大地動乱の時代・危機はまだ始まったばかりだ!

−到来が予想されていた巨大地震・津波を無視した「目先の利益」優先の人知は再び予測される危機に対応できるか−

(インターナショナル第200号:2011年5月号掲載)


▼想像を絶する超巨大地震・超巨大津波

 3月11日の午後、各地で高さ15mを越える超大津波を引き起こし、青森・岩手・宮城・福島・茨城・千葉の6県の海岸地帯で、一瞬にして死者・行方不明あわせておよそ2万4000人の命を奪い去った東北太平洋沖地震。この超巨大地震は、宮城県沖から茨城県北部にかけての、幅約200km・長さ約500kmの岩盤が約5分間かけておよそ30mも移動し、M9という巨大なエネルギーを解放した前代未聞の超巨大地震であった。
 この地震が起きた地域は、東日本が乗る北米プレートの下に東から太平洋プレートが沈み込んで出来た日本海溝の陸側の地帯で、太平洋プレートに押し下げられた北米プレートの歪がたまって限界に達して跳ね上がり、歴史的にしばしば大きな地震を引き起こしてきた地域であった。そして今回の地震は、しばらく大きな地震がなく、その歪がたまっていると予想された4つの震源域、すなわち宮城県沖・三陸沖南部海溝寄り・福島県沖・茨城県沖で起きると予想されていたそれぞれM8クラスの4つの地震が連動して起きた超巨大地震であったために、地震のエネルギーはその約32倍のM9となった。
 また海底の岩盤が跳ね上がった高さもおよそ5mを越えたため、岩手・宮城・福島三県の海岸に津波が達した時には高さ15mを越える大きなものとなって海岸の高さ5〜10mの防潮堤を乗り越えてそれを破壊し町を襲った。しかもその津波の速度は自動車よりも速いものであったために、沿岸部のコンクリートの建物すらも基礎から破壊し、行く手にあった多くの建物を押し流し、海岸から数kmの地点にまで到達して沿岸に甚大な被害を与えたのであった。
 この津波によって浸水した地域は、国土地理院が出した速報値では岩手・宮城・福島3県で443平方kmとなり、これは東京都の山手線で囲まれた地域の約7倍に相当する広さであった。そして石巻平野では海岸からおよそ5kmの地点まで津波は遡上し、さらに北上川を遡って河口から15km以上も遡上していた。また仙台平野でも5mの防潮堤を乗り越えた津波は海岸からおよそ5kmの地点にまで到達し、福島県の各地でも同様な結果であった(毎日3/24)。
 この想像を絶する大津波の破壊力の前には、大津波に備えて岩手県の三陸海岸の各地に設けられた、高さ10mを越え海底からの高さも50mを超える大防潮堤すらも破壊され、岩手・宮城・福島3県の海岸にある総延長約300kmの堤防のうち、190kmが全半壊した(日経3/21)。この結果、高さ6m程度の津波を想定して避難所として指定してあった3階建ての建物や同程度の高さでこれまで津波が到達せず安全と見られていた場所にすら津波は到達し、そこに避難していた多くの人々の命をも奪ったのだ。
 そして東京電力の福島第一原子力発電所は、地震を受けて緊急停止して核分裂を止めて炉心の冷却に入ったものの、直後に10mを越える津波を受けて冷却装置の非常用電源さえも喪失し、炉心の温度が上昇して炉心溶融が起き、翌12日には建屋内で水素爆発を起こして放射性物質を大量に飛散させる大事故を起こしてしまった。

