べてる祭りin八王子
                
精神障害を笑って話す集い

患者を苦しめない医療の王道

(インターナショナル130号:2002年11月号掲載)


          笑いと 拍手と 笑顔と

 「どなたか、べてるのメンバーに聞きたいことはありますか」。
 司会者の問いに真っ先に手を挙げた一人の男性が、舞台にあがった。「あの・・・・僕はいま、えーと作業所に通ってるんですが、そのー、近所の八百屋のお兄さんにいつも『今日も仕事かい?』って聞かれるんだけど・・・・そんなこと聞かなくていいじゃない。・・病気のこととか、作業所に行ってることとか・・・・話したくないし・・・・」。
 とぎれとぎれのぎこちない話ぶりは、彼が精神分裂病(統合失調症)という病気と闘いながら、懸命に悩みを打ち明けようとしているからだ。ところが彼の話を聞いている150人ほどの集会参加者の顔には、困惑や同情の表情がまったくない。むしろ大半は、温かい笑顔で彼の話に聞き入っている。
 「山本さんはどう思う?」と、司会者に促されて答える壇上の回答者たちも、実は北海道浦河市からやってきたれっきとした精神病の患者たちである。浦河「べてるの家」は共同住居、作業所、福祉ショップなどを擁する精神障害者たちの活動拠点だ。
 「病気で、体調が悪くって、作業所に行ってますって言えばいいと思います。病気って精神病ってかぎらないじゃない」。「おっ、うまい言い方だね」。司会者がまぜっかえすように応じると、会場には笑いがこぼれる。「僕は、お兄さんを呼んじゃえばいいと思います。作業所に通ってるから、遊びにきて下さいって」。「伊藤君は積極的カミングアウト。ついでに営業活動もしちゃうんだ」。会場が笑い声につつまれ、拍手がわく。伊藤君は壇上で、ちょっと得意そうな照れ笑いをする。質問した男性の、はじめは少し硬かった表情にも笑顔が浮かんだ。
 そんなやり取りの後で「じゃ、ここで八百屋のお兄さんと話す練習をしよう」と司会者が提案した。SST(Social Skill Training=社会技能訓練)と呼ばれるリハビリテーションだが、「べてる版」は一味ちがう。健常者を手本にした挨拶とか電話の掛け方なんてことはせずに、質問にあった八百屋のお兄さんとの想定対話が、本人のあるがままの、ぎくしゃくした言葉で2度3度と繰り返えされる。そしてとうとう質問した男性は、八百屋のお兄さんを作業所に誘う「営業活動」までこなしたのだ。会場が笑いに包まれ、大きな拍手を受けて彼は壇上から降りた。もちろんその顔には笑みがあった。
 今年11月2日に行われた「第2回 べてる祭りin八王子」の一幕である。

