薬害エイズ裁判 無罪判決の不条理
管財学癒着を追求しない 検察側立証のずさん


 東京地裁は3月28日、エイズウイルスに汚染された非過熱製剤を血友病患者に投与し死亡させたとして、業務上過失致死罪で起訴されていた元厚生省エイズ研究班班長・安倍英被告に無罪判決を言い渡した。
 その理由として永井判事は「本件当時、被告において、抗体陽性者(HIV感染者)の『多く』がエイズを発症すると予見し得たとは認められないし、非過熱製剤の投与が患者を『高い』確率でHIVに感染させるものであったという(検察官が主張するような)事実も認め難い」と断じ、医師としての過失はなかったとしたのである。
 周知のようにこの裁判では、1983年6月の厚生省エイズ研究班第1回会合の席上、「毎日毒を注射している」「もう殺してしまっている」など、エイズ感染に強い危機感をあらわにした安倍本人の発言が録音されたテープの存在がはじめて明らかにされた。それは遅くとも83年6月の時点で、安倍が「患者を殺す可能性」を完全に予見していたことの証拠である。だが永井判事はこの録音テープを証拠として採用せず、85年5月から6月にかけて、帝京大病院で安倍に非過熱製剤の投与を受けた患者が死亡した事件(今回一審判決の出たいわゆる「帝京大ルート」事件)について、当時は予見できなかったのだから過失は問えないと認定したのである。

追及されなかった安倍の変身

 もちろん安倍の反論はあった。そのひとつは、「本件当時、HIVの性質やその抗体陽性の意味については、なお不明の点が多々存在していたのであって、検察官が主張するほど明確な認識が浸透していたとは言えない」(判決文より)というものである。つまりHIVについて当時はよく解らなかったのだから、悲観的すぎる見解も、反対に楽観的すぎる見解もあり得たのだとの印象を地裁判事に植えつける反論である。
 その上で安倍と彼の弁護団は、前述の無罪判決の理由ともなった、非過熱製剤によるHIV感染の確率の「高さ」やHIV感染者の発症率の「多さ」の認識と予見の程度を争点として押し出し、感染と発症の可能性は予見できたがその「危険率は0・1%程度」という認識であり、検察側が言うような過失はないと主張したのである。安倍の法廷でのこの主張は、エイズ研究班第1回会合からわずか1カ月後の83年7月24日、一転して楽観的予見に転じた安倍が、帝京大の血友病患者会で強弁して以降、厚生省が国内製薬メーカーの過熱製剤を一括承認する85年7月まで固執した自説の擁護であった。
 したがって構造的薬害と言われるHIV感染事件究明の最大の焦点は、当時、血友病治療の権威として非過熱製剤によるエイズ感染の拡大を阻止しうる立場にいた安倍が、なぜかくも正反対の見解を、しかも1カ月の短期間でもつに至ったかであった。
 この安倍の変身は医学的に整合性のあるものかなか? それとも何らかの尋常ならざる非医学的契機が秘められているのか? だが法廷での検察官による立証では、この問題はほとんど追及すらされなかった。まさにその結果が、無罪という驚くべき判決だったと言えるのではないだろうか。

安倍の変身と権威主義

 HIV感染者の公然たる告発によって薬害エイズが注目を集めはじめたころ、過熱製剤導入の意欲が急速に後退した「謎の1週間」が話題になった。83年7月4日から11日の間に、過熱製剤の導入に意欲的だった厚生省の方針が正反対に転じたのである。
 この急転換の契機を、同年6月29日の世界血友病連盟(WFH)大会とする識者は多い。この大会が血友病治療は従来通りの方法で、つまり非過熱製剤投与もなお有効な治療法であると決めたからである。
 当時の経過を振り返ると、同年5月11日にアメリカ血友病財団(NHF)が「治療を変更する必要なし」との文書を配布したことと、このWFH大会の決定だけが、非過熱製剤使用を肯定的に評価した例外的事例である。否、むしろ尋常ならざる例外である。
 というのも81年6月に、アメリカ国立疾病管理センター(CDC)がエイズ疾病をはじめて週報で報告して以来、HIV感染が濃縮血液製剤によるものとは断定しないにしろ、その危険性を警告する報告や勧告ばかりが次々と発表されていたからである。
 ところが安倍は、このWFHの決定に飛びつくように楽観的見通しへと転じ、以降のエイズ研究班の論議では過熱製剤の導入にあれやこれやと反対を唱え、厚生省の方針を180度転換させるに至るのだ。
 当然のことだが、すでに繰り返し世界中で非過熱製剤への警告が出され、対応策として過熱製剤への転換が提起されていた状況の下で、その開発に立ち遅れた医薬品メーカーがWFHやNHFに猛烈なロビー工作を展開したと推測するのは、それほど不当なことではない。事実、薬害エイズ事件のいわゆる「ミドリ十字ルート」裁判では、医薬品メーカーの役員たちが、血液製剤によるHIV感染を警告する社内文書をつくりながら、在庫品整理という商業的利益のためにこれを隠して非過熱製剤の販売をつづけたことが暴露され、一審で実刑判決を受けたからである。
 だとすれば、日本の血友病治療の権威で治療薬の変更に強い影響を与える立場にあった安倍に対して、業界のロビー工作がなかったと考える方が不自然ですらある。しかも安倍が、自ら設立した財団法人にミドリ十字などの医薬品メーカーから資金援助を受けていたのは、まぎれもない事実なのだ。

