● 売り越しに転じた海外からの株式投資

「外国人投資家受けする政策」を追い求めるアベノミクス第三の矢「成長戦略」のお粗末

― 外国人投資家はいつまで日本株を買いつづけるか ―

(インターナショナル第218号:2014年7月号掲載)


▼1年8ヶ月ぶりの続落は「潮目の変化」?

 7月11日の東京株式市場は、日経平均の終値が前日比52円43銭(0・34%)安の1万5164円04銭で引けたが、この日で5日連続となる日経平均の続落は、一昨年の2012年11月14日、当時の野田首相が衆院解散の発言をする前日までの7日連続(11月5日〜13日)以来となる実に1年8ヶ月ぶりのことで、もちろん「アベノミクス相場」としては初めてのことである。
 続落の背景は、ポルトガルの銀行で経営不安が表面化したのを契機に欧米株が値を下げた流れをうけてのことだが、円相場も1ドル=101円代前半と2ヵ月半ぶりの円高・ドル安水準に振れたことで電機や自動車など輸出銘柄で売りが出たからだ。実際に業種別日経平均を見ると電気が0・48%、自動車が0・43%下落している。
 もっとも5日続落とはいえ下げ幅は273円(1・77%)程度にとどまり、逆に今回の下落で東証一部の騰落レンジ(25日間の移動平均)が107%となって「相場の過熱」を示す120%を下回り、「相場の過熱が薄らぎ、買いゾーン圏内になった」との声もある。しかし他方では「潮目の変化では・・・」という、株式相場の先行きを不安視する声も聞かれ始めているのも事実なのだ。何故なのか?
 それは「外国人投資家」と呼ばれる海外のヘッジファンドが、日本株について「強気の買い」一辺倒ではなくなっているからである。
 外国人投資家は昨年1年間で実に15兆円も株式を買い越していたが、今年の1〜3月の3ヶ月で総額2兆5688億円もの売り越しとなり、日経平均は昨年暮れ(12/30)の1万6291円から一転して「心理的壁」とされた1万5000円を割り込み、4月14日にはついに1万3910円と1万4000円割れまで下落した。その後、いわゆる「官製相場」と呼ばれる公的年金資金の流入で1万5000円台を回復はしたものの、「アベノミクス相場」を牽引してきた海外ヘッジファンドの日本株投資の動向がまったく不透明になってしまい、株式相場の先行きが予断を許さないものになったからである。

