70年代同盟-その綱領と組織(1) 解党主義への転落とマルクス主義の根本的修正  

寺岡  衛

(「労働者の旗」創刊準備4号 1989年1月 所収)


 「党とは何か?その団結力は何に由来するか? この団結力は、事件や任務の共通の理解であり、この共通の理解=それが党の綱領である−綱領がなければ一人一人の労働者が道具をまにあわせに作り、間にあわせの道具を探さなければならず、そしてそれらは互いに矛盾しあうのだ」(トロツキー『過渡的綱領についての再度の討論』)

 はじめに

 70年代同盟の破綻の性格は、同盟の成立基盤のあらゆる側面−思想、運動、組織を貫いた全面的かつ根本的破綻であった。
 思想、運動、組織を貫く70年代同盟の根本的破綻を解明=総括することは、革命党の成立条件の根本−すなわち同盟の綱領的立場と党組織論をマルクス主義−トロツキズムの方法に照らして根底から再検討してみることでなければならない。
 それは、第一に革命−党−階級に関するマルクス主義−トロツキズムの方法に照らして70年代同盟に貫かれた党建設の組織論的方法が真にボルシェヴィキ・レーニン主義の立場を継承したものとなっているのか、それともそれを根本的に修正したものではないのか。こうした視点から全面的な再検討が試みられなければならない。
 その第二は、70年代同盟の政治性格を決定づけた綱領的立場−世界的二重権力論と第3次アジア革命論の方法が、トロツキーと第四インターナショナルの世界戦略、世界永久革命論の立場を真に継承=発展させたものとなっているのか、それともそれを根本的に修正したものではないのか、こうした点を解明していくことが必要である。
 第三は、70年代同盟の「党と綱領」に関するこうしたテーゼに導かれた反帝国主義の戦略・戦術論が過渡的綱領の立場を継承し発展させたものなのか、それともそれを根本的に否定するものとなっているのではないかの検討が必要である。
 そして第四に、70年代同盟の情勢認識論を規定した世界帝国主義の全面的衰退と世界革命の新たな攻勢という歴史的時代認識、そこから導かれた権力のための闘争−政府のための闘争についてどのようにとらえ返してみようとするのか、この点についても全面的に再検討が試みられなければならない。

 この論文は、以上の観点にたって70年代同盟の総括を試みようとするのであるが、それを以下の3期(@同盟3、4回大会のテーゼを軸に、A同盟5、6回大会のテーゼを軸に、B8期9中委から同盟9回大会を中心に)に区分して行おうと思う。今回はその第一期−同盟3、4回大会のテーゼを軸としたものに限定したものである。

第一章 70年代同盟の解党主義的性格と 同盟第四回大会の党建設論

 (1) 70年代同盟の破綻の経過とその基本性格

 70年代同盟を総括するにあたってまず最初に、同盟破綻の経過とその基本性格をごく簡単にスケッチしておくことにしよう。

 70年代同盟の破綻の顕在化は、70年代中期の組織的停滞の時期を経た後、78年の三里塚3・26−5・20闘争の直後から全面化していくこととなった。
 三里塚における3・26−5・20闘争は、そのむきだしの権力闘争としての性格を三里塚処分問題を通じて労働現場の日常的攻防へと還流させた。こうした攻防の新たな局面は、同盟を鋭くテストし、その結果として同盟の綱領的、組織的破綻の構造を全面的に暴露していくこととなった。
 三里塚処分をめぐる労働現場での攻防は、職場における同盟組織を全面的に解体することとなった。70年代同盟がつくりだした組織の政治性格は、まさに国家権力との攻防が職場の日常的攻防へと転化したとき、それに耐えることができずに急激な組織の解体過程へとおちいっていくこととなったのである。
 このことは、70年代同盟が、職場を基礎単位とする党組織(細胞)を不在のままにしたカンパニア組織でしかなかったことを暴露したのである。
 このことは職場における党を大衆組織(主として共青同)に代行させてきた党組織論に関するメンシェヴィキ的性格が、同盟の破綻の根本的要因であることを示したのである。  そしてそれは、単に職場における組織上の問題としてではなく、同盟の大衆運動主義的な性格の根本を問うものでもあった。
 すなわち同盟組織の破綻の構造が、党建設に関する同盟のメンシェビキ的な基本性格に起因しているが故に、職場からの組織的崩壊は同盟中枢(政治局−中央委)の政治的マヒと闘いへの無対応へと深く結びついて進展したのである。
 同盟の破綻のこうした構造は、一方組織の停滞、拡散、崩壊の進行が、総評左派−急進主義左派潮流の破産と崩壊という現実の大衆運動状況と深く結びついていくと共に、他方同盟組織の内部では同盟員の共通認識の基盤を解体し、同盟員の相互不信を増大させ、さらには同盟中枢の対立を顕在化させていくことにもなったのである。
 同盟の職場からはじまる組織的解体、同盟員の共通認識の基盤の崩壊と相互不信の増大、同盟中枢の政治的マヒと無対応状態等は、80年代前−中期において危機の構造を更に深化させ、同盟中枢における組織的危機と政治的・思想的腐敗へといきつくこととなるのである。こうした危機の同盟中枢への侵食は、同盟の財政危機へと直接的にはね返り、同盟中央の無責任構造を深化させるとともに、同盟組織内部で隠微な分派主義的策略や徒党的結集が試みられていくこととなった。
 こうした事態の中で進行する下部同盟員の不満の顕在化や同盟組織の拡散に対して、同盟中央をはじめとする各級機関はレーニン主義の名による官僚主義的対応を強めていくこととなった。
 同盟のこうした崩壊とそれに伴う思想的腐敗の進行は、ついに組織内強姦事件の続発という、最も醜悪なかたちをとって全面的に暴露されたのである。
 さらに同盟のこうした腐敗と崩壊の構造にメスを入れ、再建のために試みられた分派闘争は、解党主義に深く侵食された同盟組織の実態の中で解体を余儀なくされてしまったのである。同盟の解党主義への転落と分派闘争の消滅に関するわれわれの評価については、本誌1号の諸文書を参照されたい。

