両大戦間資本主義とトロツキーの永久革命戦略

(労働者の旗第6号ー現代史の激動とトロツキー特集号:1990年11月刊ー掲載)                              寺岡  衛


はじめに

 トロッキーの政治思想の核心は、永久革命の理論である。永久革命論は三つの側面をもって理論的に構成されている。その第一は民主主義革命から社会主義革命への移行の問題であり、第二は国境の枠組みを越えた革命の国際的発展の問題であり、第三は低次の段階から高次の段階へと発展する社会主義革命そのものの永続的発展の問題である。
 トロッキーが永久革命論に内包するこれら三つの側面を一つの世界革命戦略の中に統合したのは、両大戦間期の階級闘争、思想闘争を通じてであった。
 いうまでもなくトロッキーの永久革命論は、ロシアにおける民主主義革命(農民)と社会主義革命(労働者)の相互関係の解明を歴史的源流として形成されたものであった。
 だがその中には、ロシア革命の枠を越えた、より普遍的な理論上の諸問題が内包されていた。その第一は社会主義革命の客観的基盤が最も進んだ資本主義諸国から順次に成熟していくという旧来の伝統的思考(第二インターナショナルによって定式化された社会民主主義的思考)を克服し、革命の基盤を国際帝国主義の不均等発展が生みだす資本主義の弱い環の中につかみとっていったことである。第二にこうした国際資本主義における遅れた経済構造を弱い環とする革命の出発点は、同時に資本主義経済の連鎖の構造に基盤を与えられた国際革命の発展と結びつくことなしには生きのびることができないことを示したのである。ロシア革命に歴史的源流をもつトロッキーの永久革命論は、こうした帝国主義時代の複合的発展の法則を基盤として新たな理論的展開をとげていくこととなったのである。
 トロツキーは、戦間期における闘いを通じて永久革命論をロシア革命の経験を源流とする理論的枠組みから、帝国主義と植民地の矛盾に基礎をおく国際革命の理論的枠組みへと発展させていったのである。すなわち彼は、国際帝国主義の危機を舞台として永久革命論に内包する三つの側面を一つに統合し、それを世界永久革命の理論として集大成していったのである。彼によって発展させられた永久革命の理論は、まさに第二次帝国主義戦争へとむかう世界危機の構造を世界革命を通じて止揚しようとする生きた闘いの思想的定式化であったと言えるのである。
 戦後史を経験したわれわれが今日トロツキーの思想を再検討するにあたって最も重要なことは、こうした彼の戦間期における闘いとその思想的集大成を再整理してみることであり、同時にその思想が戦後における生きた革命的思想として今日へとその歴史的連続性を保持しえているかどうかを点検してみることであろう。

一、  一国社会主義と全般的危機論

 両大戦間期の闘いを通じて集大成されたトロツキーの世界永久革命の理論は、ロシア革命によって切り開かれた世界革命の第一段階と、他方ヨーロッパ革命の後退=ソ連労働者国家の官僚的堕落がつくりだした挫折の中間期を、来たるべき世界革命にむけて再武装しようとする闘いの中で構築されていったのである。その闘いの過程は、第一次大戦後のヨーロッパ革命の敗北と、それが強制したソ連労働者国家の官僚的堕落、更にその敗北と堕落の現状を隠蔽し、正当化しようとするスターリニスト官僚の理論ー一国社会主義論と全般的危機論との全面的な闘争を通じて展開されていったのである。
 スターリン、ブハーリンによって提唱された一国社会主義論の基本的性格は、第一次大戦後のヨーロッパ革命の敗北が強制した労働者国家ソ連の官僚的堕落を隠蔽し、その現状を正当化するための理論として定式化されたものである。また同じ基盤の上で展開された全般的危機論は、こうしたソ連における官僚独裁の構造とそれを正当化するための一国社会主義の理論を世界共産主義運動(第三インターナショナル)を主導するための世界戦略論へと組み立てなおしたものであった。
 第一次大戦後のヨーロッパ革命は、ロシア十月革命と連動しつつ、一九一九ー二0年をピークに発展した。その闘いは第三インターナショナルの第一回=第二回大会路線に照応していた。この時期の革命戦略を基礎づけたのは、ヨーロッパ革命をロシア十月革命の直接延長上に想定するものであり、ソ連の社会主義建設をヨーロッパ革命との合流を基礎として組みたてようとするものであった。
 だが一九一九ー二0年をピークとしたヨーロッパ革命は、第一次大戦とロシア革命の勝利がつくりだした革命的波動の直接延長上に勝利せず、一定の後退を強いられることとなった。ヨーロッパにおけるこうした戦後革命の後退は、一九二一年三月蜂起から二三年ドイツ革命の敗北の過程で明確となった。一九二一ー二三年にかけて進行したヨーロッパ革命の後退の過渡期は、同時に第三インターナショナルを舞台とした革命戦略の転換と、それをめぐる路線対立を顕在化させて行く過程であった。第三インターナショナルの第三回ー第四回大会はまさにその舞台となった。
 第一の転換は、ヨーロッパ革命を第一次大戦とロシア革命の直接延長上に展望することができないこと、そして戦後革命の後退と資本主義の一定の均衡回復、社会民主主義勢力の復活等を前提としつつ来たるべき時期に備えて革命の準備をばかることを提起したものであった。そして革命の準備とは、大衆の日常闘争と結びついて労働者階級の多数を獲得することであり、社会民主主義勢力を含む労働者階級の統一戦線を形成していくことであり、更に選挙や議会戦術を積極的に活用していくこととして提起された。第三インターナショナルの第三回ー第四回大会を通じてレーニンやトロッキーは、戦後革命の一定の後退のもとで、ヨーロッパ革命がロシア革命と直ちに直結しえないことを確認し、労働者大衆の新たな経験を土台として来るべき革命に向けて政治的、理論的に再武装していくことを提起したのである。
 これに対してブハーリンをはじめとする左翼主義者は、「資本主義は自らを消耗してしまったのだから勝利は間断なき革命的攻撃を通じて獲得されねばならない」との「攻勢の理論」を展開しコミンテルンの路線的転換に反対した。
