第3期 戦前戦後を貫く「日本的雇用システム」の解明・総括 第二回


 

●「1940年体制」の戦後体制の連続性・高度経済成長への寄与

                             2014.222

須長 

 

第5章:終戦時における連続性−戦後改革とその評価

第6章:高度経済成長と40年体制(1)−企業と金融

第7章:高度経済成長と40年体制(2)−摩擦調整

第8章:40年体制の基本理念

第9章:変化した環境・変わらぬ体制

 

1)      終戦時における連続性―戦後改革とその評価

 

・戦後改革(略)

・なぜ40年体制が生き残ったか

 ●生き残った官僚体制

  官僚制度、とりわけ経済官庁の機構は、占領軍による「大改革」にもかかわらずほぼ無傷のままで生き残った(p76)。

 −消滅したのは軍部だけ。内務省以外の官庁はほとんどそのまま残り、人事の年次序列すら戦前からの完全な連続性が維持された。

 −公職追放総数21万人のうち軍以外の官僚はわずか2000人前後。

 −地方自治がうたわれたにもかかわらず、財源は依然として国に集中されたまま。

 ●明確でなかった占領軍の改革方針

  日本の経済システムを根底から変革する意図はもともと占領軍にはなかった。占領の目的は武装解除、潜在的戦争能力の除去。(p78)

 −旧制度の大部分を温存することすら決して彼らの当初からの占領政策と矛盾したことではなかった(p78)。

 ●的外れだった占領軍の官僚制度改革

 −アメリカ側が日本の官僚制度に関する十分な知識をもっていなかったため、問題の本質を把握できなかった。占領軍は他の政治権力(=軍や警察)の主体については計画を持っていたが、官僚制の処遇や処置については皆目見当がつかないありさまであった(GHQ世論社会科学部長ハーバート・パッシンの分析。P81・82)。

 −フーバー使節団勧告(業績評価・科学的職階制・給与体系・勤務評価・独立した人事機関の設置など)はアメリカで猟官制の弊害を除去するための歴史的措置であって、日本の官僚制には無関係。

 −日本の官僚組織は、生き残りのために巧妙に立ち回った。内務省が解体されたのも、その対応が不適切で、内部に英語が堪能な者もおらず(占領軍とコンタクトがとれず)内部も不統一で、土木局(これが建設省となる)は内務省からの独立を画策していた(内務省文書課長荻田保談・P83・84)。

 ●実現しなかった金融改革

  占領軍は長期信用銀行を廃止し、長期資金の供給システムを間接金融から市場メカニズムが働く債券市場中心のシステムに変更する計画を持っていたが、まったくこの案は実現せず。

 −この理由は、経済問題に対する占領軍司令部の無理解にあった。戦時体制を通じて資産家階級は崩壊し、戦後の急速なインフレの中で金融資産は急速に減価。このような条件下では直接金融による長期資金の供給は無理(P85)。

 ●冷戦勃発による逆コース

 −この過程で重要なのは、金融機関が「集中排除法」の適用を免れたこと。帝国銀行が分割されただけで、五大財閥銀行は行名が変更されただけ。

 

2)      高度経済成長と40年体制(1)−企業と金融

 

―戦後の日本経済の発展は、平和国家への転換による軍事費負担からの開放、そして、農地改革・財閥解体・労働立法などの経済民主化政策によるところが多い、と通説は言う。確かにこの影響は無視できないが、基本的には1940年体制がはるかに大きな役割を果たしている。

 

 ●成長のエンジンとなった「日本型企業」

 

 「日本型企業」の特徴

 1:終身雇用と年功序列賃金を軸にした「日本型」の雇用慣行。

 2:企業別の労働組合。

  −属人給と企業別労働組合のため経済の構造変化や技術革新によって特定の仕事が不要になっても、企業内での職種転換による柔軟な対応が可能。

 3:資本と経営の分離が進み、株主代表としての社外取締役がほとんどいない。

  −企業経営陣はほとんど内部出身者。従業員は滅私奉公で企業に忠誠をつくすことで、企業の中で昇進し、経営陣に参画できる。⇒従業員のモラルを高めやる気を高める

  −企業(大企業)は従業員にさまざまな福利厚生サービスを提供。従って日本の企業は「共同体」となっている。

 

―このため労働者が自由に転職することは不可能となり、労働者が企業に閉じ込められた。

 

 ●金融統制による資源配分

 

 間接金融方式での資金供給

 −高度成長は、高い貯蓄率にささえられた豊富な貯蓄が存在しそれた次々と投資されていく過程。豊富な資金を金融統制によって基幹産業と輸出産業に資金を重点的に配分した。

 

 金融統制の実態

 1:人為的低金利政策(金利規制と店舗規制)

 −中小金融機関は店舗面で優遇されて資金を豊富に集めたが、低金利政策によって一定以上のリスクをもつ中小企業や個人に貸し出せない。そして営業基盤が地域に限定されているため大企業を顧客に持てない。このためだぶついた資金が銀行間市場を通じて都市銀行(旧財閥系銀行・企業グループという形で基幹産業と太いパイプをもつ)に流れた⇒資金は基幹産業へ