(2) 党の階級への解消−その党建設論

 本誌1号の論文『分派闘争2年間の総決算』の中で提起したように、70年代同盟の解党主義的性格は、同盟第4回大会の党建設方針で定式化され、理論的な根拠をあたえられることとなった。
 われわれは、まずこうした解党主義的性格に関する同盟第4回大会の提起を見てみることにしよう。それは次のようなものである。

 今日の「諸闘争の性格は、…革命党を直ちに建設することを直接の課題かつ日程にあげるのではない。日本における社会階級闘争の当面する政治局面は、いまだそこまで成熟し煮詰まってはいない」 「反帝国主義派たらんとする立場は、来るべき一時期全体においていまだ必然的に少数派たることを決定しているのであり、世界的反帝国主義闘争としての永久的世界革命を主張するわれわれの党建設は、それゆえにまだ直接の行動日程にのぼることができない−なぜならそのような反帝国主義的革命党のための大衆的基盤がいまだ成熟していないからである」と。

 そしてまた党建設に関するこうした提起を正当化するために、ロシア革命に関する次のような評価がもちだされるのである。

 「一般に革命は、大衆の自然発生性が圧倒的に主導する1905年の急進的な全社会的闘争の経験と、つづいてついには目的意識(つまり党)が決定的な主導権を確立するにいたる1917年型の最後の決着という二つの革命をもって歴史的に構成される」のだと。

 こうした認識の基礎の上に次のような結論が導き出される。

 「プロレタリアートを中心とする反帝国主義的な諸階層が、自ら即自的な性格を自然発生性のうちに急進的かつ徹底的に闘いぬくことなしには、革命の勝利つまり自らの革命的政治権力樹立を直接の行動目標とする革命党を直接に建設しようとするわけにはいかない」 「革命党そのものを直接に建設しはじめるということは、もはや絶対に敗北のありえないただ絶対的に勝利を展望する(…)革命の組織化にむけて最後的に着手することを意味する」 「革命党の組織化に着手することは、…もはや勝利と敗北を絶対にかけて革命の最後的な組織化にはいることを意味する」のだと。

 かくして今日の闘いは、未だ「党建設を直接の課題」とする時期ではなく「ただ徹底的に急進的に広範に大衆を動員しようとし、もっとも遠くまで闘いぬくことだけが本質的な問題であり課題である。こうして勝利に達すればよし、それで敗ければそれでよし−この闘争的な幻想の解体と大衆的な政治経験にもとづく大衆化された政治教訓は、次の最後の闘いにむけて勝利のために生かされる」 「かくしてまた革命における勝利を絶対に目標とする革命党の建設が大衆自身によって必然的になるのであり、革命と革命党が要求する闘いにおける規律と秩序が大衆によって理解される」こととなると。かくして「われわれはアジア革命と極東解放革命の綱領的立場をもって経験的アジア革命派の活動家たちとともに登場し、これらの諸闘争をもっとも非妥協的にかつ戦闘的に闘いぬこうとする全国分派として自らを確立しなければならない」(以上同盟第四回大会『同盟建設−総括・展望・任務』)との結論に達するのである。

 この一連の提起の中に解党主義の立場がみごとに貫かれている。
 この提起の政治的結論は、階級闘争の今日の段階はいまだ革命党を直接に建設する大衆的基盤が成熟していないということである。
 こうした結論は、革命党の建設が「勝利と敗北を絶対的にかけて革命の最後的組織化にはいることを意味する」ものであるとの認識を前提にするかぎり必然的である。そしてそこから「反帝国主義的な諸階層が自ら即自的な性格を自然発生性のうちに急進的かつ徹底的に闘いぬくこと」を通じて「革命党の建設が大衆自身によって必然的にな」るまで革命党建設を直接的課題としてはならないとの結論に達するのもまた当然であろう。
 そして革命党建設を今日的課題とすべきではないことを歴史的に根拠づけるためロシアの1905年革命と1917年革命の経験が持ち出され、ロシア革命を自然発生的段階と目的意識的段階に機械的に分離し、そこから「一般に革命は…二つの革命をもって歴史的に構成される」ものであると規定し、革命の二段階論的方法を革命の普遍的ありかたとして定式化するのである。さらにこの革命の二段階論の定式化から党建設の二段階論を導きだしているのである。
 だがこうした論拠を前提とするかぎり、革命党を直接に建設しうるのは、まさに革命と革命党が大衆自身の闘いの必然的産物となる時であり、大衆の要求や闘いが革命の綱領へと自然成長的に結びつきうる時だけだということになろう。すなわち革命党の建設は、大衆の即自的要求と革命の綱領が合流する革命的情勢│前革命的情勢においてはじめて可能となるということになる。

