第一期 トロツキーの過渡的綱領の背景にある資本主義分析と革命戦略の総括
第一回 トロツキーの戦間期革命戦略の萌芽とその認識の基礎となる資本主義分析の検討

〇コミンテルン第三回四回大会のトロツキーの革命戦略
  
(基本テクスト:三回大会報告『世界経済恐慌と共産主義インターナショナルの新しい任務』)

99.2 文責:すなが けんぞう


■ 三回大会の位置づけ

 トロツキーは三回大会の論争について後に次のようにまとめている。

『コミンテルンの第三回大会は、ドイツにおける三月事件の印象がまだ鮮明に残っている時に招集された。周到な分析を加えたすえ、大会は、「攻勢」戦術や革命的「電気ショック」戦術等々と、経済的・政治的情勢の変化や推移とともに労働者階級全体の内部で進行しつつあったもっと深い過程との間にある食い違いから生まれる危険を充分に評価した。』(上げ潮p63)
『攻勢理論をめぐる論争は、景気変動ならびにその将来の発展に関する評価の問題と密接に結びついてきた。攻勢の理論の最も徹底した代弁者は、次のような見解を展開した。全世界は恐慌にとらえられ、恐慌は経済秩序を解体しつつある。この恐慌は不可避的に深化せざるをえないし、その結果、労働者階級をますます革命化せざるをえない。こうした見地からすれば、共産党が、その後衛部隊やその主要な予備軍を注視することはまったく余計なことである。党の任務は資本主義社会自体にたいして攻勢をとることだ。遅かれ早かれ、プロレタリアートは、経済的崩壊に駆り立てられて、党を支持するだろう、というわけである。』 (上げ潮p64)

 第三回大会の課題は、戦後革命の頓挫の状況をうけて、情勢認識の再確立と革命戦略の建て直しとを、極左派との闘いを通じて実行することにあった。

■トロツキーの認識(課題の設定)

『戦争以来ほとんど三年ちかくの年がたってしまった。ロシアをただ一つの例外として、世界中で権力はブルジョワジーの手に保持され続けている。』
『いま、わたしたちは次のような問題に直面している。いまでも発展は革命の方向に実際に進んでいるのか。それとも資本主義は戦争からうまれたいろいろの国難に打ち勝つことに成功したということを認める必要があるのか。そしてもし資本主義が既に回復しているのでないとすれば、資本主義は新しい基礎の上で、資本主義的均衡を回復しつつあるのか、それともこのような均衡の回復をほとんどおわっているのか?』(p229)

 トロツキーは様々な資料からブルジョワジーが自信を回復している事実をあげ、以下に資本主義的均衡が回復しているのか否かを、次の四項目にそって論述している。

@世界的分業は回復されたのか?
A各国内の都市と農村の調和関係は回復されたのか?
B階級の均衡は回復されたのか?
C資本主義国の世界的共存は回復されたのか?

■世界情勢の基本

 そして@の問題を検討していく中で、第一次世界大戦後の世界情勢の基本は以下の点にあることを詳しく資料をあげて提示している。

『資本主義経済とブルジョワ権力の重心はヨーロッパからアメリカへうつった。』

 しかし、このアメリカを中心とした世界資本主義経済は安定しないことを以下のように説明している。

『七年の歳月の間に、世界的分業の領域で完全な逆転がおこった。四年あまりの間、ヨーロッパは一面の火の海と化し、ヨーロッパがあげる所得だけでなく、ヨーロッパが持っていた基本資本をも食いつぶしていたが、一方アメリカブルジョワジーは、その炎で自分たちの手をあたためていたのだ。アメリカの生産力は異常に伸びたが、アメリカの市場は消滅した。なぜならヨーロッパは窮乏化して、もうアメリカの商品を買うことができないからだ。ヨーロッパはまずアメリカが頂上にのぼるのを全力を出して助け、つぎに梯子をはずしたようなものだ。』(p256)

 1920年に始まる恐慌は、以上の世界情勢の基本から生まれていることをトロツキーは資料をあげて述べた後に、この恐慌の性格と、今後の世界情勢を予測するための基本認識として、恐慌と好景気の関係、そして世界資本主義の発展の曲線を描いている。

■資本主義発展の曲線(その歴史的概観)

 トロツキーは1921年1月のロンドンタイムズの記事を利用して、1781年から、1920年までの138年間の資本主義の発展曲線を以下のようにまとめている。(p263〜264)

@1781年〜1851年  発展は極めてゆるやか(停滞期)
A1851年〜1873年  急速な発展期(1848年の革命がヨーロッパ市場の枠を拡大したことによって起きた)
B1873年〜1894年  不況の時代
C1894年〜1913年  もう一つの好景気の時代
D1914年〜       資本主義経済の破壊期

 またトロツキーは、上の時期のAのヨーロッパの2月革命以後の時期を二つに区分している。

『資本主義の発展をえがく曲線をひいてみよう。・・この曲線が完全な弧をえがいて上向きにはすすんでおらず、ジクザグに、上下に輪を描いていることを見いだす。・・経済発展の曲線は二つの運動の合成物だ。つまり、第一の運動は資本主義の一般的な上昇をあらわしており、第二の運動はいろいろな産業循環に対応する一定の周期的な変動からなっている。』と。(p262)

