●参院選・自民党大勝の実態
グローバリズムに翻弄される 実権派の社会基盤と小泉改革
無党派層の期待、時代をとらえる展望の不在

2001年9月(121号)掲載


 7月29日に投開票がおこなわれた第19回参議院選挙は、事前の予測どおり小泉人気の追い風をうけた自民党が、92年の参院選以来実に9年ぶりに改選議席(124)の過半数を超える64議席を獲得、得票率も比例区で38・6%、全国の選挙区平均で41・0%と、前回98年参院選をそれぞれ10・5ポイントと13・4ポイント上回る復調ぶりを見せて大勝した。
 この自民党の勝利によって、公明、保守両党を含めた連立与党の参議院勢力は139議席と過半数の維持に成功し、小泉政権は「国民の信任を得た」としていよいよ構造改革の本格的推進にむかうことになる。その最初の攻防は、来年度予算の各省庁による概算要求が出る9月以降になるが、この自民党の大勝に、大きな波乱要因が潜んでいることを見逃すことはできない。
 それは、いわゆる自民党内の「抵抗勢力」言い換えれば、歴史的に形成された自民党の社会的基盤に根を張る「実権派」とでも呼ぶべき勢力が、政党名と候補者名の両方で投票できる非拘束名簿式という新制度にも支えられ、典型的な組織選挙の強みを発揮して勢力を拡大したこととも関連して、小泉政権の異常な高支持率とは裏腹な低い投票率の下で小泉が手にした「国民の信任」が、必ずしも構造改革を促進する基盤にはならないという逆説的現実である。

自民党を押し上げた無党派層

 比例区が56・42%、選挙区の全国平均が56・44%という投票率は、それぞれ前回の58・84%と58・83%を2・4ポイントほど下回る、戦後3番目に低いものであった。
 今参院選の有権者総数は1億123万6,029人で、98年選挙の9,904万8,747人から220万人ほど増えたが、投票率が低下した2・4ポイントつまり240万人程度は、橋本政権を退陣に追い込んだ98年ほど積極的な政治的選択をしなかった、あるいはできなかった結果と言える。そしてこの「積極的選択をしなかった・できなかった」有権者層の大半は、いわゆる無党派層であると思われる。
 それは選挙直前の7月、朝日新聞社が実施した世論調査で「支持政党なし」と回答した39%と「答えない・わからない」と回答した5%の併せて44%が無党派層だとすれば、投票日の29日当日の同社の出口調査では、それが14・15%と2・51%の併せて16・66%に減少しているからである。単純計算をすれば44%の無党派のうち27・34%、全有権者数に換算すれば11・88%が棄権という消極的な選択をしたと言える。したがって投票率の低下が2・4ポイントにとどまったのは、無党派層の棄権を埋め合わせる自民党支持層の積極的投票があったためと考えられる。
 にもかかわらず、今回の参院選で自民党が勝利した大きな要因のひとつが、無党派票の獲得率で自民党が1位になったことも事実である。とくに東京選挙区など、この間の選挙で自民党が最も苦戦してきた大都市で、自民党の無党派票獲得率が急増したことがそれを象徴している。
 同じく投票日当日の朝日新聞社の出口調査によれば、無党派層は全投票者の約17%(16・66%)で、そのうち比例区で自民党およびその候補者に投票したのは27%と、前回98年参院選の10%と昨年総選挙の15%を大きく上回った。それは民主党の20%を超える、堂々の無党派第1党である。さらに大都市の典型である東京選挙区でも、21%を占める無党派層のうち比例区で自民党に投票したのは26%で、民主党の20%、社民党の12%、自由、共産両党のそれぞれ8%を押さえ、自民党が無党派得票率第1位になったうえに、東京の選挙区選挙でも無党派層の15%が自民党の保坂に投票したと答えている。前回98年参院選の東京選挙区では、自民党は小野と塚原の2人の候補者合計でも8%の無党派票しか獲得できなかったことを考えれば、自民党の都市部での復調の要因が無党派票の獲得にあったことは明であろう。
 他方とくに都市部で、無党派層最大の受け皿になることで野党第1党の席を占めてきた民主党は、東京の選挙区選挙では鈴木が無党派層の17%を獲得してトップにはなったものの、98年参院選の同選挙区では26%、昨年の衆院選では48%もの無党派票を獲得したこの党の実績から見れば、惨敗と言っても過言ではない。
 前首相の森が「眠っていてくれればいい」と漏らしたように、これまでの無党派層の投票行動は、自民党にとっては選挙の敗北を予感させる脅威であった。だが小泉人気を背景にその無党派層が自民党を勝利させたのが、今回の参院選の最大の特徴と言っていいだろう。それはまた無党派層が、マスコミ報道などの影響で一般に信じられているような、「反自民」という一貫した政治姿勢を特徴とする有権者層ではないことを改めて確認するものでもある。
 では今回の参院選で、「自民党を勝利させた無党派層」の実像とはどのようなものなのだろうか。

