第一研究会中間まとめ        99.8.   文責:すなが けんぞう


コミンテルン3・4回大会のトロツキーの革命戦略の総括

1。 3・4回大会の歴史的位置 

    (3回大会・・1921年。4回大会・・1923年)
○1・2回大会は、完全な攻勢の情況の中で行われた。戦後革命の進展の中で、社会民  主主義者の多くが第三インターに流入し、コミンテルンは社民と共産党との明確な区別の基準を決めざるを得なかった。しかし戦後革命は敗北し、コミンテルンはその総括と方針の転換をはからねばならなくなった。3・4回大会はそのために行われた。
○しかしその転換は、戦後革命の進展という事実に基礎を置いた「攻勢の理論」との対決を通じて行われた。

☆攻勢の理論・・

 資本主義は没落期にあるという認識を背景に、絶え間なく起こる恐慌は労働者階級の革命的意識を覚醒させるので、資本主義に対する不断の攻勢のみがそれを歴史から退場させるという考え方。主な提唱者は、ドイツ共産党とブハーリン。トロツキーとレーニンのブロックは大会で「右翼」に位置し、攻勢の理論にたつ極左派と対決する。
       ※トロツキーの論文『上げ潮』参照
       ※レーニンの『共産主義における左翼小児病』はこの極左派批判として書かれた。

2。3・4回大会が提起したもの 

○「革命的戦略と戦術」を初めて定式化した。つまり、情勢の戦略的展望に基づいた戦術の必要を説いた。
・・・これまでの共産党は労働者階級の日常的な政治・経済闘争と社会主義革命を有機的に結びつけて闘争して来たわけではない。とりわけヨーロッパの戦後革命の中で生まれた若い共産党は危機の中で権力の奪取にむけて戦うことしか知らなかった。ロシア共産党の経験にもとづいて革命的戦略と戦術は定式化された。
       ※「社民との統一戦線」や「革命的議会主義」など・・・・

○戦略の基礎となる認識を提示した。

 (1) 情勢と主体形成の弁証法的関係をどう明らかにするか。
     −−−−→「資本主義の発展過程と革命運動の関係の歴史的総括」を行う
 (2) 資本主義の危機の状況をどのようにとらえるか。            |
     −−−−→「ヨーロッパとアメリカの対決」が情勢の根幹との認識を示す

★トロツキーの3回大会における『世界経済と共産主義インターナショナルの新しい任務についての報告』(1921.6)は、主にこの問題をあつかっている。

3。資本主義の発展過程と革命運動の関係

○1781〜1920年までの資本主義の発展曲線の概観
  @1781〜1851・・・発展はきわめてゆるやか(停滞期)
  A1851〜1873・・・急速な発展期(1848年の革命がヨーロッパ市場の枠を拡大したことにより起きた)            
  B1873〜1894・・・不況の時代
  C1894〜1913・・・もう一つの好景気の時代
  D1914〜  ・・・資本主義経済の破壊期

○A〜Cの時期は資本主義の発展期・・恐慌は短く浅く、好景気は長く広範囲。Dの時期は資本主義の破壊期・・・・好景気は一時的で浅く、恐慌は深く長い
○停滞ー発展ー破壊の各時期の転換は階級闘争の帰趨が大きく関わる。Aはマルクスがヨーロッパ社会主義革命へと転化できると想定した革命に始まる時期だが、封建諸階層と資本家階級の妥協によって労働者階級の攻勢は粉砕。しかし、ヨーロッパから封建制度を最終的に一掃したことにより、資本主義の未曾有の発展をもたらす。Dはヨーロッパ帝国主義の戦争によって始まった。
○恐慌および好景気と革命の関係
機械的理解。つまり恐慌は労働者階級の意識を革命化し好景気は労働者階級の意識を改良主義化するという理解を否定。両者の関係を歴史的に具体的に検証。

  ※『エンゲルスは1847年の恐慌は革命の母だったが、1849〜51年の好景気は勝利した反革命の母だったと書いたが、これらの判断を、恐慌はいつも革命的行動を生み好景気は反対に労働者階級をおとなしくするという意味に解釈するなら、それは非常に一面的であり、まったくの間違いだろう。』(報告p271)

