第一研究会の今後の研究テーマと研究プログラムについて

                             1999.1
文責:すなが けんぞう


研究テーマ:第四インターナショナルの革命戦略の歴史的総括

 〔研究プログラム〕

○第1期:トロツキーの過渡的綱領の背景にある資本主義分析と革命戦略の総括
         〜コミンテルンの綱領論争からトロツキーの死まで〜
○第2期:第二次世界大戦後の第四インターナショナルの資本主義分析と革命戦略の総括
         〜第3回大会から再統一大会まで〜
         〜日本支部70年代同盟の革命戦略の総括〜
○第3期:エルネスト・マンデルの資本主義分析と革命戦略の総括
         〜再統一以後の統一書記局の革命戦略の総括〜

 〔このテーマを設定した問題意識〕

●戦後帝国主義の世界システムの危機の開始

 資本主義は今日、その本質である優勝劣敗主義を「自由競争主義」として剥き出しにしつつある。この事は西ヨーロッパの帝国主義諸国において、80年代後半から始まる景気の継続的下降局面において、全面的な福祉政策の見直しと福祉の切り捨てや、戦後の一時期に国有化された産業の民営化という形で進行していた。つまり、第二次世界大戦をもたらした西ヨーロッパ帝国主義の危機の構造を回避し、労働者階級をふたたび資本主義の枠内に引きつけた構造そのものを、資本の側自らが捨て始めたことを意味している。
 そしてこれは同じ時期にアメリカにおいても行われ、今ではそれは少数者のために設けられた優遇措置の廃止という所まで進行している。
 このような動きは今日では、わが日本でも開始されている。企業における「能力主義」の徹底化は、日本企業の強さの秘密ともいえる「企業家族主義」を解体し、労働者一人一人を激しい能力主義的競争へと追い込みつつある。そしてこの動きと呼応しつつ、国家の側も、先般の労働基準法の改悪に端的に現れたように、一連の労働法制の改悪に踏み込み、さらにはこの動きは様々な福祉の見直し攻勢とも連動して、労働者の生活を圧迫しつつある。
 このような帝国主義諸国に共通して行われた資本の側からの労働者階級への攻勢は、同時に支配的な労働組合の支持によっても支えられていた。
 しかし、この資本の攻勢にたいする反撃が、帝国主義諸国において開始されつつある。しかもその反撃は、既成の労働組合・ナショナルセンターの枠を越えた所で始まっている事に特徴がある。アメリカ合衆国における労働攻勢を基盤とした労働者党にむけた運動や、西ヨーロッパのユーロマーチに象徴される、国境を越えた反失業の闘争。そして日本における労働基準本改悪阻止闘争に見られたような、ナショナルセンターの外にイニシアチブが存在し、多くの労働組合を巻き込んだ闘いなどのように。
 さらにこのような帝国主義本国における労働者階級の闘争の高まりは、戦後急速に工業的発展をとげ、その内部において労働者階級の比重が非常に高まっている旧植民地諸国における経済危機と拡大する貧富の格差を背景とする民衆闘争の高まりとも時期を同じくして起きている。
 そして以上のような動きは、東南アジア諸国の金融危機と旧東欧諸国の経済危機がそのまま帝国主義本国の経済危機に連動する状況の中で起きており、さらには、戦後、アメリカ帝国主義の絶対的な優位の下でおさえられていた、各地における民族的利害の対立の激化と、地域戦争の勃発という形で、第二次世界大戦後の国際秩序は、瓦解状況ともいうべき状態に陥っている。
 さらにこの状況は、地域戦争の拡大とともに進行する核兵器の拡散と核戦争の脅威、さらには、全地球的規模における環境の破壊と、地球環境の破壊−地球生物の絶滅ともいうべきおそるべき状況を伴っており、誰の目にも、深刻な危機と映るものである。
 これはいったい何を意味する状況なのか。
 これは、「後期資本主義」とよばれた、戦後帝国主義の世界構造そのものの崩壊局面の始まりと理解すべきなのか。つまり、戦後急速に発展をとげた帝国主義が、70年代に始まる緩やかな下降局面に続いて、急速な瓦解局面に入ったと理解すべきなのか。それとも次の上昇局面の開始をつげる停滞局面なのか。この状況の性格の分析が必要とされる。

