●支持率低下の小泉政権

「総合デフレ対策」という混乱

暴かれた幻想、追いつめられる日本経済

(インターナショナルNo.125/2002年4月掲載)


政治的混乱の拡大

 今年はじめまでの高支持率と改革への期待が、ウソのような様変わりである。
 田中前外相の更迭劇を機に低下しはじめた小泉内閣の支持率はさらに低下をつづけ、議会では与野党による疑惑暴露合戦とでもいうべき迷走がつづている。
 外務省を舞台にした鈴木宗男・前自民党政調会長の数々のスキャンダルを発端にして、辻本清美・前社民党政審会長と加藤宏一・元自民党幹事長は、ともに秘書給与の流用疑惑で議員辞職に追い込まれた。あるいは狂牛病問題の調査検討委員会報告で改めて引責辞任を迫られた武部農相の問責決議では、連立与党の足並みはすっかり乱れ、いわゆる政局の焦点も鈴木宗男代議士の進退問題にあるかのようである。
 小泉「構造改革」の核心的課題である特殊法人の再編や税制の抜本的改正、さらには国家官僚機構の腐敗や硬直化の論議はすっかり隅に追いやられ、いまでは「族議員の排除」や「議員秘書制度の見直し」やらが改革の優先課題であるかのような言説がまかりとおる始末である。
 もちろん、自らの選挙基盤を培養する利権のために、法を無視した行政機構への介入を排除するという意味で「族議員の排除」は当然だし、議員の立法活動に不可欠な議会事務局体制や秘書制度は欧米各国と比べて貧弱極まりないし、政策秘書という中途半端な制度を導入したことを見直す必要もある。だがそれは結局のところ、グローバリゼーションの圧力のもとで日本社会をどのように再生するかという、「この国の形」の将来像にもとづいて制度や法律を見直すという土台を欠いた小手先の対応であろう。
 だから日本政治の現状は、はっきり言って混乱以外のなにものでもない。そしてこの混乱のもとで、旧態依然たる日本資本主義のシステムは機能不全を深め、じりじりと奈落の淵へと追いつめられる。

ブッシュ親書とデフレ対策

 現実に今年初頭から、エコノミストの間では「3月危機」がとり沙汰されていた。
 4月1日のペイオフ(銀行預金保護の上限規制)解禁をひかえ、不良債権処理で資金が枯渇し資本も消耗した大手銀行の信用不安が助長され、金融システム危機が再現するのではないかとの危惧である。
 たしかに、3月危機は発生しなかった。2月27日に経済財政諮問会議が決めた「総合デフレ対策」の発表後に株価が上昇、銀行財務諸表を悪化させる株式含み損が予想されたほどには増加しなかったからである。
 だがこの効果は、小泉改革が主張する規制緩和に逆行する「株の空売り規制」、要するに銀行や保険会社が所有する株を安い貸し出し料で借り受け、それを時価より安く市場で売って株価の下落を誘い、下がった価格で株を買い戻して利鞘を稼ぐ金融投機の規制を強化した結果である。
 しかも、デフレ圧力に他ならない不良債権処理を第1項に掲げるデフレ対策は、それ自身小泉政権の経済政策の混乱を象徴するかのようだ。そのうえデフレ対策を決めた諮問会議の翌日には、遅々としてすすまぬ「小泉改革」を督促するブッシュ大統領の親書が1月末に日本に渡されたことが当のアメリカで発覚し、外務省幹部は「デフレ対策への(ブッシュ政権の)失望の表明ではないか」との懸念を漏らすありさまである。
 こうした小泉政権の混乱ぶりは、小泉が政権発足当初から掲げてきた不良債権処理をめぐって、財政・金融閣僚間の抜き差しならない対立に象徴されている。
 閣内不一致を追及されないための公式見解はどうあれ、不良債権処理をすすめるために主要銀行への資本の強制注入(いわゆる公的資金の投入)を主張する竹中経済担当相と塩川財務相に対して、柳沢金融相は「銀行側の緊張が緩んで不良債権処理が進まない」としてこれを拒否している。いうまでもなく前者はデフレ阻止に重点があり、後者は不良債権の処理なくしてはデフレも阻止できないとの立場である。つまり後者は、小泉構造改革路線の堅持とさえ言える。
 だが後者の路線を貫くなら、迅速さが決定的である。不良債権処理が長引けばデフレ圧力が持続し、更なる資産価格の下落が不良債権をむしろ増額するからである。
 前述のブッシュ親書にも「銀行の不良債権や企業の不稼働資産が、早期に市場に売却されていないことに強い懸念を感じる」との不満の表明があるという。それは「アメリカの一部の企業は、不良債権を買うことに大変興味がある。日本でそうした資産を買って蘇生させ、大きな利益をあげた成功例がありますから」(3/8:赤旗)という竹中の指摘どおり、アメリカ金融界の意向でもあろう。
 だが、強制的資本注入という「銀行の半国有化」を強行して金融システム不安を沈静化し、その下で選別的倒産や強引な業界再編をすすめる、戦後日本保守勢力の社会的基盤にも配慮した「管理された不良債権処理」ができないとすれば、後は資本主義の鉄の規律、市場における弱肉強食の法則に解決をゆだねる以外にはなくなるだろう。もちろんこの場合の「痛み」は、文字通りの意味で社会全体を覆う激痛となる。
 小泉はこうしたリアルで厳しい選択を迫られ、結局それを先送りした。「総合デフレ対策」という「大手銀行決算用株価対策」の曖昧さと矛盾は、この小泉の優柔不断の結果であり、「痛みの伴う構造改革」というスローガンの底の浅さと、社会的基盤とは乖離した口先攻撃で幻想をふりまく小泉の正体を暴くものなのである。

