【第24回参議院選挙】

自公連立与党は「大勝」したのか?

― 保守分裂選挙の東京都知事選と参院選の実相 ―

(インターナショナル第225号:2016年8月号掲載)


▼「大勝」した参院選後に都知事選の分裂選挙

 去る6月22日に公示され7月10日に投開票された第24回参議院選挙は、自民・公明連立与党が、目標としていた改選議席の過半数60を大きく上回る70議席を獲得し、マスメディアはこれを「与党の大勝」として一斉に報じた。
 ところが参院選直後の7月14日に告示されて31日に投開票が行われた東京都知事選挙では、参院選の大勝で政権基盤を磐石にしたはずの安倍自民党が、環境大臣や防衛大臣を歴任した小池百合子と、岩手県知事の経験を買われて自公両党の推薦を受けた増田寛也との分裂選挙となり、結果は自公両党の推薦を受けなかった小池の圧勝となった。つまり直前の参院選では「大勝」したはずの自公連立与党は、「自民党との対立」を巧みに演出して無党派層の支持を集めた小池に130万票もの大差で敗れたのである。
 首都・東京とはいえ地方自治体の首長選挙と国政選挙は別物との見方もあろう。だがこの2つの選挙結果は一見「対照的」に見えながら、実はある共通の傾向が反映されていると考えられる。
 つまり参院選の結果にしても、「改選議席数の増減」つまり改選される議席より増えたのか減ったのかという物差しだけでなく、前回参院選との比較つまり「前回選挙で獲得した議席数よりも増えたのか減ったのか」という物差し=「前回獲得議席比の増減」で見る必要があると思われるのだ。と言うのも「改選議席」は6年前の選挙結果であり、政党や政権の現状を考察するデータとしてはいささか旧いと言わざるを得ないからだ。
 そしてこの別の物差しを今回の参院選に当ててみると、マスメディアがそろって「大勝」と報じた自民党の現状は、むしろ「退潮傾向」と言う方が的を得てくるのだ。もちろん即断はできないが、選挙における「退潮傾向」は政権と党本部の求心力の低下を意味する。とすれば自民党本部に反旗を翻した小池百合子の都知事選立候補や、改造内閣への入閣を固辞した石破茂(地方創生大臣)の動向も理解し易くはなる。
 以下、こうした視点も含めて参院選のバランスシートを検証してみたい。

 本題に入る前にひとつだけ、野党統一候補として都知事選に出馬したジャーナリストの鳥越俊太郎の敗戦について触れておきたい。
 参院選で「野党共闘」を推進した人々の大きな期待を集めて立候補した鳥越は、次点の増田にも40万票ほど及ばず、小池には170万票もの大差で敗北した。これについて民進党の一部では、「野党共闘をなし崩し的に進めた党本部の責任」との非難が囁かれている。だがこの敗北はむしろ民進党東京都連の主流を占める「保守派」が当初から野党共闘に隠然と反対し、選挙戦に入っても、「鳥越推薦」を決めなかった連合と歩調を合わせるようにほとんど選挙運動をしなかった結果だと断じていいだろう。実際にも民進党の東京都連は、自公が推薦する「増田への相乗り」論などを持ち歩いて迷走をつづけ、それがまた野党支持者の不信をかうという「負のスパイラル」を助長したことは疑いない。

▼「改憲発議」が可能な国会の出現

 今回の参院選について、まずは70議席を獲得して「大勝」とされた与党に対して、今年3月に民主党と維新の党が合体して結党された最大野党「民進党」など、野党側の獲得議席を「改選席数の増減」という物差しで確認するところから始めよう。
 民進党は改選議席45に対して当選は32議席にとどまり、「議席を減らした」という意味では敗北を喫したと言えるが、もうひとつの有力野党たる共産党は、「アンチ安倍」票の受け皿となってこの間の選挙で党勢を拡大してきた勢いのままに、改選3議席を倍増する6議席を獲得する健闘で「勝利した」と言える。
 その他の「野党共闘」に加わった政党では社民党が改選2議席から1議席に後退、「生活の党と山本太郎となかまたち」は改選2に対して比例1議席と減らしたが、他方では無所属の野党統一候補として岩手と新潟で議席を獲得し政党要件(5人の党所属国会議員)を維持することになった。
 これに対して自公連立与党の70議席に加えて、現行憲法の改訂を唱える「おおさか維新の会」や「日本のこころを大切にする党」、さらに改憲に肯定的な非改選の無所属議員などを加えたいわゆる「改憲勢力」が、参議院の定数242議席の3分の2(=162議席)を超える165議席となり、「改憲勢力」が衆参両院で3分の2以上を占めて「改憲の発議」が可能な国会が、戦後日本の政治史上はじめての出現することになった。
 今回の参議院選挙の焦点のひとつが、集団的自衛権の行使を可能にした「安保関連法」の廃止を掲げる野党および市民派勢力が参議院で3分の1以上の議席を確保し、安倍政権による「改憲発議」を阻止できるか否かであった以上、改憲に反対する野党および市民派勢力は手痛い敗北を喫したと言うほかはない。
 そしてこれが、「与党大勝」というマスメディアによる参院選評価の論拠である。

