●国労定期大会と新たなILO勧告●
確信の持てない右派の脆弱さ
国鉄闘争の「失われた時間」


強靭な抵抗と脆弱な右派

 国労の第67回定期大会は、10月28−29日の両日、東京の社会文化会館(社文会館)で開催され、9月に実施された4党合意をめぐる全組合員一票投票で「過半数の支持を得た」とする本部中執が、改めて4党合意を受け入れて争議を収拾する運動方針の承認を求めようとしたが、闘争団をはじめとする左派勢力の強い抵抗のまえに、運動方針案の提案もできないまま休会となった。
 全組合員の一票投票での手痛い敗北にもかかわらず、国鉄闘争の自壊に直結するであろう4党合意の承認は、左派勢力の頑強な抵抗によって三たび阻止された。闘争団を先頭にした左派勢力が会場内外で展開した頑強な抵抗戦は感動的でさえあり、国労左派の「抵抗戦における強靭さ」を改めてわれわれに再確認させたのである。
 と同時に今大会は、4党合意を推進した右派チャレンジグループと革同右派の「右派ブロック」が、政府・運輸省そしてJR各社の期待に応えるイニシアチブとしては、はなはだ心もとない勢力であることを暴露することにもなった。なぜなら右派は、長期争議による疲弊から争議の早期終結を期待する組合員の「消極的支持」を得ることはできても、政治決着を推進する能動的勢力を、左派の抵抗を圧倒する「力」としては組織できないことが明らかになったからである。
 結果として国労の右派中執は、その面目を失っただけでなく自らの基盤の脆弱さをさらけ出し、解決内容はどうであれ、政府・運輸省が争議を強引に終結させるために行う最終的交渉の相手としては、当事者能力に欠け信用に値しない執行部であることを自ら暴露することになった。

失われた時間とILO勧告

 5カ月におよぶ攻防のすえに、三たび4党合意の大会承認が阻止されたことで、右派執行部が被った打撃は致命的と言って過言ではないほど大きい。
 その上、4党合意ではJRと国労の交渉を仲介するはずの自民党が、森政権の不人気に危機感を募らせて内部抗争を繰りひろげはじめた事態は、そこに政治決着に向けた積極的なイニシアチブを期待することを非現実的なものにしてしまった。支持率低下と党内からの批判に脅かされる森政権主流派にとって、採用差別問題は緊急の課題でもなければ急いで決着しなければならない重要案件という訳でもない。とすれば党の命運にかかわると言われる来年夏の参院選以前に、この問題に関わる積極的な理由はないだろう。
 その意味で4党合意は時期を失して現実的な有効性を失い、右派チャレンジグループと革同右派は、事実上の無方針状態に追い込まれても不思議ではない。
 にもかかわらず、それは国労の執行権を握りつづける右派チャレンジグループと革同右派による攻勢の頓挫を意味することはあっても、国労組織の疲弊による「転向」圧力の緩和や、一票投票で4党合意を支持した組合員が改めて闘う決意を取り戻すことを意味する訳ではないことも明白である。つまり国鉄闘争は、客観的に見ればなお自壊がかろうじて阻止されている防衛的局面にあると考えなければならないと思われる。
 しかも、5カ月に及んだ4党合意をめぐる攻防の時間は、右派中執を総辞職寸前にまで追い詰め、4党合意の白紙撤回も不可能ではない好機を左派が取り逃がした結果として、国鉄闘争それ自身にとって「失われた時間」となった。そしてこの失われた時間は、左派が活用できる有利な条件に悪影響を与えることにもなったと思われる。
 この悪影響を端的に示すのが、中間勧告につづく日本政府への勧告を検討していたILOの結社の自由委員会が、「関係者が4党合意を受け入れるよう求める」勧告案を準備中だという報道である。
 11月11日に、時事通信がILO本部のあるジュネーブ発として報じた「JR採用差別で『公正な補償』求める」と題された記事によれば、この勧告は11月の理事会で採択される見通しであり、この新しい勧告を受けて、無方針状態に追い込まれた右派中執が、改めて4党合意の承認を強行する可能性すらある内容であろうと思われる。
 だがしかし、この勧告内容が右派中執の意図する闘争団の切り捨てと同じと断定するのは性急に過ぎるだろう。時事通信の記事によれば、ILOが4党合意のうけれを勧告するのは、それが「関係する労働者が公正な補償を受けられることを保証したもの」と解釈した上でのことだとあるように、それはむしろ4党合意による低水準の解決に歯止めをかけ、改めて「公正な補償」を日本政府に促す内容を含んでもいるからである。
 国労と闘争団がやむなく4党合意を受け入れざるをえない事態になろうとも、不当労働行為に対する「公正な補償」の必要については妥協の余地がないという国際労働運動の原則は、新しい勧告でも繰り返し確認されていると考えられる。その意味では解決内容が明示されないままの4党合意の承認はなおILO勧告に反しており、厳しい力関係の結果としてJRの法的責任の追求を棚上げもしくは断念する場合であっても、それは「公正な補償」の内容が明示されて初めて可能となるのは当然のことだと思われる。

