地球的課題の実験村 3月シンポジウム
生命が循環する世の中
資本主義社会への根底的批判の理念をかかげて


 きたる3月6日、東京・曳舟文化センターで「水・大気・土と生命が循環する世の中へ」と題された地球的課題の実験村シンポジウムが開催されることになり、各方面への呼びかけがはじまった。

 地球的課題の実験村(以下:実験村)は、千葉県成田市三里塚の新国際空港建設をめぐって、20年にもおよぶ反対闘争(三里塚闘争)に追い詰められた政府・運輸省が、未完の空港と周辺農民の「共生」を掲げて反対同盟との話し合いに応じることになった「成田空港問題円卓会議」に、反対同盟が、空港公団が予定している二期工事(平行滑走路と横風用滑走路の建設)を断念し、その跡地に実験村を建設するよう提案をしたことに端を発している。円卓会議では、政府・運輸省が農地を強制収用するという強権的な工事は断念することになったものの、二期工事そのものが放棄されるには至らなかった。しかし、円卓会議の討議を受けて政府部内に設置された「地球的課題の実験村」構想具体化検討委員会が、「若い世代へ−農の世界から地球の未来を考える」と題する最終報告を昨98年5月に提出、それには反対同盟が提起した地球的課題の実験村に通ずる理念が盛り込まれた。こうして三里塚現地の、政府・運輸省がなお平行滑走路の建設に固執する二期工区のただ中で、この理念を具体化し、全国でそして世界で同様の試みを実践する人びととのネットワークを広げようとする運動が、実験村としてはじまることになった。

 その実験村構想の具体化は昨年6月以降、空港建設反対闘争の先頭に立ちつづける反対同盟と全国で支援運動を担ってきた人びとの有志をはじめ、97年12月の地球温暖化防止京都会議での交流を通じて実験村の構想に接した人びと(その多くは反原発運動や国際ボランティア運動に携わってきた、三里塚の激しい実力闘争を体験していない「若い世代」だが)が相談会として集い、実験村のテーマである「地球的課題」や「農的価値」について議論を行い、あわせてこの運動の柱でもあり「実験」ともなるプロジェクト計画についての相談を東京と三里塚現地でつみかさね、3つのプロジェクト計画(北総大地夕立計画、地域自立のエネルギー、農と百姓のネットワーク)を具体化する作業をすすめ、準備会としてその第一歩を踏み出した。

実験村ツアーと国際交流会

 この準備会に集まった人びとが中心となって、実験村構想の現実的基盤ともなっている三里塚の多様な「農的価値」を実感し、そこで実践されてきた有機農業の現状などを直接見聞し、それを通じて各プロジェクトがより内容を豊富化させ、あるいは現実性を獲得し、さらに世界各地で「農的価値」を共有する活動をつづける人びとと三里塚現地の人びととの交流のために、「実験村ツアーと農の国際交流の集い」が行われたのは、昨年の10月10日のことであった。

 このツアーと交流会には、三里塚現地から26人、東京など各地から42人が参加し、農業と林業から出る家畜糞やおが屑といった「廃棄物」を利用する堆肥生産と、成田市から委託された家庭生ごみの堆肥化実験(堀越さん)、平飼養鶏場(わんぱっく)、平地林業・畑作・養鶏の複合循環農業(島村さん)、わんぱっくの共同出荷場など三里塚で営まれている農業現場を見学し、さらに御料牧場記念館、三百年杉(秋葉さん)、横つき井戸(三宮さん)など、こちらは北総台地と総称される千葉県北部の豊かな農業適地の「自然の循環」を見学するツアーの後に、共同出荷場でタイ、インド、エチオピアからのゲストをまじえた交流会が行われた。

