【安倍政権とは何者なのか】
国家主義の復権をめざしたタカ派論理のパラドックス
−戦後日本の保守派が直面するジレンマ−
(インターナショナル第168号:2006年10月号掲載)
▼中韓両国との首脳会談
9月20日に行われた自民党総裁選挙は、事前に大方が予測したとおり、安倍晋三官房長官が66%の得票で当選して第21代自民党総裁に就任するとともに、23日に招集された第165回臨時国会で、初の戦後生まれの首相に指名された。
安倍新政権に対する「国内での」事前の評価は、戦後保守派としてはかなりイデオロギッシュなタカ派であると言うものであった。改憲に向けた国民投票法の制定や国家主義教育を重視する教育基本法改訂などの公約は、この「イデオロギッシュなタカ派」の側面を象徴する。だが他方で安倍は、小泉後継内閣として行財政改革の推進を掲げる一方で、再チャレンジ支援を打ち出し、小泉構造改革を軌道修正して格差を是正することをアピールしてきた。
こうした中で、政権発足前から最も注目されていたのがアジア外交である。5年もの間、首脳会談を開けないまでに悪化した中国、韓国との外交関係をいかに打開するのかは、靖国参拝や極東軍事裁判の否定的評価について確信犯的なタカ派である安倍にとって、大きな政治的決断を迫られると「国内では」見られたからである。
だが日中関係の改善に関する限り、「国外の」評価は、国内とは違って好意的で高い評価を得ており、そして事実、国内的評価はあっけなく裏切られた。
新内閣を9日26日に発足させると、安倍は直ちに中韓両国首脳との会談を発表し、10月8日には最初の外遊先として中国を訪れ、胡錦濤国家主席ら中国首脳と相次いで会談し、つづいて9日には韓国・ソウルで盧武鉉大統領との首脳会談に臨み、両国関係の改善などで合意したのである。
しかもこの間、日中両国の首脳が会談でも懸念や憂慮を表明した北朝鮮の核実験が強行され、中国もついに国連安保理の制裁決議に同調ぜざるを得なくなったことで、小泉外交を「継承しつつ転換する」印象を与えることにも成功したと言える。
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こうした、思想的信念と政策的対応を使い分ける安倍について、「半化け」や「現実主義者」と言った評価が現れるのは、「イデオロギッシュなタカ派」を批判する側、つまり「戦後革新」の側もまた、思想的混乱に陥っていることを暴いている。
もちろんわたしもこの稿で、安倍の「二面性」の考察を試みる。だがわたしは、この問題を、理念と政策を使い分ける安倍のマヌーバーやご都合主義と捉えるのではなく、戦後日本の保守勢力が直面している歴史的課題、つまり戦後日本の保守派が基本的理念の再構築を迫られている、転換期の動向として捉えてみたいと思うのだ。
▼冷戦の終焉と日本外交の混迷
戦後日本の外交がはっきりと混迷に陥ったのは、91年の湾岸戦争が契機だった。だがそこ至るには、冷戦の終焉による戦後外交の動揺という前史がある。
つまり80年代末に進展した米ソの緊張緩和が、東西冷戦という戦後日本の外交戦略の大前提を動揺させはじめていたのだが、バブル景気に浮かれ「平和の配当」の幻想に寄りかかっていた当時の自民党政権は、この変化に対応する「外交戦略の再構築」を準備するのを怠たってきた。
まさにその結果が、湾岸戦争で泥縄式の小出し支援策の果てに巨額の戦費負担を強いられたあげく、国際的には手厳しい批判に直面したのである。ポスト冷戦の戦略的準備に立ち遅れた自民党政権は、文字通り場当たり的な外交的対応を通じて、国際的な信用失墜を助長したのである(本紙149号『経済援助という国際貢献の道』参照)。
こうして、その後の歴代自民党政権は「外交戦略の見直し」に着手するが、それは結局「日米安保の再定義」、すなわち日米関係の更なる緊密化にとどまり、その意味で戦後日本の外交戦略の代替品であった「親米路線」はそのまま堅持され、だからまたアジアにおける「アメリカの代理店」の位置が再検討されることもなかった。