保守系無党派層の自民党回帰

 これまでも指摘してきたことだが、いわゆる無党派層の大半は、細川連立政権の成立と崩壊という政党再編期を契機に、自民党と旧社会党支持層から流出することで形成された有権者層である【本紙60号(95年4月)参照】。このうち自民党支持層から流出した無党派層は、「非自民・保守派」層とは呼べても「反自民」とは必ずしも言えない有権者層である。この有権者層はその後、日本新党や新進党あるいは最近では民主党支持へと放浪をつづけたが、積極的な支持政党を見いだせなかった結果として、「政党不信」という政治姿勢を特徴とする層なのである。
 ただこの保守系無党派層は、利益誘導による自民党政治の腐敗と堕落が暴露されたり、自民党の政策が既得権益の擁護に偏って大衆的必要に応えていないとの批判が強まったりした選挙では、無党派候補を押し上げたり民主党などの対立候補を次善の選択として押し上げるなどして自民党に打撃を与え、98年参院選のような劇的な結果を演出したことで「反自民」と見なされてきたに過ぎない。だからまた彼らは、そうした焦点が不明瞭な選挙では、政党不信というよりも「政治不信」の表明として棄権を選択し、投票率を低下させる主役にもなってきたのだ。
 こうした保守系無党派層の特徴は、彼らが高度経済成長期には自民党政治の恩恵に預かりはしたが、90年代初頭のバブル経済の崩壊以降は、一転してこの戦後保守政治に見捨てられたことで説明できるだろう。
 ところが今回は、「自民党を変える」と称して登場した小泉への期待から、この保守系無党派層の何割かが自民党支持に回帰し、自民党支持層もまたこれまで以上に積極的に自民党に投票したと考える方が、自民党大勝の実態に迫っているだろう。
 つまり98年参院選の自民党の惨敗がこの保守系無党派層の橋本政権への反発と、自民党支持層の消極的投票行動によって引き起こされたとすれば、今回はその保守系無党派層と消極的自民党支持層が、既得権益の破壊を公然と主張する小泉の「聖域なき構造改革」に期待し、小泉自民党を押し上げた結果であると考えるのが妥当であろう。それは橋本の行財政改革が、大衆的犠牲の上に大手銀行やゼネコンなど自民党の支持基盤を擁護しようとしていると批判されたのに対して、小泉の構造改革は旧来的な既得権益を破壊するものと評価されていることに関連している。既得権益の破壊で生まれる国家財源で自らを潤してくれる〃新たな権益〃をつくってほしいという淡い期待が、保守系無党派層や消極的自民党支持層をとらえたのである。これがこそが、小泉人気の正体であろう。
 そうだとすれば、小泉人気とは裏腹な投票率の低下は、この淡い期待さえ確信はできない、そうした保守系無党派層の無視できない数の存在も明らかにする。しかもこの無党派層の態度保留の最大の要因が、小泉改革の具体像とくに「改革に伴う痛み」の実態と標的がなお不明瞭なことにある以上、自民党に回帰した無党派層内部には、小泉改革の総論には賛成だが具体的な各論が明らかになれば注文や反対を唱えても不思議のない、主観的期待にもとづく雑多な諸傾向が多く含まれていると考えて当然であろう。