 交流会では、これまで準備を重ねてきた各プロジェクト計画の概要と今後の進め方などが報告され、参加者からも実験村の具体化にむけたさまざまな抱負がのべられ、その後も「かつての戦士」と「若い世代」が、あるいは「かつての敵同士」が、実験村のもつ可能性と様々な「夢のプラン」について、夜まで交流か行われた。また太陽光発電装置や、汚泥から発生するメタンガスの燃焼装置(ミニチュア?)が、「地域自立のエネルギー」プロジェクトの一端として展示されるなど、実験村が掲げる「農的価値」の具体化と、そのためのネットワークの広がりが随所に感じられた。実は御料牧場という、空港建設用地に供されて失われた皇室所有牧場の記念館を見学したのも、北総農業の草分けでもあり、この地に適した農法や技術開発に貢献してきた(つまり三里塚でいわば「篤農家」の役割を果たしてもきた)御料牧場の在りし日の姿の中から、自然環境を最も有効かつ効率的(資本効率とは別物だが)に活用する農と生活の姿を探り、空港建設によって破壊された「自然の循環」や「農的価値」の再生に必要なことがらを探ろうとするためにほかならなかったのである。

資本主義と「再生産」

 実験村構想に対抗するように、運輸省と空港公団は、空港周辺に総合的環境対策を導入するとして「エコ・エアポート構想」を発表している。そこには、空港から出る生ごみを堆肥化して周辺農家に供給したり、空港内で太陽発電をするなど、一見すると実験村と同様の試みと受け取られそうな企画が並んでいるのだが、両者の根本的違いは、実験村の目標が自然の循環もしくは再生産過程を活かした「人間と生活」であるのに対して、エコ・エアポート構想の目指すものが、巨大空港から出る廃棄物の後始末や、運営経費のコストダウンに過ぎないことであろう。

 たしかに空港公団が、太陽発電や廃棄物の後始末の費用を自ら負担して周辺環境への負荷を減らすことは、「それが当たり前」のことながら、もちろん歓迎すべきことだ。しかし広大な近郊農業の適地をコンクリートで押し潰す一方で、海外からの輸入農産物を空輸する飛行機の発着基地であるというあからさまな矛盾と膨大なエネルギーの無駄使いは、エコ・エアポート構想では意識されることすらない。そこで意識されているのはせいぜい羽田空港との「政治的」競合、つまり羽田の拡張に伴う国際空港としての復活の声が自民党の内部でも高まりつつある事態に脅え、時代遅れの成田(国際線)と羽田(国内線)の分業論にしがみつき、他の幾多の巨大公共事業同様に「政治の負債」を象徴する空港を粉飾しようとする姑息な計算であろう。事実、成田空港の発着回数は限界に達し、羽田空港の24時間運用は実績を伴っていない。

 さらにこのコンクリートの巨大建造物が、北総台地の水脈を寸断し、あるいは降雨量にも影響を与え、これまで必要のなかった散水装置の導入を周辺農家に強制したり、地下水の枯渇が懸念される現実は、空港と実験村の、本質的な対立関係を物語っているという以外にはない。

 実験村のテーマは、人間をふくむ自然の再生産過程を、つまり資本主義が「支払いの必要のない価値」として収奪し、はては循環のサイクルをも破壊し、しかも社会的費用としても計上されることのない自然と人間の再生産の問題を、21世紀の「地球的課題」として捉え返そうとするか否かを問うているのである。それはまた自然に多くを依拠する農の世界を見下し、これを強権的に「近代的空港」に置き換えることを正当とした三里塚空港建設の歴史と政府・運輸省の非道を撃つ問いであり、あるいは人間の再生産つまり労働力商品の再生産にほかならない出産と育児を含む生活も「支払いの必要のない価値」として扱い、地域の共同体もろともこれを破壊した空港建設という公共事業を、戦後資本主義の本質的な非人間性として批判する問いをはらんでもいるだろう。

 「農的価値」や「自然の循環の活用」が示そうとしているのは、こうした現代資本主義社会への批判的理念であり、だからまたそれは、フォーディズムと呼ばれた後期資本主義の大量生産と大量消費そして大量廃棄という生産様式に対する根底的批判を、自然と人間の再生産という視点から再構築する可能性をもつ理念でもあろう。そしてこの批判的理念が、今では「総需要不足」と呼ばれる過剰生産による不況という、フォーディズムもまた逃れえなかった資本主義の限界とグローバル経済の危機によって、いやおうなく人びとに意識されはじめている現代資本主義社会への様々な批判との接点を拡大する度合いに応じて、「地球的課題の実験村」は、高度経済成長の申し子でありまた限界を象徴する成田空港を、社会的に包囲する新たなネットワークと大衆的包囲網を見いだすだろう。

                                                                                  (S・K)


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