【寄稿】

大震災、原発事故、翌年の夏

もりした としや

(インターナショナル第209号:2012年9月号掲載)


@「わたしたちは、想像することによって、共感することができます。」

▼「平和への誓い」

 67年前、一発の原子爆弾によって、広島の街は、爆風がかけめぐり、火の海となりました。
 たくさんの人の尊い命が、一瞬のうちに奪われました。  
 建物の下敷きになった人、大やけどを負った人、家族を探し叫び続けた人。  
 身も心も深く傷つけられ、今もその被害に苦しむ人がたくさんいます。  
 あの日のことを、何十年もの間、誰にも、家族にも話さなかった祖父。  
 ずっとずっと苦しんでいた。  
 でも、一生懸命話してくれた。  
 戦争によって奪われた一つ一つの命の重み。  
 残された人たちの生きようとする強い気持ち。  
 伝えておきたいという思いが、心に強く響きました。  
 故郷を離れ、広島の小学校に通うことになったわたしたちの仲間。  
 はじめは、震災のことや福島から来たことを話せなかった。  
 家族が一緒に生活できないこと、突然、友だちと離ればなれになり、今も会えないこと。  
 でも、勇気を出して話してくれました。  
 「わかってくれて、ありがとう。広島に来てよかった。」  
 その言葉がうれしかった。  
 つらい出来事を、同じように体験することはできないけれど、  わたしたちは、想像することによって、共感することができます。  
 悲しい過去を変えることはできないけれど、  わたしたちは、未来をつくるための夢と希望をもつことができます。  
 平和はわたしたちでつくるものです。  
 身近なところに、できることがあります。  
 違いを認め合い、相手の立場になって考えることも平和です。  
 思いを伝え合い、力を合わせ支え合うことも平和です。  
 わたしたちは、平和をつくり続けます。  
 仲間とともに、行動していくことを誓います。

 今年の広島市主催の平和祈念式典で、広島市長に続いてこども代表2人によって読み上げられた 「平和への誓い」です。
 「平和への誓い」は、毎年、広島市教育委員会が主催する作文コンクールに入選した20人が話し合って作成し、代表2人が代読します。広島市立船越小学校6年の三浦友菜さんは作文「平和とは、世界中すべての人が幸せになること」が優秀作に選ばれたので20人の話し合いに参加しまし た。  
 三浦さんは、東日本大震災と原発事故が起きるまでは福島県いわき市で暮らしていました。1週間後、お母さんと一緒にお祖母さんが暮らす広島市安芸区に避難し、転校しました。お祖母さんは爆心地から約1.2キロでの胎内被爆者です。  
 船越小での平和学習の授業で原爆や放射能の恐ろしさを知りました。その思いと体験を作文に書きました。  

 「私は、戦争をすると、する分だけ、世界から幸せが消えると思います。でも、戦争をしていなくても放射能のことを心配してくらさなければならない今の日本も決して平和とは言えないと思います」。  

 この思いが20人に共有されて「平和への誓い」に盛り込まれました。

▼「見て見ぬふりをする社会」のごまかし  

 「平和への誓い」を聞きながら、いろいろなことが浮かんできました。  
 これまでは原爆と原発は切り離されてきました。放射能の問題は「戦争」と「平和(利用)」の2つに分断されました。同じだという主張は押しつぶされました。分断させられて「平和」だけが声高に主張されてきました。  
 押しつぶされる中で「過去の戦争」だけが1年のうち8月のいっときだけ慰霊のセレモニーとし て思い出されます。原爆被害者は誰に殺されたのか、何が原因で死んだのか、生き残った者たちに今どのような問題が付きまとっているのかは放置されてきました。問題が隠されてきたのです。  
 東日本大震災における原発事故は改めて原爆と原発は1つの問題であることを認識させました。 広島、長崎、ビキニ珊礁の核実験の被害者が今も苦しみ続けていたことに気付かされました。  
 放射能は、身体、健康、生活を破壊します。その時だけでなく将来、未来を不安にし、破壊します。治療方法、防止策が解明されていません。だとしたら使用しないのが唯一の予防策です。  しかし政府が進める被爆者対策と原発対策には同じ言い訳が登場しています。  
 専門家と呼ばれる人たちは「安全」と「危険」の間に「危険とは言えない」「はっきりしていない」状況があるという表現でごまかします。「危険とは言えない」は安全ではありません。  
 その言い方に人びとは騙されてきていたことに気が付きました。そして専門家の「危険とは言え ない」の判断が、科学・医学的見地からではなく、為政者にとっては被害を小さく見せるために、 そして経済界に配慮して出されていることを知ってしまいました。  
 だから人びとは不信感と不安が消えず、危険の判断に確信を持ちます。心証が判断基準になっています。そうでしか自分を守れないのです。安全でなければ危険なのです。正しい判断です。  
 マーガレット・ヘファーナン著『見て見ぬふりをする社会』からの要約です。  