          ありのままに生きる

 べてる祭りに参加したのは去年がはじめてだったが、そこで文字通り、目から鱗が落ちる体験をすることになった。それは今年と同じように、会場からメンバーへの質問を募った時だった。
 地域に出ると周りの人に嫌われたり白い目で見られたりするという、よくあることだが深刻な精神障害者の悩みが語られると、「ときどき爆発する」(不安や苛立ちで暴れる分裂病の発作症状のこと)と自己紹介した下野君が、実にあっさりと答えた。
 「俺らはさ、爆発して物壊したり、大声あげて驚かせたり周りに迷惑かけてんだから、嫌われんのがあたりまえなんだよ」。これには、本当に驚いた。発想の逆転なんて生易しいもんじゃない。
 嫌われようがなんだろうが「俺たちは病気なんだ」って、ありのままに生きていけばいいじゃない。誰にも見えない幻覚は見えるし、イライラして暴れるし、でもそれが病気の自分なんだから・・・。下野君は、会場の隅の少し暗いところでやっとの思いで悩みを打ち明けた「仲間」に、そう語ったのだ。
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 「べてる」との出会いは、『精神分裂病を生きる』という10巻のビデオだった。深刻な幻聴や幻覚に悩まされる精神障害者が、仲間同士で明け透けに、ときに笑ったりキツイ冗談でまぜっ返したり、あるいは真顔で助言しながら病状や過去を語り合う姿が写しだされた。分裂病特有の、硬く緊張した表情がないから、はじめは彼らがメンバーつまり患者だと気づかないほどだった。
 下野君はその「主演男優」のひとりなのだが、ほかにも「宇宙人の侵略とひとり戦ってきたヒーロー」の本田君とか、自称「精神ばらばら状態」の早坂さんとか、魅力あふれるタレントたちが、それまでは誰にも語れずにきた病気との苦闘、絶望、孤独、とにかくありとあらゆることを赤裸々に、ぎこちなく、そして面白おかしく語りつづける。
 やがてその会話の中から、「自分だけじゃないんだ」「他にも同じ苦しさを味わった人がいるんだ」という安心感が生まれ、「病気の自分を責めなくていいんだ」「弱くてダメな自分を見せていいんだ」と思えるようになったと、彼ら自身が語り出す。
 あーそうなんだ。「早く病気を治して社会復帰しようね」という、周囲の人々の「善意の励まし」ってやつが精神障害者をこんなにも苦しめ、病気を「治そうと頑張る」ように追い詰めていたんだ。これも、ちょっとしたカルチャーショックだった。
 だから下野君は、頑張って地域に出ようなんて言わない、病気だって治そうなんて頑張らない、その病気と向き合い付き合い、自分の人生をそのままで生きる、それが楽だよって曲をつくり、歌うんだと思った。

うつむいても 落ち込んでも いいことは何もないのさ

君がバカに なればいいんだよ 壁に向かい 笑い飛ばして

こわがること 何もないのに 一人で勝手に 震えていたよ

もうぼくは 一人じゃないし みんなが傍らに 傍らにいるよ

(作詞・作曲:下野勉『病み上がり』より)

          「差別偏見大歓迎」の集い

 「治ろうとしない患者」を自認する「べてる」のメンバーたちは、暴れようが大騒ぎしよが、「順調に病気がでているね」と褒めてくれる、これまた自称「治そうとしない」川村先生やソーシャルワーカー(SW)の向谷地さんらスタッフに励まされながら、いまも浦河の町で問題を起こし、パトカーや消防車を出動させているらしい。それでも物を壊したりすればみんなで一緒に謝りに行くし、幻覚で騒ぐ仲間がいれば、みんな真顔で相談にのり一緒に病院まで付き添っていく。
 事件や問題があればこそ、仲間が、そしてとうとう地域の人びとまでが、どう対処するかを一緒に考えるようになった。
 こうしていまでは、年間千人を超す見学者が訪れ、事業の年商は1億円を超え、共同住居も12棟にまでなった「べてるの家」も、はじめから順調だったわけではない。そこには長く苦しい時代があり、その苦しい経験の中でこそ「鍛えられた精神障害者」とノウハウが生まれ、蓄積されてきた。
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 今年4月、みすず書房から出版された斎藤道雄さんの書いた『悩む力』は、講談社ノンフィクション賞を受賞した「べてる」のドキュメントである。吹き出さずにはいられないドタバタ劇と、涙で字がぼやけて読みすすめない感動劇がおりなす「べてる」物語りは、おすすめの一冊だ。
 ところでこの本には、幾度かの「べてる」の転機となった事件が収められているが、中でも「べてる」のユニークさを地域に、そして全国にアピールすることになった「こころの集い」の開催と『べてるの家の本−和解の時代(とき)』の出版が印象的だ。
 「本」の発行は92年4月とあるが、「こころの集い」の開催日は記されていない。ただ本の出版を呼びかける「集い」だったようだから、91年下半期だろうか。
 しかし何よりすごいのは、集いのサブタイトルが「偏見差別大歓迎集会−決して糾弾致しません」だったことだ。そのうえ15人も集まればという主催者の思惑をこえる60人が集まった集いでは、いまでは当たり前になった、自ら病名を名乗るという「べてるスタイル」が初めて実践され、それがもうひとつのすごいことを引き起こした。
 「べてるのメンバーが次々自己紹介していくんですね、自分は精神病のだれだれです、患者ですって。それで赤尾さんという人の番になって『アルコール中毒の赤尾です』って自己紹介したんです。ところが次に立った町の人が、なんて自己紹介すればいいかわからないんですね。ことばにつまっちゃって」という、SW向谷地さんの鮮やかな記憶を紹介して斎藤さんは書く。
 「つぎつぎ立ち上がって病気を名乗るべてるの人びとの前に、自分にはなにもないという、町民たちのとまどい。/会場は大笑いだった」と。
 この打ち解けた雰囲気の中ではじまった交流会では、メンバーが「ときどき、おかしくなりますのでよろしくお願いします」などと明け透けに病気を語れば、町の人も「内心どきどき」とか、さまざまに心配してきたことを率直に披露し、ついには彼らと実際に会って「自分が素直になっていく」などという言葉が聞かれるようになったという。
 斎藤さんは「かねて精神障害ということについておたがいに隠しもっていた思いをつぎつぎと爽快にさらけ出し、『こころの集い』は笑いと歓声につつまれる感動的な集まりとなった」とこの物語りを結ぶ。
 「こころの集い」が、「べてる」の活動の浦河町での転機だったとすれば、92年4月に発行された『べてるの家の本−和解の時代』は、出版社も代理店もなしに口コミだけで1万3千部以上が売れたように、全国に「べてる」のユニークな精神障害者の活動をアピールする転機だった。