同床異夢の諍(いさか)い

 今年4月、自民党総裁選挙で小泉が劇的な勝利を収めたことをうけて、われわれは小泉改革の行方を占った本紙118号(01年4・5月号)の評論で以下のように指摘した。
 「・・・・小泉の現実の物質的基盤である自民党の一般党員が、巷間いわれるように『国民と同じレベル』で改革を期待したとは言い難い点である。むしろ彼らは自民党が政権を失うことを何よりも恐れ、7月参院選の惨敗がその引き金になることに危機感を募らせて小泉総裁を選んだのだ。それはむしろ自民党が政権党であることで保障される既得権益を防衛するために、参院選で勝てそうな総裁・小泉という選択であり、政治利権防衛意識の現れでさえある」。
 この見通しを裏づけるように、今回の参院選で勢力を拡大した自民党内派閥は、小泉が激しく非難してきた橋本派、つまり既得権益を擁護しつつ橋本政権の下で行財政改革を追求した議員集団であった。
 ここで確認しておきたいのは、後述する党内抗争の様相とも関連するが、橋本派はマスコミが命名したような単なる「抵抗勢力」ではなく、歴史的に形成された自民党の基盤を擁護しつつ、暫進的改革を展望しようとする勢力だということである。彼らをあえて「実権派」と呼ぶ理由もこの点にある。
 その橋本派は、選挙後の追加公認をふくめた自民党の獲得議席65のうち3分の1を占める22議席を獲得し、改選前の40議席をさらに2議席増加させた。しかも小泉が会長だった森派が改選前の20議席から5議席減、小泉の盟友で党幹事長に抜擢された山崎の派閥も4から3と1議席減、橋本派とならぶ「抵抗勢力」と見られている江藤・亀井派も19から18と1議席を減らす中での議席増である。たしかに、各派も認める無派閥議員は橋本派につぐ14人が当選して改選前の12から19に増えはしたが、その大半はむしろ派閥隠しであって古巣に戻るのはタイミングだけの問題である。そして橋本派には、ここからさらに3〜4人が加わると見られている。
 さらに比例区の自民党当選者を見れば、実態は一層明白である。自民党の比例区当選者20人中12人は、官僚出身者か何らかの全国的組織、つまり歯科医師会とか全国商工連といった政治利権に連なる全国的組織の擁立候補であり、上位当選者に名を連ねる有名タレントたちは、これを覆い隠すイチジクの葉に過ぎないのである。こうした実態は、小泉人気の最大の受益者が「自民党が政権党であることで保障される既得権益を防衛」しようとする勢力であり、「参院選で勝てそうな総裁・小泉という選択」が、思惑どおりの成果を収めたと言えるものであろう。
 マスコミなどの解説では、こうした「ねじれ現象」は改革推進派と「抵抗勢力」の対立を激化させ、それが新たな政党再編の導火線になるだろうとの希望的観測に結びつけられるのだが、小泉改革をめぐる抗争の実態はより混迷したものになる可能性が強い。
 つまり参院選後の小泉政権の基盤は、既得権益を防衛しようと組織的結束を強める勢力と、前述した投票行動の分析から推測されるような、自らを救うような政治利権構造の再編を期待する勢力が混在し、互いに主観的な改革を要求して争うことになるだろうからである。しかもこの抗争の大前提は「政権党として利権を配分する自民党」という共通する期待であり、その共通した期待の上で一方は旧来的権益を防衛しつつ暫進的な改革の推進に生き残りをかけ、他方は旧来的利権構造の急進的解体とそれが「生み出すはず」の新しい利権の配分を要求するという、錯綜した対立構造が予測されるのである。
 それは現実には、両者が「構造改革」を唱えながら、実際にはまったく方向が逆の要求を掲げて諍(いさか)いを繰り広げ、小泉政権がこれを統制できない政治的混乱の可能性を示唆するだろう。