生活防衛と社会的生存権

 政治の迷走と経済政策の混乱は、日本ブルジョアジーの危機感をいやがうえにも募らせる。もはや政治家や官僚に頼っていては、グローバリゼーション時代のサバイバルで生き残ることはできない、と。
 こうして日本企業の多くは、資本主義の鉄則と市場の法則にしたがって、自らが生きのびるために更なる犠牲を労働者大衆に転嫁することになる。それが経済的には「合成の誤謬」と呼ばれて冷静さを求められようが、あるいは「資本家としての社会的責任の放棄」と非難されようが、より高い資本利潤率を確保する市場競争に勝ち抜けなければ、負け組の烙印を押され、破産という悲惨な現実が待ち構えているからだ。
 「・・・・日本資本主義は、さらに数年におよぶ経済的低迷とグローバリゼーションの圧力の下で、無秩序な社会再編と国家再編がある種の痙攣的危機をともなって進行する、混乱した一時期に直面することにはならないだろうか」(本紙前号:02年3月)という予測は、前述した小泉政権の混乱ぶりによってますます現実味をおびてくる。
 しかもこの混乱は、旧来の左翼運動が考えてきたような、「資本家とその政府の混乱に乗じた労働者階級の攻

勢」という、極めて楽観的(非現実的?)な情勢に転化することもないだろう。少なくとも、今年の春闘をゼロ回答で押し切られたナショナルセンター・連合のていたらくを見、すでに蔓延している「秘書給与の流用」問題で与野党が暴露合戦を繰り広げる政治に幻滅した労働者民衆が、言い換えれば「歴史的任務を自覚した主体」を見いだせない労働者大衆が、資本主義の危機を喧伝する浅薄な扇動にのせられて反政府闘争に決起するなどという展望は、マルクス主義からは導きだせない。
 だがこうして階級的労働者は、この政治的混乱によって拡大するであろう無秩序でその分だけ苛酷な資本攻勢と労働者への犠牲の転嫁に抗して、いかなる防衛ラインを構築すべきかを問われるのである。

政党再編と国際潮流

 われわれは本紙前号(02年3月号)でも、労働者民衆の社会的生存権を防衛する、労働者によるもっとも広範な共同行動と統一戦線の必要について言及したが、それは小泉政権の経済政策の混乱と迷走によって、今後ますます切実なものとなるだろう。
 現実の日本では、議会つまり代行的民主主義の迷走と、国家官僚機構つまり行政の機能不全のもとで、「管理された不良債権処理」が行き詰まり、結果として個々の企業が無政府的なサバイバル戦に「構造改革」と称して突入する可能性が強まるからである。史上最高の純益をあげながら「ベアゼロ」で春闘要求を押し切った基幹産業資本の対応は、その先駆けとなるだろう。
 しかし企業が生き残るために、言い換えれば資本のより高い利潤率の確保のために、労働者民衆の「健康で文化的な生活をおくる権利」が侵害されていいはずはない。だとすれば、この広範な労働者の共同行動がかかげる要求は、戦後資本主義のもとで保障されるべき権利となった民主的な諸権利の擁護にほかならないし、それはまたグローバリゼーションの拡大とともに、いま世界中で始まっている労働者民衆の反WTO(世界貿易機構)闘争における対決の焦点でもある。
 こうして日本の階級的労働者は、WTOのシアトル閣僚会議に対する大衆的抗議行動を契機に、その後も地域や国家の経済格差を利用して荒稼ぎする国際金融資本の規制を要求し、あるいは自由貿易体制の下で賃金格差を利用した労働者の権利侵害と対決しはじめたICFTU(国際自由労連)などの、新たな国際的潮流との協働と連帯の基盤を見いだすことになるのである。

 支持率の低下が止まらず、連立与党の保守実権派による抵抗で「構造改革」が頓挫する可能性が強まれば、公明党との関係修復のために「今年は絶対選挙はない」と言い切った小泉も、解散・総選挙に打って出て、民主党との連立をも視野にいれた政界再編に懸ける可能性はある。
 だがはっきりしていることは、いかなる全国政党も現実の新た国際的潮流という基盤なしには、時代をリードする大衆的政党として成立することはできないことである。グローバリゼーションの無条件的推進か、金融資本の民主的統制かの対立は、日本の政党再編にも貫かれる焦点である。

(きうち・たかし)


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