●食料は「輸入で済む」のか?

輸入食品への依存と食料価格の高騰

−中国製冷凍食品の中毒事件から見える事−

(インターナショナル第178号:2008年1・2月合併号掲載)


▼冷凍ギョーザパニック

 日本たばこ産業(JT)の子会社「ジェイティーフーズ」が輸入した冷凍ギョーザを食べた3家族計10人が、下痢や嘔吐など中毒症状で入院し、そのうち5歳の女児ら3人が一時は重体に陥ったことが明らかになった1月30日以降、中国製の冷凍食品に対する不安が日本中を駆け巡っている。
 その後の調査や日中両国の警察と公安機関の捜査によって、中毒は「中国製冷凍食品の問題」ではなく、人為的な農薬の混入という刑事事件の様相が深まった。
 実は中毒が発覚した直後から、生協関係者などの間では、事件の背景には労使紛争があるらしいと囁かれていたが、「解雇通告に反発した元従業員が嫌がらせをした」(週刊文春2月21日号)可能性も報道されはじめたのは、検出された農薬の高濃度を、残留農薬や工場で使用する殺虫剤の混入として説明するには無理があるからである。
 つまり今回の中毒事件は、何者かがパンに針を仕込んだとか、缶ジュースに農薬を入れたのと同様の、異例で特異な犯罪である可能性が強くなったのだが、一度火がついた中国製食品に対する警戒感と不信感は広がるばかりで、国産冷凍ギョーザの売上にまで影響が出る事態になった。
 「冷凍ギョーザパニック」とでも呼べるこうした現象の背景には、国際的な農薬規制や食品衛生管理の水準からは遅れていた、中国産品への根深い不信もあるだろう。
 だがより本質的には、輸入品による「価格破壊」が「庶民の味方」であるかのように語られ、同時にそうした企業経営が「成功物語り」として誉めそやされるなど、90年代半ば以降、広く日本社会に浸透した市場万能主義と、これに慣らされた「庶民」が食料品の産地や生産過程にますます無関心になり、いまや低価格と利便性ばかりが幅をきかす、現代日本に蔓延した「逆転した価値観」と無関係ではないと思うのだ。

▼価値観の逆転の進行

 実際に、低価格と利便性ばかりが幅をきかせる現代日本の食生活は、日本の食料自給率を低下させつづけてきた。
 農水省の統計によれば、1994年にはまだ46%あった食料自給率(カロリーベース)は、95年に43%、96年に42%と年々低下し、06年には、98年以降かろうじて維持してきた40%を割り込んで39%に低下し、先進国で最下位に転落した。ここまで食料を海外に依存するようになったのは、食料が、世界中の市場からいくらでも調達できる「商品」と見る価値観と無関係ではない。
 そうした価値観を社会に押し付けるやり口の典型は、途上国との自由貿易協定(FTI)交渉に現れていた。
 国内農業を犠牲にする食料品輸入関税の引き下げと、工業製品の輸出促進のために相手国の輸入関税を引き下げさせるバーターが次々と強行され、結果として自動車や家電などの基幹産業が潤う一方で、国産食料品の採算性は悪化の一途をたどったが、「高付加価値製品」を輸出して「安価な食料」を輸入するのが「国民の利益」だとする論理が、あたかも世論であるかのように政府と多国籍資本によって宣伝されたからである。
 しかもこうした食料品輸入の増加と並行して、日本国内では労働分配率の低下、要するに非正規雇用の拡大と賃下げが進行し、安価な輸入食品がいつの間にか低賃金に喘ぐ「庶民の味方」に祭り上げられ、あるいは労働者家族の所得低下で増加した共稼ぎ夫婦や、長時間労働を強いられる一人暮らしの人々から家事労働の時間を奪い、冷凍食品やレトルト食品の利便性を歓迎する価値観が社会に浸透するのを助長した。
 さらに言えば、輸入食品の安全性を確保すげき行政の責任も、BSI汚染の有無が不確かな米国産牛肉の輸入再開によって放棄されてしまったのだ。
 それは、食の安全や命の尊さよりも低価格や利便性という「商品価値」を優先し、戦後日本にも残っていた米作農家への感謝や、企業社会によって歪められとはいえ、仲間による相互扶助といった価値観を急速に破壊し逆転させる、新自由主義イデオロギーの攻勢の結果だった。
 このような、ここ10年ほどの間に起きた「価値観の逆転」は、同時に、人間労働を市場的な価値だけで、つまり利潤を追求する企業にとっての有用性だけで評価する、能力主義と称する労務管理を広く普及させたのであり、それがまた賃金引き下げの論理として活用された。食料を、市場でいくらでも調達できる「商品」と見なす価値観は、人間労働もまた「企業にとっての有用性」や金儲けの能力で賃金=価格が決まる「労働市場」で、容易に調達できる「商品」と見なす価値観と手を携えて社会に浸透したのだ。
 安価で便利な輸入食品への依存を深めた一方で、中毒事件を機に一転してパニックに陥る状況は、まさにこのようにして準備されてきたのである。