戦後日本の歴史と小泉政権

 この錯綜した構図を垣間見せたのが、小泉の靖国神社参拝問題をめぐって現れた連立与党と自民党内の足並みの乱れであり、その後の曖昧な事態収拾であった。
 靖国参拝問題とバブル崩壊後の最安値を更新する株価の下落は、小泉の改革路線の行方を占う最大の焦点と言えるが、株価下落の問題は別稿に譲り、ここでは靖国問題が、グローバリゼーションに対応する構造改革と不可分の関係にあること、しかもそれは日本資本主義の国家戦略の核心的問題に他ならないことだけを指摘しておきたい。なぜならここには、戦後日本資本主義が歴史的に形成してきた国際関係、その転換と再編を迫るグローバリゼーションの圧力、その圧力を背景に登場した小泉の構造改革、だが自民党の強力な支持基盤でもある旧態依然たる民族主義的信条といった、抜き差しならない矛盾が凝縮されているからである。
 周知のように靖国参拝問題は、小泉が公約していた8月15日を避けて参拝したことで、とりあえず深刻な外交問題への転化は回避された。しかし肝心なことは、曖昧な政治決着であったとはいえ、深刻な外交問題になりかねない事態を収拾する過程で積極的役割を果たしたのが、1972年に田中政権の下で実現した日中国交回復以来、中国政府との密接な関係を築き上げまた継承もしてきた自民党橋本派と公明党、つまり「抵抗勢力」と言われる勢力であったことである。
 靖国参拝問題が日中間の外交的懸案として焦点化していた8月上旬、自民党の野中元幹事長と古賀前幹事長、公明党の太田幹事長代行、保守党の二階堂国対委員長がそろって訪中したのは、もちろん靖国参拝問題について中国政府関係者との意見交換を行うためであった。この訪中報告を受けた山崎幹事長と加藤元幹事長が小泉と会談をするのは8月11日だが、小泉の参拝前倒しの決断はこの直後、中国政府の「参拝日の変更」という意向を受けてのものと報じられている。
 つまり小泉は「抵抗勢力」が仲介した中国側の条件を受け入れることで、政権発足後はじめての外交的危機を乗り切ったと言って過言ではない。しかも「抵抗勢力」のこの動きは、小泉の外交的失策を傍観してその自滅を期待するのではなく、事態を積極的に打開して小泉政権=自民党政権の窮地を未然に防ぐことを目的にしていたことも疑いはない。これを小泉の「抵抗勢力」への屈服などと評するのは、構造改革をめぐる抗争を単純な二項対立として描き出し、すでに破綻してしまった日本的二大政党制の幻想を追い回す輩の願望の反映なのである。
 むしろこの事態によって明らかになったことは、橋本派など実権派が立脚しているのは歴史的に形成された国際的な基盤であり、それは小泉の個人的信条や決意だけで破壊できるほど単純でひ弱なものではないということだったのである。

 靖国参拝問題は、もっぱら外交上の政治問題として扱われがちだが、より本質的には、日本という国家の戦後の国際的な歴史的正統性の根幹を揺るがしかねない問題をはらんでいるのである。それは戦後、日本が国際社会に復帰することを認めた国際条約(サンフランシスコ講和条約)が、日本の戦争犯罪を裁いた極東軍事法廷(東京裁判)の結果を前提にして、言い換えればA級戦犯に全ての戦争責任を押しつけ、他は東条内閣の閣僚であった鳩山や岸まで含めて平和主義者に変身することを許した戦後処理に、日本が自ら合意して締結された経緯があるからである。それは日本の個々人の信条がどうあれ、戦後の日本国家と政府が否応なく継承し、建前としては堅持する以外にはないブルジョア的な国際関係上の歴史的基盤なのだ。
 当然のことだが72年の日中国交回復は、この歴史的国際関係を前提に、訪中した田中が自ら「お詫び」を述べて日中間の戦争状態に終止符を打ったことになっている。だから中国や韓国のみならず、欧米にも靖国参拝を批判する論調が現れるのは、いわゆる大東亜戦争の全責任を負わされたA級戦犯を「国の英霊」として合祀する靖国神社を日本の最高権力者が参拝するのは、戦後の国際的誓約を侵略を正当化するように清算しようと意図しているのではないかとの、当然の疑念を国際社会が抱くからなのである。
 ところが小泉は、この国際社会からの問いに正面から答えるというよりは、遺族の感情や個人的信条といった的外れな回答を繰り返すことで、日本の最高権力者が、戦後日本の歴史的な国際的誓約の意味を自覚していないことを告白するに等しい醜態を演じたのである。そしてここには、戦後日本の保守政治が営々として築き上げてきた外交、内政そして経済を貫く歴史的経緯と断絶された、小泉政権の「変人」ぶりが見事に現れていたと言うべきなのである。
 ところで小泉は、この歴史的に形成された国際関係を主観的には突破できないことを、参拝日を急遽変更することで自己暴露することになった。それはまた日本保守政治の歴史的伝統とは切断された小泉が、国内外を貫いて社会に広範な深い根を張る実権派との抗争においても、自らの路線を貫徹する決定的力を持たないことを暴くものである。前述の錯綜し混乱した抗争は、この小泉政権の脆弱さと、強力な社会的基盤をもちながらも、それ自身がグローバリゼーションの圧力で刻々と掘り崩される実権派の双方が、ともに現状の閉塞状況を打開する決定打をもっていないことによって引き起こされる、政治的な混迷に他ならないのである。

