高失業率と産業・金融再編
失業率押し上げる、戦後産業構造の大転換


完全失業率6%の予測

 6月1日に総務庁が発表した労働力調査によると、今年4月の男性労働者の完全失業率は、1953年の同調査開始以来最悪の5・0%を記録した。男女平均の失業率は3月の4・8%と同率だったが、男性の失業率は3月の最悪記録を更に0・2ポイント上回り、はじめて5%の大台にのって史上最悪の記録を更新した。
 失業者数も史上最多だった3月を3万人上回る342万人となったが、とくに倒産や解雇などによる非自発的離職による失業者が115万人となり、転職を希望するなどの自発的離職による失業者を7万人も上回った。転職などの自発的離職による失業を非自発的離職による失業が上回ったのは、「円高不況」の87年12月以来、実に11年4カ月ぶりである。
 70年代後半以降、高い失業率に悩まされてきた欧米諸国に対して、失業率が比較的低いと言われつづけてきた日本の失業率が、加速度的に悪化し始めたのは昨年の2月、それまでのワースト記録であった96年5月の3・5%を越える3・6%を記録して以降である。もちろんその直前の失業率も、4カ月連続(97年10月から98年1月)で3・5%を記録し、今回はじめて5%の大台にのった男性の完全失業率に限れば、すでに昨98年1月には3・7%に達して過去最悪の記録(96年5月の3・6%)を更新しはじめていた。
 だがわずか1年の間に、しかも総額で100兆円にも上る国家資金が不況対策として投じられたにもかかわらず、男女平均失業率で1・3%、男性のそれでは1・4%も急上昇した失業率(人数にすれば100万人以上もの失業者の増加)は、今日の失業問題がこれまでの不況期のそれとも、あるいは石油ショックや円高不況といった産業構造再編をともなった失業とさえも異なる、より深刻で大規模な日本資本主義の再編成によって引き起こされていることを示すに十分なものである。したがってブルジョアエコノミストたちが、2001年3月までには、失業率は少なくとも5・5%から6・0%に達するだろうとの予測を「半ば常識」として語るのは、大量の失業を生む日本資本主義の国家社会再編とも連動した金融再編と産業構造再編が、むしろこれから本格化することを明らかにすると同時に、そうした再編への彼らの期待の表明でもある。

キャッシュフローとスピード

 こうした期待を反映するように、5月13日の日経連定時総会で新会長に選出された奥田トヨタ自動車社長は、就任あいさつで「当面の最大の課題は雇用の安定、新しい雇用の創出である」と述べる一方で、「構造改革には痛みをともなうが、避けては通れない」とも述べ、産業構造再編にともなう失業の大量発生は「避けては通れない痛み」だと公言してはばからなかった。
 月ごとにワースト記録を更新する失業率の悪化が、長期不況の影響だけではなく「痛みをともなう」構造再編による「やむを得ない現象」と説明されるようになったのは、90年代の不況が戦後のあらゆる不況期を越えて長期化し、他方でニューヨーク株式市場が史上最高値を更新しつづけて「アメリカの一人勝ち」状態が周知のこととなり、日本の完全失業率が戦後史上はじめて4%を越えたころからである(98年4月に4・1%)。
 以来ブルジョアエコノミストの論調は、バブル経済のツケの清算、とくに国家資金による不良債権処理の要求を重点にしたものから、日本企業のキャッシュフロー経営(現金収支を重視する経営)への転換の必要と、政府による経済政策のサプライサイド政策(供給側重視の政策)への転換の必要を声高に説くものへとその重点を移行させ、転換のスピードアップがおおげさに騒ぎたてられた。そして悪化しつづける失業問題を「求職と求人のミスマッチ」、つまり職場や仕事の「変化に対応できない労働者」の問題として語り、「痛みに耐えて」変化に対応するよう労働者に公然と要求する論説が大手を振ってまかり通る状況は、こうした構造的再編成の必要を説く論説の流布と軌を一にして広がった。
 だが先のブルジョアエコノミストたちの失業率上昇の予測は、現在の失業が「労働者側の問題」ではなく、グローバル経済に対応する構造転換に乗り遅れまいとする「資本側の問題」であることを示している。
 なぜならいま、日本資本主義が直面しているキャッシュフロー経営への転換と呼ばれる構造再編の課題は、70年代後半以降、日本資本主義が最も得意としてきた製造コストの引き下げをめぐる国際競争とは決定的に異なって、資本それ自身の利潤率をめぐる競争、つまり投資に対する最大限利潤の極限的追求をめぐる競争への対応だからである。ようするに過剰生産による販売不振で利潤率が低下した事業を一日も早く切り捨て、利潤率のより高い事業を世界中に探し求めてこれに誰よりも早く参入し、その事業の利潤率が低下すればまたこれを一日でも早く切り捨てて転換するといった、資本の無政府的運動を解放する経営への転換が、だからまたあらゆる形態の資本に素早く変換できるキャッシュフローを重視する経営への転換が、現代のトレンドにされたのである。
 こうして、大規模な生産設備を維持し、大量の労働者の雇用を保障することは、それ自身として資本の無政府的運動の阻害要因と見なされ始めた。現在の業績の好不調を問わず、あらゆる企業が設備と雇用の「過剰感」を唱え、大規模な人員削減や設備廃棄(資産圧縮と負債削減)を中心にした事業再建計画=リストラを相次いで公表しているのは、この経営方法こそがアメリカ資本主義の好況の原因であり、このアメリカ型モデルへの追随だけが日本資本主義の経済的停滞を突破し、しかも新たな資本主義的繁栄を実現できるとする特殊なイデオロギー「ニューエコノミー」論の影響なのである。
 そしてもちろんこのイデオロギーの信奉者たちは、こうした資本の無政府的運動が引き起こした、世界恐慌の瀬戸際とも言える南米、アジアそしてロシアとつづいた通貨・金融危機という、つい最近の教訓には口を閉ざしているのである。