官財と学の癒着構造

 薬害エイズ裁判にかぎらず、一般に医療過誤や薬品公害に関する裁判は医学に関する専門的知識が要求される、原告や検察側には難しい裁判ではある。
 だが安倍に関する今回の裁判では、検察側の立証が肝心な焦点を浮き彫りにできず、むしろ安倍のしかけた不必要な医学論議に引きずられて、むざむざ無罪判決を許す体たらくであったと言わざるをえない。
 繰り返していうが、83年7月当時の「安倍の変身」がいかなる医学的判断にもとづくものなのか? それは医学の見地から整合的であるか否かがこの裁判の最大の焦点である。それは検察側が、遅くとも84年4月までにはHIV感染とエイズ発症の危険を安倍が認識し、だから85年5月に安倍の指示で非過熱製剤を投与された患者の死亡には過失致死の責任があるという立証にも必要である。
 なぜなら安倍は、危険性の認識をこの時点で正反対に変え、厚生省が非過熱製剤を一括認可するまで危険率0・1%の持論を決して変えようとはしなかったからである。先に述べたエイズ研究班での安倍の発言を録音したテープが証拠として価値をもつのは、それまでの危機感あふれる安倍の言動と併せて、彼の尋常ならざる変身ぶりを彼自身の肉声が暴き出すからである。
 これまで安倍は、医薬品メーカーからの資金援助との関係を否定してきたし、それを率直に認める可能性もない。その意味で彼と医薬品メーカーの癒着を立証するのは、たしかに困難ではある。だがWFH大会の決定直後に危険性の認識を一転させたのは事実であり、そこには「WFHの権威」に追随することで日本における自らの権威を守るとの思惑が働いた可能性は追及できるのではないだろうか。その場合、安倍の変身は医学的判断ではなく権威主義の結果であったとの印象をつくることはできるだろう。それは、今回の酷い判決でさえ指摘せざるをえなかった「権威を守るため策を巡らせていたのではないかとはた目には映る」安倍の体質を浮き彫りにして、危険率0・1%なる安倍の持論の欺瞞と作為を暴き出すことになろう。
 だとすれば安倍の犯罪は業務上の過失でさえない。それはむしろ医師として当然なすべきことを意図的にしなかった、未必の故意による殺人と呼ぶべき犯罪と断じても過言ではない。そしてこうした断罪こそ、HIV感染被害者の多くが求めていることだろう。

 だがその上で、これは安倍の個人的犯罪と言う以上に、現代日本の医療と官僚機構と医薬品メーカーの癒着構造の断面である。こうした権威ある御用学者が、人間社会と民衆の生活にどれほどの被害をもたらしてきたかは、諌早湾の環境調査のデタラメなど枚挙にいとまがない。薬害エイズ事件での安倍の役割は、医学の名において行政やメーカーの行為に正当性を与え、これに反対する専門家たちをその権威によって押さえつけることにほかならなかった。
 今回の判決文には、この事件の「検討に当たっては、全体を見渡すマクロ的な視点が不可欠である」との文言がある。それは偏狭な医学論議に引き込まれ、焦点となるべき争点を見過ごして無罪判決を許した検察側立証に対する皮肉であるだけでなく、こうした構造的問題から目をそらした判決それ自身に対する強烈な皮肉であろうか。

(みよし・かつみ)


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