 同盟第4回大会の「党建設」に関するこうした方法論から、次のような結論が導きだされることになる。
 第一に、階級は自然発生的で急進的な闘いを通じて革命へと到達することが可能であるということである。
 第二に、革命党は、革命にとって絶対不可欠のものではなく、革命の規律や秩序を理解する大衆の登場を待ち、革命の最終局面で、大衆の革命的闘争の受け皿として自己を組織すればよいということになる。
 第三に、こうした考えを正当化するための革命の二段階論的定式化は、スターリニストによって固定化された革命の二段階戦略(民主主義革命の段階と社会主義革命の段階)の方法ときわめて類似したものであり、それは明らかに革命の複合的発展の法則を土台に打ち立てられたトロツキーの永久革命論に対する方法論的否定へとつながるのである。
 そして第四に、この革命の二段階論の方法論が革命党建設に関する二段階方式へと発展させられたのである。

 だがたとえロシア革命の経験を革命の二段階戦略として定式化したスターリニストの方法を前提にしても、そこからは決して党建設に関する二段階方式が導きだされることにはならない。もしこうした結論をロシア革命の教訓とすなら、それはロシア革命に関する新たな歴史的歪曲を意味するだろう。
 ボルシェヴィキ・レーニン主義・第四インターナショナルの革命党に関する基本概念−革命党の階級からの独立の命題は、革命(反革命)の客観的な成熟過程と階級の主体的な成長過程の間にあるギャップを前提としている。階級闘争の客観的危機の発展過程は、それ自身としては決して革命的指導部をこの危機に間に合って準備することにはならない。革命にとって、革命党の準備が前もって不可欠であるのは、客観情勢への階級主体のたちおくれの必然性が階級闘争の前提条件として認識されているからである。革命党が階級から独立した前衛として前もって組織され、階級を不断に教育し組織していくことなしには、階級の多数を革命的階級として情勢に間に合って準備していくことは不可能である。
 革命に対する党の役割は「革命の最後的組織化」にのみあるのではなく、階級をその即自的闘争の段階から革命的階級主体へと至る階級形成の総過程を複合的、重層的に組織し、またその過程を通じて階級を教育、訓練していくものでなければならない。かくして革命党建設の闘いは、階級が革命(党)へと流入する以前に、少数の前衛によってその骨格が準備され、政治的に武装され、組織されていなければならないのである。
 同盟第4回大会の党建設に関する基本性格は、まさに党の階級との同一視−党の階級への解消を典型的に示したものであり、ボルシェヴィキ・レーニン主義=第四インターナショナルの党建設論の根本的修正を提起したものである。
 だがこうした同盟第4回大会の党建設に関する方法が、ボルシェヴィキ・レーニン主義の原則に照らして重大な理論的逸脱を含んでいることを今日見いだすことはそれほど困難ではない。問題は、こうした誰の目にも明らかな修正や逸脱を同盟の十数年間にわたる闘いの中で問題にし、根本的に再検討しようとする動きが何故に脆弱であったのか、実はこうしたことの中にこそ解党主義の本質問題が潜んでいるのである。この点については、綱領的諸問題を含めて後に詳しく検討してみることにする。

(3) 七○年代同盟に貫徹された解党主義の組織的実践

 同盟第4回大会の党建設に関するこうした解党主義的性格は、実践的な組織活動の中では党を大衆組織(主として共青同)が代行するというかたちで表現された。すなわち解党主義の組織論は、実践的には青年同盟の組織方針として体現されることとなった。
 同盟第4回大会は、その点について次のように述べている。

 「日本トロツキスト党の建設の最初の局面が青年同盟の建設として闘われると同様に第四インターナショナルの世界党建設は、反帝青年インターナショナルの建設として押し進められ」なければならない(第四回大会『新しい青年同盟の建設について』)。 「青年同盟という組織方針は、それ自体いまだ革命の勝利にむけて直接に挑戦しようとする革命党ではないが、革命党の建設を展望する戦略的組織方針なのである。われわれはこの全国青年同盟をつうじて最後の勝利をめざす党のためのカードルを幾千、幾万となくつくりだそうと企図する」と。(第四回大会『同盟建設│総括・展望・任務』)
 そしてそれを指導する組織活動上の構造を次のように提起した。 「同盟中央が政治方針をもって全国大衆運動の組織化の最先頭にたち、ILC・学生インター・FIHが大衆的活動の持場において全力をつくすという関係の確立」が必要であると。(同前)

 すなわち同盟中央が政治方針の提起と指導をおこない、大衆的実践と組織活動は青年同盟が体現するというものである。「党建設者同盟」としての組織性格は、まさに同盟と青年組織のアマルガムとして現実化されていったのである。
 こうして70年代同盟の党と青年組織のアマルガムとしての構造は、同盟第4回大会の党建設に関する解党主義的性格を実態として体現したものであったと同時に、70年代同盟の再建過程にあった中間的現状のあるがままを組織方針として固定化しようとしたものであった。
 このことを第4回大会は次のように述べている。

