有事法制の成立とイラク新法の提出

安全保障政策の質的転換に対抗する社会的運動の陣形

(インターナショナル第136号:2003年6月号掲載)


●歴史的転換点

 6月6日午後の参院本会議で、有事法制3法案(武力攻撃事態対処法案、自衛隊法改正案、安全保障会議設置法改正案)が賛成多数で可決・成立した。
 与党3党と民主、自由両党も賛成した採決の結果は、参院本会議出席議員の86%(235人中202人)が賛成するという異常なものだったが、大規模な武力行使=事実上の戦争行為を具体的に想定した法制が衆参両院の圧倒的多数の賛成で成立したことは、質的変化という意味でも戦後半世紀に及んだ日本の安全保障政策の大きな転換である。
 しかも有事法制3法案の可決・成立からわずか1週間後の13日には、ブッシュ政権の要請に応えて自衛隊をイラクに派遣する事だけを目的にした「イラク復興支援特別措置法」(以下「イラク新法」)案と、11月1日に期限切れとなる「テロ対策特別措置法」を2年延長する改正法案が、自民党内部にもある危惧や批判を押し切ってまで国会に提出され、両法案の今国会成立をめざして会期延長が行われるという慌ただしさである。
 もちろん「イラク新法」については、有事法制に賛成した民主・自由両党もふくめて野党から一斉に反発の声が上がっており、法案成立の是非は不透明である。むしろ「イラク新法」の拙速とも言える提出は、小泉政権が進める戦後日本の安全保障政策の転換が、必ずしも整合的に推進されている訳ではないことを暴露するものである。
 というのも、アメリカ軍の極東アジア地域における戦争支援法(米軍支援法制)の制定は先送りされたとはいえ、これを視野に入れた有事法制が成立したのに加えて、国際的合意のないアメリカ軍の占領地域に自衛隊(日本軍)の派遣を可能にする「イラク新法」が成立すれば、戦後日本の安全保障の枠組みは根本的に変化せざるを得ないが、小泉政権と連立与党3党にそうした自覚と覚悟があるようには見受けられないからだ。
 こうした安保政策の根本的転換は、少なくとも中国と韓国をはじめとするアジア諸国と極東にも領土をもつロシアは、世界有数の日本の軍事力が専守防衛を越えて、すなわち日本の領土・領海の外においても行使される可能性を排除できなくなるのは十分に予測できることである。日本周辺の諸国は、潜在的にではあれ日本との間の軍事的緊張を意識せざるを得ないし、それが対日外交に何の変化ももたらさないと考えるのはあまりにも非現実的でさえある。
 ところがいま小泉がすすめる転換は、こうした日本の対外関係を大きく変化させることを考慮に入れて、新たな国際戦略にもとづく長期的ビジョンに立って進められているとは到底考えられないからである。

●新旧の親米路線

 たしかに戦後日本の保守勢力は親米路線を外交戦略の代替品にしてきたし、小泉の対米追随も、主観的にはその延長上にあるのかもしれない。しかし旧来の親米路線は、東西冷戦と米ソ平和共存という国際関係を前提に、言い換えればアメリカとソ連という2つの軍事大国が圧倒的な軍事力で世界をコントロールする「武装平和」を前提に、西側の盟主・アメリカと同盟関係を結ぶことで日本の資本主義体制を防衛し、同時に巨大なアメリカ市場に参入する道を開いて対米輸出をテコに経済復興を果たすという、利己的で打算的だが明快な戦略目標を持っていた。
 自衛隊をアメリカ軍の補助部隊として存続させた保守派の選択も、アメリカ向けには必要だった「安全保障の自助努力」というポーズと、日本の再軍備に対するアジア諸国の反感を緩和するという相反する2つの外交上の条件を満たそうとする苦肉の策だったし、そのためにこそ解釈改憲と呼ばれる奇弁を弄してきたとも言える。
 したがって「旧い親米路線」はソ連・東欧の労働者国家圏が崩壊するまで、あるいは冷戦の終焉による「平和の配当」という幻想が91年の湾岸戦争で打ち砕かれるまでは、それなりに機能した外交戦略でもあった。ところが国際社会の賛否が二分したイラク戦争後の親米路線は、「旧い親米路線」とは似て非なるものである。
 それは旧い親米路線がそれなりに保持していた国際協調や国連中心主義との整合性を持たない分だけ日米同盟の、とくに軍事的側面の飛躍的強化を浮き彫りにせざるを得ないだけでなく、日本資本主義のアメリカ市場への依存が極めて重要ではあっても、現実の日本の巨大な生産力と金融資本が必要とする市場としては、全く不安定で不十分でもあるからだ。むしろグローバリゼーションの展開で世界化した経済は、日本による経済援助を必要とするアジア諸国という旧い関係を越えた経済的相互依存を拡大しており、アジア諸国に展開されている日系資本の生産拠点をぬきには、対米輸出による経済的利益の追求すらおぼつかなくなりかねない。
 そのうえ先制攻撃戦略を打ち出したブッシュ政権から大きな期待を寄せられる日本の軍事力(自衛隊)は、その強力な装備とは裏腹に国外遠征を担う軍隊としてははなはだ心もとない組織であり、それは小泉政権が進める安保政策転換の《弱い環》とさえ言えるかもしれない。なぜなら、戦力の保持と武力の行使を禁じた日本国憲法との整合性を取り繕うために、自衛隊は今なお多くの政治的制約に縛られており、日本の安保政策の欺瞞と矛盾がこの点に凝縮されているからだ。
 それは改憲を阻みつづけた戦後日本の反戦平和運動の成果でもあるが、現行憲法下の自衛隊は、専守防衛と個別的自衛権以外に正当な存在理由を主張できないからである。つまり国外の、しかも事実上の戦闘地域における軍事行動を正当化する大義名分は、兵士たちが自らの戦闘行為を正しいと信じて命懸けの軍務を遂行するために不可欠な政治的思想的背骨なのだが、自衛隊はこの点で重大な弱点を抱えているのである。それは軍の士気を左右する軍事的弱点ともなる。
 その意味で有事法制と「イラク新法」に反対するわたしたちにとって、「軍隊を敵とし兵士を友とする」運動と個人としての自衛官の人権を擁護しようとする活動はますます重要性を増すことになるが、それは後に述べることにする。

