郵政全労協の民営化批判パンフレット

社会的有用性のある郵政事業へ

(インターナショナルNo128:2002年8-9月掲載)


 今の「官営」はダメ。「民営」はもっともっとダメ。で、庶民のための真の「公共性」をめざそう。労働者と利用者=地域住民の手に郵政事業を取り戻そう。自己決定と大衆自治とを拡大しよう。それは、病む資本主義の矛盾への薮医者になることではなく、最低限のセーフティーネットをも破壊する病む資本主義との、生存権・生活権をかけた激しい闘いも意味しているだろう。
 といったようなことを書こうと思って、参考に本誌「インターナショナル(97年10ー11月号)」の「デタラメな郵政民営化の画策」を読み返してみた。基本的な論点はほぼ提起されたとても勉強になる論文だった。さらに驚いたことには、筆者名はボク自身なのであった。「書いた本人が忘れているのだから読んだ人たちも皆忘れているだろう。この文を題名だけ変えれば原稿は出来上がり。盗作にもなりようがないし」とも考えたが、やはりボクには大胆さが欠けていた。
 しかし、大胆な人たちがこの世にはたくさんいる。郵政事業という「国民の財産」を奪い取ろうと「民営」化の旗を振る人々と、利権防衛のために現在の「官営」を死守しようとする人々だ。両者とも論理立てはメチャクチャ。嘘八百を胸張って主張する。しかも両者とも、これが「世のため人のため」と体裁だてて主張するのだった。

民も官も「もうけ主義」

 郵政民営化となれば、すべての庶民に最低限保障されねばならないはずの通信手段・貯金・保険は、利潤の論理によりないがしろにされてしまう。資本主義生成以来、世界中で流された幾多の血によって勝ち取られてきたこれら労働者人民の権利は、「ブルジョア民主主義」が「お約束」していたささやかなものでしかないのに、本来なら、「貧乏人には手厚く、金持ちには冷淡に」ともっともっと「プロレタリア民主主義」へ近付けねばならないのに、奴らは逆の方向へ舵をとろうとしている。本来なら、零細庶民のために赤字は当たり前の公共サービスでなければならないのに、「民間を圧迫する公共事業は許せない」とかヤクザまがいのイチャモンをつけて、競争主義の波に飲み込もうとする。「お約束」を守る余裕もなくなった現代資本主義世界は、新自由主義的グローバリズムへと闇雲に突き進む。郵政民営化問題は、日本一国内の視点で見るのでなく、この野蛮な弱肉強食へと向う世界資本主義の奔流との関係で捉えておく必要がある。
 他方、現在の「官営」郵政三事業は・・・昨年の高祖憲治参議院選挙違反で明らかになったように、自民党集票機能・選挙戦も含めて「郵政四事業」と官僚たちは呼んでいるが・・・真の公共性とは程遠く、官僚のための官僚による官僚の事業に成り下がっている。民営化に反対して、郵政官僚と特推連(特定局長の組織)と全逓と全郵政が郵政一家のスクラムを組んできたが、彼らは自己保身さえ出来れば後のことはどうでもよく、本質的に民営化に反対なわけではない。何年も前から「民営化なき民営化路線」が彼らによって推し進められている。
 営業尻叩き、競争主義、自爆(職員が自腹で郵政の「商品」を買う)、労働強化、無権利、サービス残業、命令と服従、職能の解体、強制配転、ノイローゼ、過労死、パートや下請けへの過重な皺寄せ等々、これらが、今の郵政職場を語るキーワードだ。
 DM(ダイレクトメール)汚職、詐欺まがいの簡易保険、庶民のためには使われない郵便貯金、7ケタ区分機導入にまつわるリベート構造と、これに強制配転も加えての誤配・遅配・損傷等、大口優遇小口皺寄せ、天下り先だけが儲けて売れば売るほど赤字になるイベント小包み等々、利用者無視の儲け主義は「公共性」を次々掘り崩している。
 ちなみに、今の郵便局には「集配課」は無い。あるのは「営業集配課」だ。
 ちなみに、本務者は書留など「お客様」と接する配達と営業をし、パート労働者等が通常配達をするという「新集配システム」が、今年試行されだした。
 ちなみに、この数年、中小局で行なわれていた、一人の職員が集配も貯金も保険も掛け持ちするという「総合担務制」は仕事が回らなくなって、今年、廃止を含む抜本的見直しとなった。
 ちなみに、郵政の持つ住民情報の郵政による違法的な営利活用がこの間発覚している。情報の豊富さは、防衛庁リストなど足元にも及ばない。住民基本台帳ネットとの結合も危ぶまれる。民営化・民間利潤会社は、プライバシー崩壊を促進する。