 「われわれは、全国組織としての崩壊状況のなかで、むしろ新しい反帝国主義的大衆闘争の巨大な発展に不意をうたれ、その圧力のもとに自己の全国組織の再建に邁進してきた」。 その「主体的成果は、自らの政治組織の全国機関の再建を、これら諸闘争を通じて基本的に実現してきたことの中にある」と。

 同盟再建は、ここに描かれているように青年急進化の全国的爆発の力に大衆運動主義的に依拠したものであった。こうして同盟の全国的再結集の実現は、同盟に崩壊状況を強制した根本的要因たる戦後第四インターナショナルの綱領的対立や、党の独立活動−中枢機関を崩壊へと導いた長期加入活動論等の諸問題にメスを入れることなく、ただ急進的青年運動の全国的潮流化に依拠してなしとげられていったのである。
 70年代再建同盟は、その出発点において綱領と党建設に関する根本問題に踏み込むことなく、ただ急進的な青年大衆運動に依存して押し進められていったのである。
 問題にすべきは、全国大衆闘争の発展に対して同盟の全国的な再結集がはかられたということではなく、急進的大衆闘争に依拠したわが同盟の全国的再結集の自然発生的性格を新たな革命の綱領的・組織論的内容として再構成し、そのことによって自然発生的な急進主義潮流のあるがままを革命党の予備力として位置付けていったことである。
 同盟第4回大会の党建設の解党主義的方法は、先に述べたように革命を自然発生的段階と目的意識的段階とに機械的に分断し、それを根拠として党建設の段階を未成熟と成熟の二段階に区分する。こうした方法論によって、反帝急進主義闘争を自然発生性のうちに徹底して闘わせることを通じて革命党の成立基盤を成熟させるという革命党のための前段闘争が位置付けられる。そして党機能を大衆組織によって代行させる組織活動の方法が、同盟の組織体質をますます解党主義と大衆運動主義へと定着化させていくこととなったのである。
 こうした同盟の路線と組織体質の破綻は、次々とその矛盾と危機を顕在化させることとなった。
 その第一は、党建設と綱領をめぐるイデオロギー活動が、大衆運動の利害優先の論理によって不断に先送りされ、理論上の問題はせいぜい大衆闘争が必要とする度合いによってのみ取り上げられるにすぎない事態がつくりだされた。綱領委員会−理論委員会の活動は同盟活動の中で有機的な位置を持てず開店休業が常態化した。こうして同盟は、イデオロギー闘争が不在のまま同盟組織の綱領的・イデオロギー的集中力を風化させ、カードル教育の機能を崩壊させ、党の内部生活の空洞化を促進していくことになった。
 その第二は、こうした同盟の政治体質が大衆との接点における党組織(細胞)の不在をもたらし、大衆組織(主として共青同)によって党機能を代行させることとなった。同盟は、職場での日常的闘争を媒介にした大衆の思想教育、思想的獲得のための活動を不在にしたまま、組織体質をますます急進カンパニア主義と労働組合主義の混合的性格へと転落させていったのである。そして同盟機関の討論は、ますます大衆闘争にかかわる戦術問題へと限定されていった。
 そして第三に、同盟生活の空洞化をもたらし、急進カンパニア主義、労働組合主義の混合物へと転落した同盟組織は、同盟員の思想的停滞、堕落、腐敗を加速度的に拡大し、同盟組織の位階制秩序と機関の官僚主義化を強めていくこととなた。こうして同盟は、ブルジョア的、小ブルジョア的イデオロギーの侵食を許し、女性差別の構造的組織体質を深め、ついには組織内強姦の続出という事態にまで至ったのである。

