●黒田日銀の「異次元の金融緩和」

「荒れる相場」が示唆する、アベノミクスの危険な賭け

(インターナショナル第214号:2013年6月号掲載)


▼振り回される金融市場

 アベノミクス「第三の矢」である成長戦略の最後のキーワード「民間活力の爆発」が発表された6月5日、東証(東京証券取引所)では安倍首相の会見が始まって一時間ほど過ぎた12時50分頃から株価が下がり始め、1万3600円台だった株価は午後3時の取引終了までほぼ一本調子で下がりつづけ、終値は前日比518円89銭(3・83%)安の1万3014円87銭と、今年3番目の下げ幅を記録して取引を終えた。しかもこの下げ幅は週明けの6月3日、前週末の終値より512円72銭も下落して「今年3番目」と言われた下げ幅を更新するものであった。
 東証は5月23日、1143円28銭(7・32%)安という実に13年ぶりの下げ幅を記録する暴落を経験したばかりだったが、当時はこの株価下落について、4年ぶりに101円台となるなど急進する円安と軌を一にして値上がりしてきた株価が「調整局面を迎えただけ」との楽観論が大勢を占め、アベノミクス効果への疑念にまでは至らなかった。
 だが6月5日の株価急落は、少しばかり様相が違っている。
 第一に、アベノミクス〈第三の矢〉すなわち「成長戦略の最後のキーワード」を安倍首相自らが記者団に解説する様子がテレビで全国放映されたのだが、その内容が市場関係者に伝わる過程で株価の値下がりが始まり、その後は大引けの3時まで一本調子の値下がりが続く異常事態が生じたからである。それは成長戦略最後のキーワード「民間活力の爆発」が、金融市場にとって全く魅力に欠けていることを象徴する事態であった。
 そして第二はこの日の株価下落以降、8日の乱高下、10日の急落、11日の急騰、そして13日には一時的とはいえ873円47銭安を記録するなど、「荒れる相場」が繰り返されることになったことである。年金基金など機関投資家資金の動向やら、安倍政権が大慌てで追加公表した「設備投資減税」導入など、実態経済とは直接関係の無い思惑やら期待に振り回される株価の乱高下は、為替市場の円・ドルレートの乱高下も伴ってアベノミクス効果に大いに疑問を抱かせることになったからである。

 しかし第一の問題は象徴的で本質的問題を孕んではいるが、アベノミクスにとってさほど深刻な問題とは言えない。なぜなら昨年8月に谷垣総裁と甘利政調会長の下でまとめられた自民党の「日本経済再生プラン」には、「『産業投資立国』としての新たな国家経済モデルを創ります」として「法人実効税率の・・・大胆な引き下げ」や「雇い手の社会保険料負担の適正化」などサプライサイド(供給側=企業)優遇・強化策が明記されていたのに対して、5日に発表された成長戦略にはこうした新自由主義的政策の「大胆な推進」が謳われなかったことが、投機家たちの嫌気を誘っただけと考えられるからだ。
 実際に636円67銭高となった11日の株価急反騰は、アメリカ連邦準備制度理事会(FRB)による金融緩和縮小の不安が薄らいだことが大きな要因ではあったが、前日10日の政府与・党連絡会議で安部首相が、「秋には・・・思い切った設備投資減税を決定したい」と述べたことが好感されたことも確かだからである。
 しかし同時に5日の株安は、「アベノミクス相場」とでも言うべき金融市場の活況が、実は長期に亘るこの国の経済不振の克服という課題から見れば、必ずしも有効とは言えない本質的問題を提起もした。というのも金融市場の活況の担い手である投資・投機家たちが安倍政権の「成長戦略」に期待するのは、安倍が強調した国民総所得の増加でもなければ日本の「産業投資立国」への変身でもないことが明らかになったからである。彼らの興味は株主つまり株式投資の担い手たちに利益をもたらす帳簿上の業績向上や利益の増加であって、犠牲に供される国家財政や社会保障制度の危機には、何の興味もないことがみごとなまでに暴かれたからだ。
 ところが第二の問題、つまり「荒れた相場」として現れた金融市場の乱高下は、アベノミクス自身が孕むリスク、とりわけ新総裁・黒田東彦(くろだ・はるひこ)氏率いる日銀が4月4日に打ち出した「異次元の金融緩和」政策が内包するリスクを強く示唆するという意味で、より深刻で重要なことだと思われる。