4。第一次世界大戦後の情勢の根本と任務

○現在は、資本主義の破壊期にある。       
○情勢の根本は「ヨーロッパとアメリカの対立に」にある。
   ・資本主義経済とブルジョワ権力の重心はヨーロッパからアメリカに移った。
   ・アメリカの生産力を支えたヨーロッパ市場は、戦争の終結とともに消滅し、ヨーロッパは窮乏化しアメリカは不断の過剰生産に悩む。
  ・戦後革命を社会民主主義者の助けと戦時中のバブル経済の延長政策とによって乗り切ったヨーロッパブルジョワジーは自信を回復し、復興し   つつあるヨーロッパ経済は、市場をめぐってアメリカとの激しい競争に入る。 
  ・ヨーロッパとアメリカの対立は、イギリスとアメリカの対立という形で現れる。
  ・狭隘化した市場は、中国・シベリア・南アメリカなどの資本主義的発展で取り返すことは出来ない。来るべき激しい恐慌は必然的である(20年   代始めに想定)。
○資本主義の一時的な回復期にある現在において、大衆闘争に積極的に介入し、統一戦線戦術を駆使して、階級の大多数を獲得しなければならない。

5。3回大会の情勢分析は正しかったのか? 

○情勢の基本を「ヨーロッパとアメリカの関係」でとらえたことは正しかったが、それが、イギリスとアメリカの対立であり、その結果として第二次世界大戦に至るという見通しははずれた。事実はイギリスをはじめとするヨーロッパのアメリカへの屈伏であり、アメリカ資本のヨーロッパへの流入とその資本主義的救済であった。
(「アメリカ資本主義の膨大な資本の流出がヨーロッパを救済し新たな市場をつくりだす」とはトロツキーは考えていない←レーニンの帝国主義論)

※ここから後にトロツキーが「ヨーロッパとアメリカ」の分析に入る必然がある。

○第4回大会の直後におきた、フランスのルール占領に端を発する1923年のドイツ危機は共産党の敗北に終わり、ワイマール共和国が成立した。これをトロツキーは「主体の未成熟」と評価している。実際は「アメリカによるヨーロッパの資本主義的救済」があり、そのことがドイツ共産党やコミンテルンのブハーリン指導部への圧力として「攻勢の理論」から一転して右翼的偏向を行い、革命的情勢を取り逃がすという事態を生んだのでは

※第一次世界大戦と第二次世界大戦との間の時期は『過渡期』である。ヨーロッパの 前期帝国主義からアメリカ型の後期帝国主義への転換期なのだが、アメリカブルジョアジー自身が自己の卓越した力に気づいてはおらず、事態の進展におされて試行錯誤の状態。コミンテルンの指導部にとっても時代の根幹をどうとらえるかが根本的な問題であった。

※4回大会の綱領論争における指導部メンバーの立場
    @資本主義は構造的危機にある→攻勢の戦術・・・・・ブハーリン・スターリン
    A資本主義は発展する?。綱領を定めるのは早計・・・レーニン
    B当面は安定するが近い将来恐慌がおき戦争にいたる。それにそなえ統一戦線戦術で階級の統一を・・・・・トロツキー

綱領草案批判の基礎におけるトロツキーの革命戦略の検討

1。コミンテルン6回大会とその綱領草案批判の意味

○6回大会(1927)は1923〜1927年における相次ぐ革命闘争の敗北と資本主義の安定化という事態をうけて、この間の闘いの具体的な総括を通して、革命戦略の再構築をはかるべき位置にあった。しかし発表された綱領草案はこの間の革命闘争の敗北をコミンテルン指導部の革命戦略の誤りとして総括するのではなく、『資本主義の全般的危機にもかかわらず各国共産党指導部の誤りにより情勢は取りのがされた』と総括した。そして『資本主義は第3期=崩壊へといたる全般的危機の時代にあり、 労働者階級は不断に革命化する。従って資本主義に対する断えざる攻勢をかけるべきであるが、その障害となっているのは社会民主主義である。社会民主主義がファシズムのもう一つの顔であることを暴露し大衆を共産党の側に獲得しなければならない。』とした。

○ヨーロッパ革命の敗北(とりわけ1923年のドイツ革命)と資本主義の安定化の事態を踏まえて、トロツキーはコミンテルン指導部のジグザグ路線に革命敗北の原因がありその根拠は「資本主義の全般的危機論=攻勢の理論」による極左的偏向と右翼的偏向にあることを具体的に批判した。そのうえでトロツキーは3・4回大会路線の総括と修正を試みながら、革命戦略の再構築と左翼反対派の任務を確定しようとした。

2。3回大会路線の総括と修正

@資本主義の『安定』の根本的原因はなにか?

