【「優良企業」で続発した事故】

蔓延する労働現場の疲弊と好循環システム解体の危機

(インターナショナル第141号:2004年1月号掲載)


 昨年暮れの12月19日、国土交通省はJR東日本に対して鉄道事業法に基づく「業務改善命令」を下した。
 同法に基づく行政処分は過去、2度の正面衝突事故をおこした京福電鉄に対する1例しかない異例なものだが、今回の行政処分理由は昨年9月28日、中央線の三鷹−国分寺駅間で行われた大規模な線路切り替え工事でポイントや踏切安全装置の故障が相次いで10時間ちかくも列車が止まった事故と、直後の10月6日、今度は京浜東北線の大森−大井町間の工事で線路内に置き忘れた鋼鉄製ショベルに始発電車が衝突、およそ13万人の通勤客に影響のでた事故である。
 国交省は2つの連続事故を重視して10月21日から3日間にわたってJR東日本本社や関連部署9カ所で立ち入り検査を実施、この結果をうけて12月に業務改善命令書をJR東日本に交付したのである。

 このJRの事故を含めて、実は昨年9月には日本を代表する「優良企業」の現場で大規模な、しかも信じられないような事故が続発した。はじめは9月3日、鉄鋼最大手の新日本製鉄名古屋製鉄所でガスタンクが爆発して11人が死亡、つづいて8日には自動車タイヤのトップメーカー・ブリジストンの栃木工場で近隣住民5千人に非難指示が出される大火災が発生、さらにJRの事故と同じ28日には、26日の十勝沖地震でも出火したばかりの出光興産北海道製油所(苫小牧市)のナフサ貯蔵タンクで、鎮火までに44時間もかかった大火災が発生している。
 安全性や確実性に特別の配慮が必要な設備や工事で、しかも日本を代表する大手企業で大事故が続発した事態は、日本の生産現場で何かが「壊れた」ことを示唆する。事実その後の原因調査などで明らかになった事故現場の実情は、日本経済を再生する特効薬であるかのように宣伝されてきた企業のリストラや規制緩和が、安全性や確実性を担保してきた労働現場のシステムを確実に衰退させていた事実である。

▼ケーススタディー@新日鉄:リストラと労働災害の多発

 中国鉄鋼産業の急成長や自動車産業の大再編にともなう鋼材の値下げ競争など厳しい経営環境の変化があるとはいえ、新日鉄はなお有数の国際競争力をもつ日本鉄鋼業界のトップメーカーである。
 だがこうした競争力を保持するために新日鉄は、1986年に5本の高炉休止と1万9千人の人員削減を柱とする「第一次中期経営計画」を実施して以降、実に5次にわたる継続的な人員削減を実施して「過剰な」設備の廃棄と人員削減を行ってきた。結果として87年3月に6万4千人だった正規雇用労働者数は昨年03年3月末には1万4千人とほぼ6分の1にまで減少し、代わって「請負」と呼ばれる協力会社の労働者が製造現場で急増し、爆発事故が起きた名古屋製鉄所では本工と請負の比率が3対7にまでなっていた。
 こうした労働現場の大きな変化のもとで、すでに新日鉄では02年1月から昨年7月までの約1年半の間に、死亡または30日以上の休業災害の「重大事故」だけでも18件、うち3件の死亡事故が名古屋で起きていた。この労災事故多発に対して厚生労働省労働基準局は昨年5月、局長名で「鉄鋼業における労働災害防止対策の徹底」を日本鉄鋼連盟会長宛てに通知し、さらに7月には同じく鉄連会長宛てに労働基準局安全衛生部長名の「緊急安全点検実施要請」が出されたのである。
 労働現場では「非常事態」がつづいていたのだが、その背景には作業マニュアルの不備や経験の浅い「請負」労働者に1人で作業をさせるなど、安全を無視あるいは軽視する現場の実態があった。
 例えば昨年7月18日、名古屋製鉄所で18歳の協力会社社員が死亡した事故では、「待機位置への移動操作手順が不明確」(協力会社による「災害調査報告書」)というマニュアルの不備が指摘されたが、それ以上に関係者を驚かせたのは、現場経験がわずか2カ月の若い労働者にたった1人で危険な作業をさせていたことであった。