 2:「金融鎖国」(「外国為替管理法」の施行)による資金の国際的流れをシャットアウト

 −資本の海外への逃避を不可能とし、海外での資金調達を困難にする

 

 こうして高い貯蓄率による豊富な資金が、基幹産業と輸出産業に重点的に流れ高度経済成長を可能とした。

 ※金融鎖国体制がなければ、国際水準から乖離した低金利政策を長期にわたって続けられない。自由化が早期になされていたら資本の海外逃避がおこり、貯蓄が国内資本の蓄積に向かわなかった。

 ※国内金融が完全な自由市場メカニズムで動いていれば、資本が絶対的に少なく労働が過剰であった戦後日本では、資本は労働集約産業に集中し、重化学工業化は容易にはすすまなかった。

 

 産業政策の実態

  50年代前半までは通産省によって外貨割り当てが行われ企業に大きな影響を与えたが、それ以後経済成長をけん引したのは民間企業。高度経済成長期の官僚の役割は、後ろ向きの調整であった(7章参照)。

 

 財政の実態とその推移

 

1:戦後復興期:積極的な財政関与

 財政を通じて巨額の資金が産業に供給されたことが復興の鍵。

 ・一般会計予算の約2割が産業経済費(金融機関再建補償金)[1946年度]

    ・46年秋から47年春に「傾斜生産方式」を実施し、基幹産業を再建したが、この政策の中心は、価格調整費(基礎物資について政府が定めた公定価格と生産費の差額を価格差補給金として国が補填・予算総額の約1/4 47年度予算)と復興金融金庫融資(原資は政府の出資金と債券。−政府が多額の資金を市場に供給したため⇒急激なインフレ・80%⇒国民に耐乏生活を強制し貯蓄を強制)。

2:ドッジライン成立後

・インフレの収束を目的としたドッジラインであったが、その結果緊縮予算が組まれ、財政の規模が最小限となることで、家庭の貯蓄を財政が吸収せず、金融を通じて企業の設備投資資金へと還流する流れを形成。

・財政の機能は成長分野をリードすることではなく、成長から取り残された分野に補助を与えることで、高度成長の摩擦を調整することに移行

 3:1950年代以後―財政投融資を通じた関与

 

3)      高度成長と40年体制(2)−摩擦調整

 

 高度成長をけん引したのは企業部門と金融部門。しかし成長にともなうさまざまな摩擦や格差を巧みに調整した官僚機構のぞんざいも忘れてはならない。

 

 官僚の役割―摩擦の調整

 1:業界団体を通じて様々な行政指導を行う(衰退産業でしばしばカルテル的な競争制限)

 2:農業や小規模流通業などの低生産部門に対して、参入制限・価格規制などの競争制限的施策を行い、さらに税制上の優遇措置・政策金融・財政的補助を与えた。

 

 ●高生産性セクターと低生産性セクターの格差の調整は、大都市圏の企業や都市勤労者に対する法人税や所得税を国が徴収し、これを地方に配分する形で格差調整。

 ●高度経済成長の過程で放置されたのが都市

 

※この政策の梃子となったのが、40年体制

 ・食糧管理制度を通じた消費者米価と生産者米価の差額が一般財源から補填され、農業部門への補助がなされた。

 ・税制を通じた農業や後進地域への補助金は、給与所得を中心とした源泉徴収制度を基盤としていた。

 

財政の役割―低生産性部門への補助

 ・これが可能となった原因

 1:防衛関係費の負担が軽かった

 2:社会保障制度が未整備のため、社会保障支出の負担が軽かった

 

格差の是正の実態

 1960年代の財政支出で大きな伸びを見せたのは、地方交付税交付金と道路整備事業費

 1960年代後半の財政支出で大きな伸びを見せたのは、食糧管理費と中小企業対策費

 

政治家の役割

政府の役割が格差の是正など摩擦調整になったことで、政治家の役割は、本来あるべき国家的目標選択のための指導的機能から、さまざまな集団の利害調整へと変化

 

戦後日本の土地制度

 借地権を保護したことと、農地改革を実施したこと・農地法制定で農地の転換を制限

⇒地主を消滅させ所得格差の小さい相対的に平等な社会を築いた。 

⇒借地借家の減少を生み出し、持ち家化を呼びなくした

   ⇒農地の流動化を阻害し農業の大規模化を妨げた

 

4)40年体制の基礎的理念

 

 1:生産優先主義

 2:競争否定(単一の目的のために国民が協働することを目的とし、このためにチームワークと成果の平等が重視され、競争は否定される。ここでの至上目的は脱落者を発生させないこと。⇒この仕組みが全体として社会保障システムになる)p140

 

5)変化した環境・変わらぬ体制

 

 (略)

 

 


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