▼「インフレ目標2%」と金利を下げる国債大量購入の二律背反

 4月4日の日銀政策決定会合で決まった金融緩和策は、簡単に言えば、2年間で2%の物価上昇率を達成するために、マネタリーベース(資金供給量)を2年間で倍増するというものである。ちなみにマネタリーベースとは、流通する現金と日銀当座預金(金融機関が日銀に持つ無利息の口座)の合計で算出する。
 具体的な数字にすると、2012年末に138兆円だったマネタリーベースを14年末までに270兆円に倍増するために国債を大量に購入し、日銀の国債保有残高89兆円(2012年末)を、2年後の14年末には190兆円にまで増額するということである。
 白川・前総裁時代のマネタリーベースの増加は年間10兆〜20兆円規模だったから、文字通りの意味で「ケタ(桁)がひとつ違う」のだ。しかも新総裁の下で日銀幹部は、「デフレ脱却に向けた最後の戦い」と意気込む豹変ぶりである。
 さらに黒田総裁は、「資産市場の典型である株式と不動産について、リスクプレミアムを引き下げる余地があるものにつていは思い切った拡大をした」と述べ、ETF(指数連動型上場投資信託)とREIT(不動産投資信託)の購入も増加させるという。要するに日銀は株と不動産の投資信託を大量に買い込んで株価と不動産価格の引き上げを図り、膨張した資産価格のキャピタルゲインで金融市場をさらに活性化させようと言うのだ。
 こうした金融緩和の副作用やら危険性は後ほど指摘するとして、とにかく「ケタ(桁)がひとつ違う」黒田日銀の金融緩和は、市場へのサプライズとしても十分なものであり、だからまたその効果はすぐに現れた。「異次元の金融緩和」は2月に成立した補正予算の「機動的な財政出動」の効果とも相まって、日経平均は1万3000円、対ドルレートは100円が上限といった大方の予測をアッサリと突破し、5月15日には日経平均が5年4ヶ月ぶりに1万5000円台の大台にのせる急騰をみせ、対ドルレートも4年8ヶ月ぶりに102円台をつける円安となったのである。
 もっともこの株価急騰と円安の急進は、前述した5月23日の「13年ぶりの下げ幅」で冷水を浴びせられたのだが、実はもうひとつ、注目すべき事態が始まっていた。それは株高と円安がすすむ株式と為替市場の活況の陰で、一般の人々にはなじみの薄い債権市場つまり日銀が大量購入を決めた国債の取引が大荒れになったことである。前述の株式や為替の乱高下に先んじて、「荒れる債券市場」が現れていたのだ。
 黒田総裁による金融政策発表翌日の4月5日、10年もの国債の長期金利は一旦史上最低の0・315%まで下げ、その後は一転して売りが膨らんで0・62%まで上昇した。先物市場では債権価格の急落を受けて取引を2度も停止して値幅制限を拡大しているが、取引停止は08年10月のリーマンショック以来のことである。
 こうした荒れる債権市場の原因は、もちろん日銀による国債の大量購入である。より正確に言えば、「異次元の金融緩和」それ自身が内包する「二律背反」にあるが、ではいったい何が二律背反なのか。
 日銀が公表した政策委員会議事録によると、「異次元緩和」を決めた次の政策決定会合(4月26日)では、早くも複数の委員が「異次元緩和」の本質的矛盾を指摘している。つまり@金利の押し下げにつながる大規模な国債購入と、A金利の押し上げにつながる物価上昇率の目標(インフレターゲット)は、市場が相反する政策と受け止めて「動揺した可能性がある」との指摘である。4月5日の債権市場の乱高下を受けての指摘だろう。
 当然のことだが、日銀による国債の大量購入は国債価格を引き上げて金利(国債利回り)を低下させ、低金利による景気浮揚を目指す「伝統的」政策だが、一方のインフレターゲット=物価上昇率の目標設定は、好景気で金利が上昇するだろうという「市場の期待」を形成しようとする「非伝統的」金融政策である。
 こうした新旧2つの政策が同時に実施されること自身、超低金利政策が投資を促進しない「流動性のワナ」に陥って金融政策上の行き詰まりに直面してきた日本経済の混迷を象徴するのだが、今回の債権市場の乱高下は「2%」という文字通り「異次元の目標」が要因となっている可能性が高いのだ。というのは、インフレ期待を2%に設定してしまうと、実質利子率をゼロにまで引き下げたとしても、1%のインフレ期待の場合とは違って名目金利の上昇が避けられなくなる可能性が強いからだ、
 かくして市場は「金利は上がるのか、それとも下がるのか?」と迷い動揺する。というよりもどちらのメッセージを信じるかによって投資対象は全く逆になり、判断を誤ればその損失は莫大な額になりかねないのだ。とくに国債が大量に取引される債券市場は利回りの変動が取引の大きな要因となっており、その分だけ「荒れる相場」とならざるを得ないのである。
 これは、2%という「高すぎるインフレ期待」の故に発生するであろう株価と不動産を中心とする資産バブルと同じ、いわゆる「異次元緩和」の副作用のひとつだが、デフレ脱却や長期不況の克服、そして日本経済の立て直しという本当に必要な課題との関係では、より本質的な問題が指摘されなければならない。