 コミンテルン綱領の鍵概念として採用された全般的危機論は、戦後革命の後退を前提にレーニン、トロッキーによって推し進められた路線転換と対立した「攻勢の理論」を継承するものであった。第三インターナショナルの第四回大会(一九二二年)に提出したブハーリンの綱領私案は「資本主義の崩壊過程、いかなる留保もない崩壊過程にある」とし、戦後革命の後退とヨーロッパ資本主義の一定の均衡回復がもつ政治的意味を認めようとはしなかった。もちろん第三インターナショナル第六回大会(一九二八年)でブハーリンは、資本主義の相対的安定の現実を無視することができず綱領上の若干の修正を試みた。だがそれは全般的危機論のもつ「攻勢の理論」としての基本性格を転換するものではなかった。
 彼はその点を次のように述べている。「資本主義の全般的危機は継続している。それだけではない危機の形態が今や別のものとなってもそれは発展している」。すなわち「いま危機の継続の形態が他の形態におきかえられている」のだと。そして「資本主義の危機は今や直接的な戦時および戦後という従来の諸局面の結果として、経済全体における本質的な構造上の変化(国家資本主義トラストとソ連経済圏の独立等=引用者)が生じている点にあり、この変化は資本主義体制の総ての矛盾を不可避的に千倍も激化させ」ているのだと。そして危機の構造を次のように述べる。「ソ連の存在という事実を取ってみよう・・・それはまず第一に資本主義の戦後危機の結果であり、第二に資本主義の全世界体系のなかに根本的に対抗する敵対的な発展しつつある異物が存在しているのでこの危機が継続していることの表現である」(以上、ブハーリン「コミンテルン第六回大会報告」)のだと。
 こうしてブハーリンは、資本主義の相対的安定の現実にもかかわらずその現状を、「資本主義の矛盾を千倍も激化させ」るものであるとし、その根拠として「ソ連の存在という事実」を戦後の「危機が継続していることの表現である」と結論づけたのである。
 ソ連の存在という事実の中に戦後危機の継続とその更なる深化をみるブハーリンの全般的危機論は、スターリンによって更に単純化され図式化されていった。
 スターリンはそれを次のように述べている。「帝国主義戦争とその結果は、資本主義の腐朽を促進してその安定をうちこわしたこと・・・・・・資本主義はもはや世界経済の唯一のすべてを包括する制度ではないこと、資本主義制度とならんで社会主義経済制度が存在していて、後者は成長し繁栄して資本主義制度に対立しそれが存在するという事実そのものによって資本主義が腐敗していることを立証しその基礎をゆるがすことを意味する」(スターリン「ソ連共産党第十六回大会における報告」)と。
 このようにブハーリン、スターリンによって提唱されコミンテルン綱領の中で定式化された「全般的危機論」は、まさに戦後革命の後退とヨーロッパ資本主義の一定の均衡回復がもたらした一九二0年代後半の政治力学や世界構造を無視し、第一次大戦とロシア革命によって生み出された危機がソ連の存在ということの中に継続され発展させられているということである。
 第二の転換は、ソ連の社会主義建設をめぐって戦時共産主義からネッブ政策への転換をはかったことである。戦時共産主義の体制は、ロシア革命の直接延長上にヨーロッパ革命の勝利を展望し、そのヨーロッバ革命への合流の過渡期における臨戦体制として位置づけられていたことは明確である。それはまさに第三インターナショナルの第一回ー第二回大会の路線に照応するものであった。
 ネッブへの転換は、戦後ヨーロッパ革命の後退と資本主義の 一時的均衡回復によってロシア革命とヨーロッパ革命がただちに合流せず、ヨーロッバ革命を準備するための一時期を必要としたのであり、その過渡期に対応した経済政策として位置づけられたのである。その意味でネップの転換は、コミンテルン第三回ー第四回大会の路線転換に対応したソ連の経済政策の転換を意味していた。
 トロッキーは、ネッブ政策がヨーロッパ革命へと合流するまでの一時的な過渡期の政策にすぎないことを次のように述べている。「われわれは決定的にヨーロッパにおける革命的発展をあてにしているのである。新経済政策はそのような発展の度合いに合わせたものにすぎない」。すなわち「新経済政策は…・・・資本主義に取り囲まれ、そしてヨーロッパの革命的発展をはっきり計算に入れている労働者国家の術策である」(「コミンテルン綱領草案批判」)と。
 レーニンやトロツキーにとってソ連労働者国家は、ヨーロッバ革命へと合流することなしには社会主義経済政策を有効に実施しえないだけでなく、生きのびることすら困難であるとの考えを前提にしていた。それは単に資本主義からの軍事的脅威にとどまるものではない。より本質的な脅威は資本主義の包囲のもとで社会主義のための経済的基盤の欠落がもたらす危機の問題である。トロツキーはその点を次のように述べている。「労働の生産性と全体としての社会体制の生産性は、市場における価格の相互関係ではかられるかぎり、ソヴィェト経済にとって恐らく最大の直接的脅威をなすものは軍事的干渉よりもむしろより廉価な資本主義的商品の干渉である」と(「コミンテルン綱領草案批判」)。
 だがブハーリンやスターリンにとってネッブ政策への転換は、ソ連一国において社会主義の建設は可能であるという理論と結びついて発展した。彼らにとってネッブは、過渡期における妥協や後退ではなくソ連一国の自足経済の枠内において社会主義建設が可能であるとの考えを形成していく出発点となったのである。トロツキーはこうしたブハーリンやスターリンの立場を次のように批判した。「ブハーリンは、波の一国社会主義論を組みたてるにあたって全く孤立的自足経済の思考から出発している」「外部的環境、すなわち全世界については、スターリンと同様にブハーリンもただそれからの干渉という点からしか考えていない。ブハーリンはその論文で国際的な要因から『抽象する』ことの必要性を語っているがこのとき彼が考えているのは世界市場ではなく軍事干渉である・・・・・・もし干渉によって妨げられることがなければ『たとえ亀の歩みでも』社会主義を建設していく」(以上「コミンテルン綱領草案批判」)ことができるのだと。