日本の構造改革とアジア経済

 しかも問題は、歴史的な国際関係だけではないのだ。むしろ小泉政権が直面する最も重要な現実は、日本の侵略によって最大の被害を被ったアジア諸国とりわけ中国や韓国との関係が、グローバリゼーションに対応する日本資本主義の構造改革と連動する、必要にして不可欠な経済的関係に変化してしまっていることなのである。
 今日、日本の労働集約型製造業の生産拠点は次々と中国に移転され、そこで生産された商品が大量に日本に輸入され、それが「価格破壊」を通じて日本国内の流通販売業界の再編を促進する、いわゆる「ユニクロ現象」に象徴されるまでになっており、韓国との関係でも、80年代に急成長した韓国製造業の安価で高品質の家電製品などが日本に輸入され、それとの競争が国内の独占的メーカーの国内価格統制を掘り崩して新興量販店の台頭をうながし、独占的メーカーが市場占有率を拡大するために小規模販売店に特典を与える、特約店制度という「共存共栄」システムの機能不全を促進してもきた。
 こうした、グローバリゼーションの下で激化した国際競争の圧力と日本の社会再編の急速な進展は、ついに日本的労使慣行の最後の砦と言われた松下電器をして大リストラを決断させ、アジア、台湾、中国の生産拠点の集中・再編の検討へと向かわせ、国内的には製造業を中心に更なる産業空洞化を促進し始めている。つまり中国や韓国とのこうした経済関係を無視しては、だからまた中韓両国との外交関係の再構築の展望なしには、日本資本主義がグローバリゼーションに対応して国際競争力を回復し、国内製造業の空洞化に対応するような構造改革は不可能であると言って過言ではないのだ。
 現に今年になって、安易に発動した中国産のネギとイグサへの緊急輸入規制が、自動車と携帯電話という日本資本の戦略商品への思わぬ報復関税を呼び起こしたことを教訓とするなら、中韓両国といま、靖国参拝を含む戦後処理問題で事を構えることは、実は日本資本のアジアへの「自由な展開」にとっては百害あって一利なしと言える。
 ところが、ITバブルを後追いするアメリカ経済のキャッチアップという、それ自身、戦後保守政治の伝統的外交戦略と経済政策を一歩も越えてはいない小泉は、靖国問題のはらむこうした問題をまったく認識しないかのような対応に終始したのである。しかも、ニユーエコノミーの信奉者で小泉改革のイデオローグである竹中経済担当相や、日中国交回復の立役者・田中角栄の娘としてその歴史を受け継いでいたかに見えた田中外相ら、小泉政権の屋台骨と言える主要閣僚たちも、経済と政治を貫くこのようなアジアとの関係を自覚し、日本資本主義の外交戦略の再構築をともなう構造改革を構想してはいないのではないかとの疑いも濃厚になった。
 もちろん、戦後保守政治の伝統からの断絶は、過去のしがらみを断ち切って自民党の利権政治を打破できる可能性とも言える。だが反面それは、日本の社会と国家が歴史的に継承してもきた国際関係や社会慣行に対する、無責任で一貫性に欠ける態度や、効果的とはいえない無謀な対応策を発動する不断の源泉ともなるのである。

 こうして小泉による構造改革の推進は、その核心的課題に迫ろうとする一歩ごとに、実権派が立脚する戦後保守政治の歴史的基盤との軋轢を強め、これを再編成する戦略的展望の不在が暴露されることになる。
 それは参院選で自民党を押し上げた保守系無党派層や消極的自民党支持層の淡い期待を打ち砕き、小泉人気の分解と分散化を呼び起こし、やがては小泉政権と改革の支持を旗印にした、だが小泉の意図する急進的改革とは矛盾さえする我田引水の改革要求を、実権派通じて実現しようとする無政府的改革の混乱を引き起こす可能性がある。
 そしてこの混迷の果てに現れることになる政党再編は、ブルジョア的な保守派対改革派といった二項対立ではなく、日本社会の未来像と国家戦略をめぐる百家争鳴を通じて戦略的展望へと収斂される混沌たる一時期を経ることになるのであり、これに身構えようとする階級的労働者には、こうした混沌とした論争に介入し、かつ大衆自治と自己決定を基礎にした社会のための展望の提出が求められることになるだろう。

(きうち・たかし)


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