(4) 解党主義の歴史的背景と階級の現実の構造

 戦前、戦後を通じて第四インターナショナル内部の論争は、解党主義的傾向を不断に登場させ、その危機をはらみながら進展していった。それは、それなりの歴史的、物質的根拠をもったものであった。つまりそれは、現代史における永久革命の閉ざされた円環が強制する第四インターナショナルの歴史的孤立の産物であり、またその孤立への屈服の結果であった。すなわち第四インターナショナルの内部から発生する解党主義の傾向がもつ共通の論拠は、「革命党のための大衆的基盤の歴史的未成熟」というものであった。
 この問題を背景にした第四インターナショナルをめぐる論争は、現代における時代的な歴史構造をどのように把握するのかという問題であり、それとの関係において「世界革命」をどう展望するのか、「党建設」の方針をどう組み立てるのかという問題である。
 だが同盟第4回大会の党建設論は、こうした論点を綱領的、組織論的に徹底的に検討していくことを中途半端に放棄し、党建設に関する二段階理論(大衆闘争の自然発生的段階と革命党が主導する目的意識的段階への機械的分断)を、急進主義潮流への順応を正当化するための理論としてうちだしたのである。そして解党主義のこうした論理は、先にも述べたようにボルシェヴィキ・レーニン主義=第四インターナショナルの党建設に関する原則的立場を侵食し、ついには公然たる修正へといきつくこととなった。そしてそれは、実践的には急進主義の組織路線として機能したのである。
 だがわれわれは、この党建設に関する解党主義的傾向との闘争を、戦後第四インターナショナルの未解決の綱領論争(パブロ・キャノン論争以来の)の中に位置付けて検討しなければならないし、また日本においては60年代半ばに提起された「解党主義論争」の問題の中に位置付けて検討されなければならない。
 第四インターナショナルの歴史的孤立の必然性は、「世界永久革命の閉ざされた円環」の現代史的構造と深くかかわっている。
 その現代史的構造の原初形態は、ロシア十月革命のドイツ=ヨーロッパ革命の敗北によるそれからの切断−孤立によってはじまった。遅れた経済に基礎をおく革命が永久革命として発展しうるかどうかは、資本主義の最も進んだ先進工業諸国の経済的歴史的成果を解放する先進帝国主義諸国のプロレタリア革命と結合しうるかどうかに大きく依存している。すなわち永久革命論の核心は、世界規模における都市プロレタリア革命のヘゲモニーの登場の問題である。
 西ヨーロッパ革命の敗北によるロシア革命−ソ連労働者国家の孤立は、革命にテルミドール反動をもたらし、スターリニスト官僚によるロシア革命と初期第三インターナショナルの歴史的成果の纂奪を許す結果となった。そのことは単にロシア革命の孤立とその官僚的堕落という物理的な力関係の諸問題にとどまらず、全世界の労働者階級の意識の中から革命的成果の歴史的連続性(マルクス主義の革命的伝統)を全面的に一掃してしまうことでもあった。
 スターリニスト官僚による革命的歴史の全面的偽造は、世界の労働者の意識を侵食・混乱させただけでなく、マルクス主義の公認の歴史学、政治学等をも規定することとなり、労働者国家を基盤とするスターリニスト官僚の体制がロシア十月革命とその指導理念たるボルシェヴィキ・レーニン主義を継承したものであるかのような認識を全世界労働者とその前衛層に浸透させたのである。全世界の労働者階級のこうした意識の構造は、30年代から第二次世界大戦にいたる世界的反動の時代に頂点に達した。第四インターナショナルの結成は、まさにこの世界的反動の頂点においてなされたのである。
 歴史的反動のこうした構造は、戦後情勢の変化の中で解体され新たな力関係が登場した。中国、ユーゴ革命の勝利とベトナム革命の前進、東欧、北部朝鮮における労働者国家の成立によって革命の孤立の旧構造はうち破られた。
 だが戦後革命のこうした成果にもかかわらずその構造は、依然として「世界永久革命の閉ざされた円環」=「第四インターナショナルの歴史的孤立の構造」の枠組みをうち破るものとはならなかった。すなわち戦後革命とその展開は、資本主義が蓄積した最も高度な経済的成果を解放する先進帝国主義諸国のプロレタリア革命へと結合しうるものではなかったからである。
 戦後革命の基本的特徴は、その成果にもかかわらず植民地革命に限定され、革命におけるプロレタリアヘゲモニーの登場を保障しうるようなものではなかった。もちろん歴史的反動の時代を背景に形成されたテルミドールの構造は、その一枚岩的性格を次第に風化・分解させていったが、革命の成果が植民地革命に限定されたものであったが故に、この風化・分解を強制した力は、世界永久革命の側−すなわち国際主義の側からではなく、逆に民族主義、ブルジョア民主主義の側からのものであった。こうして戦後のテルミドール構造の風化と分解の政治性格は、非スターリン化のレベルを突破しうるものとはならなかったのである。
 植民地革命と帝国主義諸国のプロレタリア革命の分断−革命の不均等発展の構造は、世界永久革命の綱領−第四インターナショナルを階級の歴史的意識や現実の闘争から分断する要因として持続されたのである。
 革命党建設のための大衆的基盤の成熟−未成熟論争は、こうした時代的歴史構造の認識をめぐる論争と結び付いて展開された。トロツキーの第四インターナショナル建設をめぐる闘争は、こうした歴史的孤立の構造の中から不断に登場する革命への悲観主義や解党主義への屈服の傾向と徹底的に闘うことであった。過渡的綱領の提起や加入戦術の試みは、まさに第四インターナショナルの歴史的孤立の構造を前提に、それを党の主体的、意識的闘争を通じて克服しようとするものであった。
 トロツキーは、過渡的綱領が「アメリカ労働者の意識状況や気分に十分に適応していない」とのSWPメンバーの悲観主義的傾向や疑問に対して次のように述べている。