 スターリン、ブハーリンの一国社会主義論は、ヨーロッパ革命の敗北によって強制されたネッブ政策の背景=一国的孤立の現状を肯定し正当化する官僚の理論として持ちだされてきたのである。他方全般的危機論はこうして成立した一国社会主義論を正当化するため、ソ連の一国社会主義の発展こそ資本主義を危機へと追い込む最大の要因であるとして、その理論を世界戦略論の領域へと持ちこみ定式化しようとしたものであった。こうして戦間朝におけるスターリニスト官僚の理論ー一国社会主義論と全般的危機論から次のような実践的結論が導き出されていったのである。
 その第一は、第一次大戦後のヨーロッパ革命の敗北や資本主義の均衡回復がもたらした階級的力学の重大な変化を無視し、世界資本主義の危機の構造を依然として第一次大戦とロシア革命がもたらした危機の直接延長上に設定したことである。
その第二は、ソ連の孤立と危機がソヴィエト権力の大衆的・民主主義的基盤を解体し労働者国家に官僚的堕落を強制しながら同時にその支配構造を正当化するものとしての役割をはたしたことである。
 第三は、世界資本主義に対抗し、世界資本主義市場から独立したソ連=一国社会主義建設とその発展が、世界資本主義の没落と危機をますます先鋭なものにしていくとの認識を推進していったことである。
 第四は、以上の前提のうえで資本主義に危機を強制するソ連=一国社会主義の発展を支え防衛することこそ全世界の共産主義運動、労働運動の最優先すべき戦略的課題であるとの結論を導きだしたことである。すなわち全般的危機論のもつ政治的意義は、まさに一国社会主義論を国際戦略の領域へと適用し、国際労働運動をソ連防衛の外交手段へと従属させるための理論的根拠として機能してきたのである。

二、ヨーロッパとアメリカ

 トロツキーの世界永久革命戦略は、こうしたスターリニスト官僚の理論や戦略との全領域にわたる体系的な闘争を通じて発展させられていったのである。
 トロツキーは、コミンテルン綱領を批判しつつ戦間期における世界構造を次のように特徴づけた。「もし過去の十年間において革命情勢の主要な源泉が帝国主義戦争(ロシア革命)の直接的結果であったとするならば、戦後第二の十年では革命的激動の最も重要な源泉はヨーロッパとアメリカの相互関係であろう」(「コミンテルン綱領草案批判」)と。
 ここでトロツキーが提起している戦後十年間の総括の核心は、第一に第一次大戦後のヨーロッパ革命の敗北が国際階級闘争にもたらした影響力の重大性を確認することであった。トロツキーにとってこのことは、第一次世界大戦とロシア革命の勝利をピークとした支配構造の危機の一サイクルが後退したことを意味しており、来るべき革命的危機の発展は第一次大戦とロシア革命がつくりだした危機の直接延長上にではなく、世界資本主義の戦後構造の矛盾の基礎のうえに新たに準備されるものでなければならないことを意味した。そしてそのことは、第二にロシア革命の勝利によって開始された世界革命の第一段階が中間的な挫折をこうむり、その結果としてソ連労働者国家が深刻な孤立と危機を強制され、その国際的力学の貫徹としてスターリニスト官僚支配の物質的基盤が形成されていったことを確認することであった。同時にそのことは世界革命の新たな高揚と結びつくことなしにはソ連労働者国家の危機とその官僚的墜落を真に克服することができないことを明確にすることでもあった。そして第二にトロツキーは、世界資本主義の戦間期における新たな構造的危機の核心ーすなわち世界革命のための新たな綱領上の基盤を「資本主義経済の重心がヨーロッバからアメリカに移った」ことの中につかみとったのである。すなわち波は、第一次大戦後の革命の中間的挫折を確認すると共に、そのうえに発展するヨーロッパとアメリカの国際的矛盾を世界永久革命の新たな綱領的核心軸としてとらえたのである。
 ではトロツキーは、ヨーロッパとアメリカの相互関係に凝縮される世界危機の構造をどのように把握したのか。彼はその点を次のように提起している。「ヨーロッパは貧血症に悩んでいるが、合衆国は今日それにおとらず多血症に悩んでいる。ヨーロッパとアメリカの経済状態のあいだにみられるこの異常な不均衡」(コミンテルン第三回大会「世界経済恐慌とコミンテルンの任務」)こそ世界経済の危機の源泉であると。すなわち「ヨーロッパ全体の生産条件の価値をあらわす財産目録は、戦時の体制も戦後の体制もともにヨーロッパの基本的な生産資本を犠牲として生きのびてきたし生きのびつづけている」のであって「ヨーロッパの経済的基盤の弱体化は明日には昨日ー今日とくらべものにならないほど先鋭にあらわれるだろう」。それに対して「アメリカはヨーロッパと正反対の性格を持って経過してきた。そのあいだにアメリカは目のくらむような速さでゆたかになった」「ところでヨーロッパに恐慌があり、アメリカにも恐慌がある。だがこれらの恐慌はちがった状態にある。ヨーロッパは比較的まずしく、いっぽうアメリカは富にうずまっている」。こうして「アメリカの生産能力は異常にのびたがアメリカ市場は消滅した。なぜならヨーロッパは窮乏化してもうアメリカの商品を買うことができないからである」(以上、「コミンテルン綱領草案批判」)。
 トロツキーは、ヨーロッバとアメリカの以上のような経済的不均衡こそ大恐慌と動乱ー帝国主義戦争の最大の要因であり、同時にまたこのグローバルな矛盾こそ世界永久革命の綱領的基盤でもあることを認識したのである。
 ところでトロツキーは、ヨーロッパの没落とアメリカの発展という不均等な相互関係の問題を、ヨーロッパにおける「ファシズムと社会民主主義の問題に非常に密接に結びついた」ものとして認識した。その第一の側面は、ヨーロッパとアメリカの相互関係の中に戦後ヨーロッパ革命の後退ーヨーロッバ資本主義の一時的均衡回復と社会民主主義の復活ーを総括する鍵があることをつかみとったことである。
 その点についてトロツキーは次のように述べる。「ヨーロッバの『安定』『正常化』および『平和化』と社会民主主義の『復活』の時期は、ヨーロッパの諸事件へのアメリカの最初の介入と物質的、観念的に直接に関連しながら進行した」「アメリカの金の助けで産業を復興しせめて一片のバン位はもたらすだろうーこのバンのおかげでドイツ社会民主主義は再び立ちあがったばかりでなく、フランスの急進党もイギリスの労働党もまた大いに立ちあがった」(以上「コミンテルン綱領草案批判」)のだと。