右派攻勢はなぜ挫折したか

 この状況をふまえて、つまり新しいILO勧告以降の政府・運輸省や国労右派の動向に備えながらだが、われわれはいま、国労の10月定期大会が明らかにした右派と左派の力関係を、国労とJRの内部に限られた相互関係としてではなく、今日の日本の社会状況の中で評価し直してみることが必要ではないかと考えている。
 なぜなら、国鉄闘争はたしかに厳しい防衛局面にはあるが、10月定期大会で明らかになった「右派の消極性」の背景には、客観的にではあれ、依然として左派を優位に立たせている国内外の情勢が横たわっており、これを主体的に捉え返すことで新たな社会的展開を追求する国鉄闘争への確信と、この確信によって再武装された能動的左派の形成に有益であろうと思うからである。
 それは、結局は膠着状況に陥った4党合意をめぐる攻防には、その本質において、戦後日本労働運動の左派の限界と共に、総評を解体して連合を成立させたJC派イニシアチブの限界も投影されていたと考えられることに関連している。もしそうだとすれば、国内外の二重の孤立に耐え、長期にわたって国家権力と対峙してきた国鉄闘争の現状は、総評左派とJC派という、55年体制下の労働運動の対極にあった両者の歴史的限界を越えて、グローバリゼーションという戦後資本主義の国際的大再編に対応する労働運動の展望を見いだすことなしには、いずれにしても打開できないと思われるのである。
 4党合意を推進したチャレンジグループと革同右派の展望は、98年8月定期大会に突如提出された5項目の「補強提案」で明らかなように、JR連合との組織合併によるJR企業内労組連合への回帰である。
 それは文字通り「14年遅れで『労使共同宣言』を受け入れるにひとしい」
(本紙103号)路線転換であり、闘争団の切り捨てという修善寺大会の清算なしには引き返すことのできない道であった。なぜなら「労使共同宣言」を拒否して国家的不当労働行為との非妥協的対決を選択した86年の修善寺大会は、JC派が主導する「企業社会と一体化した労働運動」が連合へと収斂された当時の労戦再編に抗して、たとえ企業社会から排除されようと、労働者の団結に基礎を置き、自立した労働組合として闘いつづける転機となる決断をした大会だからにほかならない。
 だが以降の14年におよぶ闘いの中で、国労自身が「企業社会から排除された」ことを自覚し、だからまた企業社会から自立して国家や資本と対決できる労働組合へと自らを再生する方針は、現在の右派のみならず、4党合意反対を貫いた左派からも提起された訳ではなかった。先進的な一部の例外はあったにしろ、総体としての国労は、国鉄がJRという民間会社になって多数の非正規職員を雇用し下請け化を拡大するなど、労働現場の再編成を急速に進めたにもかかわらず、実態としてはJR正規職員だけを組織対象とする排他的な企業内労働組合にとどまりつづけ、JRという企業社会から自立する組織的な基盤を、積極的かつ主体的には準備してこなかったと思われるのである。
 もちろんこうした弱点は、国労の問題というより旧総評官公労の「左派」組合に共通したことだが、チャレンジグループと革同右派が他ならぬその伝統的「左派」の内部から登場し、いまあえて企業内労組連合に回帰しようとするのは、国労の組織的基盤が排他的な企業内労組にありつづけてきた結果であったとは言えないだろうか。
 むしろ右派の誤算は、「企業社会と一体化した労働運動」にはすでにかつての威力がないことを、労働者大衆自身が実感として理解していたことであった。
 一票投票で「80%の支持」を豪語していた右派中執が、賛成が辛うじて過半数を越えた投票結果に愕然としただろうことは想像に難くない。だが組合員の知っている現実では、押し寄せるグローバリゼーションの荒波が終身雇用や定期昇給が当然だった企業社会を解体し、連合は組合員の雇用すら保障できずに閉塞感に悩まされている。長期争議に疲れた組合員といえども、この不確かで将来の保証もない展望に積極的に加担するほどの確信が持てなくて当然であろう。
 ここに、過半数の消極的支持を集めることはできても、左派を圧倒するような能動的な右派が組織されなかった要因がある。それはJR連合と手を携えて「企業社会と一体化した労働運動」へと転換することに、組合員大衆もまた確信を持てない結果であったと思われるのである。