▼ヘッジファンドを落胆させた「成長戦略」

 改めて言うまでもないが、日銀による「異次元の」金融緩和と災害対策を口実とした巨額の財政出動が呼び起こした「景気回復への期待」は、長く低迷していた日本の株式相場を急速に押し上げることになったが、それはまた外国人投資家つまり海外のヘッジファンドが日本株を大量に買い込んだことで実現したのであって、日本経済が金融緩和と財政出動でデフレから脱却し、新たな成長軌道を描きはじめたからではない。その意味で「アベノミクス効果」などともてはやされてきた株価の上昇は、海外のヘッジファンドが投機的に運用する資金に大きく依存しており、だからまたヘッジファンドの動向次第ではその効果が大きく左右される、実に不安定な状態にあるのだ。
 これらのヘッジファンドが日本株投資で注目してきたのは、「大幅な金融緩和」と「機動的な財政出動」という第一の矢と第二の矢につづくアベノミクス第三の矢=成長戦略だと言われてきた。ところが昨年6月、安倍首相が自ら「民間活力の爆発」なる成長戦略を記者発表している最中に東証株価の急落が始まった珍事が象徴するように、安倍政権の打ち出す「成長戦略」は一向に「買い材料」とはならなかったのだ。つまり今年1〜3月の外国人投資家の大幅な売り越しという事態は、ヘッジファンドが安倍内閣の成長戦略に幻滅したか、あるいは実効性の乏しい「講演用の政策」に痺れを切らしたか、いずれにしろ日本の株式への投資戦略が大幅に見直された可能性が高いことを示している。それは少なくとも「アベノミクス第三の矢」である安倍政権の成長戦略が、ヘッジファンドにとって魅力的な、例えば景気のV字回復を達成しうるようなインパクトを持ちえていないという、安倍内閣にとっては厳しい政策評価を伴なっているのも疑いない。
 実際に安倍内閣が打ち出す「成長戦略」は、あまりにお粗末としか言いようがない。それに対する私の批判は2013年3月発行の「インターナショナル」212号・「旧態依然の成長戦略と『アベノミクス』の正体」を参照して頂きたいが、そこでは1970年代の2度のオイルショックで製造業中心の労働集約型産業に依拠した経済成長の限界に直面し、国家の投資戦略をインフラ投資から教育投資へと変更するなどして「知識集約型」産業構造への転換を推進した欧米諸国の教訓は、まったく省みられてもいない。結局それは高度経済成長モデル=輸出立国戦略の焼き直しであり、しかも国家官僚機構が民間資本を支援するといった上意下達の「国家主導型」成長戦略であり、だからまた新自由主義的経済政策とすら呼べないシロモノと言って過言ではない。
 新自由主義を信奉する安倍内閣の経済ブレーンたちが、第一の矢と第二の矢で醸成された「景気回復への期待」が株式相場を押し上げることで景況感が改善され、これを「規制緩和などの成長戦略」で後押ししてやれば、株価上昇によるキャピタルゲインの増加がもたらす消費の回復なども相まって、新たな景気拡大局面が始まるだろうと楽観していたとはさすがに思えないが、しかしそうだとすれば安倍の経済ブレーンたちは、「貨幣現象としてのデフレ」を解消するという「目先の課題」にばかり気を取られ、戦後の世界と日本の経済が今日直面している課題について、ほとんど何も具体的な検証や評価をしてこなかったのではないかと疑いたくもなる。
 だがまさにその「成長戦略」が不評だった結果として、「常に投機先を物色し、3ヶ月ごとに資金を出し入れする」足の早いヘッジファンドは、日本市場での荒稼ぎを手仕舞いにして、さっさと引き上げ始めたと言っていいだろう。4月末にニューヨークで行われた日本政府主催の投資家向け講演会で、あるファンドマネージャーが「アベの晩餐会はもういい。われわれが欲しいのは成長戦略の具体的な数値目標だ」と吐きすてたというが、それは日本市場から資金の回収を急ぐヘッジファンドの動向を象徴している。
 しかしこれは、現在の安倍内閣にとっては由々しき問題の始まりとなる。
 というのも安倍内閣の高い支持率は、安倍首相の悲願である戦後日本の平和主義の否定と言った政治信条はどうあれ、目先の経済的利益を期待させる経済政策つまり「アベノミクス効果」に大きく依存しているからである。そしてこの間、矢継ぎ早にすすめられた秘密保護法の制定やら日本版国家安全保障会議の設置、そして集団的自衛権に関する解釈改憲の強行などは、高値の株式相場が振りまく「景気回復の目くらまし」で高い内閣支持率が維持されている間に、言い換えれば「アベノミクス効果」の化けの皮が剥れる前に、安倍の政治信条を達成する突破口を切り開こうとする、焦りにも似た急進的戦術と見ることができるのである。
 逆に言えば「高値の株式相場」という「目くらまし」が失われれば、戦後日本の平和主義の否定という安倍の企てが頓挫するリスクが増大する。