 すなわち第一次大戦後の革命的危機に直面したヨーロッパ・ブルジョアジーは、労働者階級への議歩を強制され、戦時経済を継続した国家資本主義のもとで膨大な公債を発行し、そのもとで有効需要政策、福祉政策の原型や、ワイマール型の協調政策の基盤を形成していった。こうした労働者への議歩の政策は資本主義経済の再建の土台を根本からほりくずし、国家財政を犠牲にすることによって危機を先おくりしながら推し進めたのである。これが戦後革命に後退を強制し、ヨーロッパ資本主義の相対的安定(社会民主主義の復活)の経済的土台であった。だが同時にこうした政策に現実的基盤を与えたのは、アメリカの世界的膨張と経済援助の力である。アメリカのこうした力に依存することなしにそれは全く不可能なことであった。いずれにしてもヨーロッパ「ブルジョアジーは…・・・国家財政と経済の基礎を解体させながら革命をマヒさせて」(「コミンテルン第四回大会に関する報告」)いったのである。
 ヨーロッパにおけるワイマール型資本主義は、ただアメリカ経済への全面依存によってのみ可能性を与えられたのである。
 第二の側面は、以上のようなヨーロッパ資本主義の均衡回復(社会民主主義の復活)をもたらした同一基盤の上に世界経済恐慌の爆発ーファシズムか社会主義かをめぐる激闘と第二次帝国主義戦争の危機ーが準備されていったということである。
 先にも述べたように労働者への譲歩とヨーロッパ資本主義の一定の均衡回復(社会民主主義の復活)は、公債発行などヨーロッパ経済の再建の土台を根底から破壊することによってなされていったのである。そしてそれはアメリカの世界的膨張と経済援助の力に全面的に依存することによってのみ可能であった。だがこうしたアメリカの膨張と経済援助を可能とした基盤は、同時にヨーロッパ経済の没落とますます広がる不均等発展を前提としているのである。トロツキーがいうようにまさに「アメリカの介入の第一期がヨーロッパの安定と融和の効果…・・・をもたらしたとするならばアメリカの政策の一般的進路、特にそれ自身の経済的困難と恐慌は、ヨーロッパのみならず全世界にわたって最も深刻な動揺を惹起する」(コミンテルン第三回大会「世界経済恐慌とインターナショナルの任務」)。すなわち二〇年代のワイマール体制が三〇年代における大恐慌とファシズムの基盤を準備してきたのである。
 ヨーロッパとアメリカの相互関係の間に内包する危機の構造は、まさにその同一基盤の上に社会民主主義とファシズムを生み出す。だがワイマール型資本主義と社会民主主義(三〇年代に入ってからは人民戦線)は、プロレタリア革命を挫折させる点においては有効であったが、ヨーロッパの没落資本主義を前提とするかぎり安定的基盤とはなりえない。その体制はただファシズムへの道を掃き清める役割をはたしただけである。そのことは、大恐慌を契機としたファシズムの登場の過程が明確に証明したのである。

三、ファシズムとニューディール

 没落するヨーロッパと急速に発展するアメリカという世界経済における不均衡は、世界経済恐慌の基盤となって爆発した。三〇年代のヨーロッパはまさに、ファシズムか社会主義かをめぐる激動の時代へと突入していった。こうしてファシズムの体制は、ヨーロッパ帝国主義支配の旧構造を救済するための最後の政治手段であることを示した。
 経済再建の土台を解体しながら危機を先送りしてきたヨーロッバ資本主義はその没落の要因を戦前ー戦中ー戦後にわたって何一つ改善しえなかっただけでなく、更に悪化させていった。
 ヨーロッパ資本主義のこうした危機と衰退の構造は、第一に国際分業の基礎のうえにのみ成立するヨーロッパ経済の国際的性格と、他方細分化された国境の障壁、国家間利害の対立が桎梏となって資本主義の耐えがたい矛盾を不断に爆発させることになる。ヨーロッパは、客観的には一つの経済単位となっており民族国家の相互対立の構造はヨーロッパ社会の基礎を衰退=解体させる極めて反動的なものとなって作用する。深刻化を極める経済恐慌と社会経済的基盤の衰退、人類に破滅的危機を強制する帝国主義戦争やファシズム等に示される政治構造は、まさにこうしたヨーロッパ経済の単一的性格と細分化された民族国家の間の矛盾の爆発を政治的に表現するものである。
 こうしたヨーロッパの矛盾の克服の原動力は、ヨーロッパの政治=経済の統合にある。だが問題は誰がどのようにそれを実現するかである。ファシズムによる暴力的、侵略的統一か、それともヨーロッパ社会主義合衆国の道かをめぐる闘いがヨーロッパ革命(反革命)の根本問題となったのである。
 ヨーロッパ資本主義の危機と衰退の基盤は、第二に資本の生産=蓄積体制が労働者階級に窮乏化を強制する大衆的収奪の構造と、後進諸国の民族的発展を抑圧・破壊する植民地支配の体制を基礎としていることである。一方における生産力の発展と他方における労働者大衆の窮乏化は、ヨーロッバ資本主義に市場の喪失と深刻化する過剰生産、過剰資本の構造を強制していく。こうして生みだされる過剰生産恐慌の危機は、資本蓄積の基盤をますます植民地収奪に求め、その植民地利潤がヨーロッパ資本主義の存立の生命線となったのである。植民地分割とその再分割をめぐる帝国主義戦争の不可避性は、まさにこうしたヨーロッパの没落資本主義の構造を根拠としたのである。
 ヨーロッパ資本主義の危機と没落は、一方で細分化され相互に衝突を繰り返す国家の障壁、他方で労働者の窮乏化と植民地収奪に基礎をおく旧帝国主義の構造を土台とするものであった。そしてこの二つの危機の相互作用が、まさにヨーロッパの動乱とファシズムの根拠となったのである。世界大恐慌を契機とした戦間期の新たな動乱は、ヨーロッパの没落資本主義としての本質を全面的に暴露し、ファシズムをヨーロッパ資本主義救済の唯一の政治的手段として登場させたのである。
 ヨーロッパのこうした危機の特徴を分析しながらトロツキーは、一方、アメリカ資本主義の新たな発展とその世界的ヘゲモニー形成のもつ意味を解明しようとした。
 アメリカ資本主義経済の飛躍的発展の基礎をトロツキーは、第一に、技術革新にともなう労働の機械化=平準化と大量生産方式がもたらす生産性向上の結果として認識した。そしてこのフォード主義的生産様式の成立の背景を次のように分析した。