●革命勢力の綱領的瓦解

 しかし、今日、このような資本主義世界体制の危機とも呼べる状況が始まったにも関わらず、革命勢力の側の瓦解状況は目を覆いたくなるほどである。
 それはわが第四インターナショナルも例外ではない。それは全世界的に見ても、1980年代に入って、急速に危機に陥っている。アメリカにおけるSWPの分裂やヨーロッパにおける各国支部の様々な左翼的潮流への合流と溶解。さらにはインターナショナルそのものを統一戦線的なものに解体しようとする傾向の増大。そしてわが日本支部の分裂と解体の状況。
 この原因は何であったのか。
 ヨーロッパやアメリカの状況は、統一書記局の革命路線、すなわち、60年代後半から70年代前半の景気の下降局面の開始に伴い、激化しつつある植民地革命と東欧・ソ連における民主化闘争−政治革命の動きが西ヨーロッパ革命へと連動深化していくという革命戦略の破綻という事実に起因している。そして、わが日本の状況は、70年代同盟の革命戦略であったベトナム革命などの植民地革命が直線的に帝国主義日本の革命へと発展するという戦略=極東解放革命の戦略の崩壊に起因している。
 どちらも綱領的崩壊とも言える事態であり、この事態を根本的に総括することなしには、革命勢力の再建は絶対に不可能であると考えられる。

 以上のような認識に基づき、第一研究会では、戦後第四インターナショナルの革命戦略の全面的な総括を開始しようと思う。そして第四インターナショナルの創設以来の様々な分裂と再統一とさらなる分裂と解体の動きは、根本的には、1917年のロシア革命が直線的にヨーロッパ革命へと発展しなかったことや、1940年代〜50年代の帝国主義戦争の勃発と植民地革命の発展とが、予想されたようには直線的にヨーロッパ革命・アメリカ革命へと直結しなかった事態など。つまりは、世界革命の迂回と遅延という事態に起因しているものと考える。
 したがって第四インターナショナルの革命戦略の歴史的総括は、1920年代のコミンテルンの綱領論争にまで遡らねばならないし、ここからはじまる総括作業は、20世紀の資本主義世界システムの展開の歴史と革命運動の展開を統一的にとらえ総括する作業になるものととらえている。

 〔具体的な研究プログラム〕

第1期:トロツキーの過渡的綱領の背景にある資本主義分析と革命戦略の総括

・トロツキーの革命戦略の根幹は、ヨーロッパ旧帝国主義と違った構造を持つアメリカ帝国主義による世界の再編成の開始と、これと旧帝国主義ヨーロッパとの相剋が、情勢の環であるというものであった。
・しかしこのアメリカの構造はアメリカ一国の例外的な条件の下で成立したものであり、アジアとヨーロッパの旧帝国主義の危機の構造をアメリカは救済する力を持たず、この危機の構造の爆発は、アメリカ帝国主義をも巻き込み、世界的な資本主義の危機へと進んでいく。
・従って労働者階級を鍛え、階級の統一を図り、きたるべき危機にそなえ、その危機を全世界における社会主義革命へと転化しなければならない。
・しかし、この展望は実現せず、恐慌−戦争−革命の危機は、アメリカ帝国主義の卓越した力によって抑えこまれ、資本主義は戦後急速な成長をとげていった。
 なにゆえトロツキーの展望は実現しなかったのか。
 この問題を、コミンテルン3会大会におけるトロツキーの方針の転換以後、第四インターナショナル結成までの、彼の資本主義分析と革命戦略の成り立ちから展開の過程を追うことを通じて、トロツキーの認識の背後にあったレーニンの帝国主義論の再検討をも含め、その可能性と限界を明らかににしていく。

第1回−トロツキーの戦間期革命戦略の萌芽とその認識の基礎となる資本主義分析の検討。

(資料)・コミンテルン3回大会報告「世界経済恐慌とコミンテルンの任務」(1921.6)
    ・3回大会,4回大会テーゼ (1921・1923)
    ・以上のものの元となった戦後革命を破産させたヨーロッパ資本主義の力の源泉
     とアメリカ帝国主義との関係などを分析した経済分析(?)など