積極的抵抗の背景

 一方、4党合意に反対する左派は、代議制と形式民主主義の呪縛をふりきって争議当事者の自己決定権を要求し、これを最大の武器として抵抗戦を闘い抜いた。それは4党合意支持の組合員の消極性とは対照的に、能動的で積極的な基本的人権を擁護する民主主義の要求だったし、5カ月間の攻防で強化されつづけた左派の積極性と、確信のない右派の消極性という関係が、形式的には少数派である左派が、4党合意の承認を三たび阻止できた「力関係」だったと思われる。
 そしてこの左派の積極性の背景には、国鉄の分割・民営化を強行した臨調・行革路線が破綻して「日本資本主義の旧構造=55年体制の再編の行き詰まり」が顕在化し、「それに追い打ちをかけるように、グローバリゼーションの荒波が日本資本主義に更なる産業再編、社会再編を迫る国際的圧力として押しよせている」(本紙113号)情勢が、つまり能動的な右派が組織されなかったのと同じ、企業社会の衰退という実感の伴った社会的変化があったのである。
 4党合意とJR連合との合併に未来はないという、闘争団員・家族と左派組合員を貫く確信はここから生まれ、この確信が左派に積極性を与えつづけたのだと思う。
 だとすれば、国鉄闘争の左派勢力が新たな戦略的展望を練り上げるには、左派に確信を与え、右派の消極性の要因となったこの情勢を、左派の主体的な能動性つまり国鉄闘争の明日を切り開く確信へと発展させる道筋を見つけることではないだろうか。
 臨調・行革路線の破綻はすでに多くの人々によって語られ、国鉄の分割・民営化政策の破産がJR完全民営化と三島会社およびJR貨物の構造的赤字の矛盾にあることは、国鉄改革の見直しを始めざるを得なくなった運輸省にとっても明らかである。これがひとつの道筋であろう。
 そして二つ目の道筋は、実は採用差別問題に関するILO(国際労働機関)勧告にあるとわれわれは考えていた。なぜなら昨年11月のILO中間勧告の背景には、グローバリゼーションの発展と、これに反対して多国籍資本と対決する国際的な運動の台頭があると考えてきたからである。
 たしかに日本資本主義に再編を強制するグローバリゼーションの圧力は、失業の増加や不安定雇用の拡大など労働者を犠牲にする現実として日本にも現れはじめたのだが、他方では、この犠牲の上に莫大な利潤を手にする多国籍資本と対決し、戦後ブルジョアリベラリズムの進歩的成果である労働基本権などの基本的人権を擁護して多国籍資本の規制を要求する、そうした労働運動や市民運動が相互に国際的連帯と大衆運動を発展させることにもなった。そのひとつの典型が、昨年11月に世界貿易機関(WTO)閣僚会議を包囲したシアトルの闘いなのだが、そこにはアメリカ労働総同盟・産別会議(AFL−CIO)の5万人の労働者が参加しただけでなく、国際自由労連(ICFTU)も現地で執行委員会を開き、「中核的労働基準の遵守」を国際ルールとして確立するためにILOとの共同フォーラムを設置するようWTOに迫ったのである。
 昨年11月のILO中間勧告は、こうした反グローバリゼーション運動を背景に、日本政府はILO条約違反の不当労働行為を放置していると非難したのだ。だからこそ運輸省は、この勧告が欧米諸国との通商交渉で利用されるのを恐れ、政治決着を餌に国労の右派中執を抱き込み、ILOが厳しく批判するだろう国家的不当労働行為を「無かったことにする」4党合意を、大急ぎで国労に飲ませようとしたのである。しかも国労内で激しい攻防がつづいていた5カ月の間、4党合意は「労働者に公正な補償を保証する」解決であるとILOに信じ込ませるために、彼らは説得工作に全力を傾けたのだと推測するのは決して的外れではないと考えている。

