風疹の大流行と行政の不作為

―公共の安全維持の責務を放棄した行政府―

(インターナショナル第214号:2013年6月号掲載)


▼風疹大流行に対応しようとしない厚生労働省

 昨年春から流行していた風疹が、2013年に入ってから、首都圏や関西を中心に全国的に非常な勢いで流行し、6月半ばの統計では、今年だけで確認された患者数が1万人を上回る大流行となっている。そしてこれに伴って妊娠中の女性で風疹にかかる人も増え、先天性風疹症候群による障害を負った赤ちゃんがすでに13人も確認されている。
 4月ごろから事態を重く見た国立感染症研究所がマスメディアを通じて事態の深刻さと、風疹予防接種を受けて風疹にかからないように予防しようとの広報活動を続けているため、例年にないほどに風疹予防接種を受ける人が増えており、自治体によっては大人が風疹の予防接種を受ける際には料金を無料にしたり割引するなどの財政援助を行うところも増えている。しかし予防接種を受けるには、仕事を休んで病院に行かねばならず、この点が特にネックとなっていて、まだまだ予防接種の広がりは狭く、国立感染症研究所では職場での接種の拡大を訴えている。
 しかしここにきて、厚生労働省の対応が問題となっている。
 感染の拡大を懸念する人々は、先にみたように大人への感染の拡大を阻止するための方策を行政と職場が取るよう勧めているのだが、ここにきて厚生労働省が取った対応は、これに逆行するものであった。
一つは、「流行はそれほど広がっていないので予防接種の特別措置は必要ない」という反応で、財政援助などしないと明言。その上二つ目には、「予防接種を受ける大人が増えたので、夏にもワクチンが不足する。そのため大人の接種は妊娠を予定している女性とその家族に限るべきだ」として、各地方自治体や医療機関に指示を出した。
 この厚生労働省の対応にたいしては各方面から厳しい批判が出されている。
 一つは、現代では女性の多くが仕事を持っているため、風疹の感染が家族からとは限らず、医療機関で感染経路が確認されている多くは、職場の同僚であり、次は感染経路不明であるという。したがってより多くの男性も含めた大人への予防接種の拡大が必要だというもの。二つ目には、ワクチンの不足が予想されるのであれば直ちにワクチン増産の措置を取れというもの。
 つまり厚生労働省は事態の深刻さをわかっておらず、このままではさらに感染が拡大し、先天性風疹症候群の赤ん坊が多数生まれる危険が指摘されているのだ。
 しかし風疹大流行における行政の不作為はこれだけではない。
 マスメディアは全く報道しようとしないが、国立感染症研究所が公表した文書をよく読んでみると、そもそもこの大流行は以前から警告されていたことであり、そしてその原因を作ったのは、厚生省(当時)そのものであったということだ。

▼風疹予防接種の大転換による接種率の低下

 国立感染症研究所の文書によると、わが国で風疹予防接種が開始されたのは、1976年であり、これ以前に生まれた人には予防接種が施されていない。幼少期に一度風疹に罹っていれば免疫ができてはいるが、この病気はそれほど広がらないので、37歳以上の人で風疹の免疫を持っている人は少ない。
 それでも1977年8月から1995年4月までは女子中学生に対する集団接種が行われてきたので、この間に中学生であった女性の場合には接種率がほぼ70%前後で推移していたので、23歳から51歳の女性の70%程度の人には風疹の免疫がある可能性がある。ただし予防接種は二度必要なのにこの間行われたのは中学生時の一度なので、予防接種の効果がない可能性も懸念されている。
 しかしもっと問題なのは、1994年10月の予防接種法改正によって、翌年4月から生後12カ月から90カ月未満(標準として12カ月から36カ月未満)の男女には風疹予防接種が集団的になされることとなり、これ以後に生まれた人々、つまり23歳以下の男女の多くが風疹の免疫を持つ措置が取られたにも関わらず、中学生の女子に集団接種していたのを改めて個別接種、つまり希望する人だけが病院にいって有料で接種する方法に改正されるなど、それ以上の世代に風疹の免疫を持たせて大流行を防ぐ措置がとられなかったことである。
 もっとも法改正に伴って経過措置がとられ、(1)1995年度に小学校1〜2年生でかつ生後90カ月未満の者、 (2)1996〜1999年度に小学校1年生、 (3)2003年9月30日までの間は、 1979年4月2日〜1987年10月1日に生まれた12歳以上16歳未満の男女(標準中学生)、 が接種の対象とする措置を取ったものの、これも個別接種であり、さらにこの措置を取ったことが十分国民に知らされずにいたため、1994年の法改正以後は、どんどん風疹の予防接種率が低下したのだ。
 公表されている中学生の男女の予防接種率は、改正の翌年1995年は前年の66%(ただし女子のみ)から53%に低下し、この低率化傾向は続いて、2001年にはなんと38.6%にまで低下してしまったのである。
 このため法改正以後、将来の風疹の大流行が懸念されたため、2001年11月7日、 予防接種法一部改正により、 2003年9月30日までの暫定措置として1979年4月2日〜1987年10月1日までに生まれた男女(2003年3月1日時点、 15歳5カ月〜23歳10カ月)全員が経過措置の対象となったが、またもこの経過措置を国民に周知徹底されることがなかったため、その後も風疹予防接種の接種率は低下し続けたのだ。
 つまり今回の風疹の大流行の直接的原因は不明だが(海外からの帰国者から感染したとの説もあるが)、大流行の背景には、行政府の不作為があったということだ。
将来の風疹大流行とこれにともなう先天性風疹症候群にかかった赤ん坊が増えることが予見されていたにもかかわらず、それまでの集団接種を個別接種に変えただけではなく、改正法にも広報活動の充実が謳われていたにもかかわらず、風疹予防接種の意味を国民に知らせることなく、政府は予防接種率の低下を放置した。この責任を厳しく問い続けることが大事だ。