▼前回獲得議席比の増減が示す、自民「退潮」民進「復調」

 では前回2013年参院選での獲得議席数と、今回の獲得議席数を比較して増減を見るという物差しで選挙結果をみるとどうなるだろうか。
 まず自民党は、前回選挙で65議席を獲得したのに対して今回は56議席と9議席の減少であり、公明党は前回の11議席に対して今回は14議席と3議席増の「健闘」であった。公明党の「健闘」は、結党以来最高となる757万3千票(7議席)の比例票を獲得した事実にも示されている。さらに「改憲勢力」ということで見れば、分裂した維新の会から「おおさか維新の会」に移った議員は5人で今回は7議席を獲得したのだから、こちらも2議席増の「健闘」と言えるだろう。つまり改選2議席と獲得議席7議席を比べて「おおさか維新の躍進」と言うのは、やはり過大評価の印象があるのだ。
 では野党側はどうだろうか。
 前回参院選で文字通り惨敗した旧民主党はわずか17議席しか獲得できなかったのだが、その旧民主党を引き継いだ民進党は今回、それを15議席も上回る32議席を獲得した。もちろん改選45議席から13議席も減らしたのだから「躍進」とは到底言えないが、惨敗した前回選挙と比べれば、明らかに「復調」の兆しが見えたと言えるだろう。
 また共産党は今回6議席と、前回8議席から2議席減の結果だった。こうした共産党の後退は、この間の党勢拡大の最も大きな要因であった「反安倍の受け皿」という役割がいよいよ終焉を迎え、「受け皿」を超える新たな「反安倍の対抗勢力」の登場が本格的に求められる状況がはじまったことの反映であろう。前回比86万票余の増加ながら比例区600万票の5議席にとどまり、地方議員団の組織力と機動力を競う公明党の後塵を拝することになった事実にも、そうした事情が反映されている。

▼政党と運動団体の協働、そして共産党の転換

 民主党改め民進党の「復調」を実現し、反安倍の「受け皿」にとどまらない「対抗勢力」の登場を促すような選挙結果は、当然のことだが昨年から全国的に展開された「野党統一候補」の擁立運動ぬきにはありえなかった。
 安倍政権による「改憲発議」を阻止するという共通の目標を達成しようと、全国各地で野党各党と市民派勢力が協働して「野党統一候補」の擁立が追求され、前回(2013年)参院選では31選挙区中、沖縄と岩手を除く29選挙区で自民党候補が当選、旧民主党は1議席も取れずに大敗を喫した「1人区」で32人の「野党統一候補」が擁立された。これはそれ自身として戦後日本の政治史上、稀有(けう)な取り組みでもあった。
 もっとも、この32の「1人区」の選挙結果は野党側の11勝21敗であって「野党共闘の成果だ」と胸を張れるほどの成果とは言えないかもしれない。だが「小選挙区制」の下で公然と改憲を目指す巨大与党が出現し、これに対抗する野党間の共闘や選挙協力が強く望まれてなお挫折と失敗とを繰り返してきた野党間の選挙協力が実現したことは、今後の野党間の政策協定や将来的な連立政権の構想に至るまで、大きな影響を及ぼす可能性を開くものであろう。
 そして「野党統一候補」擁立という戦後政治史上「稀有な取り組み」の背景にあったのが、言うまでもなく昨年夏の国会を包囲した安保関連法反対運動であった。
 本誌前々号の「新安保法制成立後の課題」でも述べたように、安倍政権による改憲と海外派兵を阻止しようと、多様な運動体が参院選で「統一候補」の擁立を求めるという大衆的圧力を受けて、民主党の枝野幹事長が「大阪維新」と決別した「維新の党」を含む野党5党と市民団体に呼びかけ、今後の安保法制反対運動の継続について話し合う会合が開かれたのは昨年10月の中旬であった。
 こうした会合はその後も各地で次々と開催され、国会に議席を有する政党と安保法制反対運動を担った大衆運動団体が「参院選の勝利」という同じ目標をもって共同のテーブルにつき、それによって32の「一人区」で「野党統一候補」が擁立され、前回参院選でも自民党候補に勝った沖縄と岩手以外でも、東北を中心に9つの「一人区」で勝利を収めたのである。「東北を中心に」と言うのは、東北6県はそれぞれ3年ごとに1人が改選される「一人区」だが、かつては「保守王国」と呼ばれた東北の6つの選挙区では、秋田を除く5つの選挙区で「野党統一候補」が勝利し、とくに福島では、最悪の原発事故の経験に背を向けるように原発の再稼動を推進する安倍政権への不審も手伝って、現職の法務大臣・岩城光英が落選の憂き目を見たのである。
 もう一ヶ所、与党の連敗に加えて現職の内閣府特命担当大臣・島尻安伊子が落選の憂き目を見た沖縄もまた、繰り返される米軍兵士の犯罪や事故という「米軍基地被害」の現実を無視しつづける自公連立政権に対する県民の強い不信の表明といえるが、この2つの選挙区に関する評価や分析は他の機会に譲りたい。