 つまり上の5つの時期とあわせて考えれば、以下のようになる。

@1781年〜1851年  停滞期
A1851年〜1913年  発展期
B1914年〜       資本主義の破壊期

 そしてトロツキーは以下のようにも述べている。

『この循環的な変動は、資本主義の発展の曲線の第一の運動とどのようにまじりあっているのだろうか。きわめて簡単だ、資本主義の急速な発展期には、恐慌はみじかくあさいのが特徴だが、好景気は長期で広範囲だ。資本主義の下降期には、恐慌は長引く性格をもち、いっぽう、好景気は一時的であさく、投機的だ。停滞期には変動はおなじ水準でおこる。』(p264)

 つまりトロツキーは、138年間にわたる資本主義の発展の曲線を描くことによって、第一次世界大戦後の1921年の今日を、「資本主義の破壊期」に位置づけ、この時期における好景気は浅く不況は長く深いことを示唆している。 そしてこのあと、第一次世界大戦後の好景気と恐慌の実態を分析することを通じて、この時期が「資本主義の破壊期」にあることを説く。

■恐慌および好景気と革命

 そして当面の経済の見通しを以下のように述べる。

『ヨーロッパの戦時市場はよびかえすことのできないかなたへ消えてしまったのだから、アメリカが縮小に悩まなければならなくなるだろうということは、まったく自明だ。他方ヨーロッパもまた、もっとおくれた、つまりもっと荒廃した地域や工業部門に調和するように、自分の水準をそろえなければならなくなるだろう。このことは逆方向への経済の水準化、したがって長引く恐慌を意味する。つまり、いくつかの経済部門やいくつかの国では停滞がおこり、ほかの部門や国では、よわい発展があるだろう。循環的な景気変動はあいかわらず続くだろうが、一般に、資本主義発展の曲線は上方ではなく下方へかたむくだろう。』(p270)

 さらに経済上の好景気と恐慌と革命の発展との間にある相互関係について、機械論的にとらえることの危険性を過去の歴史的検討に基づいて強調する。

『エンゲルスは1847年の恐慌は革命の母だったが、1849〜51年の好景気は、勝利した反革命の母だったと書いたが、これらの判断を、恐慌はいつも革命的行動を生み、好景気は反対に労働者階級をおとなしくするという意味に解釈するなら、それは非常に一面的であり、まったくの間違いだろう。』(p271)
『一般に、プロレタリアの革命運動が恐慌に自動的に左右されるということはない。ただ弁証法的な相互作用があるだけだ。』(p274)

■今後の情勢の見通し

 経済的な好景気・恐慌と革命運動との関係を歴史的に検証することをした上で、トロツキーは今後の情勢について、以下のように簡略に述べている。

『ながい繁栄期は、市場の拡大がそのまえにもう達成されているということを意味しているだろう。そういうことは絶対におこらない。なぜなら、結局、資本主義経済はもう地球全体をつつんでいるからだ。ヨーロッパの窮乏化と巨大な戦争市場でのアメリカのぜいたくな新生とは次の結論を確証している。この繁栄は中国・シベリア・南アメリカ・そのほかの国々の資本主義的発展をつうじてとりかえすことができるようなものではない。アメリカ資本主義はもちろん、これらの地域に販売市場をもとめてつくりだしつつあるが、その規模はとてもヨーロッパ市場にはおよばない。』(p274)

 つまり巨大化したアメリカの生産力には世界市場は狭過ぎ、不断の景気後退があるだろうということを予測している。
 そしてこの情勢の見通しにもとづけば、景気の(一時的な)回復は労働者階級に打撃をあたえるのではなく、労働者の隊列を整え、将来にむけて力を蓄える好機であると述べ、1920年から始まる恐慌のが回復が見えつつある状況の中でいかに闘うかを説く。

■資本主義の長期的な発展と衰退の循環の動因

 以上のようにトロツキーは情勢の根幹を示したあと、資本主義の長期的発展の趨勢は、階級闘争の帰趨がその動因であることを述べ、現在進行中の「資本主義の破壊期」も、自動的に資本主義の終焉=社会主義革命ではないことを以下のように強調している。

『もしわたしたちが労働者階級が革命闘争にたちあがらず、長い間、たとえば20年か30年の間ブルジョワジーに世界の運命を支配する機会を許すだろう、ということを認めるなら−そうすれば、ある種のあたらしい均衡はまちがいなく確立されるだろう。ヨーロッパは暴力的に逆進装置のなかに投げ込まれるだろう。何百万というヨーロッパの労働者は失業と栄養失調で死ぬだろう。合衆国は、世界市場で方向転換し、その産業を再転換し、かなり長期にわたって縮小するほかなくなるだろう。そのあとこうして15年か20年か25年かの苦悶をへて新しい世界的分業が確立されたあと、たぶん新しい資本主義的上昇時代がやってくるだろう』と。(p275〜276)