もちろん、日本の外交戦略の要をなす日米関係が緊密で友好的であることは、冷戦終焉後であっても、日本外交の中心的課題であるには違いない。だが、日本における冷戦構造の最大の特徴は、ほんの半世紀前つまり1945年の敗戦までは、経済的にも政治的にも極めて緊密な関係にあった中国大陸と切り離され、これと敵対的に対峙する関係へと逆転したことであった。
その後、日中国交回復で両国関係の正常化が進展したとは言え、それは冷戦下におけるアメリカの国際戦略が許す限りの枠内における正常化であった。と言うことは、冷戦の終焉が日本に突きつけた戦略的再構築の核心のひとつは、なによりもまずアジア諸国、とりわけ改革開放経済に転換し、経済大国としても台頭著しい隣国・中国との関係を見直すことだったのである。それは日本外交の戦略的再構築のためには、必要にして欠くべからざる課題であった。
しかも、対中国関係の戦略的再構築は、必然的に日米関係の再構築を迫ることになる。というのも、冷戦が終焉したとは言え、中国の経済的政治的台頭によって、アメリカにとっては関与の必要性が逆に高まった東アジア地域において、日本の外交戦略は、アメリカの国際戦略にとっても重要な意味を持たざるを得ないからである。
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しかし、戦後日本の政治に突きつけられた外交戦略の再構築は、基本的には先送りと棚上げがつづいてきた。そしてその結果が、9・11テロとその後のアフガンとイラクの戦争で、再び外交的不意打ちに直面したことだったのである。
その意味で9・11テロと以降の一連の戦争は、91年の湾岸戦争に匹敵する「日本外交の危機」でもあったのだが、違っていたのは、91年の湾岸戦争当時は、海部政権が「小出しの支援策」でアメリカからも顰蹙(ひんしゅく)を買ったのに対して、小泉政権は高支持率を背景に、自衛隊の派兵を含む「大胆な支援策」を強引に決めたことで、少なくともブッシュ政権からは高い評価を得たことである。
日本外交の要である日米関係の動揺を回避したという意味では、小泉の決断は「日本外交の危機を救った」のである。
つまり小泉の「対米追随」と言われたブッシュ政権の全面支持は、それが戦略的整合性のない、小泉の個性と直感に多くを依存する政策であったとしても、今なおポスト冷戦の外交戦略の再構築をなし得ていない、戦後日本の保守勢力の「ツケ」の支払いという性格を帯びていたのだ。
こうして小泉政権時代の日本外交は、日米関係を必死に維持しようとする「対米追随」外交と、アジア諸国との関係を再構築する戦略的展望の不在の結果として中国、韓国との関係を悪化させ、「アジアでの孤立」を深めると言った、まったくちぐはくなものとして現れたのである。
したがって政権発足と同時に、中国と韓国を訪問して首脳会談の再開を果たした安倍の課題は、客観的には、何の整合性もない「小泉外交」から脱却して、対米、対中・アジア外交のバランスを回復し得る外交戦略の再構築なのである。
そしてもちろんこれは、安倍政権ひとりの課題ではない。
▼戦後資本主義と「自立国家」
この課題に対して、安倍と戦後タカ派の系譜を汲む勢力は、安倍の祖父である岸信介政権(1957年2月〜1960年6月)の掲げた戦略的展望、すなわち「改憲をして軍隊を持てるようになった、親米・反共の日本」という戦略的展望を継承し、それを現代に復権させようとしているかに見える。
もちろん1950年の朝鮮戦争勃発によって、東西冷戦が極東の地に公然と姿を現した時期を捉え、アメリカの必要に応えることで日本の「自立国家」としての再生を展望した岸の戦略が、そのまま現代には通用はしない。つまり安倍政権は、主観的には、岸戦略のアナロジーとして改憲や国家主義教育の重視を打ち出し、9・11テロ以降の国際社会の変化に対応する国家戦略の再構築に着手しようとしていると考えられる。
その戦略の核心は、「単独行動主義」への傾斜を強めた「アメリカの必要に応える」ことで、軍事的にも担保された「日本独自の国益」を追求できる国家体制の構築ということだろう。今はまだ対北朝鮮に限定されてはいるものの、「日本独自の制裁」に固執した安倍の政策は、その部分的な表現とみることができるだろう。