▼貞観地震・津波の再来−今回の災害は科学的に予想されていた

 しかしこの大地震・大津波が、科学的に到来が予想されていたことはあまり知られていない。
 それは、石巻平野から仙台平野・福島県沿岸の各地域の地層に残る過去の津波堆積物を調べ、この地域には過去に何度も海岸から数kmにもおよぶ範囲まで到達する大津波が襲っていたことを明らかにした、2004年から2008年にかけての地質学的調査によってであった。この調査・研究は、東北大学とつくば市の産業技術総合研究所を中心に、他の団体が協力して行われたものである。
 この地域の平野では過去の津波の痕跡が地層から確認できることは、1990年代から幾つも報告されており、その中には西暦869年にこの地方を襲い、当時の陸奥国府があった多賀城下ではおよそ1000人の津波による溺死者があったと文献にも報告され、おそらく1万人を超える被害があったものと思われていた貞観津波の痕跡も含まれていた。
 2004年から2008年の地質調査も、この貞観津波の被害状況を明らかにし、この津波をもたらした地震の規模を推定するために実施されたものである。
 産業技術総合研究所の2010年8月の月報によると、この調査結果は以下の通りである。
石巻平野では過去5回の津波の痕跡が発見され、貞観津波の海岸からの到達距離は、当時の海岸線からおよそ3km。現在の海岸線からはおよそ4kmであることが確認された。また仙台平野では、各地で津波の痕跡が3〜4層確認され、貞観津波は当時の海岸線からおよそ2km、現在の海岸線からはおよそ3kmの距離まで遡上したことが確認された。さらに福島県沿岸では、南相馬市で過去の津波の痕跡が3層見られ、貞観津波は海岸線が今と当時と同じと見て、海からおよそ1.5km遡上していたことが確認された。
 そしてこれらの地域での津波の発生した時期は、津波の痕跡がある地層の年代から西暦1500年頃、貞観津波、西暦430年頃、紀元前390年頃と特定され、津波の再来間隔は、450から800年ほどの幅を持っていることが確認された。またこの調査結果に基づき、この広い範囲を襲った津波の大きさとそれをもたらした地震をコンピュータシュミレーションで割り出したところ、その震源域は宮城県沖から福島県沖にかけた地域で、幅100km・長さ200km程度の震源断層が10m程度動いて起きた地震で、その規模はM8以上との結果が出た。
 つまり869年の貞観地震・津波は、今まで地震学で考えられていた地震の規模をはるかに超える、想定される大地震がいくつも連動して起きる地震だということであり、その結果として岩手県から福島県にまでおよぶ広範囲で、海岸から1.5〜4kmも遡上する大津波が襲ったものであったことが明らかになったのだ。
 そして直近の大津波を伴った地震が西暦1500年頃で、再来間隔が450から800年ということは、西暦2000年を過ぎた今では、貞観地震・津波のような大地震・大津波がいつこの地域を襲ってもおかしくはないということを意味していた。
 こうした科学的な調査結果が2008年には明らかになっており、この科学的に推測された貞観地震・津波の規模は、今回の東北太平洋沖地震・津波の規模とほぼ重なっていたことが重要である。要するに3月11日の地震・津波は、それが発生する日時年次は予知できてはいなかったにしても、いつ起きてもおかしくはないという程度には、科学的に予想されていたものであった。
 この研究成果はその過程で随時発表され、2010年夏には産業技術総合研究所の月報にも詳しく掲載されて一般の目にも触れやすくなり、その間に研究者たちは、地方公共団体の防災担当者や原発の耐震性を評価する審議会などにも報告し、超巨大地震・大津波への対策を取るように警告してきた。そしてこの研究成果に基づいて、国の地震対策の基礎となる指針を策定する地震調査研究推進本部の地震調査委員会でも、2011年3月末の会合において「地震活動の長期評価」にこの研究成果を反映させ、対策を取ることを正式に決定すべく文書も用意されていた。
 その矢先に、今回の大震災が起きてしまったのだ。
 
▼貞観津波再来を想定した対策で被害を軽減できた実例

 869年の貞観津波が再来するとの予測に基づいて、東日本各県や電力会社においてきちんとした対策が取られていれば、今回のような甚大な被害をもっと軽減できたことはたしかなことである。
 東電の福島第一原子力発電所では、建設に際して想定されていた津波の高さは6m。だから原子炉の敷地を海面から10mとして建設されていた(日経3/20)。だがこれを越える津波が襲う可能性が指摘され、これによって原子炉を冷却する電源が全部失われる可能性があることが示されたのだから、10mを超える津波でも電源が破壊されない高所に移動しておくくらいの対策はできたはずである。
 また岩手県の三陸海岸では、高さ10mの防潮堤があるにしてもこれを越える津波が想定されたのだから、堤防でこれを阻止できないにしても、津波に際しての避難所指定を変更して4・5階建て以上の建物を指定したり、付近の同程度以上の高さの高所を指定したりして津波から逃げる体制を整えておくことくらいはできたはずである。そしてこれは、過去400年ほど大津波に襲われたことのない宮城県の石巻平野や仙台平野、そして福島県の海岸部でも同様であったろう。
 事実、貞観津波の被害想定に基づいて研究者らの援助を受けて避難場所の変更措置をとろうとしていた地域では、被害はかなり軽減されていた。それは仙台市若林区の、海岸から約3km離れた所を通る仙台東部道路に多くの住民が逃げ、津波から助かった事例が示すことである。
 この地域は海抜2mと低い平坦な地域だが、同道路は6〜8mの高さがあるので避難所としては格好の場所である。そこでこの地域では、貞観津波のデータに基づいて海岸から4km程度浸水するとの予想図を作成していた、東北大学の今村文彦教授の支援を得て何度も住民で学習会を開き、2010年には仙台東部道路を一時避難所にすることを要請する署名約1万5000人分を集め、同道路を管理するNEXCO東京と若林区に提出し、道路に登れるように各所に階段を設けることも要請していた。
 このため3月11日の地震・津波に際しては、付近の住民約230人が道路の土手を駆け上りかろうじて津波から逃げることができた(毎日4/8)。津波は同道路にまで到達し、道路の下部に設けられた既設の道路のためのトンネルを通ってさらに内陸に達していたが、道路の上部までには到達しなかったからだ。
 したがって、住民の要請を受けて道路に上れるよう階段が各所に設けられていれば、もっと多くの人が助かったことは明らかである。当日津波襲来を聞いて多くの人が車で同道路に向かったが、地震のために入り口が閉鎖されて入れず、道路の近くで数珠繋ぎになっていた車列が津波に襲われて多くの人が亡くなっており、道路の土手が急で登りきれずに津波にさらわれた人も多く、さらにこの道路ならば津波から逃げ切れる可能性があることを知らなかった人もまだ多数いたからである。
 ではなぜこのような対策がとられなかったのだろうか。