▼国家の責務より既得権を優先した官僚と政治家

 しかしなぜ将来の大流行が予測できるのに、予防接種を集団接種から個別接種に変えたのであろうか。そして接種方法を変更して、集団接種、つまり政府が税から支出して、強制的に学校などで大量に接種する方法を辞めて、接種を希望する個人が自費で病院に行って予防接種を受ける方法に変えたのであれば、なぜ、国民が予防接種の大事さを認識して、自らの意思で予防接種を受けるように啓発活動を行わなかったのか。
 この問題が探求されねばならない。
 たとえばすでに個別接種になっているアメリカ合衆国の場合では、人が集まる場所で流行期には、予防接種キャンベーンが行われ、誰でもその場で予防接種が受けられるようにしており、この方法で予防接種率をどの世代でも70%以上に保っているという。なぜこうした措置が取られなかったのか?
 この問題に答えを与える文書に筆者はまだ出会っていないが、予防接種方法が改正されたのが、1994年であることにヒントがある。
 この時期の内閣は自社さ連立の村山内閣である。村山内閣は、前年1993年8月の政権交代によって成立した細川連立内閣が、消費税の廃止と国民福祉税の創設に失敗して下野し、そのあとを継いだ羽田内閣も短命に終わった中で、細川・羽田両内閣を支えた社会党と新党さきがけが野党の自民党と組んで、日本新党や新生党などの新党を排除して作った連立政権である。そしてこの時期の最大の問題は、戦後50年にもわたる放漫財政の結果として国家の赤字が膨大となり、財政支出を減らして借金を減らす策と将来の消費税率引き上げなどの早急な実施が叫ばれた時期であった。
しかしこの問題への共通認識が政界において成立しておらず、このため細川・羽田両内閣は短命に終わり村山内閣でも行財政改革の実施と消費税の引き上げは計画されたが実施できず、行財政改革は、1996年1月に成立した橋本内閣に持ち越された。そして橋本内閣はこれに応えようとして、行政機構の統廃合を行うなど、行財政改革に初めて手をつけたのであった。しかし、橋本内閣の行財政改革全体を論評する用意は筆者にはないが、改革は官僚機構の強力な抵抗に会い、機構改革は中途半端なものになり、財政支出削減は、福祉予算や現業部門など担当省庁の弱い分野からの削減にとどまったと記憶している。
 この観点からみると、予防接種を集団接種から個別接種に改正した1994年の予防接種法の改正は、予防接種を個別に変えることで国家の財政負担を減らそうとする意図が、裏にあったのではないかと想像される。予防接種は厚生省の担当分野であり、この省は省としては弱小であるだけではなく、当時から薬剤開発認可で業界との黒い癒着が取りざたされており、行政支出削減の大蔵省のターゲットにされやすい部門であるからだ。
 筆者は予防接種法が改正された当時は中学校の教員であったが、予防接種が集団接種から個別接種に変る際に、集団接種は発展途上国のやり方であり、市民社会が成熟している先進国では、個人の自発性に基づく個別接種があたりまえである、予防接種をするかしないかは保護者の意向を反映させよとの言説が振りまかれていたことを記憶している。
 たしかに日本は明治維新以後、公衆衛生の分野においては、学校などにおける強制的な集団予防接種が広く行われて、多くの感染症の流行・撲滅に寄与してきたが、この方法からの個別接種への移行そのものは必然であったと思う。しかし個別接種に移行するのであれば、学校教育における保健的医学的知識学習機会の充実と、学校や職場や社会における、予防接種の啓発活動が不可欠である。だが学校における保健の授業がいまだに体育教員による片手間でしかない状況や、学校での養護教諭の人手不足と教員の無理解から、学校では保健的医学的知識を広める活動はほとんど行われていないに等しい。そして保健所はあるものの、これも財政的人的に不足しているため、広報活動はおざなりになっている。
 こうした国民の健康を維持する活動は、国家というものが本来的に持っている、社会の安寧を維持する機能そのものである。こういう活動に予算を振り向けることをせず、個人の意思の尊重をアリバイとして、予防接種への国家の財政負担の削減を意図し、結果として予防接種の広がりを邪魔したのが、1994年の法改正であったのではなかろうか。
 この法改正が、行財政改革をボイコットして既得権益を保持しようとする官僚層とこれに癒着する政治家との妥協の結果であった可能性が高いのであり、この結果として今日の風疹大流行が起きた可能性が高いのである。

(6/25 すどう・けいすけ)


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