 1950年代初頭、オックスフォードの医師アリス・スチュワートは、2歳から4歳の子供たちを白血病が蝕んでいることを発見しました。白血病で死亡した子供たちは貧困層ではなく、医療サービスが行き届いていた死亡率全体が低い田舎出身でした。  
 彼女は、白血病と各種のがんで死亡した子供たちの母親全員への聞き取り調査を始めました。原因追及のためにありとあらゆることを質問していきました。  
 この調査で、白血病による死亡500件と他の種類のがんによる死亡500件を、年齢、性別と、住んでいる地域が同じで生存中の子ども1000人と比較しました。結果は誰が見ても明らかでした。「妊娠中にレントゲン検査を受けましたか」の質問に対する「はい」の答えの確率が、死亡した子どもは生きている子供の3倍であることを発見しました。  
 当時は少量の放射線にさらされることは安全だと考えられていました。しかし早い年齢ではがんで死亡するリスクを2倍にしていました。さらに胎児期にX線に2度さらされるとそれから10年の間にがんに罹る確率が、さらされなかった胎児の2倍になると明言しました。  
 「レントゲン検査をやめさえすれば、もう死亡事例が起こらなくなる」彼女の論文が専門誌に載 ると物議をかもしました。  
 しかし医師たちはその後25年間、妊娠中の母親たちにレントゲン検査を実施し続けました。1 980年になってやっとアメリカの主要な医療機関が実施をやめるように強く奨励するようになり ました。  
 なぜそんなに時間がかかったのでしょうか。  
 1つには、権威ある医師が間に合わせの調査で論破する論文を発表したからです。影響力は大き いものがありました。しかし当人も後に「あまりよくなかった」研修で「信頼できない」ことを認 めました。  
 また、多額の投資をしてしまった靴屋(X線の装置「靴の透視装置」で完璧に会う靴を見つけることが出来ると靴屋は謳っていた)や医師は、危険だと言う話に聞く耳を持ちませんでした。経済 的な投資をしたものを変えることに抵抗がありました。そして「自分のしたことが患者のためになっていなかったどころか、実際に自分たちのせいで患者が死んでいったと言われたくなかった」からです。  
 「完全に矛盾する2つの考えを受け入れようとしたとき、人のこころは混乱する。閾値説と、どんなに少量でも放射能はがんを引き起こすという説の、両方が正しいということはありえない。放射線がすばらしい新技術であるのと同時に、子どもを死に追いやるというのもありえない。死者は患者を治すものでありながら、患者を病気にするというのもありえない。相容れない2つの考えが 生む不調和は、耐え難いほど激しい苦悩をもたらす。その苦悩、つまり不調和を減らすもっとも簡単な方法は、どちらか1つの考えを排除し、不調和をなくすことだ。科学者たちにとっては自説を 捨てないことの方が簡単だった。閾値説とX線は共存できる。医師たちは権威があり、賢く、善人であるという立場を守れる。アリス・スチュワートの発見は大事な説を生かすために犠牲になった 。見て見ぬふりをして矛盾する主張を排除すれば不調和は消える。そして自分が最も大切にしてい る考えを守ったために、大きな犠牲を出したのだ。」  
 原発再稼動の主張と重なります。  
 このような両者の議論が原発を巡る政府主催の意見公聴会で展開されました。  
 名古屋会場では「福島での原発事故の放射能が原因で亡くなった方はいない。」という発言がありました。聞いていて、思考を貧困にさせられていると受け止めました。彼は歴史を知ろうとしません。医学を知ろうとしません。そして倫理がありません。  
 彼は、経済成長が人びとを幸せにするという“信念”を持っています。しかし彼の“信念”は、 実は会社の“幸せ”、会社に庇護された自分の幸せです。それを持続させたいのです。そのことを “人びと”と言うことで“自分自身”を騙しています。実際は“人びと”を拒否しているのです。  
 「つらい出来事を、同じように体験することはできないけれど、わたしたちは、想像することによって、共感することができます。」の感性が会社の露払いを担うことによって消されています。 悲しいことです。  
 しかしこの現象は、電力総連だけでなく、多くの労働組合にみられる現象です。労働組合の“人びと”には非正規労働者、下請労働者などが当てはまります。  
 人びとは経済成長が本当に幸せをもたらすのかと問い直しています。  
 人びとには広島、長崎、ビキニ珊礁、そして福島原発の被害者の体験を「再発見」しました。放射能問題に調和はありません。もうこれ以上犠牲者を出すことはできません。だから待てないのです。いま再稼動を止めなければならないのです。  
 「悲しい過去を変えることはできないけれど、わたしたちは、未来をつくるための夢と希望をもつことができます。」  
 毎週金曜日に国会にはその思いを抱いた人たちが集まってきます。自分たちの力で社会を変えさ せると決意しています。  
 呼応するように広島から発せられた「平和への誓い」は、脱原発の主張の正しさを確信させてく れます。