▼「目先のこと」しか考えない人知が大地に刻まれた過去の災害を無視した

 その原因の一つは、地震対策を司る科学者間の合意形成に手間取ったことがある。
 従来から岩手県から茨城県にかけての日本海溝西側の深海底には、大地震を起こす可能性のある震源域が4つ想定されていた。しかしこの地域のプレート同士の結びつきは弱いため、それぞれの地域で30〜40年おきにM7級の地震が起きてプレート境界にたまった歪を解放するために、巨大な連動地震は起きないと考えられてきた(日経4/10)。だから起きてもせいぜいM8級の単発地震だと想定され、津波の高さは10mを越えることはないと想定されていたのだ。
 このため、2004年にインド洋一帯に深刻な津波被害を及ぼした、これも複数の震源域が連動してM9・1という超巨大地震となったスマトラ沖地震が起きても、これは対岸の火事であって日本海溝では起こりえないと考える研究者が多数いたのだ。
 これに対して2003年と2004年に、東大と国土地理院の研究者が相次いでそれぞれ別の方法で予測した結果として、宮城県沖でM8超の巨大地震が起きることを学会誌に発表しても、それは地震学者全体の共通認識にならず(日経4/26)、さらに2006年にカリフォルニア工科大学の研究チームが、2005年に宮城県沖でおきたM7・2の地震でもこの地域にたまった歪の4分の1しか開放されず、その南の福島県沖の震源域では大きな地震が起きていないので巨大な歪がたまっており、この2つの地震が連動して超巨大地震が起きると予想した時も、注目を浴びることはなかったのである(日経3/19)。
 このように地震学者の間では、日本海溝沿いの地帯では複数の震源域が連動して超巨大地震が起きることはないとする意見が多数であったがゆえに、1100年まえの貞観地震の被害状況とその再来間隔が明らかになった時も、地震学者の間の反応は鈍かったのだ。
 だが貞観地震・津波の被害が甚大であったことは、2006年から2008年には仙台市若林区の沓形遺跡の発掘調査でも明らかになっていた。
  同遺跡は現在の海岸線から4kmほどの場所に位置し、現在の仙台東部道路のすぐ内陸側にある、およそ2000年前の弥生時代の集落遺跡である。そしてここを仙台市教委が発掘した結果、貞観津波のおよそ900年前にも巨大津波がこの地を襲い、水田が海から運ばれた砂に埋没し、集落も含めてその後約300年間は放棄されていたことが明らかになっていたのだ(毎日5/2)。
 地震学者の地質調査と考古学者の遺跡調査。この目的の異なる二つの学術調査が、450年から800年の周期で、仙台平野が繰り返し巨大津波に襲われていたことを明らかにしていた。しかし、この科学的な調査に基づいて地震学者が合意を形成して、政府の地震対策の基礎をなす提言をしてきた地震調査研究推進本部による「海溝型地震の長期評価」を変更し、東北の太平洋沖での超巨大地震の再来の恐れがあることを公表して防災対策の強化を訴えるのに、実に3年以上の月日を要してしまった。
 同本部の地震調査委員会は4月11日に会合を開き、三陸沖から房総沖で将来発生する地震の規模や確率を予測する「長期評価」を見直し、複数の震源域が連動して起きる超巨大地震が起きることを前提にすると発表した。その際、委員長の阿部勝征は「東北・北海道周辺では最大でもM8というパラダイム(思考の枠組み)に縛られ、最初からM9は起きないと思い込んでいたことが個人的な反省だ」と述べている(毎日4/12)。
 これは起きてしまった事実の後追いでしかなく、災害を減らすために科学的に予測することを任務とする地震学者たちの防災意識が低く、他方で権威ある学説に安易に寄りかかって新たな発見を無視する傾向があることを示す事実である。筆者は2000年6月に起きた三宅島噴火の際にも、火山学者の間で防災は予想される最悪の事態を想定して実行されるという鉄則を無視し、科学的にまだ確定されないという理由で、想定された最悪の事態を見ようとしない悪弊が跋扈していたことを指摘したことがあったが、同じことが地震学者の間でも起きていたのである。
 また第2に、超巨大津波への対策が遅れた理由は、行政の防災担当者が動かなかったことにある。
 仙台市若林区を通る仙台東部道路を一時避難所に指定できなかった理由は、この道路を管理するNEXCO東日本が「管理上道路に人を立ち入らせることはできない」という立場から動かなかったことと、要請を受けた若林区も、想定されていたM8級の宮城県沖地震に対応した堤防の完成を優先して県に要望していたために、仙台東部道路の一時避難所への指定にむけて関係機関が動かなかったからだ(毎日4/8)。
 そして貞観地震と津波の被害を研究した産業科学総合研究所の研究者が2006年秋に宮城県内の自治体を訪れて、貞観地震と同程度の巨大津波に警鐘を鳴らした際に、その自治体の防災担当者の態度は冷たく、「何百年先かもしれないことを言われても困る」との反応であったという(日経4/11)。