 こうした戦後安保政策の劇的な転換にともなう保守政治の混乱は、結局のところ旧い親米路線の戦略的破綻が明らかになる一方で、受けのいいスローガンは語れても戦略的構想には全く無頓着な小泉がこれに代わる新たな国際戦略を提起しないことで、さらに増幅されることになる。

●一方的展開と社会的基盤

 だが保守派が戦略的破綻に直面しているとすれば、小泉政権による安保政策の転換が無人の野を行くごとく進展し、護憲派の抵抗が極めて脆弱なのは何故だろうか。
 たしかに本紙前号(135号)の「国境を越えた人と人との連帯を基礎とした安全保障構想の不在」が指摘したように、護憲派の側も冷戦時代の国際戦略の破綻に直面し、今なおその立て直しに成功していない問題はある。それでも保守派も護憲派も共に戦略的破綻に直面しているのなら、なぜこれほど一方的な展開になるのだろうか。
 理由は簡単である。政治権力を握る保守派があらゆる社会的手段を利用して、例えば北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)問題に見られるように一方的で悪意に満ちた情報を垂れ流すのに対して、護憲派が利用できる反論の手段は限られているからである。だが、そればかりでもない。
 戦後日本の保守勢力は、1960年代の高度経済成長期以降、ケインズ主義的有効需要政策にのって展開された国家財政の散布と旧態依然たる地域ボス支配を巧みに結びつけ、公共事業や補助金の斡旋を武器に戦後の日本社会に広く深く根を張ってきた。この社会的な根こそが、自民党実権派(いわゆる抵抗勢力)の頑強さの秘密でもある。
 他方、護憲派の最も強力な基盤であった総評に代表される戦後日本の労働組合運動は、自らの社会的影響力を自覚することなく企業内労資関係への依存を深め、結果として社会的運動を過小評価し、保守派に対抗する社会的基盤の獲得において決定的な遅れを取ることになった。つまり戦後日本の反戦平和運動は、偏狭な労働組合主義に囚われて社会的運動を組織する能力を自ら減退させ、かわりに選挙と政治カンパニアとを社会運動の代替品にしてきたとさえ言える。
 こうして、旧い利権の解体をふくむ社会再編である構造改革を旗印にする小泉が、戦争体制に向けた社会再編に他ならない有事法制を推進しはじめたとき、安保政策ではハト派の系譜を汲む自民党実権派には国際戦略上の対案がなく、護憲派の社会的陣形は極めて限定的なものにとどまらざるを得なかったのである。この力関係が、安全保障政策の歴史的で質的な転換に対する反対運動の弱さの基盤であり、イラク反戦運動の日本における動員力がヨーロッパやアメリカのそれに遠く及ばなかった一因でもある。

 戦略的展望をもたない小泉、国際戦略の破綻に直面するハト派的保守派、そして社会的抵抗運動の脆弱さという関係が政治的混乱に拍車をかけ、「良好な対米関係の為にはイラク派兵もやむを得ない」といった風潮を助長しつづけている。