 「アメリカには過多なほどの処女地、自然の富の無尽蔵の資源そして無限かに思われる到富の機会が自由に存在していた」(「マルクス経済学序説」)。「無尽蔵の自然にとっては人間が不足であった。合衆国において最も高価なのは労働力であった、これに起因して労働の機械化が行われることになった」(「ヨーロッパとアメリカ」)のだと。
 その第二は、生産性と利潤に見合った賃金の法的制度下と国民所得の分配における「平等」観=労資一体・協調体制の問題である。アメリカ資本主義が土台としている国民所得分配の「平等」観=労資一体の体制をトロツキーは次のように指摘した。
 「アメリカ労働連合会は、労働及び資本の利益を完全に一致せしめる趣旨にもとづいて賃金の滑準法を実施する必要を認めた。すなわち労働生産性と利潤の程度にしたがって賃金を増減させなければならないというのである。こうして利益連帯説が実際に行われ、国民所得の分配における所詮『平等』の観を呈するに至った=労働連合会は・・・…アムステルダム・インターナショナルの外に立っている。このインターナショナルは・…・・没落しつつあるヨーロッパの組合であり、あまりにも革命的偏見に充たされているとみえる」(「ヨーロッパとアメリカ」)。
 国民所得の分配の「平等」観を基礎にしたアメリカの「利益共同体」の体制は、第一に労働の機械化ー大量生産システムに対応した大量消費に基盤を提供し、新たな大衆消費市場の拡大と結びつくのである。そのことは第二にアメリカの労働官僚の成立基盤を没落資本主義とその植民地超過利潤に基礎をもつヨーロッパ社会民主主義と明確に区別していることを示している。
 トロツキーはヨーロッパ資本主義の生産・蓄積様式と区別されるアメリカ資本主義の生産・蓄積様式のもつ意味について明確に分析することはできなかった。むしろ彼はアメリカのこうしたフォード主義的生産・蓄積様式をアメリカの豊かな資源と広大な土地、活力ある労働力とその慢性的不足がうみだす労働と科学技術の結合、前近代の歴史的遺制の桎梏からの自由などを条件とした特殊アメリカ的基盤においてのみ可能なものであったと評価したのである。
 一方、大恐慌の爆発と深刻化する社会経済危機に対応してアメリカではニューディール体制が成立した。トロツキーは、このニューディール政策を先に見てきたフォード主義的生産・蓄積様式の評価と共通のものとして評価した。その点をトロツキーは次のように述べている。「ニューディール政策は・・・非常に裕福な国民にのみ可能な政策である。だからこの意味においてそれはすぐれてアメリカ的政策である」「しかしこのような国でさえ過去の世代の費用によって延命するには限界がある」(以上、「マルクス経済学序税」)のだと。
 すなわちトロツキーはフォード主義的生産・蓄積様式と同様、ニューディール政策の成立もまた豊かなアメリカ的基盤においてのみ有効性を発揮しうるものであると評価したのである。だがトロツキーは、戦間期におけるアメリカ資本主義の急速な発展を直視し「いかなる社会制度もその創造的潜在力を使い尽くしてしまうまでは歴史の舞台を離れない」とのマルクスの命題を再確認しつつ自問している。
 「われわれの前に展開している経済状況に直面してわれわれは今一度自問しなおす必要がある。資本主義はすでにその生涯を終わったのであろうか。それともまだ進歩的な働きをなす前途を有しているのであろうか?」と。そしてその回答を自ら次のように提出した。
 「ヨーロッパにとっては問題の解決は否定的である。ヨーロッパの戦後は戦前よりも困難となった」「しからばアメリカはどうか?アメリカの資本主義はまだ進歩的使命を果たしうるであろうか?」「アメリカの資本主義はヨーロッパのそれよりはるかに堅固であり強力である・・・・・・しかしアメリカ資本主義は自足のうえに成立しえない。国内的均衡のうえに立っていることができない。どうしても世界的均衡が必要である」「合衆国が全世界をおのれに従属させればさせるほどあらゆる矛盾と恐るべき動揺をもっている全世界に合衆国が従属することとなる」。それは「合衆国経済の中にヨーロッパやアジアの混乱の要素を導き入れることになる。ヨーロッパやアジアの革命が成功したならそれは合衆国にも革命時代が現出することとなる」(以上、「ヨーロッパとアメリカ」)のだと。
 すなわちトロツキーは次のように結論づけたのである。国際経済のうえに直接に基盤をおくアメリカは、その急速な発展にもかかわらず(いや逆に急速に発展するが故に)死の苦悶にあえぐヨーロッパやアジアの帝国主義ー植民地体制の危機の構造を自己の体内に包含し、その矛盾の内在化を通じて特殊アメリカ的成長基盤そのものをも解体していくことになるのだと。

四、世界永久革命の戦略と人民戦線

 三〇年代の激動期においてヨーロッパとアメリカの相互関係は、以上に見てきたようにファシズムとニューディールの関係として表現された。そしてその相互関係が第二次帝国主義戦争の不可避性の根拠を与えたのである。他方ヨーロッパを舞台とした人民戦線は、第二次大戦へとむかう危機の中でスターリニスト官僚のニューディール体制への屈服と依存の構図を政治的に表現したものであった。
 アメリカ資本主義の国際的膨張を前提にトロツキーは、戦間期の構造を分析しながら世界危機の展開を次のように特徴づけた。
 「アメリカのもつ国際的強さとそれからする不可避的な膨張こそ、アメリカをして全世界の火薬庫、すなわち東西のすべての対立、旧ヨーロッパの階級闘争、植民地大衆の反乱、それにあらゆる戦争と革命をその構造の基礎の中に包含せざるを得なくせしめ」た。 そして「アメリカ資本主義は、現代の基本的な反革命勢力に転化することによって地球上のあらゆる隅々に『秩序』を維持していくことに不断にますます熱心にな」る。そのことは同時に「なおー層膨張しつつあるこの世界帝国主義内にやがて巨大な革命的爆発がおこる地位を準備しつつある」(以上は「コミンテルン綱領草案批判」)と。また次のようにもいう。
 「合衆国は恐慌の中から世界資本のかつてない主人公として登場するだろう」「将来かならず生じるアメリカのヘゲモニーの増大は、次のことを意味するーーつまりわが惑星のすべての矛盾と病弊がアメリカ資本の土台に浸透するということです」。それは「二つの事実を思いおこすだけで十分です。第一は、日本の強盗団の中国にたいする攻撃であり、これは極東での一連の戦争の口火となります。第二は、ヒットラーの権力への到達です。これは一年にわたる内戦と不可避的な国際的衝撃を予測させます」と。(「アメリカの銀行恐慌」)