−−−一方における資本主義ヨーロッパと植民地東洋の経済的および社会的地位の全般的混乱と、他方における諸共産党の弱さ、準備不十分、不決断とその指導部の有害な過失との間の矛盾にある−−−(草案批判)

−−−1923年のドイツ革命の敗北のみが、アメリカ資本をして、ヨーロッパを暫しの間平和的に征服する計画の実現を開始することを可能ならしめた−−−

 つまりコミンテルン指導部と各国共産党指導部(とりわけドイツ共産党)の極左的偏向と右翼的偏向のジグザグによりヨーロッパ革命は取り逃がされ、資本主義ヨーロッパの安定は可能になったとトロツキーは総括している。

A「指導部の危機」の原因はなにか?

  この点についてはトロツキーは「革命的情勢においては指導部にブルジョア社会の巨大な圧力がかかり、逡巡し動揺し妥協させる」という形で一般的に説明しつつ、その根本は「間違った戦略=資本主義の全般的危機論」にあることを事実にもとづいて論じている。

B情勢の根本はなにか?

−−−ヨーロッパ革命が長く延期されることによって、国際関係の軸がアメリカの対ヨーロッパ攻勢の方へと移ってしまった。
−−−かかる状況に置いて、アメリカ問題は充分に検討されるべきである−−−

 トロツキーはアメリカ資本主義を情勢の内的要因にくみいれて、戦略を再構築しようとしている。

Cアメリカ資本主義の特徴はなにか?

@.アメリカ資本主義の第一の力の源泉
  −−−無尽蔵の自然・資源と資本主義の発展を妨げる歴史のがらくたのない社会環境、そして、最も活動的な人間分子の移動
A.アメリカ資本主義の第二の力の源泉
  −−−労働の高度な機械化によって引き起こされた急速な技術発展と労働生産性の向上による、国際競争力の圧倒的な強さ
B.アメリカ資本主義の第三の力の源泉
  −−−大量生産・大量消費のシステムの構築。預金銀行やクレジットの導入により、大衆の一定の生活向上をはかることで、市場の拡大と資本の集中を同時にはかる社会システムを構築した
C.アメリカ資本主義の第四の力の源泉
  −−−政治的には一定の大衆民主主義の形態をとった労使一体の構造であり、これは資本と労働の利害の一致という外観に基づく
                       (以上、ヨーロッパとアメリカより)

D資本主義の今後の展望は?

   『アメリカの国際化→恐慌→第二次世界大戦→世界革命』 −−−−

 『アメリカが膨張する必要はますます大きくなる。・・・合衆国が全世界を自己に依存させるが故に、ますます合衆国自身があらゆる矛盾と恐るべき激動を伴った世界全体に依存する。・・・アジアにおける資本主義の発展は不可避的に民族革命運動の成長を意味し、この運動は帝国主義の担い手たる外国資本とますます敵対的に衝突する。・・・合衆国はその力を不安定なヨーロッパとアジア・アフリカの民族革命運動に基礎づける事を余儀なくされている。・・・アメリカは資本主義ヨーロッパの上昇を許さない。・・ヨーロッパそのものがどのような政治的変動を経過しようとも、ヨーロッパの経済的行き詰まりは基本要因として残り続ける。そしてこの要因が遅かれ早かれプロレタリアートを革命の道に押しやる・・・・。』
(ヨーロッパとアメリカより)

 つまりトロツキーはアメリカ資本主義の上記の特徴を「純粋にアメリカ的な」特殊な事例ととらえており、アメリカが資本主義の中心になったことで階級関係も国際関係も根本的に変化したとはとらえていない。旧来の資本主義ヨーロッパの衰退の構造にアメリカもまた飲み込まれて行き、資本主義は破綻すると考えていた。

3。トロツキーの新たな戦略は歴史的に検証されたか?