公社化がもたらすもの

 「郵政公社法案と関連法案」「信書便法案と関連法案」の郵政関連4法案が、7月9日に衆院本会議で可決された。参院の通過も確実で、来年4月1日郵政公社が発足する。
 今国会でのドタバタ劇は、大蔵族の小泉純一郎首相と郵政族の「抵抗勢力」によって演じられ、観客無視のまま後者の「圧勝」で幕を閉じようとしている。族同士の争いは、寝技・裏技・脅し・すかしの見苦しさで、最後は枝葉末節な事柄をめぐる駆け引きへ収束されていった。だが、郵政公社発足の決定自体は、郵政民営化の一つの大きな事実であり、郵政労働者にとっても利用者にとっても、一つの大きな不幸だ。
 公社化のポイントは、「企業会計原則」「独立採算制(の徹底化)」「経営の自由拡大」であり、関連法案ではこれまであった「営利を目的としない」などの規定が削除された。いずれもろくなものではない。
 今後も綱引きが続くDM(信書の2割・2千億円、民間を含めると5千億円の成長市場)への民間企業参入の拡大の可能性、バイク便など特定信書便事業への民間参入、こういった儲けの多い「いいとこどり」の皺寄せは、独立採算制の郵政公社へ跳ね返る。第3種(新聞や雑誌)や第4種(点字・録音図書等)の存続は決まったが、値上げは今後独断で出来る(点字・録音図書の無料は、法律条項から削られ付帯決議に後退した)。赤字が続いたとしたら、全国あまねくの郵便局ネットの変更・過疎地切り捨ても提起されてくるだろう(既に民営化されているフィンランドでは、郵便料金は2倍弱値上げ、郵便局数は2分の1以下になった)。企業会計原則は、公社官僚を膨大な退職引当金=内部留保へ走らせる。郵便関連子会社への出資が可能になったことは、天下り先を増やし、職員の低劣労働条件先への配転・出向・転籍・早期退職を意味するだろう。宅急便労働者の悲惨=平均勤務年数6年半、競争の激化した地区では互いにパンクさせたり(97年段階では「空気を抜く」だけだった)木刀を助手席に隠していたりの「労働条件」と競合せよと、職制たちはのたまうだろう。
 小泉首相の真の狙いは郵貯と簡保のブンドリだ。数十兆円も税金を投入されながら貸し渋りで中小企業を倒産させている銀行資本、莫大な借金の国家財政を延命させている郵貯と簡保資金、民営化論者にとっても痛し痒しのこの現実にもかかわらず、この現実に目をつぶり、またぞろ民営化の主張はだされてくるだろう。なぜなら、彼らは目をつぶるのが得意だからだ。郵貯残高240兆円、簡保残高120兆円、これの自主運用が公社ではなされるが、郵政官僚にその能力は無い。

官営から公営、そして共営へ

 全逓と全郵政とは、郵政公社発足前の来年3月までに合併する予定だ。全郵政の一部が抵抗しているとはいえ、一企業一労働組合を良しとする郵政官僚が仲人をしているのでまとまるだろう。これは本質的に、反マル生闘争に対する23年前の4・28処分の時、「もっと多くの首を切れ」と当局へ要求書をだした全郵政=第2組合による、4・28免職者を組合から首切りした全逓=第1組合の、吸収合併に他ならない。
 郵産労(全労連)と郵政全労協、及び幾つかの独立労組と全逓内グループが、現在の合理化労働強化と民営化とに反対して闘い続けている。郵産労は第3・4種郵便切り捨て反対で活躍した。とりわけ、郵政全労協は、何回かのパンフレット発行の後、昨年12月に「社会的有用性のある郵政事業を目指して(民営化反対!『官営』から『公営』へ」)を発行し、利用者・地域の仲間へも広く呼び掛けを行なった。郵政現場の労働者が自らの労働の中身を問い、「社会的有用性」として突き出した先駆性がここにはある。読みやすく資料も豊富で、一読を進めたい(「公共=パブリック」など、日本語はお上の束縛支配の歴史性との関連で複雑であり、パンフで言う「公営」はストレートな内容表現とするなら「共営」となるだろう)。

 「おまけ」に、実に感動的な文を紹介しておく。田中弘邦・元全国特定郵便局長会会長=新潟県上越商工会議所会頭の7/3朝日新聞投稿文「田舎は国のお荷物ではない」は、心ある人々の胸を射つ。
 「既得権確保のために郵政民営化に反対しているわけではない」と、彼は堂々と言い切る。後ろめたくではなく、堂々と、だ。
 「JR民営化を契機に地方の赤字路線は・・・各地で存続が危ぶまれる情況となっている。これは全国ネットの国営事業を民営化した『負の成果』である」。まさか、こんな主張をお持ちとは知らなかった。彼は国鉄闘争に連帯すべきだ。
 「そのような評価は経済至上主義の造物であり・・・町村居住者の『最低限の公共性』を奪うべきではない」。彼は、経済至上主義に反対で、公共性に賛成なのであった!
 しかし、アアしかし、何故彼は「特定局制度撤廃」を言わないのか? 全国3200市町村全てにある郵便局ネットを担う特定局の存続はもちろん必要だ。だが、封建的な特定局長の世襲制、違法事件発覚の続出で昨年廃止決定の「渡切費(ワタシキリヒと読む。文字通り、特定局長へワタシキリで使途は野放図)」に象徴される特権的な諸利益、3〜5人の職場に高給の局長という無駄。これらの撤廃を、アア、何故彼は言わないのか?
(7/13:いぬみ・けん/郵政労働者)


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