 そしてこのあと
A各国内の都市−農村の調和関係は回復されたのか?
B階級の均衡は回復されたのか?
を検討し、

『農民は経済の衰退に不満をいだき、知識階級はいっそう貧しくなり没落し、中小ブルジョワジーは没落して不満をいだいている。階級闘争は先鋭化しつつある。』との結論を出している。(p281)

 さらにCの資本主義国の世界的共存関係は回復したか?を、具体的な国際関係の検証を通じて検討し、ドイツの発展とフランスの発展の矛盾やイギリスの発展とアメリカの発展の矛盾をつうじて以下のように結論づけている。

『世界市場の狭隘化から生まれた重大な危機は、資本主義国の間の闘争を極度に悪化させる作用をする。そして、資本主義国の間のたたかいは、世界関係からあらゆる種類の安定性をうばいとる。ヨーロッパだけではなく世界全体が精神病院にかわりつつあるのだ。このような状態のもとでは、資本主義の均衡の回復について語る必要はほとんどない。』と(p285〜286)

■当面の見通しと任務

 最後にトロツキーは当面の見通しと任務について述べている。
革命の第一のみなもとはヨーロッパの衰退。
革命の第二のみなもとは、合衆国の全経済組織のはげしいけいれんにある。
革命の第三のみなもとは、植民地とくにインドの工業化だ。
 こうして世界情勢と将来の見通しは、ともに極めて革命的な性格を帯びている。
 したがって共産主義政党の任務は以下のようである。

『現在の情勢ぜんたいを測定し、プロレタリアートの闘争に積極的に介入し、この闘争を基礎として労働者階級の大多数を獲得することにある。あの国またはこの国の情勢が極度に悪化したばあいには、わたしたちは率直に基本問題を提起し、わたしたちは、どんな条件で事件にまきこまれようと、闘争にくわわらなければならない。
 だが、もし事件の進行がもっと均衡をたもって円滑に進むならば、わたしたちはあらゆる可能性を利用して、決定的事件がおこる前に労働者階級の大多数を獲得しなければならない。』と。(p292)

 そして最後に今後恐慌のかわりに景気の回復がやってくるとすればそれはどういういみがあるかを提起し、以下のように答えて報告を終えている。

『あたらしい上昇は、長引くこともふかまることもありえない。それはけっして革命の発展にたいする障害として作用することはできない。・・・1914〜21年のいろいろの出来事についていえば、それらは世界市場の枠をひろげないで極端にせばめるように作用してきた。だから、資本主義の発展の曲線は、つぎの時期には大体、急速に下向きになるだろう。このような状況の下では、一時的な好景気は、労働者階級の自信をつよめ、工場ではもちろん闘争でも、かれらの隊伍を融合させることができるだけだ。そしてそれは、かれらの経済的な反攻にたいしてばかりでなく、かれらの革命的な権力闘争にたいしても刺激をあたえることができる。』と。(p294)

■まとめ(討論を踏まえて)

1. 三・四回大会の歴史的位置

 ○一・二回大会は、完全な攻勢の状況の中で行われた。社会民主主義者の多くが第三インターに流入しコミンテルンは社民との明確な区別の基準を決めざるを得なかった。
  しかし戦後革命は敗北し、コミンテルンはその総括と方針の転換を計らねばならなかった。
 ○その転換は、戦後革命の進展に基礎を置いた「攻勢の理論」との対決を通して実現された。 (攻勢の理論の主な提唱者は、ドイツ共産党とブハーリンであった)

2. 三回四回大会の情勢と任務の分析は、その後の歴史過程で確認されたか?

  ○1923年のドイツ危機は共産党の敗北に終わり、資本主義は回復の過程に入った。 ・・・これを、単に「主体の危機」と総括できるか。
  ○この情勢を背景に、コミンテルン第四回大会が開かれた・・→綱領論争
   @ブハーリン・スターリン・・・資本主義は構造的危機にある→攻勢戦術
   Aレーニン・・・・・・・・・・「資本主義は発展する」?
   Bトロツキー・・・・・・・・・当面は、安定。統一戦線戦術で階級の統一を。
                  近い将来の恐慌と戦争に備えて。
  ○トロツキーの情勢分析と任務の設定は、あたっていたか。
   ・「ヨーロッパとアメリカの対立」との情勢の枠組みは正しかった。
   ・「安定の時期に、統一戦線戦術で階級の統一を」との任務の設定も正しかった。
   ・「アメリカ資本主義の膨大な資本の流出がヨーロッパを救出し、新たな市場をつくり出す」とは考えておらず、想定された恐慌はずっと後の29    年であった。 ←その基礎は、レーニンの「帝国主義論」にある。

 ・ここに後にトロツキーが「ヨーロッパとアメリカ」の分析に入る必然性がある。

  ●使用した参考資料
   ・世界経済と共産主義インターナショナルの新しい任務についての報告
   ・国際情勢とコミンテルンの任務(三回大会テーゼ)
                         以上は「コミンテルン最初の五カ年」所収
   ・上げ潮ー景気変動と世界労働運動ー トロツキー研究および、コミンテルン最初の五カ年所収
  ・その他、コミンテルン資料集(大月書店刊)2のテーゼと注。


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