○結論的に言えば、トロツキーは「指導部の危機」と「情勢」の関係を有機的な相互関係としてはとらえきっていない。そしてその原因は『アメリカ資本主義の登場の歴史的意味』をとらえきっておらず、その位置を過小評価していることにある。

@「革命的情勢」と「指導部の危機」の関係について

  トロツキーは「アメリカ問題」が情勢の核心であると正しくも見抜いた。しかしその「アメリカ問題」と「指導部の危機」との関係については弁証法的な相互関係としてはとらえていないのではないか。

 ・ドイツ革命の敗北
    アメリカ資本の膨大な流入→資本主義の一定の安定→ドイツ社民の復活→『福祉国家体制』としてのワイマール共和国体制の成立
    →プロレタリアートの資本主義への幻想→プロレタリアートの武装解除

  が根本の原因としてあり、これに依拠した資本家の攻勢が誤った戦略に基づいてジグザグな対応しかできないドイツ共産党指導部とコミンテルン指導部へ圧力をかけ、彼らをして情勢を見誤った対応や情勢に遅れた対応をさせたのではないか。
  そしてその結果としてのドイツ革命の敗北によりアメリカ資本によるドイツ・ヨーロッパ資本主義の救済が進んだのではないか。

A「アメリカの国際化」について

  トロツキーは、アメリカ資本主義がますます全世界を自己の一部へと組み込むこ とにより(=国際化)、その矛盾をアメリカ資本主義の内部にかかえこみ、それがやがて世界経済と世界政治の爆発的動乱を引き起こすととらえている。そしてこの文脈の中で、ヨーロッパへのアメリカ資本の投下を「アメリカによるヨーロッパの平和的征服」ととらえている。
 つまりトロツキーはアメリカ資本の世界への投下を旧帝国主義ヨーロッパの資本投下が投下された国・地域の従属化・支配を目的にしていたと同じものととらえている。事実はそれとは違い、資本投下先を植民地として支配するのではなく、自己の資本のさらなる投下市場としてその地域の資本主義化を進める過程が進行していた。カナダがそうであり、ラテンアメリカ諸国もそうであった。やがてはアジアへも同じことが進行していったわけで、この過程の旧来の資本主義の世界展開との質的違いをトロツキーはとらえられていない。
 「アメリカの国際化」ではなく「世界のアメリカ化=アメリカによる世界の再組織化」というほうが正しい。

B階級関係の変化について 

 この点はトロツキーの意識には登っていない。
 資本と労働の関係はトロツキーも正しく分析していた様に、ヨーロッパ資本主義とアメリカ資本主義とでは根本的に違う。

・ヨーロッパ・・・・労資協調(利害の対立を前提にしている。資本の発展は労働者の窮乏化を結果するがゆえ)
・アメリカ・・・・・労資一体(対立を基本としない。資本の発展は資本家にとっても労働者にとっても利益になる。大衆の生活向上が資本のさらなる増殖の前提になっているがゆえ) 

 このアメリカ資本主義の特徴もトロツキーはアメリカの特殊な事情で片づけている。しかしこの特徴故にアメリカ資本の代弁者たちは、ブルジョアジーの頭越しにプロレタリアートと取引する懐の深さを持っていた。ヨーロッパにおける人民戦線路線(ブルジョワジーとプロレタリアートの共同戦線)の成立もこれであり、中国における国境合作の実現やアメリカとソ連の合作もそれである。アメリカ資本主義は自国における階級関係を全世界に広げて行ったのであり、これがヨーロッパ旧帝国主義の資本主義的な危機の救済であるファシズム体制に対して全世界的に人民戦線体制をとってそれに対抗しそれを打ち破り、世界を再組織して行った源泉が、アメリカの特殊な階級関係にある。この問題はトロツキーの視野には全く入っていなかった。

○以上のトロツキーの戦略の限界は、左翼反対派がなにゆえ少数派にとどまりそして敗北して行ったのか、またなぜ第四インターナショナルは一貫して少数派でしかないかという問題を考えるうえでの基本的な問題である。そしてこれは、なぜトロツキーが資本主義の根本的変容をとらえることが出来なかったのかという問題でもある。


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