 ところでこうした野党による「共闘の効果」は、ほぼすべての「野党統一候補」擁立選挙区で、前回参院選における野党得票数の単純合計以上の得票を得るという相乗効果によっても明らかになった。そしてこの「野党統一候補」の擁立にとって重要な意味を持ったのが、共産党の路線転換であった。
 共産党はこれまでの国政選挙で、自らが支持できる候補がいる例外的な場合を除けばほぼすべての選挙区で独自の党推薦候補を立て、野党間共闘の協議を形式的には呼びかけても、結局は政策的合意ができなかったことを理由に単独で闘ってきた。だが今回の参院選では、すでに準備していた独自候補の擁立を取りやめる決断を含めて、文字通り全面的に「野党統一候補」の擁立を推進したのである。それは、この党もまた大衆的圧力を受けて路線転換せざるを得なくなったことを示すものであろう。
 しかし当然のことだが、こうした執行部の決断と転換は党内にただならぬ波紋を広げただろうことは想像に難くない。だが選挙の結果は、この転換が多くの有権者に歓迎されたことを明快に示したのである。というのも共産党の比例区票は前述のとおり前回比86万票余り増えたのだが、この事実は「選挙区に独自候補を立てないと比例区票が減る」という、党内で広く信じられてきた「ひとつの神話」の崩壊を意味したからである。

▼「二大政党制」の呪縛を解く新時代の共闘へ

 第24回参議院選挙は自公連立与党が改選議席の過半数を制し、それによって戦後日本の平和主義を転換する改憲を唱える勢力が衆参両院で3分の2以上を占める、戦後日本の政治史上はじめての政治状況を生み出すことになった。
 こうした、改憲を目指す巨大与党の出現とその後の選挙での与党の連勝は、「小選挙区制」という特殊な選挙制度もその一因ではあるが、なによりも反対派勢力の脆弱性、とりわけ民進党へと姿を変えた旧民主党の政治的迷走と言える主体的脆弱さに因るところが大きい。その最大の弱点が「最大野党」として他の野党に共闘を呼びかけ、あるいは共闘のイニシアチブを発揮するという点において、まったく有効性を持っていなかったという事であろう。要するに旧民主党は、二大政党制の呪縛のために「単一政党」に固執し、だからまたその政党観も党内の多様性に極めて不寛容であるという、多数派形成に背を向ける観念に囚われつづけてきたように見えるのだ。
 民意を意図的に「ディフォルメ=変形」する小選挙区制の下では、言い換えれば多数派と少数派の対決構造を人為的に単純化し、政策形成と決定の選択を二者択一へと狭めてしまう小選挙区制議会の下では、多数派の形成は「小異を捨てて大道につく」もしくは「共通する目標の設定」等々の方法を駆使した共闘や連携が不可欠である。ところが旧民主党はじめ他の野党も、この必要に背を向けつづけてきたと思うのだ。
 しかし昨年夏の安保法制反対運動の大衆的高揚と、低下しつづける「民主党の支持率」という党内外を貫く圧力を受け、共産党との共闘に難色を示す野田や前原といった民主党内の「保守派」の抵抗を抑え込み、ようやく野党共闘へと踏み出したのが今回の参議院選挙だったのである。
 もちろんその直接的な結果は共闘効果を十分に発揮したとは言い難いが、少なくとも野党間の選挙協力なしには「巨大連立与党」と渡り合って政策や予算を監視・検証する、野党としての最低限の仕事すらできないことも明らかになった。
 その意味で今回の参院選で実現した「野党統一候補」の擁立は、小選挙区制の導入時に想定された「二大政党制」とは違う政党のあり方を示唆したとも言える。それは維新の党と民主党が合併して「民進党」という「単一政党」になると言った政党再編とは違う、新たな政党間の協力や連携を生み出すことになるかもしれない。
 実際にも政党間の選挙協力を土台にした連立政権は、自民党と公明党によって何年もの実践的経験があり、「反共」という旧い旗印に固執しなければ、最大野党たる民進党と第2勢力たる共産党の選挙協力と連携は、自民・公明両党の連立と同様の効果をもたらす可能性は十分にあると言えるだろう。
 そしてまさにそうだからこそ、自公両党は「野党統一候補」の擁立に強い警戒感を露わにし、自公連立を棚上げして「野合」なる中傷を繰り返し、果ては民主党内の「反共」意識を刺激しようと共産党との共闘を激しく攻撃したのであった。

 第24回参院選は、戦後初めて「改憲発議」が可能な国会を出現させたが、他方では政党と大衆運動体の協働を通じて「野党統一候補」を擁立するという「戦後政治史上、稀有な取り組み」も出現させた。
 さらに選挙結果も、「与党大勝」というマスメディアの論調とは少しばかり異なる、自民党の「退潮」と民主党改め民進党の「復調」と総括できる内容であり、その原動力が「野党統一候補」擁立運動だったことも明らかにしたのである。

【8/4:きうち・たかし】


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