▼ケーススタディーA出光興産:「経営改革」と規制緩和

 北海道製油所火災直後の10月1日、出光興産の天坊社長が「責任問題には自分も含まれる」と記者会見で発言、すわ辞意の表明かとちょっとした騒ぎになった。というのも天坊社長は、同族会社・出光で一族以外から25年ぶりに二人目の社長に就任した人物で、3年間で4500億円の有利子負債を削減するなど中期経営計画の前倒し達成にむけた財務改善で手腕を発揮し、出光の「経営改革」の期待を一身に担っていたからである。
 だが北海道製油所では2001年の2月と12月、2002年4月、そして今回の2回と3年間で計5回の火災が発生していたのだから防災面の不備は明白だし、今回の火災でも消防への報告漏れなど重大な対応ミスもあった。今回の火災の本質的原因ははっきりとはしないが、設備の老朽化あるいは安全設備投資の抑制が一因となった可能性は否定できない。とすれば天坊社長の財務改善の手腕は、安全性の犠牲の上に発揮されたのではないかとの疑念を拭いきれないことになる。
 だが石油業界の安全確保に関しては、もっと注目すべき要因がある。それは7年前の高圧ガス保安法の改訂である。

 昨年11月21日、合成ゴム業界の大手・日本ゼオンが、経済産業省から「認定完成検査実施者と保安検査実施者の認定取り消し」の行政処分を受けた。同社はエンジン回りのゴム部品など特殊ゴムでは世界のトップメーカーであり、カメラ付き携帯電話のレンズでは9割のシェア(市場占有率)を誇る文字通りの「優良企業」である。
 ところが昨年同様の処分を受けた石油化学企業は4社6事業所もある。行政処分乱発の背景には、石油化学業界に蔓延する安全規定に関する違法行為があったのだ。
 7年前の1996年、改訂された高圧ガス保安法は、高圧ガス設備を備える工場の防災規定を緩和する「認定完成検査実施者と保安検査実施者」を盛り込んだが、それは大臣の認定を受けた事業者が設備を「自主点検」し、その結果を都道府県知事に報告するだけで良しとするものだった。
 ところが昨年、この自主検査と並行して国が立ち入り検査を実施すると、最初に検査をした総合化学大手・東ソー四日市事業所でいきなり虚偽報告が見つかったのである。これが認定取り消し処分第1号になったのだが、それ以上に驚かされたのは、石油化学メーカー各社が立ち入り検査前に次々と「自首」する事態になったことである。東ソー処分から2カ月後の8月4日には新日本石油が製油所の検査不備を公表し、その4日後には三井化学が手抜き検査の実態を公表、さらに新日石は97年から虚偽報告があったことを追加公表したのである。新日石は法改訂の初年度からウソをついてきたと「自白」したのだ。
 ついでながら11月に処分を受けた日本ゼオンに至っては、今回の処分理由となった事実=検査の虚偽報告を9月5日に経産省に報告しておきながら、これを公表しないまま同24日に業績の上方修正を発表するという、違法行為に対する自覚も反省もない対応ぶりであった。
 「優良企業」のモラルが地に落ちたと嘆く以上に、営利目的の民営企業が規制緩和によってどんな誘惑に駆られるのかを改めて確認するべきなのである。
 こうした石油化学業界の違法行為の蔓延と出光北海道製油所の火災を直截には結びつけられないが、「勝ち組」と「負け組」に選別される競争が激化し、それと共に社会的に必要な規制もが次々と撤廃された90年代全般の雰囲気が、出光製油所の傲慢や手抜きを助長しても不思議はない。それはグローバリゼーションと称して「外国産和牛」を流通させる食肉大手企業に「対抗」して返品された牛乳を「再使用」し、結局は墓穴を掘った雪印乳業の傲慢と破綻に重なる製造現場の疲弊と退廃に共通する構図である。