 以上の構図の上で、アメリカ帝国主義権力が包含する戦争と革命の第一の火薬庫を彼は、和解しがたい諸矛盾に蝕まれて爆発寸前にあるヨーロッパの巨大な危機の問題として提起した。トロツキーもいうように「現在の生産力の発達状況のもとにおけるヨーロッパ大陸は、一つの経済単位となって」おり「『ヨーロッパ連邦』のスローガン…」、ヨーロッパにとっての経済統合の課題はまったなしの死活問題である。だがここから導きだされる結論は、ファシズムによる侵略的、強権的統合か、さもなければヨーロッパ社会主義合衆国の道か、その二者択一をめぐる激闘へと集約されていく。
すなわち、「……ヒットラーはただ世界的規模においてのみ彼のヨーロッパにおける成果を資本化しうる。これをはたすには彼はフランスとイギリスを粉砕しなければならない。ヒットラーはたちどまることはできない。その結果連合諸国もまた・・・・…とどまることができない」(「世界情勢とその展望」)。そしてこうした「ヨーロッパを戦場とする現在のすさまじい闘争は、その意味においてドイツとアメリカの闘争にいたる予備的エピソードにすぎない」(「帝国主義戦争とプロレタリア革命にかんする宣言」)のだと。
 第二の「火薬庫」は、日本帝国主義を危機へと引き込みながら進行する日本帝国主義のアジア侵略と、それに反撃する抗日戦争の発展である。前近代的産業構造を基盤とする日本帝国主義は、好戦的な拡張主義のもとで歯ドメのないアジア侵略の道に突入した。民族的再生をかけた朝鮮、中国人民をはじめとするアジア人民の抗日闘争(戦争)は、アジアにおける革命的爆発を準備していくと同時に、日本帝国主義が「資本主義の鎖の最も弱い環である」(「中国と日本」)ことを暴露していく。こうした日本帝国主義の歯ドメなきアジア侵略は、同時にそれに抵抗するアジア人民の抗日闘争(戦争)を日ごとに強化し、日本帝国主義の衰退と爆発を誘発していくこととなる。こうしてアジアの「火薬庫」は太平洋を舞台とした日米の帝国主義戦争の口火となって爆発することとなる。
 第三の「火薬庫」は、国際帝国主義ー植民地体制の矛盾や闘争の凝縮過程が不可避的に準備する世界帝国主義戦争である。
トロツキーはその点を次のように要約した。
 「もしヨーロッパにたいするドイツの支配という妖怪が現実の脅威として現れるならば、そのときこそ合衆国政府は決定をくださねばならない」、他方「ドイツは当然にも自己の支配のもとにヨーロッパを統合したいと考える。これにともないヨーロッパ諸国の植民地はドイツ支配に従属させられることになる」(以上「世界情勢とその展望」)。すなわち「ドイツにとってそれはヨーロッパを組織するという問題であった。アメリカ合衆国にとってそれは世界を組織するという問題である。歴史はいまアメリカ帝国主義という火山の大爆発の真只中にむけて人類を引きつれていきつつある」(「戦争と第四インターナショナル」)、「資本主義の分解のますます増大する緊迫のもとで帝国主義の諸対立は袋小路に達し・・・・・・その極点において個々の衝突や局地的流血の騒乱は不可避的にあい合して世界規模の猛火になるにちがいない」(「過渡的綱領」)と。
 第四の「火薬庫」は、ヨーロッパやアジアの動乱と戦争を自己の政治・経済機構へとひき込むことによって進展するアメリカ国内における階級闘争の新たな発展である。
 トロツキーは、世界の危機がアメリカの政治・社会構造へと浸透することによって発展するアメリカの階級闘争の新たな特徴を次のように述べている。「アメリカプロレタリアートは、階級としての偉大な民主主義的闘争をおこなったことがない。……こうしたことから闘争の民主主義的段階は一定の期間を要すると予測しなければならない」。だが「確実にいえることはアメリカプロレタリアートが独立した党として自己を確立するやいなや、たとえそれがはじめは民主主義、改良主義の旗のもとであっても、彼らはこの段階を非常に速やかに通過するだろうということである」と。(以上「不均等複合的発展とアメリカ帝国主義の役割」)
 トロツキーによって提唱されたアメリカの大衆的労働者党形成の闘いは、こうした認識を前提に、経済危機の中で発展するアメリカ労働者の座り込みストライキの波と自衛武装、大衆的労働組合としてのCIOの爆発的発展などを基盤として提起されたものであった。アメリカ資本主義の最も進んだ技術と社会構造を土台に組織されたアメリカプロレタリアートの座り込みストライキや大衆的労働組合の爆発的発展をトロツキーは、新たな国際革命のヘゲモニーとしての階級の運動の登場として、真正のマルクス主義の新時代の始まりとして認識した。こうした認識を前提とすることによってトロツキーは、アメリカにおける大衆的労働者党の形成を「アメリカの左翼反対派が第二党としての役割を強制される最初の左翼反対派になる可能性を……否定できない」(「不均等発展とアメリカ帝国主義の役割」)としたのである。トロツキーの世界永久革命論は、アメリカプロレタリアートとその党の国際革命のヘゲモニーとしての登場を不可欠の条件とするのである。
 トロツキーの世界永久革命戦略を構成する基盤は、第一にヨーロッパを軸とした旧帝国主義ー植民地体制の没落と解体が世界各地、各大陸におしとどめがたい衝突や騒乱を爆発させていくことである。その第二は、こうした局地的な衝突や騒乱が引き金となってアメリカとヨーロッパの対立構造を顕在化させ、戦間期資本主義の基本矛盾ーーファシズムとニューディールの衝突を世界帝国主義戦争へと転化させていく。その第三は、同時にこうした世界各地、各大陸の衝突や騒乱が新たな世界権力として登場したアメリカ帝国主義の基盤をほり崩し、他方世界権力としてのアメリカ帝国主義の危機の顕在化が逆に各地の衝突や騒乱を世界的規模の反乱へと結合していくことである。そして第四は、世界権力として登場するアメリカ帝国主義に対抗する国際革命のヘゲモニーとしてのアメリカプロレタリアートの階級形成である。