A福島原発と安保、三池の「対話」

▼ 対話の不在、思考する能力の喪失  

 7月20日は金曜日です。東京は夕方雨が降っています。国会前に集まって来る人たちは傘を準 備していただろうかと気になります。  
 「脱原発」を訴えるこの力はどこから生まれて来るのか考えさせられます。  
 1つには、安全を追求するなら原発を廃止するのが一番手っ取り早い解決策であるという結論に至っているからです。  
 福島原発事故に対するそれぞれの事故調査報告書は、結論が調査前から見え見えで自分たちに都合のいいものばかりです。1つの出来事に事実がたくさんあるなら自分で真実を追求するしかあり ません。  
 そしてもう1つは、自己表現・主張の問題です。  
 政治思想史を専攻する石田雄東大名誉教授は『安保と原発――命を脅かす2つの聖域を問う』( 唯学書房)を出版しました。そこで次のようなことを語っています。

 「どうして現代の状況が戦争中の状況と私は似ていると思うかというと、対話の可能性が非常に低くなったからだということなんです。つまり、軍隊とは、命令はその是非を論じ、理由を問うてはいけないところです。そうするとそのかぎりでは、軍隊で反抗すれば戦地へ送られてしまうので、私は表向きは、ただただきっちりと命令に服従し、それで生き延びてきたわけです。その代りに思考する能力を失わされました。……  
 対話というのは、共通面があって異質面があるという時にはじめて成立するわけです。それには平等の関係と、今の両面を相互に承認するということがなくてはならないわけですが、そのことによって対話による思考の展開が可能となります。」  

 この部分を読んではたと考えさせられてしまいました。  
 国会は選挙民から選ばれた代表者が議論をし、政府を監視したり立法活動を行う機関、などと言うだけでこそばゆくなってきます。誰も期待していません。それにかまけて政府は勝手なことばか りしています。上位下達への服従と支配です。選挙民は信用できないではなく、不信感が募るだけ です。  
 選挙民は選挙制度の変更によって政治と社会から遠ざけられました。主張する、反対する意識と手段を奪われてきました。思考する能力を失わされ、孤立させられて誰とも対話ができません。何 か事件が起きた時、そこで感じる無力感は大きいものがあります。  
 しかし原発問題は「命」に関わることです。直接行動による自己表現・主張に立ち上がるしか方法がありません。  
 集会の呼びかけはツイッターやメール、口コミです。集まって来るたくさんの人びとと出会うだけで、お互いに自分の主張が間違っていないことを確信できます。  思考する能力を失わされ、孤立させられて誰とも対話ができない状況は様々なところで発生しています。  
 たとえば、会社から社員に一斉メールが流されます。上司からの業務指示がメールで流されます 。同じフロアでもメールによる指示・連絡で事足れりという状況です。読んだという返信だけが要 求されます。  
 会社はこれで社員とコミュニケーションをとっていると主張します。しかし対話でもなければ、 会話でもありません。通達・命令です。  
 労働者もいつの間にか慣らされていきます。顔を合わせた朝礼は時間がもったいないと労使とも に言います。そのような職場は社員同士の日常的な会話も多くありません。人間関係の存在を否定 されているのです。  
 同じ職場にいながら同僚と接する機会もなく黙々と業務をこなします。そのことが自立、独立した働き方といわれます。しかし実際は、孤立させられているのです。フォローもないからミスが増 えます。上司からの叱責も個人、対応策・改善方法を考え出すのも1人です。ミス・失敗の教訓が共有されません。職場環境は砂漠です。  
 朝礼は時間がもったいないというリスク管理は、長期的にとらえるならばリスク助長になってい ます。社員の孤立化は、労務管理には有効でも生産管理上は桎梏になっているということが言われ始めて久しいです。  
 経営者・上司や同僚と対話も会話も保証されない労働者は自己表現・主張ができません。自分だけは助かって生き延びようともがいています。  
 しかし震災をきっかけに新たな出会いを作った人たちと、脱原発の共通した思いを抱いて出会った人たちは会話・対話を開始しました。社会に対して、未来に対して思考の展開を始めています。

