諫早湾干拓と魚つき保安林
「科学的」を盾にする農水省の「非科学的」事業目的


水門開放に対する抵抗

 4年前にしめきられた諌早湾干拓の潮うけ堤防の水門開放が、またとおのいた。3月27日の第3回会合で「水門を長期間開放して環境調査をする」との提言をまとめた第三者委員会が、4月17日の第4回会合では「約1年間は水門を閉じたまま調査する」との見解をとりまとめたのである。
 しかも当日の会合では、数年間の水門開放には防災面や準備工事に800億円が必要で実施が困難だとの農水省の見解があきらかにされた。さすがにこれは「前回の提言に沿っていない」「短期間の開放調査ではメリットがない」など、多数の委員の反対で結論がさきおくりされたが、水門の長期開放から干拓事業が中止においこまれるのを阻止しようと、官僚たちの抵抗が手をかえ品をかえてくりかされていることがあばかれた。
 自らの失策をみとめないのは日本の官僚に特有の性癖ではないが、諌早湾干拓事業ではいささか度が過ぎる観がいなめない。その背景をさぐってみた。

事業全廃方針を葬った農水省

 水門の開放がおくれそうだとの報道が出はじめた4月12日、ある農水省幹部は、自民党幹事長・古賀から電話で「もし開放に時間がかかるなら、安心して漁ができるセーフティーネットを保証すべきだ」と迫られた。しかしこの農水省幹部は「参院選も目前ですからね」と苦笑しつつ、「科学的調査なので、根拠もなく開放を早めることは出来ない。だが内閣が代わっても開放調査は必ずやる」と語ったという。ちなみに古賀の選挙区は、有明海に面する衆院福岡7区である(4/14:朝日新聞夕刊)。
 この記事は、地元の海苔養殖漁民の怒りの前に右往左往する自民党と、「科学的」に事態を見きわめようとする農水官僚の冷静さを印象づける。しかし自民党の右往左往は事実としても、諌早湾干拓事業の経過をふりかえると、冷静さをよそおう農水官僚が水門開放調査は確約しながら、科学的にはほとんど意味のない「短期開放」に固執する理由が見えてくる。
 いまから20年前の1982年、当時の長崎第2区選出の自民党衆院議員・金子岩三(故人)が農林水産大臣に就任すると、諌早湾干拓事業の規模は一挙に3分の1に縮小され、ほぼ現在の規模になった。金子は82年12月29日に農水省記者クラブで、「農水省が長年にわたってこのような計画を続けてきたのは失敗で、官僚の無定見ここに極まる」と最大級の表現で農水省の役人を糾弾し、当時の規模の事業のとりやめを宣言したのだ。
 金子は、かねてからこの干拓計画に疑惑をもち、農業土木利権をめぐって癒着した農水官僚、建設業者、政治家がでっちあげた事業であると考えていたようで、大臣就任とともに干拓事業の全廃をめざしたという。だが当時の事業担当者である森実構造改善局長や松本事務次官などの農水官僚は、干拓事業の防災機能なるものを持ち出して執拗に反対し、ついに金子の全廃方針を葬ったのである(『AERA』97年6月23日号)。
 そしてこのころから、干拓事業の目的は農地造成よりも防災や排水不良対策が強調されるようになるのである。