 以上四つの内的な構成要素を基盤として成立するトロツキーの世界永久革命の戦略は、まさにアメリカの世界支配との緊張を深めつつ発展する各地、各大陸の衝突・反乱を、不可避的に進展する第二次帝国主義戦争との闘いに結びつけ、国際的内乱へと転化しようとする闘いであった。
他方、帝国主義戦争の危機に直面したソ連スターリニスト官僚の基本戦略は、まさに帝国主義間相互の対立(ファシズムとニューディール)を利用して自己を防衛することであった。独ソ不可侵条約や日ソ不可侵条約など、国際階級闘争を犠牲にしたソ連邦防衛戦略は、高まるファシズムとの戦争の脅威に直面して転換を強制され、民主主義的帝国主義ーーニューディール体制へと依存することとなった。人民戦線は、まさに民主主義的帝国主義ーニューディール体制への依存、それとのブロック化を政治的に表現したものであった。二〇年代におけるアメリカ資本主義への依存の表現がワイマール体制や社会民主主義の復活であったとするならば、反ファシズム人民戦線の構造は、政治的動乱期の三〇年代においてアメリカ資本主義ーーニューディール体制へと依存する政治体制を表現するものであった。
 人民戦線とは、まさにアメリカ資本主義ーニューディール体制との政治ブロックを土台とする国際スターリニスト官僚の世界戦略であり、フランスおよびスペインの人民戦線の闘いはその一環をなすものであった。そしてその政治的帰結こそコミンテルンの解散であり、戦後における東西分割支配の世界秩序ーヤルタ体制として集約されたのである。そしてソ連邦における反官僚政治革命は、国際的内乱を力とする世界永久革命の発展か、民主主義的帝国主義ーニューディール体制へと依存する人民戦線の道か、この両者の闘いの動向と力学へと全面的に依存することを意味した。

五、戦後革命の挫折と後期帝国主義論

 以上のようなトロッキーの世界永久革命戦略は、第二次世界大戦の新たな展開の過程で全面的にテストされることとなった。そしてその結果は、いくつかの重要な問題点が総括されねばならないことを示しているのである。
 第一の問題点は、ヨーロッパ(日本)を軸とした旧帝国主義ー植民地体制の没落と解体が各地の革命的「火薬庫」を爆発させ、それがアメリカ帝国主義の新たな世界権力の基盤へと引火し、戦中・戦後の危機がアメリカ資本主義を引き込む国際的内乱へと転化するであろうという展望の中途挫折である。
 たしかにヨーロッパ(日本)を軸とした旧帝国主義ー植民地体制は、おしとどめがたい解体局面へとたたき込まれ、大衆的反乱は旧帝国主義ー植民地諸国をつらぬき、ヨーロッパーアジアなど全世界をおおった。だが旧帝国主義ー植民地諸国をおおった大衆的反乱は、@戦後世界帝国主義として絶対的力を集積したアメリカの社会的基盤を揺るがすほどの危機へと転化することはなかったこと、Aさらにこの大衆的反乱は、ニューディール・人民戦線ブロックとしての戦後ヤルタ体制の秩序へと、いくつかの例外(中国、ユーゴスラビア)を除いては基本的に包』含されて言ったこと、Hそしてこれらを前提としてアメリカ資本主義は旧帝国主義諸国の危機を救済するだけでなく、積極的に資本主義的基盤の再組織化とブルジョア秩序の安定化を推し進めていったこと、C他方で植民地諸国の政治的独立を許容し、民族資本の育成をはかるアメリカ帝国主義の新植民地政策の展開にもかかわらず旧植民地における民族解放闘争は爆発的に発展した。中国革命やベトナム革命はまさに戦後のアメリカ帝国主義による世界支配に重大な障害として立ちはだかったのである。だが旧帝国主義諸国の資本主義的再建と政治的安定化が先進工業諸国と後進諸国の大衆的闘いを分断し、植民地解放闘争に限界性と分解を強制していったのである。
 第二の問題点は、特殊アメリカ的基盤の上にのみ成立しうるものとみなされたアメリカ資本主義のフォード主義的生産・蓄積様式やニューディール政策が、戦後世界資本主義を再組織していく、より普遍的な力として全面的に機能していったことである。先にも述べたようにトロツキーは、アメリカ資本主義のフォード的な生産様式のもつ高度の生産力をアメリカのもつ豊かな資源や広大な国土、前近代の歴史的桎梏からの自由と活力ある労働力など、特殊アメリカ的基盤においてのみ可能なものと評価した。そしてアメリカ資本主義の国際帝国主義としての膨張は、こうした特殊アメリカ的条件を消滅させ、危機にあえぐ国際経済ー政治構造を自己の成立基盤として包含し、そのことによって不可避的に世界危機へと合流していくというものであった。
 だが戦後の現実は、絶対的優位を獲得したアメリカ帝国主義が没落と解体へとおちいったヨーロッパと日本の旧帝国主義構造の危機を政治的に救済するだけでなく、新たな資本主義的生産・蓄積様式のもとにこれを再建・再組織していったのである。高度経済成長に典型的に示された戦後資本主義の爆発的発展は、明らかにアメリカ帝国主義のもとで再組織された資本主義体制の生命力の回復を示すものとなった。
 アメリカ帝国主義に関するトロツキーの認識は、国際的に膨張したアメリカ帝国主義の構造が豊かなアメリカ的基盤を使いはたすだけでなく、世界をアメリカの植民地的収奪の基盤へと転化することなしには生きのびられないものであるとされていた。そのことによってアメリカ帝国主義は、直ちに没落する帝国主義の構造へと転化していくものと展望されていた。だがアメリカ資本主義の高度な生産力は、植民地収奪と植民地市場に依存するのではなく労働者大衆の生活基盤の物質的向上に依存する大衆消費市場に基礎をおくものであった。
 アメリカ資本主義のこうしたフォード主義的生産・蓄積様式にもとずく生産力の発展は、国家によるケインズ的有効需要政策や福祉政策、通貨、貿易、金融等の国際管理体制の形成と結びついて世界資本主義の新たな再組織化を全開させていくこととなった。それを基盤として旧植民地の政治的独立、ヨーロッパ資本主義の国家的対立の緩和や経済統合を進展させたのである。
 第三の問題点は、旧帝国主義の植民地超過利潤に依拠して成立してきた社会民主主義や労働官僚の基盤が、帝国主義の没落と共にその政治的基盤を喪失するものと考えられていた。一方民主主義的帝国主義(ニューディール)に依存して自己を防衛して来たスターリニスト官僚は、帝国主義の戦後危機と結びついて衰退と崩壊の局面へと突入するものと考えられていた。