 たしかに、先の同研究所の月報データでもわかるように、この地域を襲う巨大津波は過去において450年から800年ほどの間隔を置いて再来していた。その直近の大津波が西暦1500年頃なのだから450年の間隔だとするといつ起きてもおかしくは無いが、800年間隔だとすれば、それはまだ300年ほどの余裕があるということでもある。それでも防災の基本は「予想される最悪の事態」を想定して対策を組むことであって、最悪の事態を直視しないことなど、あってはならないことなのだ。
 この宮城県内自治体の防災担当者が、なぜよりましな事態のみを見ようとしたかは不明だが、10mを越える巨大な津波に対応しようとすれば今の5m程度の堤防を全面改修しなければならず、そのためには数百億の資金がかかることを嫌ったためではなかろうか。つまりこの担当者の考える津波対策は、大きな堤防を作って津波を阻止するという、国と地方自治体が従来からとってきた土木優先の防災対策の延長上であった。しかしこれも、先に見たように地震学者の間の合意形成ができていない状態では、一部の学者たちが東北太平洋沖での超巨大地震の再来と大津波の再来を警告したとしても、行政の防災担当者らの反応は鈍くなるのもまた当然のことである。
 さらに原子力発電所の場合はどうであったのか。
 実は地震に伴って原子力発電所が深刻な事故を起こす可能性については、1995年の阪神淡路大震災の直後から、一部の地震学者が警告していたことである。その地震学者とは、建設省の建築研究所国際地震工学部応用地震学室長を長く務めた石橋克彦であり、石橋は阪神淡路大震災の直前1994年8月に出した『大地動乱の時代−地震学者は警告する』(岩波新書刊)で、東海地震の前兆となる小田原地震が近いことを警告するとともに、近畿地方でも直下型地震が近いとの警告を発し、阪神淡路大震災を予告したとして知られる地震学者である。
 彼はこの震災で、安全といわれてきた高速道路の橋脚などが無残にも崩れ落ちた現実を目にして耐震工学の研究にも入り、その過程で、原子力発電所が極めて地震に対して脆弱であることに気がついた。そしてこのことを1997年から警告し続けてきたのだが、原子力関係の学者からは「石橋なんて知らない名前だ」と無視され「反原発」の過激な人士とのレッテルを貼られただけであったという。このため多くの地震学者は、原発の安全性に疑問があったにも関らず口をつぐんでしまったという(毎日4/18)。
 しかし貞観地震と津波の被害が明らかになった後、このことは原発の安全性を審議する経済産業省の審議会にも報告され、原発の現状への警告がなされた。それは2009年6月のことである。
 この会議の席上、産業技術総合研究所の活断層研究センター長である岡村行信は、貞観津波の知見に基づいて「津波に関しては(東電の想定する地震と)比べ物にならない非常にでかいものがくる」と指摘し、審議会の報告書にこのことが取り上げられないのはおかしいと主張した。
 しかし東電の担当者の反応は「被害がそれほど見当たらない。歴史上の地震であり、研究では課題として捉えるべきだが、設計上考慮する地震にならない」と検討課題にすることすら拒んだのだ。そして岡村は翌7月の審議会でもこの件を取り上げ、2004年のスマトラ沖地震の例等を示して複数の震源域が同時に動く地震の危険性を指摘したが、東電側は「引き続き検討を進める」と答えただけで、設計変更には応じようともしなかったという(赤旗3/29 毎日4/18)。
 東電側が動かなかった理由の一つは、原子力発電所の周囲で過去に大きな津波に襲われた記録がなかったことである。だから「被害がそれほど見当たらない」のだ。しかし歴史上の津波の高さが測定できないのは当たり前である。遡上範囲は砂などの分布で確認できるが、津波が漂流物を持ち上げた痕跡は、数ヶ月もすれば消えてなくなるものだからである。だから貞観津波の研究報告でも高さは示されない。
 しかし過去の記録が無いからと言って、科学的に推測された大津波を防災上無視するのはおかしい。防災のためにこそ設計の検討課題にすべきなのだ。東電担当者が貞観津波の再来を無視したのは、10mを越える津波では海抜10mの所にある福島第一原発では巨大な防潮堤を建設したり、非常用電源を高所に置くための頑丈な建物を建設したりする巨額の費用がかかり、対策の進捗情況によっては原子炉そのものが危険と判断されて廃炉となれば、東電に巨額の損失がでることを嫌ったからであろう。
 こうして地震学者全体の合意が形成されず、国の防災基準を示す会議で公式に貞観津波の再来の危険性が宣言されなかったために、地域の防災担当者や、原子力発電所の管理者や安全性を審議する担当者らが、「いつくるかわからない地震」のために巨額の対策費用を支出することはできないという目先の判断で、災害を防止することをサボる口実を与えてしまったのである。