 「綱領というものは、労働者の意識に適応しなければならないのか。それともその国の現在の客観的な経済的・社会的諸条件に適応しなければならないのか」。 階級の「意識は、一般に経済的発展に比較して後進的であり立ちおくれる」 「この立ちおくれは短期間に終わることもあれば、長期にわたることもある」 「綱領は労働者の後進性よりもむしろ労働者階級の客観的諸任務を表現しなければならない」 「綱領はこの後進性を克服しそれにうちかつための道具である」 「革命的にできることは何か?、まず第一に客観的情勢とこの情勢から生じる歴史的任務を労働者が現在このために成熟しているか否かに関係なく明確に率直に提起せよ」 「われわれの任務は、労働者の意識に依存しない。任務は、労働者の意識を発展させることである」 「だが人々はこういうだろう。−この綱領は客観的情勢に適応している。しかし労働者がこの綱領を受け入れようとしなければ不毛であると。この意味することは、危機は社会主義革命以外に解決されないのであるから、労働者は粉砕されてしまうということにすぎないものである」
 「綱領が労働者の意識に照応していない…そのような綱領を提起することはできないとの議論は、…情勢を前にしての恐怖を表現しているにすぎない」 「われわれがわれわれの綱領をたずさえて労働者階級の前に現れたとしても、われわれは彼らがわれわれの綱領を受け入れるだろうと保証することはできない。われわれは、われわれ自身に責任をおうことができるだけである」 「真実を語らなければならない。…そうすれば最良の分子を獲得するだろう。最良の分子が労働者階級を指導し、彼らを権力に導くことができるかどうか私は知らないし」それに「保証を与えることはできない」。 だがその闘いは、「最悪の場合…労働者がファシズムの犠牲に陥るとしても」そのことはなお「偉大な伝統が労働者階級の中に残」ることとなる。(以上トロツキー『過渡的綱領についての討論』)

 トロツキーのこの一連の提起は、第四インターナショナルの歴史的孤立の構造を認識した上でなお革命党建設の課題と、綱領的任務を労働者階級の成熟の度合いにかかわりなく率直に提起することの重要性を強調したものである。
 トロツキーは、社会主義革命の展望(綱領と党建設)と現実の大衆闘争の間の二元的分断を固定化しようとする社民とスターリニスト達と最も意識的に闘争した。また過渡的綱領にもとずく第四インターナショナルの闘いは、まさに革命的綱領(党)と現実階級闘争の間の乖離をいかに克服するかということに大きな力を集中してきた。
 だがトロツキーは、同時に革命党と大衆闘争の歴史的(現実的)乖離の構造を理由に、独立した党建設や綱領的原則の提起をあいまいにしたり放棄したりすることに対して、最も頑強に闘ったのである。トロツキーの第四インターナショナルのための闘争は、まさにこのようなものであった。
 同盟第4回大会はしかし、「解党主義」の立場から今日の党建設を次のように特徴づけた。

 「新しい革命党は、…トロツキズムの綱領的イデオロギー上の純粋性とは程遠い経験的で、中間的要素をあまたおびて登場し、発展するであろう国際大衆闘争の自然発生的で経験的なエネルギーと一度決定的に合流・合体しこの自然発生的エネルギーの中でその綱領的エネルギーを再生することなしにはトロツキズムが企図する新しい革命党の歴史的建設はありえない」(第四回大会『同盟建設』)。

 さらにこの傾向を理論的に主導した酒井は、『テーゼのまえに』で、こうした認識の根拠を次のように述べている。

 「全ブルジョア的物質性の客観的矛盾と危機の進行は、ブルジョア的物質性の具体的構造と性格に対抗し、それをうち倒しうる目的意識性の性格と傾向を自動的に生みだすものではない。…そのような目的意識性の性格と傾向が物質的な力として成長を示すときにしか、インターナショナルと党は、現実に可能となることができない。目的意識性のこのような客観情勢が欠けているところでは、インターナショナルとその諸党の現実の呼びかけは、たんに形而上的な、非現実的なものにとどまってしまう」のだと。
 ここでの提起の問題は、「目的意識性の…客観情勢が欠けているところでは、インターナショナルとその諸党の…呼びかけは、…非現実的なものにとどま」ること。 また新しい革命党は「大衆闘争の自然発生的エネルギーと一度決定的に合体・合流し、この自然発生的エネルギー」の獲得の過程を土台とすることなしにはその基盤すら成立しないと結論づけたことである。 
 党と階級の相互関係に関するこうした認識のうえに成立した「解党主義」論争は、まさに第四インターナショナルの「死産論」へと帰結していくこととなった。
 革命のテルミドール−ロシア革命と初期第三インターナショナルの革命的成果のスターリニスト官僚による纂奪は、先にも述べたように革命的マルクス主義=ボルシェヴィキ・レーニン主義の革命的伝統を今日の階級闘争(意識)の中から完全に一掃し、解体することを意味した。マルクス主義の革命的伝統の歴史的連続性が、現実の階級闘争(意識)の中から長期にわたって解体・一掃された結果、現実の階級闘争の中での革命的伝統の復権は、大きな困難を強制されることになった。 たとえ大衆闘争の攻勢が組織されたとしても、それがマルクス主義の革命的復権と結びつくためには、幾重もの歴史的障害をつき破る大衆自身の闘争の経験過程が必要とされる。ロシア革命の成果を纂奪・変質させたスターリニスト官僚との闘いは、同時に革命的伝統の歴史から切断された階級自身の階級的自己回復のための闘いでもあり、その経験的闘争過程の蓄積を通じて階級自身の中に植えつけられた歴史的偽造を革命的に修正していく模索の過程でもあるといえる。
 解党主義の論理は、こうした革命党建設における大衆的基盤の困難性から、トロツキーとは逆の結論、階級の自然発生的な急進的諸闘争の過程に一旦党を解消し、そこから新たな党建設のための基盤を再獲得すべきだとの結論を導きだしたのである。
 解党主義の論拠は、「目的意識性の性格と傾向が物質的な力として成長しつつあるときにしかインターナショナルと党は現実に可能なものとなることはできない」との提起である。 だが以上のような党建設に関する方法は、トロツキーによる第四インターナショナルの結成という闘いに全面的に衝突することとなる。解党主義の論理に歴史的一貫性と整合性を与えるためには、どうしても第四インターナショナルを「死産」ないし「早産」したものとしなければならない。こうして解党主義の論理は、第四インターナショナルの「死産論」と結びつき、革命的伝統と現実の階級闘争の乖離の克服を急進主義潮流へと党を一旦解消し、その闘争の内部分化を通じて新たな党建設の基盤を再獲得することの中にもとめたのである。
 解党主義の論拠は、さらに「革命的党とは何かしら先験的な形而上の本質的存在ではなく、徹頭徹尾…経験的存在であり」「現に存在する人民的大衆運動の歴史的あるがまま│党はただそこにだけその存在の根拠をもつ」ものだと主張される。 そしてこうした認識から導きだされる結論として「経験的で中間的な要素をあまたおびて登場し発展するであろう国際大衆闘争の自然発生的で経験的なエネルギーと一度決定的に合流・合体」することによって「トロツキズムが企図する新しい革命党の歴史的建設」が図られなければならないとされた。