先進的事例から学ぶ

 しかし前述したILO勧告をめぐる新たな動向は、これをテコにして、グローバリゼーションに反対する国際的運動と国鉄闘争を直接結びつけることを難しくしたことはたしかであろう。とはいえ、国内的のみならず国際的にも孤立して国家と対峙しつづてきた国鉄闘争にとって、国際的な支援戦線の形成が可能性を持つこと自身が大きな転機となると思われる以上、やはりこの道筋の追求は必要であろうと思われる。
 それは国家と対決する全国闘争や労働組合ナショナルセンターが長期的に存在するためには、国内的な大衆的基盤以外に国際的勢力との連帯や協調が不可欠の条件と思われるからだけでなく、総評の解体と連合の結成による国内的孤立だけでなく、ソ連邦の崩壊と労働者国家の相次ぐ解体で世界労連が衰退し、これも一因となって国労が国際的にも孤立する、二重の孤立から国鉄闘争が脱する初めての可能性とも言えるからである。
 しかも、グローバリゼーションに対応して台頭した、多国籍資本と対決する国際的運動と直接連帯する可能性は、実は国鉄闘争自身の中に、すでに準備されている道筋ではないかとわれわれは考えている。この準備とは、ブリヂストン・ファイアストン(BSFS)争議で来日したアメリカ労働者への支援が縁で、96年8月、国労闘争団員を中心に現場労働者が主体となった訪米団が、全米鉄鋼労組(USWA)の招待で、9日間にわたってアメリカ各地の労働組合と交流し、争議を支援をしてきた実績のことである。
 80年代のレーガノミックスの下で、それまでの労働慣行を次々と破壊されて窮地に陥っていたAFL−CIOが、女性労働者や移民労働者を支援する社会的運動と連携することで再生に向かい始め、いまアメリカ系多国籍資本が推進するグローバリゼーションと対決する運動を担い、労働者の国際的連帯を組織してUPSのような多国籍資本との争議に勝利した等々の教訓を直接、しかも当事者から学ぶことは、そのレーガノミックスを模倣して国鉄の分割・民営化を強行した、中曽根の臨調・行革路線との対決として始まった国鉄闘争にとっては、グローバリゼーションと対決する国際的労働運動に合流していく可能性を開くのではないだろうか。

 新たなILO勧告が、不当労働行為の被害者に対する「公正な補償」という核心問題をないがしろにしない以上、国労闘争団が要求する「納得できる解決」は、グローバリゼーションと対決する国際的運動の一翼に位置しつづける。そして所属組合を理由とした採用差別という人権侵害を容認しないという課題は、多国籍資本が国家間の様々な格差を利用して「中核的労働基準」の切り下げを追い求める限り、国際労働運動にとっても無視できない課題でありつづける。
 11月8日には、東京高裁が本州関係の採用差別事件(9人)の控訴審で、「JRに使用者責任はない」として中労委命令を取り消した98年5月の東京地裁判決を支持し、中労委と国労の控訴を棄却した。「公正な補償」とは正反対の地裁判決を支持した高裁判決は、国労闘争団の戦意喪失を狙った政治的意図に貫かれたものである。
 だがこれは、いわば敵の「最後の切り札」である。しかし国家的不当労働行為の被害当事者である国労闘争団が戦意を喪失しない限り、グローバリゼーションの時代に、つまり「中核的労働基準の遵守」が通商交渉の「切り札」として利用される時代に、政府の意向に追随した一国的な司法判断が、グローバリゼーションという国際的圧力から逃れつづけるのは不可能である。

(11月17日)


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