▼命を脅かすこの国の「聖域」  

 原発問題は、たくさんの問題を含んでいます。最近、「フクシマ」が他のテーマと「対話」をしている本が出版されています。原発問題が水平思考で検討されています。  
 その1つが『安保と原発――命を脅かす2つの聖域を問う』です。  

 「原発を受け入れ、一度補助金という『アメ』を受け入れることによって多くの箱モノが作られ ると、やがてその維持管理に費用が必要となる。しかし他方では、時を経るに従って固定資産税という税収が 減少していくという状況が生まれてくる。そうした時に、アメは麻薬へと変わり、次の原発を誘致しなければならないという依存症の結果を招く。  
 実は、同じようなことが安保についても起こっているわけで、『安保のおかげで日本経済は発展 した』という論調は、安保の犠牲を強いられた基地の町については、その犠牲は日本にとっては必要なものであるとして、経済的に補助金を出すことでその犠牲は無視すればよい、という考えが背景にある。  
 ただ、沖縄の場合には、基地の受け入れが軍事占領の結果で、いかなる意味においても自分で選んだものではないという点で、より深刻な問題を含んでいる。」  

 熊谷博子著『むかし原発 いま炭鉱 炭都[三池]から日本を掘る』は、タイトルのように2つが 交差します。  

 「三池の坑道は、さらに原発ともつながっていた。2011年3月11日以降、それまで裏に隠れて見えなかったのが、明らかにつながるようになった。  
 エネルギーというのは本当に、国の産業や経済、そして人々の生活を支える基幹の部分である。 だからこそ、日本という国の政策と密接に結びついてきた。  
 今回の原発事故で見た光景は、私がかつて炭鉱の出来事として知っていたこととあまりに似てい た。  
 福島第一原発の水素爆発であがる白煙と三池炭鉱の炭じん爆発の黒煙、さらに、爆発で吹き飛んだ、原子炉を囲む建物と坑口前の建物。  
 日本を動かすエネルギーを掘り、作り出してきた末端の労働者たちが、国の政策の中で翻弄され ている。その炭鉱は廃坑になり、原発は廃炉となる。  
 そう思いながら、日々流される記者会見を見ていた時にはっとした。  
 そのままなのだ。  
 情報を隠して出さない今の政府を当時の政府に、電力会社を鉱山に、マスコミなどで“安全”を主張、解説する原子力工学や医学の専門家たちを、当時の政府調査団の団長ら、御用学者といわれ た鉱山学者たちに置き換えるだけでいい。  
 必死に作業する原発労働者と、炭鉱労働者が重なる。  
 炭じん爆発事故の時の原因隠しとまるで同じだ。  
 人命や健康や安全性よりも経済を優先し、原因究明も進まず、修復もできないうちから、原子力発電を早く再開し、輸出までしようとする人々の姿も。  
 産学官共同の悪い構図が、近代国家となった明治以降150年間、何もかわっていないのではないか、と思った。」  

 三池の炭じん爆発事故における会社の責任は、刑事事件では不起訴になりました。  
 「裏で巨大な力が動いていた。  まさに国と企業と学会と司法ぐるみの隠蔽であった。  
 松尾さんたちCO中毒患者家族会は、不起訴が決まった後、その理由を聞くために福岡地方検察庁 におしかけた。次席検事が言った。  
 『労働者1人が会社に対いて行う貢献度よりも、三井鉱山が社会に対して行う貢献度の方が大き いと判断。その貢献度を起訴して潰してしまうことは大きな損失と判断して、不起訴と決定した』 」  
 原発問題に別個にアプローチが行われた2冊の本に共通したテーマが取り上げられています。チッソ・水俣病です。  