第2回−3回大会の展望の修正と綱領論争を通じての世界革命戦略の再検討の過程の確認と検討 

(資料)・共産主義インターナショナルの綱領草案−批判の基礎(1928.6)
    ・ヨーロッパとアメリカ(1924 ・26)  その他経済分析(?)
    ・その他、アメリカの援助の下に復興したヨーロッパの現状をもとにした、世界経済の分析(?)など

第3回−世界恐慌の勃発と戦争の危機の下で起きた諸事件への対応を通じて鍛えられさらに展開された革命戦略の確認と検討 

(資料)@世界恐慌についての分析(?)
    Aフランス人民戦線についての分析(?)
    Bニューディールについての分析(?)
    Cファシズムについての分析(?)  −−−−以上資料は未定

第4回−再確立された世界永久革命論の確認と検討

(資料)・資本主義の死の苦悶と第四インターナショナル−過渡的綱領(1938.9)
    ・アメリカにおける労働党の諸問題(1938.4 〜9)
    ・世界情勢と展望(1940.2)
    ・帝国主義戦争とプロレタリア革命に関する宣言(1940.5)

第5回−帝国主義の新しい構造と革命論の再構築をめざすトロツキーの作業の検討

(資料)@世界永久革命論の基礎となる問題をマルクス主義理論として整理したもの
     ・今日の共産党宣言(1937.10)
     ・現代のマルクス主義(1939.4)
    A帝国主義論の新たな発展の萌芽を示すもの
     ・帝国主義の衰退期における労働組合(遺稿)

第6回−まとめ:レーニンの帝国主義論の理論的構造の確認と再検討

 ※レーニンの帝国主義論の構造の確認を行い、その理論的前提などを再検討することを通じて、戦後の急成長をとげた資本主義を分析せる理論的前提を獲得することをめざす。
(資料)・資本主義の最高の段階としての帝国主義

第2期:第二次世界大戦後の第四インターナショナルの革命戦略の歴史的総括
         〜3回大会から再統一7回大会・8回大会まで〜

 3回大会で確定した革命戦略は、戦後の植民地革命の発展と新たな労働者国家の成立や帝国主義諸国での労働者運動の高揚は資本主義の危機を加速し、やがてそれは第3次世界大戦を引き起こし、革命的危機の情勢へといたるというものであった。
 しかし、この展望が完全に事実によって裏切られたことにより、第四インターナショナル内部にこの情勢の評価と今後の世界革命の戦略をめぐって激しい論争がおこり(パブロ・キャノン論争)、これはやがてインターナショナルの分裂へと帰結した。この論争は、一つは新たに成立した労働者国家の性格を巡る論争であり、他の一つは、世界革命の迂回の中で、今後の世界革命の戦略をどのように立てるかをめぐる論争であった。
 しかしこの後、1963年に再統一大会が開催され、「3セクター論」と呼ばれる革命戦略が確定したものの、それは論争の深化の結果ではなく妥協の産物ではなかったのか。
 3回大会の展望がなぜ実現しなかったのか。そしてパブロ・キャノン論争とはいったいなんであり、そこで充分に展開されなかった課題とはなんであったのか。さらに、再統一大会で確定された世界革命論はどのような性格であり、その限界はどのあたりにあったのか。以上の問題をその背後にある資本主義分析の問題とあわせて検討する。

第1回−戦後の第四インターナショナルの歴史過程の整理と、戦後の革命戦略とトロツキーの革命戦略との関係の検討 

(資料)・トロッキズムの史的展開
    ・戦後のアメリカSWPの大会(2回大会?)テーゼ(?)

第2回−3回大会路線の検討とその破産後のパブロ派の路線の確認と検討

(資料)@3回大会路線について
     ・われわれはどこへ行くか?(パブロ)−英文資料から訳出−
     ・3回大会テーゼ(1951.8)
       「方針と展望」と「国際情勢−帝国主義戦争に対する闘争の任務」
     ・きたるべき対決(バプロ)
    Aパブロ派の路線について
     ・4回大会テーゼ(1954.7)
       「世界情勢とインターナショナルの任務」(?)
       「スターリニズムの台頭と衰退」
     ・5回大会テーゼ(1957.10)
       「国際経済・政治の展望」(?)
       「第二次世界戦争以後の植民地革命」(?)
       「スターリニズムの衰退と没落」