 同盟第4回大会のこうした結論は、ボルシェヴィキ・レーニン主義=第四インターナショナルの党建設に関する基本概念−「党の階級からの独立」の立場を根本的に修正し放棄してしまうものであった。

第二章 解党主義の組織論に対応する同盟第四回大会の政治テーゼ

(1) 世界永久革命の最前衛としてのベトナム革命

 革命党建設の成立基盤をもたない旧世界構造は、どのような新たな闘いによって克服しうるのか。「自然発生的で経験的エネルギーと一度決定的に合流・合体し、この自然発生的エネルギーの中で綱領的エネルギーを再生する」闘争基盤とはどのようなものなのか。
 同盟第4回大会は、まさにその基盤をベトナム革命の世界永久革命の前衛としての性格の中−反帝闘争の綱領的性格の中に見いだしたのである。
 すなわち同盟第4回大会の政治テーゼの内実は、戦後へと貫徹された第四インターナショナルの「死産」の構造をベトナム革命の勝利とそれが切り開いた反帝国主義の綱領によって再生させようとするものであった。すなわち第4回大会の政治テーゼは、こうした認識の上に組み立てられた第三次アジア革命論−極東解放革命論こそ現代における世界永久革命論であり、その歴史綱領であると主張するものであった。
 こうして同盟第4回大会の解党主義的組織論とベトナム革命を世界永久革命の前衛と規定する立場が結びつくことによって同盟は、自己の政治的綱領的性格を反帝民主主義のレベルへと転落させたのである。

 同盟第4回大会は、これらの点について次のように述べている。
 「永久的世界革命の綱領の見地にたとうとするとき、今日われわれが直接に依拠するのは……以下のことである」 「物質的なものつまり力関係としては、今日の世界的二重権力状況を構成する一方の極たる中・ソ両国家を中心とする労働者国家群であり、とりわけ世界的二重権力関係の反帝国主義的な歴史的前進の最先頭を今日きりひらきつつあるベトナムを中心とする植民地革命であり、…中国革命を中心とした第二次アジア革命から第三次アジア革命へと現実的モメントを形成しつつあるアジア植民地革命の隊列である」と。そしてベトナム革命は「旧来の世界的二重権力関係の世界史的変動と反帝国主義闘争の新しい世界権力創出の巨大な端緒をつけ、永久的世界革命の新たな前進を自ら世界史の前衛として担った」のであると。(第4回大会『同盟建設』)
 また「ベトナム人民は、…国際反帝国主義の強固なる中核体かつ根拠地を形成しきり、同時にまた永久的世界革命=世界反帝国主義闘争の綱領的水路を全世界人民に自身の国をもって教示した」のであり「ベトナム革命がすぐれて現代の永久的世界革命の本質的な源流であるとするわれわれの主張の根拠こそは、なによりも…ベトナム人民のみが全世界人民にこの綱領的水路を現実に教示した点にもとづく」ものであると。(第4回大会『当面する情勢とわれわれの任務』)

 だがベトナム革命の勝利を世界永久革命とその前衛(綱領)と評価するためには、同盟は「トロッキズムの歴史的認識に関する新たな再発見」−「ルネッサンスを経験」することが必要とされる。同盟第4回大会は、この点について次のように述べている。

 われわれは「ベトナム革命に主導される新しい国際階級闘争とわれわれ自身の日本急進主義運動への参加をつうじて国際マルクス主義としてのトロツキズム、その永久的世界革命の綱領的見地と過渡的二重権力闘争の戦略、戦術を実践的に新鮮に…再発見した」。こうして「トロツキズムは、この時期をとうして綱領的イデオロギーとして一つのルネッサンスを経験しはじめた」のであると。(第4回大会『同盟建設』)世界永久革命に関するこうした綱領的再発見−トロツキズムに関するルネッサンスを通じて、同盟は「現代におけるわれわれ自身の歴史綱領および世界綱領の過渡的萌芽を獲得した」のだ。(第4回大会『同盟建設』)
 こうして獲得した「第三次アジア革命の有機的分節としてのわが革命」こそは「われわれの革命的感性、政治意識、イデオロギー、総じてわが綱領がベトナム・インドシナ革命に最も具体的に獲得されかつここから出発」するのでなければならないとされたのである。(第4回大会『当面する情勢とわれわれの任務』)