●核心は治安維持活動

 では有事法制と「イラク新法」への反対と抵抗を組織しようとうするわたしたちは、どこから、どんな運動を組織することで対抗すべきなのだろうか。
 まず第一は、なによりもイラクの現実を冷静に見据え、問題点や矛盾を具体的に明らかにすることである。
 現実にもイラク派兵やむなしといった論調は、カンボジアから始まった国連平和維持活動(PKO)への参加と同程度の国際貢献という、完全に間違った認識を前提にしているからだ。つまりいまイラクで必要なのは、これまでのPKO活動のようなインフラの復旧や民生品の輸送などではなく、政情不安のつづく占領地の治安維持、つまり占領に対する反抗を鎮圧する軍事行動である。
 中東で最も近代化された国のひとつであるイラクは、貧しい農業国であるカンボジアやティモールとは違って、復旧に必要な建設機材やこれを使える労働者がすでに存在しており、戦争による大量失業を考えれば、自衛隊による復旧作業の代行はせっかくの働き口を日本が奪うに等しいし、「イラク人自身による統治」をできるだけ早く実現したいアメリカにとっても、アメリカ企業の復興ビジネスを例外にして、戦後復興事業はイラク人自身によって担われるほうが望ましいしことである。つまりイラク現地には、これまでのPKOのようなニーズは全くないのだ。
 ここに、イラク新法のもつ安全保障政策に関する質的転換の核心がある。だからこそ自衛隊の幹部たちは、PKOでは必要のない重装備と武器使用基準の大幅な緩和が必要だと叫び始めているのだ。
 もちろん「イラク新法」案には、「イラク国内における安全及び安定を回復する活動を支援するために実施する」(第三条3項)「業務」として輸送、保管、通信などが列挙されているだけで、政府答弁もまずは「後方の」輸送、通信を担当する「先遣隊」の派遣が目的だという。
 だがこうした政府の対応は、これまで国外で、いや国内でさえ本格的な治安維持活動の経験のない自衛隊が、「支援」とはいえ治安維持の一部を事実上の戦地で担うには、最低でも数カ月以上の特訓が必要だという軍事技術的問題を解決するまでの時間稼ぎの可能性が強いし、「安全及び安定を回復する活動」が治安維持活動の言い換えに過ぎないのも明らかである。
 まずはこうした小泉政権のまやかしとイラク新法の核心問題が、イラク反戦運動で現れた民衆のネットワークを通じて広く人々に伝えられなければならないし、これを曖昧にする国会審議の現状が広範な抗議運動を通じて突破されなければなるまい。
 そして第2は、こうした政治のまやかしのために、自己同一性認識の危機(=アイデンティティー・クライシス)を強制される自衛官を対象に、彼らの自己決定の権利を擁護する支援運動が必要となるだろう。93年のPKO法案反対運動の過程で現れた自衛官個々の人権を擁護しようとする電話相談活動は、格好の先例である。
 しかし同時にわたしたちは、自衛官の人権を擁護する運動をイラク新法反対という政治目的に従属させてはならないことを繰り返し明快に確認し、《戦争に反対する兵士の権利を認める社会》をめざす社会的運動として取り組む必要があると思う。そうすることではじめて、有事法制に対する社会的抵抗、自衛隊や自治体による要請や命令を拒否する権利を擁護する社会運動も準備されるだろうからである。

●自衛官の人権と社会運動

 イラク新法によって自衛官が強制されるアイデンティティー・クライシスは、専守防衛と占領地の治安維持という軍事行動のギャップの問題であり、安全保障政策の質的転換がもたらす人権の危機である。
 日本に攻めてくる「敵」を撃退することを任務と考えてきた自衛官が、あるいはPKO派遣も「現地の合意と要請」を前提にした復興支援を任務と考えてきた自衛官が、停戦合意もないまったく未知の占領地域で、その地で暮らす民衆の不満や反感を「武力による威嚇」で抑制し、公然たる反抗は武力で制圧することも任務だと突然命じられるのだ。しかも政治の都合のために、この任務を「占領地の治安維持」と考えてはならないとまで命じられ、これに対する抗議や批判は懲戒や任官拒否といった制裁と失業のリスクを伴うのである。
 イラク新法による派兵は、個々の自衛官にとってはこうした問題である。それは思想信条の自由の否定というだけでなく、個人的な思考方法さえ変えるように強制するあからさまな人権侵害であろう。
 しかし本紙124号(02年3月発行)で報じたイスラエルの兵役拒否運動(「民族主義とテロリズムをこえて」)が示すように、兵士個々人の信条にもとづく兵役拒否や占領地での軍務を拒否する権利のための運動は、テロと報復という暴力の連鎖に抗する「社会的陣地戦」として台頭しはじめている。
 つまり選挙と政治カンパニアを社会的運動の代替品にしてきた結果として、社会的基盤の脆弱さを痛感せざるを得ない地点に立った戦後日本の反戦平和運動は、こうした「社会的陣地」を強化し拡大する運動を真剣に滋養することをふくめて、混乱のうちに急進展する戦後日本の安全保障政策の転換に対抗する必要に迫られてはいないだろうか。

(どい・あつし)


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