第3期 戦前戦後を貫く「日本的雇用システム」の解明・総括 第一回
●「1940年体制」と日本的特殊性
2014年1月18日・於:神保町区民館
佐々木
T】1940年体制=総力戦体制の成立
・野口『1940年体制』(1995年3月刊)の目次
第1章:われらが出生の秘密/残存する戦時体制、総力戦遂行のための1940年体制連続説対不連続説
第2章:40年体制の確立(1)−企業と金融/日本型企業の形成、統制的金融制度の確立
第3章:40年体制の確立(2)−官僚制/官僚統制の導入、官僚の思想的基盤の形成直接税中心の中央集権的税制度の確立
第4章:40年体制の確立(3)−土地改革/「借地法・借家法」の強化、農地改革を準備した40年体制
*********** 以上《第1回研究会のTXT範囲》
1】戦前・戦後の連続説と「総力戦体制」
*90年代半ば、グローバリゼーションに対応する「改革」論議の展開と軌を一にして「日本的特殊性」の歴史的源泉や背景をめぐって「戦前・戦後の連続性」が指摘されはじめるのだが、そ
れを最初に指摘したのは榊原英資・野口悠紀雄の共著『大蔵省・日銀王朝の分析−総力戦経済体制の終焉』(1977年:中央公論)である。
*1990年代はソ連邦・東欧労働者国家群の崩壊を条件にして資本市場のグローバル化が急速に進展し、これと共に冷戦を前提とした戦後経済体制の再編が先進資本主義諸国の課題として認識
されるようになり、総力戦体制と戦後経済システムの連関が広く注目されるようになった時期である。
⇒『総力戦と現代化』(柏書房:1995年刊)などはその一例
*そして日本では1995年、日経連が「新時代の『日本的経営』」を提唱したのを契機に、戦後労使慣行の清算を手始めとした「1940年体制」の解体・再編がはじまった。
この過程で野口の「1940年体制」の分析と批判は、新自由主義的再編を推進する有力な理論として(野口が新自由主義者か否かにかかわらず)使われることになる。
*野口が『1940年体制』で焦点化した「連続性」は、
a)日本型の企業構造=「株主の権利が制約」され、「企業内労組がほとんどを占め」、下請け」が制度化されている構造
b)金融システム=「軍需会社指定金融機関制度」(44)に端を発するメインバンク制と、間接金融が直接金融を圧倒している金融構造
c)官僚制=「企業は利潤を追求するのではなく、国家目的のために生産性を上げるべき」とする「革新官僚」の登場と、官僚による産業介入と経済統制
d)財政制度・税制=間接税から直接税へ(源泉徴収制度の導入、法人税の新設)、地方財源税の中央集権化など
e)土地制度=借地法・借家法の改正による「地主の権利の制限」など
の5点である。
*1940年前後に総力戦体制の確立を目的として導入された経済統制が、戦後日本の高度経済成長を実現する「効果的システム」として機能した問題は次回研究会(野口の5章〜9章)のテーマだが、総力戦体制を構築する統制経済という手法は、当時「国家社会主義」と呼ばれた「国家(至上)主義=国家官僚機構への権力の集中」という基本的性格
⇒1938年の「国家総動員法」はナチス・ドイツの「授権法」(1933年)の日本版と言われた。
2】1940年体制と「それ以前」との断絶
*「・・1940年頃の時点に注目すれば、むしろそれ以前との不連続が重要である」【17頁】
*明治以来の日本の近代化(資本主義化)は、戦後日本との比較では分権的で自由主義的資本主義として展開してきたが、第一次世界大戦を通じて現実的な課題となった「総力戦体制」の構
築のためには、中央集権の強化(=分権の清算)、経済統制の強化(=産業の官僚統制)、そして「企業は利潤を追求するのではなく、国家目的のために生産性を上げるべき」といった「新しい
企業理念」を必要とした。
*新官僚(内務省系)、革新官僚(経済官僚)の台頭は、こうした総力戦体制構築の必要が生み出した思想運動の帰結であり、「マルクス主義の剽窃」である国家社会主義=国家行政機構へ
の権力の集中を押し進めて「国家の死滅」とは正反対の国家(至上)主義へと収斂されるに至った。
⇒もっとも強権的に国有化を推進したソ連邦の体制もまた、「国家の死滅」とは正反対の《国家官僚機構の肥大化と強化》へと帰結した。
U】「40年体制」を特徴づける制度の検証
1)企業構造=「従業員の共同利益のための組織」【8頁】
*賃金統制の「例外」として「従業員全員を対象にして一斉に昇給させる場合」
→春闘のベースアップ方式に引き継がれ、労使の協調体制の基礎を形成することになるが、それが「従業員の共同利益のための組織」と言えるか?
*株主の権利の制限=「株主には個定率の適正配当を保障し、残りは経営者・従業員への報酬と社内福利施設に分配するという仕組み」【29頁】
→「民有国営なる国家管理の新方式」(電力国家管理法案)へと受け継がれていくこうした思想は、私有財産制度を基本的に認めつつも、それの孕む矛盾を「万能の国家(官僚機構)」が統制する必要を正当化する
2)統制的金融制度の確立【31頁〜
*株主の権利の制限による株式市場の低迷=直接金融から間接金融への転換
「会社利益配当及資金融通令」(1939年)による「命令融資」制度、その中核であった日本興業銀行を中心とする「時局共同融資団」=メインバンク制の始まりこの延長上に「軍需会社指定
金融機関制度」(1944年)の制定。金融統制会では各銀行が個別に行っていた融資が「幹事銀行」に集中された
3)事業法の制定(42頁)と官僚の思想的基盤の形成
*「新官僚」と「革新官僚」の台頭【46−47頁】
*「企画院事件」【52頁】に象徴される革新官僚たちの国家社会主義への傾倒
→革新官僚の基本的思想は、前述のように「企業は利潤を追求するのではなく、国家目的のために生産性を上げるべき」というものだったが、それが、当時としては最先端の理論であ
った「所有と経営の分離」に基づいて展開された。
「財界の営利主義」を非難しつつも、私有権を侵害せずに生産を国家管理下に置く「民有国営なる国家管理の新方式」が「電力国家管理法案」(1937年広田内閣:不成立)で提唱される。【46〜50頁】
4)税制構造の転換と財政の中央集権化
・税源を広く低所得層に求める世界初の「源泉徴収」の導入
・法人税(直接税)の制定による外形標準課税(間接税)からの転換
*同時に遂行された地方税制の転換=「地方税制調整交付金制度」
・「国税を地方に交付し、地方団体間の財政力の調整と財源の保障を図る・・・」
→「・・・『軍・ファシズムの疑似革命』と呼ぶかどうかは別として、極めて社会民主主義的な傾向の強い制度」【61頁】
*そして社会保障制度(国民健康保険法、労働者年金保険法)の導入
5)土地改革=借地法・借家法の改正と地主権利の制限
*1941年の「借地法・借家法」の改正
・改正の重点は「地主・家主の解約権の制限」にあり、その目的は「家賃統制の徹底」つまり「闇家賃と貸し惜しみを排除」し、世帯主が徴兵された後に残された留守家族が借家を追い
出される事態を防ぐ
*「臨時米穀配給統制令」(1940年)と「食糧管理法」(1942年)
・食管法による「生産者米価と地主米価の二重価格制」は、地主に払う小作料負担率を急激に低下させ、戦後「農地改革」の基礎を作った【71〜72頁】