▼インフレターゲットでは実現できない経済再生

 より本質的問題のひとつは、インフレターゲットの設定は「将来的な期待」を、もっと露骨な言い方をすれば「儲けようとする思惑」を形成することで金融市場を活性化することはできても、拡大再生産という、実体経済の活性化は実現できないという問題である。しかもインフレターゲットによって形成された「期待インフレ」が達成されなかった場合は、逆に当面の消費や投資が抑制されることになる。
 なぜ期待インフレは経済を活性化しないのか?
 現実のつまり実体経済の世界では、消費であれ投資であれ現在と将来の支出配分は実質金利によって決定されるのであって、期待インフレ率には影響されないからである。つまり名目金利がどれほど上昇しようと、それが期待インフレ率の反映である限り、現実の経済活動が消費や投資を増やすなどの影響は受けないのだ。
 現にアベノミクス効果によって企業の景況感は大きく改善されているにもかかわらず、設備投資は一向に増加しない現実がある。要するに経営者の大多数は期待インフレの上昇に景気回復の期待を寄せてはいるが、現実に消費が増加するような、つまり実質金利が上昇するような好景気が到来しなければ、需要拡大の予測に基づく生産力の増強すなわち設備投資を抑制するのは当然なのだ。
 しかも逆に、期待インフレ率が達成されなかった場合は、今は支出をせずに将来支出する方が有利になることから、現在の消費や投資が抑制されることになる。名目金利の上昇は消費よりも貯蓄する方が得になるし、投資もまた将来の生産物価格は高くならず、これと比較すべき名目金利は上がるので、現時点での投資は抑制されるからだ。
 さらにもうひとつ、大きな危険も潜んでいる。それは名目金利の上昇が1000兆円にまで膨らんだ国債の利払いを増加させ、この国の国家財政の維持可能性に対する信頼を揺るがす可能性を高めることである。もちろんこれが日本国債の暴落を意味するわけではないが、信用が揺らぐ国債がヘッジファンドの標的になり易いといったリスクを確実に増加させると共に、何よりも実質金利の上昇を招く危険を高めることになる。「異次元の金融緩和」が逆に実質金利を上昇させて景気に冷水を浴びせることになれば、「皮肉な結果」などといった冷笑を許さない甚大な打撃がこの国の経済にもたらされかねないのだ。

 以上の「異次元緩和」に対する批判派、もちろん「伝統的な」金融理論にもとづくものであり、新古典派経済学の論理とは違う。しかし「伝統的」な金融理論は、金融市場の暴走という歴史的経験に裏打ちされた理論であり、それほど容易く「時代遅れ」と批判されるほど底の浅いものでもないのだ
 むしろこうした「伝統的」理論に基づく数多の批判に耳を貸すこと無く遂行される「異次元の金融緩和」で、安倍政権は何を達成しようとしているのだろうか。
 小泉政権以来の国家財政の大判振る舞い=「機動的財政出動」と「異次元の金融緩和」を両輪としたアベノミクスの狙いは、誰もが達成不能と考えるような「高すぎる」インフレターゲットで「期待インフレ」を形成し、それによってデフレ下の円高トレンドを円安トレンドへと転換し、今も「基幹産業」と嘯(うそぶ)く自動車や家電などの輸出産業の業績を回復させ、「輸出大国・日本」の復権を図ることなのは間違いあるまい。
 だが、アベノミクス効果と言われる金融市場の活況が、アメリカの景気回復に大きく依存していることは、前述した6月11日の株価の反騰でも明らかなように、いまやあらゆる投資・投機家たちが知っていることでもあるのだ。
 隠して金融市場では、アメリカの景気動向にかかわる些細な情報で価格の乱高下が繰りかえされる事態が始まっており、異次元緩和の効果が早くも薄らぎ始めたとの観測さえ流れ始めている。
 「金融を良く知っている人なら、とても怖くて実行できない」とまで評された黒田日銀総裁の、まさに蛮勇で実行された「異次元緩和」が、日本経済をどこに連れて行こうとするのか、正念場がはじまっている。

【6/21 きうち・たかし】


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