地元の伝統、事業の口実

 もともと諌早湾は、広大な干潟があることでわかるように、周辺の河川から大量の土砂が流入する海である。
 その土砂は地元で「がた」とよばれる堆積地をつくり、これを干拓して農地にすることは昔からおこなわれてきた。ただ「地先(ちさき)干拓」といわれるそれは、「がた」が既存干拓農地とおなじ高さになるとその部分を囲いこんで干拓する、いわば自然のテンポにあわせたものであった。しかもそれが周期的におこなわれないと、既存農地が排水不良におちいるという事情もあった(『ACT』01年3月12、26日号「奪われる干潟」より)。つまり諌早湾伝来の干拓は、この地に生きる民衆の知恵だったのである。
 問題なのはこの伝統を利用して、あるいは干拓農地の排水不良解消をのぞむ農家のねがいを口実に、地先干拓とは比較にならない大規模干拓が計画されたことにある。しかもこの干拓事業が計画されてからは、排水不良対策として効果的なことが明白な排水ポンプの整備・増設がむしろないがしろにされ、さらに防災目的が、科学的根拠もなしに強調されれていることである。
 排水ポンプの設置が効果的なことは、事実がものがたる。ポンプが稼働している農地は大雨や冠水があって早く乾くが、ポンプが設置されていなかったり故障や停電で稼働しなければ、乾くのにより長い時間がかかるという(前掲『ACT』)。防災にしても、1957年に760人もの死者・行方不明者を出した諌早大水害がひきあいに出されるが、この水害は本明川の川幅の狭さや橋げたに流出物がつまったことが原因とされ、諌早湾の干潟とはなんの関係もない。しかも当時、主な水害原因である河川の氾濫対策は「ダム計画など建設省の担当だ」と主張したのは、ほかでもない農水省自身であった(前掲『ACT』)。
 デタラメもここまでくれば、「官僚の無定見ここに極まる」と言った故金子大臣の糾弾が説得力をもつし、農水省幹部が水門開放について、科学的調査を云々する資格などないことをあばくに十分である。

魚つき保安林

 伊豆半島のつけ根、小田原と熱海のほぼ中間に真鶴半島がある。この小さな半島には近海の新鮮な魚介をつかう人気の磯料理店や民宿が点在し、東京から通う人も多いのだが、半島先端にある「魚つき保安林」という照葉樹林のことは、あまり知られていない。保安林だから伐採や開発が規制されているが、その理由が「魚つき」である。
 こころはこうである。この楠(くすのき)林は根元に豊かな雨水をたくわえ、その水は腐葉土の豊富な養分をふくんで海にながれこみ、この養分をプランクトンが食べそれを小魚が食し、さらに大きな魚がこれを食べるという連鎖をこの林が守っていることがひとつ。もうひとつは、大きく枝を広げた楠林が眼下の海に樹影をおとし、陰影を好む魚たちがこの半島の枝影につどい、豊かな生態系をつくるからである。

 ここ数年、上流から海に豊富な養分をはこぶ河川と海産資源の関係が注目されはじめ、近海漁業が成り立ちうる海の再生をめざす漁民たちの手で、河川周辺の植林が行われる例も見られるようになった。
 諌早湾の海苔と同じように、全国ブランドとして知られる広島牡蛎(かき)の養殖者たちは、1995年から広島市北部の太田川流域で植林をはじめた。桧(ひのき)、山桜、欅(けやき)など、その数は昨年までに約7千本にもなるが、きっかけは95年、養殖の牡蛎がはじめて赤潮被害で死んだことだった。植林は山の保水力を高め、腐葉土が川の栄養となり、その養分を含んだ川の土砂が干潟や砂浜をつくり、水産資源の豊かな海をはぐくむという牡蛎養殖者たちの期待は、目先の経済的利害をこえて、環境と食と命にたいする人々の意識をかえ、それによって失われた豊かな漁場を取りもどそうという息のながい闘いのはじまりであろう。
 ところで昨年から今年にかけて、諌早湾の海苔がおおきな被害をうけた「色落ち」は、海水中の窒素やリンなどの養分が不足するとおきる。今回はプランクトンが大量発生し、海水中の養分が吸収されたためにおきたといわれながら、肝心のプランクトン大量発生の原因が不明とされている。
 しかしプランクトンの大量発生は、海水が変色するほどではないとしても、魚介類に大きな被害をもたらす赤潮と同じ現象であり、赤潮の発生が海水の汚染と密接に関連していることは、これまでの経験から疑う余地はない。しかも近年、干潟は魚介類のゆりかごであり海水浄化に欠くことのできない機能をもつ場所であることが広く知られるようになり、むだな公共事業に対する批判とあいまって、干潟の埋めたてや干拓が中止においこまれる事例もふえてきた。
 ということは海の浄化装置・干潟と諌早湾の切断が、有明海の水質汚染とプランクトン大量発生の原因であることは、農水官僚以外は、誰の目にもあきらかである。
 農水省による諌早湾の破壊は、海と干潟と川と森林の連鎖、労働運動が経済成長神話のなかで見失ってきた、労働力の再生産に通ずる「命の循環」という問題を、あらためて多くの人々とともにとらえかえす好機を与えてもいる。

(いつき・かおる)


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