第3回−パブロ・キャノン論争の性格と残された課題の検討

(資料)@キャノン派のパブロ派に対する批判
     ・パブロ修正主義批判(キャノン)
     ・パブロ主義批判(ハンセン)
     ・パブロ修正主義批判(ペン)
    Aパブロ派のキャノン派に対する批判
     ・4回大会テーゼ「現実の大衆運動への我々の参加」
     ・加入戦術の新しい段階を前に(ジェルマン)
     ・6回大会テーゼ(1961.1)
       「世界情勢と第4インターナショナルの任務」(ジェルマン)(?)
       「世界経済の傾向と展望」(ジェルマン)(?)
       「植民地革命の総括・問題・展望」
    Bその他この論争についてのSWPの資料集−英文より訳出

第4回−第四インターナショナル再統一大会路線の確認と検討

(資料)・7回大会テーゼ
      「今日の世界革命の力学」(ジェルマン)
    ・8回大会テーゼ
      「西ヨーロッパにおける資本主義の発展と革命的マルクス主義者の任務」(?)

第5回−日本支部・70年代同盟の革命戦略の総括

 ※日本支部の革命戦略である「極東解放革命」は、以上の戦後の第四インターナショナルの路線論争の流れの中ではどのような系譜に属するものなのか。支部の結成の当初にまで遡り、この革命戦略を再検討する。
(資料)−−−未定−−−

第3期:エルネスト・マンデルの資本主義分析と革命戦略の総括 

 インターナショナル内の論争と分裂、そして再統一の過程で、国際書記局の中核を担うこととなったマンデルは、63年の再統一以後、ヨーロッパにおける大衆闘争の発展を背景としつつ、革命戦略の再構築に向かった。
 マンデルの問題意識は、戦後の急速な資本主義の発展を背景とした、「資本主義は永久に恐慌を克服し、安定した発展を続ける」というブルジョワ経済学者の論に反論を試み、戦後の資本主義の急成長の内実とその構造を探ることで、資本主義は資本主義であるかぎり、成長と停滞と衰退のサイクルを繰り返さずにはいないことと、次の停滞と衰退のサイクルの到来を予測し、革命勢力をその危機の時代に備えて鍛えていく戦略を再構築することにあった。そしてその資本主義分析に基づき、戦後の資本主義の急成長の過程が終息にむかいつつあることを指摘し(1965年)、そしてそれはやがて西ヨーロッパにおける労働者の闘いの高揚を迎えることを指摘した。
 マンデルの予測どおりに、資本主義の後退は始まり、そしてそのサイクルの開始は、東欧労働者国家圏における民主化の闘いの高揚と、植民地における解放闘争の闘いの高揚とでもってつげられ、同時に68年のパリの5月革命という形でヨーロッパの労働者の闘いの高揚と結びつき、それはポルトガル・スペインにおける民主化という形で、帝国主義本国における革命へと登り詰めるかのような様相を呈した。
 この状況の中で、統一書記局は、高揚しつつある急進的な運動に合流し、西ヨーロッパにおける労働者の闘い・東欧の民主化の闘い・植民地の解放闘争を結合しつつ、西ヨーロッパにおける社会主義革命へと向かう戦略を提起した。
 しかし資本主義の後退もマンデルの予測のようには急激なものではなく、西ヨーロッパ労働者の闘いと東欧の民主化闘争、そして植民地解放の闘いは相互に結びつかないまま、終息を迎えた。
 このマンデルの戦後資本主義の分析とそれに基づいた革命戦略には、どのような問題がはらまれていたのか。そしていかなる可能性と限界とを持っていたのか。この点を、マンデルの諸論文をもととして分析・再検討する。

〔検討の進め方と資料〕  −−−−−未定−−−−−−
 ※資料としては:マンデルの60年代〜70年代半ばまでの資本主義分析と戦略に関する論文や著作をもとに、検討を進めたい。
     ・「現代の理論」に訳出された諸論文。
     ・「第四インターナショナル」に訳出された諸論文。
     ・国際情報誌「ワールド・アウトルック」(1963〜68年)
           「インターコンチネンタルプレス」(68年〜)
      などに掲載された論文(英文−を訳出する)
     ・「後期資本主義」などの翻訳された著作

(すなが けんぞう)


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