清掃工場を悩ます東京のごみ不足?
利権バラマキ型清掃事業が生み出した”珍事”


 東京都が増設をつづけてきたごみ焼却場でちょっとした異変が起きている。激増しつづけるごみ処理を名目に、1日数百トンものごみを焼却できる大型焼却炉を地元住民たちの反対を押し切ってまで建設してきたのに、近年では焼却するごみの量が不足して、ご自慢の大型焼却炉の稼働率が大幅に低下していると言うのである。
 例えば一昨年の98年11月に完成した新江東工場には、国内最大級の600トン/日の処理能力をもつ最新鋭の焼却炉が3基あるが、操業開始から今年6月までの約1年半の間に3基の焼却炉をすべて稼働させた日数は、全稼働日数の25%にすぎないという。最大1800トンの処理能力に対して、2基で1000トンのごみしかない日もあるという。
 もちろん1000トンでもすごい量だし、ごみの量が減ること自体は悪いことではない。しかし所詮は火力発電用ボイラー技術の流用でしかないごみ焼却炉は、火力が不均等な雑多なごみを「燃料」にしているために焼却温度の管理が難しいうえ、この温度を一定の高さに維持しないと、ダイオキシンなどの有毒ガスの発生原因になるという問題を抱えている。新江東工場の2基の焼却炉で1000トンというごみの量はこの温度維持の下限量、つまりこれ以上少ない焼却量だと有毒ガス発生の危険があるという量なのだそうだ。
 だから実にばかげた話だが、都内の他の工場から「ごみの回し」をしてもらうなどということもあるようなのだが、最近はどこの工場もごみの量が足りないのだという。杉並工場でも、予備の1基を含めた300トン/日の焼却炉が3基あるが、昨年5月以降の1年間に通常の2基を稼働させた日数は9カ月、つまり年間稼働日数の4分の1は1基の焼却炉で間に合ったというのである。
 多額の都民税を使い、地元住民たちの反対を押し切り、東京清掃労組の「自区内処理」原則に立った清掃事業の特別区移管に伴う条件整備の要求を逆手にとるようにして推進されてきた焼却工場の増設が、東京都の計画と予測のいい加減さのために、とんでもない無駄遣いになっているのだ。

利権ばらまき型清掃事業

 ごみの減量が清掃事業当局を困らせるなどという珍事は、おそらく世界に類をみないことだと思われるが、それは東京都のごみ行政が、区への移管を含めて、本質的なところではごみ減量などを追求してはいなかったことを暴露するものであろう。
 かつて東京都は、清掃事業を23区の特別行政区に移管させる大義名分として、都民に身近な行政区に事業移管することで、ごみの減量などきめ細かな清掃事業が実現できると主張した。ところが事業移管を都に要求してきた東京23区には、ごみ減量を推進する準備などまったくなかったし、区内には何の処理施設ももたず直営収集車の駐車場すら確保していない区さえあった。むしろ23区は、当時はまだ年々増加するごみ処理のために事業として拡大しつづけていた清掃事業を、行政区が勝手に差配したいとだけ考えていたフシがあるし、東京都の方にも、手間のかかる清掃事業を23区に「丸なげ」して、清掃労組も一挙に「23分割」できる一石二鳥との思惑が働いていたフシがあった。
 だから東京清掃労組は、焼却埋め立て型から循環型清掃事業への転換を掲げ、各区に清掃事業を移管するなら、「自区内処理」の原則にもとづいて循環型清掃事業のインフラを各区に整備すべきだと主張した。
 ところが東京都と23区の、清掃労組の要求を受け入れたかのようにして作られたインフラ整備計画は、ごみの減量や循環型への転換はそっちのけで巨大な焼却工場を各区に建設するなど、公共事業利権を23区にばらまく計画として策定されたのである。
 かくして過密都市・東京の繁華街や住宅地のただ中に、100メートルを越える高層煙突を備えて日に数百トンのごみを焼却できる工場が次々と建設される反面、リサイクルの決め手と言われる分別収集などは一向に進まない「焼却型」清掃事業が大々的に展開されることになった。すでに23区内では17の焼却工場が稼働し、外に2つが建設中、将来は新宿区、中野区、荒川区に3つの焼却工場を建設する計画まであるのだ。

清掃事業利権とリサイクル

 ところが日本経済が右肩上がりでなくなったことで、ごみの量も右肩上がりには増えなくなった。昨年99年に東京23区内で収集されたごみの量は360万トンで予想の384万トンを下回り、ごみ焼却工場増設キャンペーンの根拠となった89年の収集量490万トンというピーク時との比較では、実に3割近い減量になった。付け加えておくが、この3割近いごみの減量は東京都や23区の減量努力というよりも、バブル景気崩壊以降の景気の悪化と軌を一にした消費の減少にともなうものが大半であり、昨年のごみの減少は、オイルショック不況当時の水準にまで消費が減ったことを示すだけなのである。
 今年は、容器包装リサイクル法の完全実施などがあって「循環型社会元年」などと言われているが、大量生産・大量消費そして大量廃棄というフォーディズム資本主義からの転換を戦略的に構想できなければ、循環型社会が系統的に形成されることはない。
 清掃事業にしても、いわゆる箱物行政の同類にすぎない巨大焼却工場建設や、ごみ収集の民間委託をめぐる行政と業者の癒着といった、フォーディズム型資本主義の繁栄のもとで形成された旧態依然たる利権構造をそのままにしておいては、どんな法律や制度がつくられても循環型の清掃事業が育成されていくことはないだろう。
 なぜなら、ごみ収集の下請けも、数年前に導入された東京都指定のごみ収集袋も、前述したごみ焼却工場の建設も、行政が説明する建前はどうであれ、それぞれが発注する行政と受注する業者の癒着によって政治利権化され、これを既得権にした勢力があらゆる事業転換や新方式の導入に激しく抵抗し、問題の解決の先延ばしに全力を挙げつづけているからである。そしてむしろ近年の不況によるごみの減量は、大量廃棄という社会問題の切迫感を緩和することで、逆に循環型清掃事業への転換の緊急性や重要性への認識を後退させる方向に作用するだろう。
 だから階級的労働者は、「ごみの回し」などというばかげた事態を生み出している清掃事業の実態を冷静に調査・分析し、つぎの好機に活用できる資料、情報、人材を蓄積しながら、戦略的構想を確立する闘いに集中する時なのである。        

   (S)


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