▼中国産食品への深い依存

 したがってこの国の食の安全を確保するためには、中国製食品を忌避するだけでは済まないのは明らかである。という言うよりも、新自由主義的攻勢の結果として現実となってしまった今日の日本の食料事情は、中国からの食品輸入なしには成り立たないまでになっているのだ。
 だからまた必要なことは、輸入食品の実態について、正確な認識を共有することだと思うのである。

 まず何よりも、中国からの輸入食品が他国に比べて特に危険だという事を示す証拠は、少なくとも日本には無い。
 検疫で見つかった輸入食品の食品衛生法違反件数を、厚労省の「輸入食品監視統計」(06年)で見ると、中国産食品の違反件数は530件と最大だが、それは輸入量が多く検査件数自体が多いためである。
 財務省の「貿易統計」によれば、07年の日本の食料品輸入総額は5兆3000億円で、そのうち中国からの輸入は9100億円と全体の17%を占める。ところが06年の冷凍食品輸入を見ると、輸入総額1400億円のうち中国産はその6割を占める812億円である。つまり中国産冷凍食品のシェア(市場占有率)の突出が、違反件数を多くしているのだ。
 ところが中国産食品全体の違反率(違反件数÷輸入届け出件数)を見ると、それは米国産の0・12%(第4位)を下回る0・09%(第7位)に止まっている。
 さらに、畜肉類を使用した製品を日本に輸出できるのは、中国に限らず、農水省が指定した工場に限られており、問題のギョーザを輸出した天洋食品は、「HACCP」(ハッセブ)や「ISO」(国際標準化機構)という品質管理の国際認証を取得しており、おそらくはこうした根拠にもとづいて農水省が「指定工場」として認定し、中国政府も検疫フリーの特権を与えたのだろう。
 多くの日本企業が、天洋食品の加工食品を輸入してきたのはこうした理由があってのことであり、その限りでは「中国の遅れた衛生管理」も偏見に過ぎない。
 ではその上で日本は、中国産食品にどの程度依存しているのだろうか。
 これも農水省の06年度統計などによれば、中国からの輸入依存が高いのは、生鮮野菜の46・4%、水産物の22・4%、大豆6・2%、トウモロコシ2・8%などである。ちなみにそれぞれの自給率は、生鮮野菜と水産物は79%と52%と比較的高いが、大豆はわずかに5%、トウモロコシに至っては0%つまり全量を輸入に頼っている。ただ輸入トウモロコシの用途別内訳は、家畜飼料の66%とコーンスターチ(トウモロコシでんぷん)の21%が大半で、後者も酒類や洋菓子の原料なので、いわば業務用と言うことができる。
 もっとも、トウモロコシの96・3%と大豆の76・5%は米国からの輸入で、自給率13%の小麦も米国からの輸入が53・8%を占め、米国への依存が群を抜いて高い。06年の輸入食品の生産国別シェアでは38%の米国がトップで、2位の中国は14%と半分以下だ。
 それでも、生鮮野菜や水産物など鮮度が重要な食品は、冷蔵輸送などのコストを考えれば距離の近い中国への依存が今後も高まる可能性が強いし、問題となったギョーザのような加工食品も、加工賃の安い(それは同時に中国労働者の低賃金をも意味するが)中国産の輸入が、この先もそれほど大きく減るとは考えにくい。