▼次々と誘発される巨大地震

 こうして科学的に予測されていた貞観地震・津波の再来である3月11日の東北太平洋沖地震と大津波は、社会全体として取り上げられその被害を軽減するための対策をほとんどとられることなく、現実に起きてしまった。
 しかしこれはすでに過去の事実である。
 問題は、貞観津波の再来に備えられなかった理由を明らかにしたことを教訓として、次に予想されている災害に機敏に対応することである。
 すでに日々の報道を通じて、3月11日の巨大地震によって、少なくとも東日本全体の岩盤が不安定化し、各地で眠っていた活断層を活発化し、すでに幾つもの大きな直下型地震を誘発したことは明らかになっている。
 すなわちそれは、3月12日3時59分に中越長野北部を襲ったM6・7の地震、同じく12日4時47分に秋田沖で起きたM6・4の地震、そして3月15日午後10時31分に静岡東部富士山直下を襲ったM6・4の地震、さらに4月11日午後5時16分にいわき市西部を震源にいわき市・茨城県北部を襲ったM7・1の地震として次々に東日本各地で起きており、震源地では震度6程度の強震となって大きな被害をもたらしている。そしてこのような巨大地震によって誘発された直下型地震は、今後少なくとも一年間は、東日本のどこで起きてもおかしくはないと気象庁も発表している(毎日4/14)。
 各地で直下型地震が誘発されている理由はこうである。
 日本列島は、東日本が乗る北米プレートとその東日本に西からぶつかる格好になっている西日本が乗るユーラシアプレート、この2つのプレートに南側からフィリピン海プレートが沈みこみ、そこに東側から太平洋プレートが沈みこむという複雑な構造になっており、東西南北から4つのプレートが押し合っている格好になっている。そのうちの北米プレートが跳ね上がって東に最大50mほどずれたため、日本列島に東から掛かっていた圧力が減少したため相対的に西からの圧力が増大し地殻のバランスが崩れてしまった。その結果、東日本の全体において岩盤が不安定になり、西日本でもその東日本側において西から押し出す力が相対的に強くなり、ここでも岩盤が不安定になり活断層が動き始めたのだ。
 さらに東北太平洋沖地震を起こした震源域の南側には、まだ巨大な歪がたまっている房総沖震源域があり、ここも岩盤の活動が活発になっているために、M8級の巨大地震が誘発され房総半島から茨城・福島県沿岸を大津波が襲う危険性を指摘する研究者もおり(毎日4/12)、またこれ以外にも、北米プレートが跳ね上がったことで日本海溝の東側の太平洋プレートに西側から圧力がかかり、ここでも岩盤が不安定になってM8級の大地震が起き、再び岩手県から茨城県に至る海岸地帯を大津波が襲うと指摘する研究者もいる(日経・毎日4/18)。
 さらに誘発される直下型地震の中には、東京湾北部の活断層を震源とするものも危険性があり、M7級とは言え直下型地震が首都東京を襲うのだから、甚大な被害が予想されると指摘する研究者もいる(日経4/23)。
 まさに3月11日の超巨大地震によって日本列島は「大地動乱の時代」に突入した観があるというのが、地震学者の多くが描く今後のシナリオなのだ。これらはすでに新聞紙上でも報道されていることなので、一般にもよく知られた事実である。
 だがこの今後の地震・津波災害の予測には、もっと悲惨な最悪のシナリオが含まれていることは、新聞でもほとんど取り上げられていない。