▼ケーススタディーBJR東日本:官業民営化後の無責任体制

 冒頭のJR東日本の事故も、規制緩和に乗じた安全性の軽視、その上に強行される経営改革など、続発した大規模事故と同根の問題をはらんでいる。しかもJRの場合は、官業時代に常態化していた官僚的無責任体制が加わっている。
 JR東日本は2001年10月、「信号技術者資格認定制度」を導入して装置やシステム作動試験の外注化に道を開いたが、それは同年4月、5年間で1万人の人員を削減する中期経営構想「ニューフロンティア21」(=NF21)の始動と連動していた。具体的にはNF21初年度の01年に設備部門で3千人を削減する一方、保線や信号通信などの協力会社(下請け)に2千人近い要員を出向させたことに端的に示されるように、信号分野の試験業務の外注化と中期経営構想のリストラは完全にオーバーラップしていたのである。
 しかも保線や信号という安全上の最重要分野を外注化する業務システムの大再編を実行しておきながら、官業時代から継承された現場に仕事を丸投げする官僚的無責任体制はそのまま温存され、外注業務の管理体制は事実上何の変更も行われはしなかった。
 9月28日の中央線工事にともなう大混乱を例にとれば、繰り返されたJRと下請け企業の会合や打ち合わせは全く形骸化し、事前に終了していなければならない各種試験は次々と先送りされ、ついには工事当日にまで事前試験がずれ込んだ事態を知りながら大規模工事を強行する羽目に陥った。その結果が、事前試験をしていれば発見されたであろう配線図の間違いや配線作業の初歩的なミスが次々と重なり、現場がパニック状態に陥って混乱が助長されたのである。
 かつて国鉄では、ストライキ後の運転再開さえ労働組合(主要に国労)が主導的役割を果たしていた。現場の状況を正確に掌握して要員(組合員)の手配を行い、妥結と同時に点検作業がはじまり運行が再開されたのだが、それは企業内的だったとは言え「公共交通」を担う労働者として育まれた職業的誇りが、当局の無能と無責任をカバーする労働者の自発性として発揮されたからこそ可能だったのである。だが国鉄が民営化されて公共よりも営利が至上目的になれば、官僚的丸投げによる作業上の不備を誰が自発的にカバーするだろうか。業務上の過失責任は本来命令権者にあるのだし、業務上の懸念を公言して下手な責任を押し付けられるのを好む労働者が居るはずもない。かつての国労のように、そうした職人的仕事ぶりを擁護する仲間も機能も失われた今日ではなおさらである。
 しかも鉄道のような、あるいは鉄鋼や石油化学の生産現場も同様だが、巨大な生産設備の細部と相互関連を正確に把握して刻々と変化する現場の必要に対応することは、この労働者の自発性に依拠することなしには十分に機能するはずもないのだ。

▼現場の疲弊と増産の負荷―好循環が断ち切られる危機

 一連の大規模事故が明らかにしたのは、規制緩和や経営改革と称するリストラのとめどない進行が、安全の確保に必要な人員や設備の更新を犠牲にしてきた事実である。
 さらにこれに2つの要因が重なった。ひとつは新日鉄に典型的だが、昨年春以来の中国向け輸出の急増がリストラでギリギリにまで絞り込まれた現場に増産の負荷としてのしかかったことである。いずれにしろ中国とアメリカの好景気に依存して輸出主導で景気回復を図ろうとする日本企業にとって、こうした増産の負荷は鉄鋼産業だけの例外にとどまることはないだろう。
 そしてもうひとつの要因は、いわゆるベテラン作業員の高齢化と、それが大量に定年退職を迎え始めていることである。
 ケーススタディーでは省略したブリジストン工場の火災でも、火災後の全国一斉防災点検の結果「防火シャッターの開閉で問題がなかったのは東京工場だけ」という、防災に対する恐るべき無頓着な実態があったが、それ以上に問題視されるべきなのは、60〜70年代に国内工場を急増した結果として50歳代の労働者の比率が高く、これに対応した軽労働化投資が逆に機械や安全装置を複雑化し「かえってややこしくなった」と嘆く現場の声があることだろう。
 また新日鉄の場合は60年代に大量採用された労働者が一斉に退職を迎え、「われわれが辞めたら後がおらんと言われるほど、要員に対する不安を抱えている」(『週刊東洋経済』03年9月20日号)状況があり、その上に「リストラのやりすぎで予備の要員がいないため、ルール無視になる」(同前)現実が重なって安全への不安を高める。
 それは自らの安全のために現場で引き継がれてきた労働者の「知恵と経験的教訓」が途絶える一方で、最大利潤を追求する無理な増産負荷のもとで経験の浅い下請けの労働者に無謀な一人作業が強いられたり、労働現場の現実を顧みない無責任な作業の丸投げが横行する、生産現場の危機的状況を予測させる事態である。

 だがことは安全問題だけではない。ここで詳細を述べる余裕はないが、規制緩和や民営化の拡大で無責任な外注化や「自主点検」が横行して事故と災害が増加すれば、それは結果として生産性の低下と企業業績の悪化を招くことになる。新日鉄は自動車用鋼材の値上げ交渉の好機を逃すはめに陥り、石油業界の点検コストの上昇は避けがたいし、出光は業績予測の下方修正を余儀なくされよう。それでもなお企業が高い利潤率を確保しようとすれば、労働分配率をさらに継続的に低下させる以外にはなくなるだろう。
 だが生産性低下にともなう労働分配率の抑制は、高い労働生産性が担保する高賃金とそれが可能にした労働者大衆の大量消費に大きく依存する戦後資本主義の好循環を自ら断ち切る可能性すらはらんでおり、さらには需要不足(それは過剰生産でもあるが)によるデフレーションの進行という日本経済の悪循環を持続させる圧力となる。
 昨年9月に連続した大規模事故は、90年代以降の産業再編とリストラの横行が生産現場にもたらす労働災害の危険とともに、戦後資本主義の好循環システムそのものが解体の危機に直面しつつある可能性すら印象づけることになった。

(1/16:ふじき・れい)


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