たしかに、「日本独自の国益の追求」は「自立国家」としての日本の再生という岸の戦略に通じている。さらに経済的繁栄を追い求めた「汚れたハト派」=田中政治の利権まみれの腐敗に代わって、先送りされてきたポスト冷戦の国家戦略を「清廉なタカ派」路線として再構築しようという野望は、「敬愛する祖父」の挫折を越える「闘う政治家」を標榜する世襲議員としては、実に魅力的な課題なのかもしれない。
だがもし安倍が、「日本独自の国益」の追求や、それを担保しようと国家権限を強化・拡大する国家主義に向かうとすれば、2つの大きな矛盾に直面しないわけにはいかないのも明らかである。
第一の矛盾は、グローバリゼーションの時代に「独自の国益」追求するのは、アメリカのような覇権国家にとってさえ極めて困難だという現実である。現に二期目のブッシュ政権は、仏独両国をはじめとするEUとの関係改善を進め、政権発足当初は「封じ込め」を狙って緊張の高まった中国との関係も、明らかに協調へと転じている。
そもそも戦後資本主義は、EUがひとつの典型だが、アメリカや旧ソ連邦のような「グローバル国家」を除けば、国家主権の一部を自発的に「放棄」し、あるいは地域連合などに「委譲」して、多国間貿易における互恵によって「市場の狭隘化」を克服する、国際的な自由貿易体制として再建される以外にはなかった。それは各国の相互依存を深めるとともに、四半世紀におよぶ経済的安定と繁栄とを実現する基盤ともなった。
要するに国際自由貿易体制とは、「自立国家」が軍事を含む国権を強化し、それによって「独自の国益」、例えば植民地を奪取し、そこから収奪した富を自国の「国民的福利」の原資とするような、近代国民国家の主権が「神聖」視された時代とは明らかに異なる体制だったし、冷戦の両雄であるアメリカとソ連邦は、生産力格差を無視する自由貿易の是非をめぐる対立で分裂した、東西の「相互依存経済圏」の盟主だったのだ。
この戦後資本主義体制の再編を促進したグローバリゼーションは、1970年代半ば以降、戦後自由貿易体制が新たな過剰生産に、言い換えれば新たな市場の狭隘化に直面したことで台頭したのである。
相互依存が深まり、国家レベルで自己規制されてきた資本主義的競争を再び放任する規制緩和が進められ、国家や地域間の生産力格差を利用し尽くす国際分業の徹底が奨励された結果、世界的な貧富の格差は劇的に拡大した。つまりグローバリゼーションは、国家や地域間の経済的相互依存を一段と深めた反面で、国家主権の強化、言い換えれば「国際社会」に委譲した国家主権を取り返し、「国民的福利」と混同された「国益」の防衛のためにその発動に期待する、「強い国家」の待望というナショナリズムのリアクションを生み出したのである。
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ところで、安倍と戦後タカ派の系譜を汲む勢力が、こうしたグローバリゼーションの時代のナショナリズムの性格と、かつて岸信介が国家統制経済と共に欧米列強に対抗すべく構想した「自立国家」の基盤となるナショナリズムが、かなり異質であることにどれだけ自覚的だろうか。この点で安倍と戦後タカ派の歴史認識は、はなはだ心もとない。
そうである限り、安倍を担ぐ戦後タカ派勢力の野望と、日本の保守勢力が今日直面する戦略展望の再構築との間には、大きな矛盾が横たわりつづけることになる。
なぜなら、自由貿易体制から最大の経済的恩恵を得て繁栄を謳歌してきた戦後日本が、「独自の国益」なるものをごり押しすること自体、その恩恵の前提を自ら破壊するに等しいからである。
▼「米国追随」の「反米」思想
そして第2の矛盾は、岸が信奉し自民党タカ派が継承しようとする日本的ナショナリズムが、その論理的帰結として「反欧米」を内包していることである。
「欧米列強の植民地主義」に対抗し、アジア全域に日本の権益を押し広げる目的に沿ってご都合主義的に構成された大日本帝国のナショナリズムは、「大東亜共栄圏」のスローガンが象徴するように、大アジア主義=日本の下に統合された、排他的なアジア経済圏の構想と一対であり、だからまた戦後資本主義体制であるパクス・アメリカーナ、要するに「アングロサクソンが支配する」資本主義世界体制の登場に対抗する思想として生み出されたからである。