          そのままで、そのままで

 本の出版に奔走した経営コンサルタントの清水さんが、浦河町のパソコン講座で「べてる」の人びとと知り合った小山さんから、SWの向谷地さんのエッセー集とでもいうべきプリントを見せられ、本にしようという「妄想」にとりつかれた状況を、斎藤さんは次のように書いている。
 「そこに書かれているのは、『底の底から光を見出し、魂の安らぎを得ている』人々の姿にほかならなかった。そのようなべてるの家と出会うことによって、人は『真の自己を回復する』ことができるだろう。これは、宝の山にちがいない」。
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 あえて言えば、べてるの家で行われている精神障害者の自活と事業活動は、福祉や医療の範疇でかたられる「社会復帰訓練」や「リハビリテーション」の考え方を、根本的にひっくりかえしてしまっている。
 治ろうとしない患者とか、治そうとしない医者という言い方もだが、病気を治すために頑張らなくていいよ、そのままでいいよ、自分の弱さもダメさかげんもぜーぶさらけ出して、働けないならそれでもいい、「順調に病気がでてるんだから」、その分他の仲間が働けるからいいじゃない等々きりがない。とにかくことごとく違う、いや既成の治療やリハビリの概念とは正反対なのだ。
 でも精神障害の治療や社会復帰訓練の既成概念は、健常者を基準にして、あれとこれはきちんとできて、あれとこれは絶対にしてはダメでと、健常者の型枠にむりやり彼らをはめ込むことだったのではないだろうか。あれができないからダメ、これをしたからダメでは、精神障害者は「自分はダメなヤツ」だと自らを責め、「ダメな人間」だと思い込む分だけ苦しむだけだろう。それができないし、してはいけないこと抑制できない病気に罹っているのに・・・・。
 こうして、不可解な人を排除し閉じ込めることで安心を得ようとする文化や慣習と、これを土台にした福祉や医療は、「精神障害を克服する」たたかいに敗北しつづけてきたのだと、わたしには思える。
 だからこそべてるの家は、いろんな人に妄想をいだかせる魅力があるのだろう。そのままの彼らと出会って「自分も素直になる」体験は、たしかに魔力がある。ビートルズの名曲「レット・イット・ビー」がフット思い出された。
LET IT BE・・・・LET IT BE・・・・  そのままで・・ そのままで・・

(いつき・かおる)

べてるの家(本家)のHP http://www.tokeidai.co.jp/beterunoie


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