▼穀物価格高騰の影響

 ところがここ数年、日本の食料輸入は大きな危機に直面しはじめている。世界中で食料品価格が急騰し、「食料は世界の市場からいくらでも調達できる」という大前提が揺らいでいるからである。
 世界最大の穀物市場であるシカゴ商品取引所では、05年初頭から今年初頭までの3年で、小麦は3・32倍、トウモロコシは2・52倍にまで高騰したが、これを受けて06年から08年にかけて穀物輸出国に輸出規制が広がり、それがまた穀物価格の高騰に拍車をかける事態になっているのだ。
 穀物価格が急騰している背景のひとつは、原油価格の高騰に刺激されたバイオ燃料ブームである。バイオ燃料向けのトウモロコシ、サトウキビ、大豆などの需要が増加の一途をたどっているのだ。
 そうした中で、世界のトウモロコシ輸出シェアの43・3%(07年)を占めるアメリカでは、昨年ついにバイオ燃料向け消費量が輸出量を上回り、ブッシュ政権が2020年までに義務化するとした150億ガロンのトウモロコシエタノール燃料利用が実現すれば、これに必要なトウモロコシ生産量は06年の2倍強になる。つまりこのまま米国のバイオ燃料生産が増えつづければ、米国のトウモロコシ輸出量もこれに反比例して減少し、米国産に全面的に依存する(96・3%)日本の食肉生産や酪農は、壊滅的打撃を受けるだろう。
 そしてもうひとつの背景は、中国やインドなど新興国による穀物輸入の急増である。それは人口増加という問題もあるが、むしろ食生活の変化、つまり欧米的な肉食の広がりが食肉生産用飼料の需要を増加させ、とくに中国では、飼料用トウモロコシはなんとか自給を維持しているが、タンパク質飼料として重要な大豆の輸入は、99年の約1000万トンから07年には約3500万トンと3・5倍にまで増加しているのだ。
 しかも、こうして生産された中国の食肉は、自衛隊の給食からファミリーレストランの業務用まで、日本で広く使われている加工食品の原材料として輸出もされるのだから、飼料用大豆の価格高騰は中国産食品の値上げ要因となって、日本の「庶民の食卓」を直撃することになる。
 米国と中国という、日本が依存する食料輸出国のこうした事情は、いずれにしても日本の食料輸入に大きな影響を与えずにはおかないのである。

 ところで第二次戦後は長らく、農産物輸出国の主な課題は余剰食料と価格下落への対応にあり、それらの国の通商政策も、余剰食料をどう売りさばくかに主眼が置かれてきた。こうした食料供給が過剰な時期には、日本のような低自給率の国にとっては、有利な国際取引が可能だった。
 しかし需給関係が大きく変わり、食料品価格が高騰しはじめた今、日本のあまりにも無防備な食料政策は、その脆弱さを一挙に露呈することになる。「食料は世界の市場でいくらでも調達できる」という、政府と多国籍資本が広めた「常識」が今こそ見直されなければならない。
 そしてこの見直しは、食料や人間を商品としてだけ評価する、90年代半ばから強まった新自由主義的攻勢によって逆転させられた価値観に対峙し、わたしたち自身が、食の安全や命の尊厳を優先する価値観を再び取り戻す作業と一体だと思うのだ。

(2/20:さとう・ひでみ)


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