こそが突破されねばならない。

○トロツキーはいつ自身の限界を自覚したか?(B)
 トロツキーの分析は恐慌の勃発・ヨーロッパにおけるファシズムの勝利・戦争の勃発という流れにおいては基本的に正しく事態をとらえている様に見える。しかし彼の展望が決定的に破産した最初の局面が、アメリカにおける労働者党の問題。つまりニューディールをいかにとらえるのかという問題であったと思う。ここをトロツキーがいかにとらえそして敗北をいかにとらえたかが重要だと思う。この瞬間がトロツキーの戦略の限界をとらえ転換する唯一の契機だったのではないか。

○トロツキーは敗北を総括した(A)
 資本主義の危機がアメリカにも貫徹するというトロツキーの戦略において、アメリカ労働党の問題は戦略的な環であった。旧来の資本主義なら恐慌という危機に際し労働者のあらゆる力を奪いこれを搾取することで生き延びようとする。危機のなかでCIOのような戦闘的労働者運動が起こればそれを弾圧するしかない。その弾圧に対する闘争の中でSWPはアメリカ労働者階級に対する指導権を確保し、来るべき対決においては戦争を内乱へと組織し、世界革命を最終的な勝利へと導いていく主体だとトロツキーは考えていた。だから徹底的にアメリカSWPのOメンバーと討論し指導した。しかし共和党、保守的な共和党ではなく民主党のルーズベルトはニューディール政策により戦闘的労働運動をその懐に抱き込みこの力でもってソ連を組織し反ファシズム民主主義防衛戦争を組織し、ヨーロッパ労働者階級を人民戦線の側に組織して行った。
  トロツキーにとってもこれは重大な敗北であり真剣な総括がなされたはずだ。

○総括する余裕はあったか?(C)
 しかしトロツキーがアメリカ労働党の問題を総括した文書はないし、当時としてはまだ闘争は進行していたわけだから、総括などしていられなかったし新しい戦略への分析など出来る暇もないだろう。

○総括は端緒的?(B)
 だからそれは『帝国主義衰退期の労働組合』において初めて端緒的になされたのではないか。

○後期資本主義との闘争の総括としての「過渡的綱領」(A)
 「過渡的綱領」には第一次世界大戦後のアメリカ資本主義との闘争の経験が色濃く反映していると思う。まだ勘の段階だが、ドイツファシズムの勝利・人民戦線の成立・アメリカ労働者党の闘争の敗北と、トロツキーは自己の展望とは違う事態に対し真剣に戦って来た。その中で得た経験と総括の結果が、過渡的綱領には色濃く反映されていると思う。
 過渡的綱領には社会革命的要素が強い。それにはロシアの経験というよりヨーロッパやアメリカでの経験が背景にある。遅れた資本主義であるロシアにおいては資本の側には改良の余地はあまりない。つまり労働者階級を資本主義に引きつけておく余裕は小さい。だから危機はすぐ労働者への搾取の強化となり、労働者の反撃を直接権力の獲得へと向けることが出来る。しかし豊かな成長しつつある資本主義においてはそれは出来ない。政治権力の獲得の前に改良のための闘争を進めながら社会において部分的であれ労働者階級が支配的地位を占め部分的地方的にではあれ自立した位置を占めることなくして政治権力の獲得はありえない。日常の改良のための闘争をいかに権力のための闘争へと結合していくのか。社会革命から政治革命へという過渡的綱領の性格は、ヨーロッパ・アメリカでの闘いの直接的総括の結果として出されていると思う。

○過渡的綱領の性格(B)
 過渡的綱領をそのようなものとしてとらえるのは初めてだ。でもそうとらえると非常に理解しやすい。アメリカ労働者党の闘争は新たな資本主義アメリカとの闘争であったわけで、だからこそ過渡的綱領は今日の社会にこそ適応出来る性格を持っているわけだ。

○トロツキーの戦略の先見性(A)
 労働者党のための闘争が敗北する中でSWPの内部に深刻な亀裂が入り、それは後に党の分裂を招き、トロツキーの路線に反対した一派は帝国主義に屈伏し、積極的にそれに加担して行った。この一派の頭目のバーナムの『経営者革命』は、後期資本主義のバイブルとなった。資本家の側でも理解していなかった新しい資本主義の性格。それを彼は見事にとらえていた。それは、ニューディール下のアメリカにおいて、革命の側に労働者階級を獲得するために闘い破れ、この戦闘的な労働者階級をすら懐に入れてしまう資本主義とは何かを真剣に考えたからこそできたこと。
 トロッキストだからこそできた。ブルジョワ経済学者ですらまだ気づいていなかった新しい資本主義の性格をとらえた先進性。トロツキーの戦略にはその先進性がはらまれていた。資本主義の危機を先験的にとらえていたからこそ出来たことだ。

○危機の時代と経済学@(B)
 危機の時代だからこそ体制の真の姿に気がつくとブルジョワ経済学者で世界銀行副総裁のステグリッツが彼の経済学教科書に述べている。

○危機の時代と経済学A(C)
 近代経済学が面白かったのは、1980年代から90年代の始めだ。後期資本主義の危機が表面化して来たこの時期に、近代経済学は多くの挑戦的な試みをやった。危機を分析することでこそ、理論的な深化もある。これまではアメリカの新資本主義は修正資本主義とか、ケインズ流の国家独占資本主義とか言われて来ただけだが、ここに来て始めて『フォーディズム資本主義』といわれるようになり、後期資本主義の性格が把握された。

○過渡的綱領を現代にいかに適用するか?(A)
 前期資本主義から後期資本主義の過渡期の中で戦ったトロツキーは、ヨーロッパ革命の挫折、とりわけ彼の世界革命戦略の環であったアメリカでの敗北から真剣に総括し学んだ。おそらくバーナムの認識などからも学んだだろう。その結果が『過渡的綱領』だ。だからこれは後期資本主義の中でいかに労働者階級が権力に向けて自己を準備するかという観点から作られている。
 社会の中で部分的ではあれ労働者階級が権力を握ることなくして政治権力を奪取することはできないという認識だ。今はそれが社会革命だけではなく、文化革命、つまり差別などの問題を解決していく闘いなくして労働者階級が権力をとっていくことは準備されない。


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