▼房総半島から南九州を巨大津波が襲う−予測される最悪のシナリオ

 東北太平洋沖地震が、複数の震源域が同時に連動して起きた超巨大地震であり、東日本では起きないといわれてきた地震であることを気象庁が認めたとき、すぐにマスメディアでも出された疑問は、これが従来予想されてきた東海地震を早めないかというものであった。そしてこの当然といえば当然の疑問に対して気象庁や地震学者の公式見解は、「ただちに東海地震につながるものではない」という木で鼻をくくったようなわけのわからないものであった。
 理由は簡単である。
 複数の震源域が連動する超巨大地震がおきるメカニズムがまだ分らないからであり、その超巨大地震がさらに連続する海溝地帯の超巨大地震を誘発するメカニズムもまた科学的には解明されていないからである。
 しかし実際に超巨大地震が、付近で超巨大地震を誘発する事例はすでに観測されている。 それは2004年12月26日にスマトラ沖で起きたM9・1の地震であり、この地震以後この海溝では、すぐ東隣の海域で2005年3月28日にM8・6の巨大地震が誘発され、さらにその東隣の海域でも、2007年9月12日にM8・5とM7・9の2つの巨大地震が、そして2010年10月25日にも、その西隣でM7・7の巨大地震が誘発された。従って東北太平洋沖地震が、その周辺の海溝域で超巨大地震を誘発しない保障はないのである。
 今想定されている最悪のシナリオは、今後30年以内に、日本列島の南側のフィリピンプレートが沈みこむ場である南海トラフ側で想定されている4つの震源域、すなわち、東海・東南海・南海・日向灘の震源域で、それぞれM8級の4つの地震が連動して超巨大地震が起き、房総半島から九州南部までの広範囲の地域を高さ10mを越える巨大津波が襲うというものである。つまりこの地震は、想定される震源域が全長700kmにもおよび、地震の規模はM9を上回ることが確実な地震である。
 これを明らかにしたのは文部科学省のプロジェクトである「東海・東南海・南海地震の連動性評価」で、海洋研究開発機構や東大・京大・名古屋大などが参加したもので、その研究成果が4月7日に発表されたのだ(日経4/9)。そしてこのプロジェクトでは、四国や九州の地層や津波の痕跡調査の結果、過去にも1707年の宝永東海南海地震が4地域が連動した地震であったことが明らかとなり、この規模の地震は、今まで想定されていた東海・東南海・南海3地域連動の地震の揺れは想定の1.5倍、津波の規模は想定の1.5倍から2倍もの巨大なものになるという。
 こんな巨大な地震が日本列島の南側を襲ったらどうなるのか。
 先ず一番危険なのは、想定される東海地震の震源域の真ん中に位置する中部電力の浜岡原子力発電所である。ここは来るべき東海地震に対応して耐震設計されているとされ、津波も予想される6m程度のものなら、発電所南側にある高さ10mの砂丘で止められるとされてきた。しかし今回の震災を引き起こした大津波を見て、中電では砂丘の後ろに高さ12mの防護壁を築くことにし、非常電源を10m以上の高所に移した。
 だがここを襲う地震が、M8級の東海地震やM8・4の東海・東南海・南海連動地震ではなく、M9超級の東海・東南海・南海・日向灘連動地震ならばそのエネルギーは少なくとも32倍になるのだから、浜岡原発を襲う地震の揺れはM8級の揺れをはるかに凌ぐ巨大なものになり、原子炉そのものが揺れに耐えられるかどうか疑問である。さらに津波の高さは想定の1・5〜2倍ということは、今まで想定される津波が6mだから12m以上となる。10mの砂丘があっても「前進を拒まれた津波は後ろから来る津波で押され、高さが1.5倍にもなる」(関西大学河田教授談 毎日5/9)のだから、砂丘を駆け上がった津波がその後ろにできる12mの防護壁を乗り越える可能性は極めて高く、高所に移した非常用原電すら失われる可能性は高いのだ。
 したがって浜岡原発が運転中であったなら、福島第一原発が起こした事故以上の悲惨な事故となることは確実である。そしてこの原発が福島第一よりも多くの人口密集地帯に位置していることや、首都東京のほぼ真西に位置していることは、この原発が事故を起こせばその放射能被害によって人がしばらく住むことができなくなる地帯は、東海地方に留まらず首都圏も含まれることは確実なのである。
 菅総理大臣が唐突に浜岡原発の停止を要請したとき、財界や電力会社そして政治家の一部からも、「なぜ浜岡だけ停止なのか。日本中どこの原発も地震に襲われる危険はある。なぜ浜岡だけなのか説明不足だ」と非難の声があがったが、おそらく菅総理には、この想定される東海・東南海・南海・日向灘の連動超巨大地震の情報がしっかり届いていたものと思われる。
 この意味で菅総理の指示した浜岡原発停止は、安全だと判断されるまでのおよそ2年間の停止という決定であるが、想定される超巨大地震に備える第一歩としては評価できる。
 そしてこの超巨大地震が起きてしまえば、東海地方は名古屋地方と合わせて日本の根幹を支える大工業地帯であり、この海岸際を東日本と結ぶ基幹物流網である東名高速道路と東海道新幹線・在来の東海道線・国道一号線が走っており、この大工業地帯と物流網が地震と津波で破壊されることは確実であり、それが日本経済に与える打撃は今回の震災の比ではない。さらにこの地震で起きた大津波は大阪湾を5・5mの大津波が襲いほぼ大阪府全域が水没すると関西大学の河田教授は指摘する(毎日5/9)。