 だがフォード主義的生産様式やニューディール政策の戦後における世界的展開は、社会民主主義の復活の基盤が旧帝国主義の植民地超過利潤から大量生産=大量消費の産業=消費社会を基礎とする労資の利益共同体的な協調基盤へと転換していったことを意味した。
 戦間期においてワイマール体制や社会民主主義の復活、人民戦線の基盤は、アメリカ資本主義の政治・経済力に直接、間接に依拠してきたのであるが、ヨーロッパ資本主義の旧構造に土台をおくかぎりその成立基盤はきわめて脆弱なものであった。
 だがこうしたワイマール体制や人民戦線の戦間期における経験は、アメリカ主導の戦後世界資本主義の再建過程と結びつくことによって資本主義の再組織のための戦後の歴史的基盤として有効性を発揮したのである。それは戦後におけるケインズ型有効需要政策や福祉国家の展開の歴史的原型として機能するからである。
 一方、スターリニスト官僚の戦後体制は、まさに戦前ー戦中を通じてアメリカ資本主義に依存しそれへと屈した人民戦線の戦後の展開によって防衛され維持されたのである。
 こうして成立した戦後のヤルタ体制は、その後の植民地革命の発展と先進国プロレタリアートの改良主義化という国際階級闘争の分断構造(冷戦構造)のもとで維持され、その戦後構造の均衡がスターリニスト体制を防衛する基盤ともなった。
 以上のような諸要因による戦後革命の中途挫折や戦後資本主義の新たな発展は、期間期におけるトロツキーの世界永久革命の戦略の理論的な整理と見直しの必要を示したものであった。そしてそのことは同時に戦後資本主義の変容がもたらした新たな政治、経済的局面をどのように評価すべきかという問題と不可分でもあった。
 戦間期におけるトロツキーの世界永久革命の戦略は、レーニンの帝国主義論を理論的前提としている。レーニンは「帝国主義論」で没落資本主義の構造を次のように特徴づけた。「いたるところで・・・…なかば飢餓的で乞食のような状態である住民大衆の生活水準を高めることができるなら資本の過剰というようなことはありえない。だがそうなったら資本主義は資本主義でなくなる。なぜなら発展の不均等性も大衆のなかば飢餓的な生活水準もこの生産様式の根本的な避けられない条件であり前提であるからである。」「過剰資本はその国の大衆の生活水準を引きあげるためにはもちいられないーそうすれば資本家の利潤が下がるからー資本は外国に後進国に輸出することによって利潤を高めることにもちいられるのである」(以上、レーニン「帝国主義論」)。
 レーニンの帝国主義論は、労働者大衆の窮乏化と植民地収奪を資本蓄積の基盤とするヨーロッパの旧帝国主義の構造を分析の対象とし、その政治的結論を死滅しつつある資本主義として特徴づけたのである。
 トロッキーの世界永久革命論戦略は、レーニンの帝国主義論を理論的土台とし、ロシア革命の経験のうえに組み立てた永久革命論を、帝国主義=植民地体制の矛盾のうえにより普遍的な国際革命の理論として組み立てていったのである。そのことを通じてトロツキーは、レーニンの帝国主義論とのより深い理論的同化を形成していったのである。こうしてトロツキーは、アメリカ資本主義の戦間期におけるヘゲモニーの構造を、植民地収奪とその政治支配に基礎をおく旧帝国主義体制の拡大再生産として認識したのである。
 だが先にも見て来たようにアメリカ資本主義のフォード主義的生産・蓄積様式は、技術革新に基づく生産性の向上と、労働者大衆の相対的な豊かな生活水準を基盤とした大量生産=大量消費の大衆消費社会に基礎を与えられたものである。そしてアメリカ資本主義の主導のもとで展開した国際資本主義の高度経済成長は、まさに戦後資本主義のこうした新たな性格を全開させたものであったことを示した。トロツキーの世界永久革命戦略の理論上の問題点は、ヨーロッパの旧帝国主義の没落構造を分析の対象としたレーニンの帝国主義論の歴史的限界性と同質の問題として総括されねばならない。戦間期における世界資本主義の危機の構造は、レーニンの帝国主義論のもとで解明された前期帝国主義の構造と、アメリカ主導のもとで戦後全面的に開花した後期帝国主義の中間期=過渡期の矛盾の問題として把握することが必要であったのである。
 その時代の性格を強く刻印することとなる革命理論は、時代の変化に対応して晋段に点検され発展させられなければならない。われわれは理論に対する護教主義的対応を不断に克服していかなければならない。だがわれわれは、トロツキーの戦間期における世界永久革命戦略がもつ時代的な限界性にもかかわらずその理論のもつ革命理論としての本質的性格を継承しなければならない。われわれは、戦後資本主義の新たな発展にもかかわらずその帝国主義的性格は何一つ克服されているとは考えない。その意味においてわれわれは、今日を前期帝国主義の時とは相対的に区別されながら、なおその本質においてその矛を引きつぐ後期帝国主義の時代として認識しなければならない。
 戦後資本主義の歴史的変化にもかかわらず、そこに貫かれる資本主義の矛盾は、今日後期帝国主義としての危機の本質をより深刻なものとして顕在化させているのである。
 それは第一に、今日の資本主義が三極的矛盾(アメリカ、EC、日本)を顕在化させ、よりグローバルな形で資本主義間の非和解的対立と無政府的性格を顕在化させていることである。
 それは第二に、地球的規模での自然、環境破壊がその危機を極点にまで押し上げ資本主義のもつ無政府的危機を全面的に暴露していることである。
 それは第三に、第三世界における飢餓と貧困がますます深刻化すると共に、国家経済の土台を破産においこむ債務の拡大が解決不能の状況を生みだし、現代資本主義の危機と破産を爆発的に準備していることである。
 それは第四に、現代管理社会とその人間疎外の凝縮化が、社会的退廃とその病理現象をますます深刻なものとしていることである。
 前期帝国主義と過渡期の闘いの成果=トロツキーの世界永久革命の理論的成果を継承することなしにわれわれは、深刻の度を深める後期帝国主義の今日の危機を革命的に解決するための基盤を獲得することはできないと考える。


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