▼道義性も整合性もない「成長戦略パッケージ」

 かくして安倍内閣は、日本の金融市場から逃げ出そうとするヘッジファンドを引きとめ、あるいは強欲な金融資本の対日投機を呼び込むために、「ヘッジファンドや金融資本が歓迎する政策パッケージ」を、新たな「成長戦略」として打ち出そうとする衝動に駆られることになる。法人税の大幅減税や「スマートワーク」なる「残業代ゼロ制度」導入の検討は、そうした「売国的外資迎合」策の典型であろう。
 そうした目線で見直すと、現在の法人税減税をめぐる論議と報道は最悪のご都合主義と言う以外にない。というのも安倍内閣が掲げた法人税減税は本来、課税対象を拡大することで個別企業の課税率を引き下げる「ドイツ方式」をモデルに、減税といえども税収が減らない手法が採用されるはずだったのだが、それがいつの間にか消費税率引き上げによる増収分を法人税減税の穴埋めに回し、代わりに企業は賃上げを実施するという、もはや政治的道義性も論理的整合性も無視したご都合主義が平然とまかり通る有様だからである。しかもこれを批判する有力な勢力がどこにも見当たらないという惨状が、この国の政治と経済の劣化を、それを担う人材の劣化として露にしているといって過言ではない。
 そもそも「現行社会保障制度を維持する財源が不足している」ことを名分に消費税率の引き上げを実施しておきながら、それを法人税減税の原資に「流用しよう」などという不謹慎極まりない議論が政府部内に公然と現れ、かつそれを抑制・批判する真っ当な声がほとんど聞こえてこないと言う事態は、近代政治の制度的正統性が危機に瀕する深刻な状況とは言えないだろうか。それは「安倍の反動的政治信条」といった「瑣末な問題」よりはるかに重要な政治問題であるはずなのだ。だいたい「建前と本音の乖離」が当然視され、だからまた普通選挙を手段とする近代民主主義が単なる形式に堕落させられた政治は、近代資本主義の正統性を担保する「代議制民主主義への信頼」を脅かし、「民衆の革命権行使を正当化する」条件を準備して然るべきであろう。
 さらに、産業競争力会議なる総理大臣の「私的諮問機関」に過ぎない会合が、農業や雇用といった「岩盤規制」分野に切り込む「残業代ゼロ」制度の導入をめざして検討を始めたのも、「とにかく外国人投資家受けする政策」を何とかして「成長戦略」に盛り込みたい、安倍政権の思惑を露にするものだろう。
 幸いこの画策は、「本人同意」と「労使合意」があれば労働者の業務や地位に関係なく、新入社員も含む全労働者を対象にするという「画期的に過ぎる内容」が災いし、「年収1000万円以上の労働者」という旧来のラインまで押し戻されたが、仮にこうした「残業代ゼロ」制度の導入が打ち出されれば、かつて残業代未払い問題で提訴され敗訴した大手牛丼チェーン「すき家」などの株式に、ヘッジファンドが巨額の投機的資金を投下する可能性は生れるだろう。ただしそれは、この国の未来を担う若者たちを「使い捨て」にして疲弊を強いる、この国の未来危うくすることと引き換えにである。
 20世紀初頭に帝国主義列強が世界中に植民地を築き、その利益を防衛すべく現地の民族資本にも「同じ収奪の権利」を認めたとき、植民地の民衆はこの民族資本を買弁資本と蔑称しその行為を「売国奴」と罵った。だとすれば今、自国民の社会保障を犠牲にする法人税減税や、未来を担う若者の健康と精神を蝕む労働法制の改編によって「外国人投資家」の歓心を買おうとする安倍政権の政策は、この「売国奴」の行為とどんな違いがあると言うのだろうか?
 ところがこの国では、「自国民を犠牲にして外国資本の歓心を買う」政策を批判する当たり前の声がマスメディアからも、「健全野党」ばかりか「伝統的な対決型野党」からさえ、ほとんど聴こえてこないのだ。この惨憺たる現実は、実は「安倍政権の強さ」とは、私たちを含めた「対抗勢力の弱さ」以外の何物でもないことを端的に示している。
 安倍政権の「危険な改憲思向」を警戒するあまり、あるいは政権復帰した自民党の「保守革命への傾斜」に対する危機感ために、旧い言い方をすれば「憲政の王道」や「民主主義の擁護」という重要なテーマが後景に追いやられて良いということにはならない。否むしろ「危険な改憲思考」の実現に向けて「政治的正統性」をないがしろにして平然とする安倍政権であればこそ、政治の王道に戻って民主主義や法治という近代政治の進歩的原則の擁護こそが急務になってはいないだろうか。
 近年のトレンドだった説明責任や情報公開の要求は、こうした近代政治の進歩的諸原則の徹底のためにこそ必要なことなのであったはずであろう。

(7/15:きうち・たかし)


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