新たな政治再編の基盤

 現在の失業率の急上昇が「資本側の問題」であるとしても、これを規制する社会的な対抗力がなければ失業は増加しつづける。そして最大の対抗力たるべき労働組合は、日本最大のナショナルセンター・連合が典型的に示すように、日経連と共に「雇用創出の提言」をまとめるなど、ほとんど何の実質もない対策に終始している。
 連合が今日の失業問題に対して無力なのは、それが単に企業内本工労働組合だからと言うだけではない。この労働組合連合体の産業構造上の基本的性格が、前述した「製造コストの引き下げをめぐる国際競争」に対応した資本の道具であったからである。この関係をイデオロギー的に表現していたのが生産性基準原理賃金論なのだが、それは長時間の無料奉仕を含む労働強化を受け入れることで日本資本の強力な国際競争力を支え、これと引き換えに資本による生涯に及ぶ「中流階級」の生活保障を実現させる、つまり年功序列賃金と終身雇用を防衛するという論理であった。つまり企業内本工主義であれば、むしろ現在進行しはじめている「本工を対象としたリストラ」は、労働組合としての基盤の弱体化を招く重大な問題となるはずであり、連合がこうした人員削減に対抗できないのは、資本の要求が、製造コスト削減をめぐるものでは全く無くなっているからなのである。
 その意味で階級的労働者にとっての課題とは、フォーディズムに順応した労働組合(論)の歴史的総括にもとづいた、「労働組合の資本からの独立」という、古くて新しい問題と言うべきであろう。
 ところで連合が絶頂を極めた80年代は、こうした製造コスト削減によって高品質・低価格の製品を世界中に輸出し、日本を「経済大国」へと押し上げたのだが、世界的な過剰生産が、とくに第二次大戦後の資本主義の基幹産業となった自動車や家電の過剰生産が現実となった70年代後半以降は、日本資本の利潤率の低下もいやおうなく進行した。そしてむしろこの過剰生産下のコスト削減競争で日本資本主義に敗退し、80年代の苦境を通じてマネタリズムへの転換に向かう以外にはなくなったアメリカ資本主義の構造転換に、今度は日本資本主義が遅れをとることになった。戦後日本資本主義が、フォーディズムとテーラーイズムの優等生であった分だけ、マネタリズムとグローバル経済への転換に遅れをとったのである。
 今日、戦後の日本では経験のない高失業率の時代がはじまっているのは、そして今後ともそれが悪化しつづけると予測されるのは、この〃遅れた転換〃の結果である。というは立ち遅れの分だけ再編は加速され、その手段は荒々しいものとなり、他方ではフォーディズムに見事なまでに順応した労働組合つまり最大のナショナルセンター・連合も、この加速される再編に応じて自らの再編を加速せざるを得なくなるからである。
 かくしてこの経済と産業構造の、さらにはこれと連動する社会と国家の再編成の進行は、総評・社会党ブロックの解体を軸に展開された70年代後半以降の国家社会再編の諸結果について、つまりこの過程で生み出された労働者諸勢力である連合、全労連、全労協という労働組合全国組織を貫き、あるいはこれに対応する諸政治勢力、つまり民主党、共産党、社民党、新社会党を貫いて、新たな再編を迫る強力な基盤として作用することになるであろう。

  (ふじき・れい)


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