 想定される南海トラフ上での超巨大地震は、首都東京から西に展開する東海・中京・阪神の三つの工業地帯を破壊してしまう威力がある恐ろしい地震である。その上高さが10m以上の大津波が東は部房総半島から西は九州南部まで襲うのだから、津波に巻き込まれて死亡する人の数は今回の災害以上のものであろう。
 国もすでに2003年に東海・東南海・南海の三つの地震が連動した場合の被害想定を行っているが、その被害は静岡以西10県で震度6強以上となり、建物の下敷きや津波で最大2万5千人の命が失われるとしている(毎日5/9)。しかし今想定されている地震は、これに日向灘の地震が加わったものなのだから、被害はもっと大きくなるはずである。
 そして地震科学の研究は、先の研究プロジェクトも含めて、このような超巨大地震が過去何回も日本列島を襲っていた事実をすでに明らかにしている。
 この地域は従来江戸時代以後の記録から、90年から150年間隔で複数の震源域が連動する大地震が起きていたことはすでに明らかになっていた。この連動地震の直近は1946年の南海地震(この二年前には東南海地震)。さらにその前には1854年に相次いで32時間の間を置いて起きた安政東海地震と安政南海地震。そしてその前は1707年の宝永東海南海地震。これらは江戸時代以後の地震なので記録もかなり正確であり地震の規模や津波の規模もかなり正確につかめているが、江戸時代以前のものとなると記録が不確かで地震の規模を想定しにくかった。
 しかしこれらの複数の震源域が連動した大地震の中に、想定される4つもの震源域が連動して起きた地震があったことが、古記録や九州や紀伊半島などの地層調査や津波の痕跡調査で明らかになりつつある。
 すなわち直近に起きた4つの地震が連動しておきた超巨大地震は、1707年に起きた宝永地震。その前は1361年の正平地震。さらにその前は、684年の白鳳地震。これに石橋克彦がすでに指摘したように、887年の仁和地震がこのタイプだとすれば、これらの超巨大地震がおよそ200年から500年おきに起きていることに注目させられる。その最直近の地震が1707年の宝永地震なのだから、あれから300年経っている今日、いつこのような超巨大地震が起きても不思議ではないわけである。これは、先の研究プロジェクトを統括した海洋研究機構の金田義行は「300年から400年周期で4地震が連動している可能性が高い。防災対策は最悪のケースを想定すべきだ」と話している(日経4/8)こととも符合する。
 さらに注目されるのは、この中の887年の仁和地震である。なぜならこの地震の18年前には今回の地震とほぼ同規模の津波災害をもたらした869年の貞観地震・津波が起きているからである。このおよそ1100年前の日本で、東日本を襲った貞観津波と西日本を襲った仁和津波がまるで連動して起きたかのような姿を示していることは、極めて示唆に富む。つまり東西の超巨大地震が連動して起きた可能性が、ここから見て取れるからである。
 しかし残念ながら現在の所、こうした最新の研究成果を元にして、地震調査研究委員会が西日本の海溝部の地震の長期評価を変更する措置はまだとられていないし、今年4月7日の研究報告もネット上でもまだ公開されず、地震調査研究推進本部のサイトで公開されているのは、昨年5月までのものに留まる。
 だが今回の東北太平洋沖地震の規模M9は四つの震源域が連動しただけでは理解できない大きさだという。そこで新しい理論が提出されている。それは今回の地震で海底の岩盤が動いた量が海溝深部に近いほど大きいという事実に基づいて、二つのプレートが接している場所に未知の巨大な固着域、つまりプレート同士が強くくっついていて離れにくい地域があり、ここに予想以上の歪がたまっていたのが一気に解放されたためにM9の超巨大地震となったという理論である。そしてもしこれが正しければ、想定される三つの震源域が連動する東海・東南海・南海地震も想定されるM8超の規模の地震ではなくてもっと大きな地震となるし、ましてや日向灘を含めた4地域連動地震となれば、地震の規模はM9超の超巨大地震となるのである(日経4/25)。