この思想的体系の本質は、戦後日本の繁栄と安定の基礎となってきた「パクス・アメリカーナ」を想定していないだけでなく、「欧米白人支配を拒絶する世界観」の上に構成されているのである。
端的に言って、いま安倍やタカ派によって持て囃されている戦前の日本的ナショナリズムは、靖国と国家神道の擁護であれ天皇制の賛美であれ、論理的には「反欧米」に帰結する思想に貫かれているのだ。
しかも戦後日本の保守派は、敗戦とアメリカの占領下で、「国体護持」のために、つまり天皇制の転覆を目指す共産主義に対抗してこれを維持するために、「不本意ながら」アメリカへの追従を受け入れたのだ。それは敗戦によって崩壊した「国家の存在意義」を再構築する努力と責任を、戦後保守派が放棄した結果でもあった。
ところが、同じ保守派の一派つまり「タカ派」は、冷戦の勃発による占領政策の転換に乗じて、国家主権全盛期のモデルである「自立国家」の再生に望みを託する路線を、古いナショナリズムの再評価と共に提唱したのであり、それが岸の戦略であった。
だがこうした岸の「自立国家」再生の野望は、朝鮮戦争の停戦やソ連邦におけるスターリン批判を契機にして、緊張緩和と平和共存への期待が高まるとともに、アメリカの後ろ盾を失って頓挫することになる。平和共存と言う国際戦略を採用したアメリカにとって、国家主義の復権を推進する岸の戦略は、「軍国主義・日本の復活」という懸念を抱かせる戦略でもあったからである。
その意味でいま、安倍とタカ派勢力が古い日本的ナショナリズムを持ち回れるのは、ブッシュ政権が採用した単独行動主義や先制攻撃といったアメリカの国際戦略にとって有益だったからに過ぎない。したがってブッシュ政権が、仏独両国や中国との協調を重視する政策へと軌道修正を始めたのと軌を一にするように、小泉の靖国参拝に不快感を露にする批判が、ほかならぬブッシュ政権与党の共和党から現れもするのだ。
それはあえて言い換えれば、安倍とタカ派がアナロジーする「岸戦略」は、むしろ戦後日本の進路をアメリカの国際戦略に従属させて、その後の「アメリカ追随」外交の基盤になったとさえ言える一方で、その論理は旧来的な「反欧米」に貫かれているという、パラドックスの帰結でもある。
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こうした、旧い日本的ナショナリズムの論理的な矛盾は今後、安倍政権とタカ派のジレンマとなって、外交政策を動揺させる不断の源泉となる可能性がある。
つまり安倍政権が、最初の訪問先に中国を選び日中首脳会談を実現させたのは、中国との協調路線に転じたブッシュ政権に追従することの表明であったし、「日米同盟」の堅持を基本路線とする以上、それ以外の選択肢がなかったからでもある。
もちろん、それは反面で「大東亜戦争」を自存自衛の戦争だと主張するタカ派に対しては、戦術的マヌーバーと説明する以外にはない。かくして安倍を政権に押し上げたタカ派の内部では、「最重要課題である教育基本法改訂を優先する」とか、「参院選までの我慢だ」と言った戦術的配慮説が、まことしやかに囁かれることになる。
だがはたして安倍政権は、当のアメリカの反感が十分に予測される戦前のナショナリズムを全面的に押し出し、「独自の国益」を追求する「自立国家」の形成を推進することができるだろうか。しかり!それが現実には不可能だからこそ、安倍政権は、比較的与し易い金正日という「小さな暴君」を相手に、「独自の」経済制裁を発動するなど「強硬姿勢」で臨み、「自立国家」をめざす「闘う政治家」を気取る危険なチキンゲームを必要とするのである。
そして安倍政権の抱えるこのジレンマこそは、戦後日本の保守勢力が直面する、戦略的再構築のためには避けては通れない、まさに歴史的課題なのである。その意味では、戦後保守派の戦略的再構築という課題は、何を克服しなければならないかが、ようやく明らかになりつつあると言えよう。
(11/7:きうち・たかし)