 『安保と原発――命を脅かす2つの聖域を問う』には次のように書かれています。  

 「戦前、植民地朝鮮で『労働者を牛馬と思って使え』という方針をとっていたといわれる朝鮮チ ッソの社員が、戦後日本に引き揚げてきて水俣のチッソで働くようになり、中には工場長になった 人もいた。そうした背景もあり、水俣のチッソにおいては、地域を公害によって犠牲にしても、それを意に介さない企業体質が生み出されたのだと思われる。……  『チッソという企業が地域の繁栄を支えているのだ』という神話を基礎にして、チッソは下請け労働者を酷使した。たとえば、工場の生産設備を修理する時にも、生産を止めずに行うので、多く の事故と負傷者を生み出したのはその一例だ。  
 そして何よりもチッソは、『汚染された海で漁民が水俣病になっても、それは企業の繁栄のためだからしかたがない』と、水銀汚染の事実に対して意に介することはなかった。」  
 『むかし原発 いま炭鉱 炭都[三池]から日本を掘る』には、新日窒労組の委員長だった山下善寛さんの発言が紹介されています。

 「公害は、まず発生源の工場内で労働者が病気になる兆候があり、次に外の地域住民の間にさらに大きく被害が広がる。だから、『工場内の労働災害、職業病に対する十分に闘っていたならば、 水俣病を起こさないですんだし、また被害を最小限に止めることができたかもしれない。しかし私 たちは、初期の段階でそれを闘わずに、被害者である患者に敵対していた。自分たちだけよければいいと、労働者の賃上げや労働条件向上の闘いに終始し、むしろ会社側に味方するという恥ずべき 行為を行ってきた。そのために、悲惨で世界に例を見ない水俣病事件を起こしてしまったのではないだろうか』(熊本学園大学・水俣学講義から)」  

 このような考えの中でチッソ水俣工場の第一組合は1968年、「恥宣言」を出しました。  
 「闘いとは何かを身体で知った私たちが、今まで水俣病と闘いえなかったことは、正に人間とし て、労働者として恥ずかしいことであり、心から反省しなければならない。会社の労働者に対する仕打ちは、水俣病に対する仕打ちであり、水俣病に対する闘いは同時に私たちの闘いなのである」  

 チッソに責任追及をしていく中で、患者や支援者、医師たちは学習会を続けます。そのなかで核爆発実験の放射能をめぐる武谷三男著『安全性の考え方』と出会います。  

 原田正純著『水俣病』は、孫引きして紹介しています。  

 「死の灰が地球上にふりまかれているときに、一部の学者は、科学的に降灰放射能の害を証明することはできないから、核爆発実験は許されると主張した。アメリカ原子力委員のノーベル賞学者 リビー博士は、許容量をたてにとり、原水爆の降灰放射能は天然の放射能に比べると少ないから、 その影響は無視できると主張した。微量の放射能の害はすぐには病気にならない、すなわち急性症 状を示さないところに、非常に困難な問題があったのだ。武谷三男氏らは、『許容量というのは、 無害な量ではなく、どんなに少ない量でもそれなりに有害なのだが、どこまで有害さを我慢するか の量、すなわち有害か無害か、危険か安全かの境界として、科学的に決定される量ではなく、社会 的な概念であること。害が証明されないというが、現実にそういうことをやってみて、そうなるかどうかはじめて証明されるというのでは、科学の無能を意味し、降灰放射能の害が証明されるのは人類が滅びるときであり、人体実験の思想に他ならないこと。放射能が無害であることが証明でき ない限り、核実験は行うべきではないというのが正しい考えである』ことを明らかにした。  

 この武谷氏らの考え方は、原水爆実験のみならず、工場廃棄物の放出にもあてはまり、安全についての根本的な考え方を示している」  
そして、過労死や労働者の精神障害への罹患における長時間労働の問題にもあてはまるはずです 。  
 『むかし原発 いま炭鉱 炭都[三池]から日本を掘る』は、福島原発事故と三井・三池の196 3年に発生した炭塵爆発事故は似ているといいます。さらに三池鉱山と水俣病の原因を認めなかったチッソの姿勢はそっくりだといいます。  
 そこには「産(使)」・「官(政)」・「学(者)」の構造に加えて「労」の「産」防衛という強固な協力があると指摘します。「産」・「官」・「学」・「労」の4者共闘です。  

 「脱原発」を叫ぶ集会とデモは、生存権の主張のなかで確信したこの構造に対する抗議であり対話の要求です。


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