 近年の地震科学の進歩情況は目覚しく次々と新しい発見が続いている。そして2004年・2011年と立て続けにM9を越える連動型超巨大地震が観測され、その上3月11日の東北太平洋沖地震は、世界で最も地震観測網が発達している日本で起きたのだから、その発生のメカニズムを解明するに役立つデータが大量に手に入れられたはずである。この観測データを元にして近年の地層発掘調査や古文献調査の成果を合わせて、早急に次の南海トラフでの連動型巨大地震の規模と発生時期とを特定してほしいものである。
 東京大学の都司嘉宣准教授は、「20世紀にM9.0以上の地震は史上最大のチリ地震(M9.5)など4回あったが、いずれも53〜64年の13年間に集中している。その後、40年間はなかったのに、今世紀に入って04年にインド洋大津波を起こしたスマトラ沖大地震があり、今回の東日本大震災。これは偶然とは思えない。地球全体で警戒すべき時期に入ったといえるのではないでしょうか」と述べている(毎日5/9)。すでに今回の地震のあとの3月18日に京都大学防災研究所は、「本震の震源断層のずれにともなう静的応力場変化に伴う誘発地震」として東海・東南海・関東・房総沖への影響を算出している。これによると応力変化は房総沖でかなり強く、東海・東南海ではやや強くなっているので、東海・東南海地震をやや促進する傾向があることを報告している。
 そしてもしこの地域で超巨大地震が起きてしまえばそれに伴って、今度は西日本の岩盤全体が不安定になり、そのため西日本でも直下型の巨大地震が頻発しかねず、このことは西日本の中央を東西に走る巨大活断層である中央構造線の西端に位置する川内原発を始めとして、西日本の多くの原発が活断層の近くに立地することの恐怖を改めてしめしている。
 こうして個々の地震学者らは、それぞれの専門の知識を生かして、近いうちに東海・東南海・南海・日向灘地震が連動しておきる超巨大地震が日本列島を襲うと警告し始めている。しかし地震学者全体としては、そして政府の防災対策の指針を示す役割を持っている地震調査委員会はまだこれらの新たな指摘を学問的に検討して、想定される最悪のシナリオを国民に示し、災害を軽減するための措置をとるように勧告をしようとはしていないため、政府も自治体も、そして各電力会社も、想定する災害に備えるために積極的に動いてはいない。
 すでに東北太平洋沖地震によって誘発された直下型地震の中で、いわき市西部を震源とする群発地震は次第に範囲を拡大し、福島第一第二原発の西部に位置する双葉断層の地域にまでその震源域は広がりつつある。この断層が動いてしまったら、今必死に事故を終息させようとしている福島第一原発は再び危険な状態に立ち至ることは必至である。
学者たちは、そして国や行政や企業体の防災担当者たちは、科学的に想定されている次の災害に対して迅速な対応が取れるのだろうか。このことが、震災からの復興と原発事故の終息という困難な二つの局面に直面している日本を、さらに三つめの困難から救うカギとなっているのだ。貞観津波を地層調査で明らかにしていた産業科学総合研究所の海溝型地震歴研究チーム長の宍倉正展は、研究成果を実際の災害に生かせなかった自戒を込めて「1千年スケールの災害が起こり得ることを、行政の人たちも分かったと思う。同じ思いはもうしたくない」と語っている(産経3/28)。災害を出来るだけ防ぎたいという研究者の真摯な思いを再び無にしてはならない。今こそ防災科学に携わる人々の総力をもって国の防災指針を改定して政府や自治体・企業を動かし、次の予想される災害に迅速に対処することが求められている。

(5/11 すどう・けいすけ)


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