 ベトナム革命(必然的にベトナム共産党)が世界永久革命の前衛であり、その闘いの成果が世界永久革命の新たな綱領的水路であるとするならば、「ベトナム・インドシナ革命に獲得される」ことがわが同盟の党建設と綱領形成のための最も重要な闘いであるとの見解は、充分に根拠のある主張であるといえよう。

(2) 第三次アジア革命とその左翼中間主義としての性格

 だがベトナム革命(ベトナム人民とベトナム共産党)が世界永久革命の前衛であり、そしてわが同盟の党と綱領建設が「ベトナム・インドシナ革命に最も具体的に獲得される」ことであるとするならば、アジアにおけるインターナショナルのための闘いは、ベトナム解放戦線(ベトナム共産党)を主軸として建設されなければならないことになろう。それは、こうした第三次アジア革命論−極東解放革命論から必然的に導きだされる政治・組織的結論である。
 だが党と綱領建設に関するこうした結論を公然と主張するためには、トロツキズムと第四インターナショナルの伝統やその理論的主張を全面的に再検討することが要求される。第四インターナショナルの伝統的立場と、国際スターリニズムの政治的流れをくむベトナム革命(ベトナム共産党)の綱領的立場を折衷する第三次アジア革命論=極東解放革命論のこうした立場は、そこに内包する矛盾(トロツキズムとスターリニズムの非和解的対立)をどのように解決しようとするのだろうか。
 ここでは、こうした重大な矛盾をベトナム労農人民の闘いがあたかもベトナム共産党から相対的に独立した存在であるかのように見せかけることによってごまかしている。
 ベトナム革命を世界永久革命の前衛であると位置づけるとき、その主体は常にベトナム労農人民というあいまいな概念で語られる。こうしてベトナム革命−第三次アジア革命(世界永久革命)における国際スターリニズムの一翼たるベトナム共産党の位置と評価をあいまいにし、さらにそのことによって世界永久革命=第三次アジア革命における反官僚政治革命の問題を不明確なものにしてしまうのである。ベトナム革命の政治指導部をベトナム労農人民という概念をもってベトナム共産党に置き代える訳にはいかない。
 もし革命における党と人民の相互関係(指導関係)の問題や、世界革命における反官僚政治革命というような党と綱領に関する根本的問題をあいまいにするなら、それはマルクス主義=トロツキズムの理論上の修正に全面的に道を開くことになるのである。
 第三次アジア革命論−極東解放革命論が内包した自然発生性への拝跪や大衆運動主義の傾向は、まさにその理論がもつ本質的性格−党と大衆の相互関係に関する解党主義的傾向、反官僚政治革命の不在がもたらすプロスターリニズムの傾向等、トロツキズムの綱領的、組織論的立場の修正と深く結びついているのである。
 こうして同盟第4回大会の政治テーゼ−第三次アジア革命論と極東解放革命論は、まさに同盟の解党主義の組織論と不可分に結びついたプロスターリニズムと急進主義のアマルガム−その左翼中間主義の立場を綱領的に表現したものである。すなわち「綱領的見地からする新鮮な再発見」−「トロツキズムの綱領的イデオロギーに関するルネッサンス」と位置づけられた世界永久革命の前衛としてのベトナム革命=第三次アジア革命論は、まさに現代における世界革命論の創造=発展として評価されるべきものではなく、逆にトロツキズムの理論的・歴史的成果を全面的に否定し、それを根本的に修正するものであったといえよう。

(3) 抽象的原理(古典)としてのトロツキズムと 現代革命の新たな綱領

 ここでは、トロツキズムに関するこうした修正を正当化してきた論拠について若干整理、検討してみることにしよう。

 その第一の論拠は、第三インターナショナルの挫折(崩壊)と第四インターナショナルの「死産」によって、トロツキズムもそれ自身としてはマルクス主義の抽象原理(古典)の表現にとどまるものでしかないとの提起であり、第二は、そこからトロツキズムの現代的再生(再発見)は、現代の世界永久革命の前衛としてのベトナム革命がきり開いた歴史綱領の立場と一旦合体することをもって可能となるとの結論に達したことである。

 こうした論拠は、酒井の次のような提起の中に明確に示されている。

 「トロツキーの理論は、レーニン、ローザの理論を含めて現代マルクス主義の古典である」「その理論の前提であり、また展望と主張の中心におかれていたのは、1910年代における世界資本主義の政治・経済的な危機のうちに世界資本主義の心臓部はうち倒されるであろうし、世界の都市プロレタリアート、なかんずく西ヨーロッパのプロレタリアートが世界の都市において政治・経済・社会・文化の全般にわたって支配をうちたてるであろうとの立場であった」「ところが西ヨーロッパのプロレタリアートは、ロシアに基礎をおくプロレタリア革命のテルミドールというべき反動化から自立してヨーロッパブルジョアジーにたいする自主的な闘争を遂行することはできなかった」。その結果として「1940年代に発展した革命は、これら初期帝国主義時代の革命的マルクス主義の古典的な理論的予測とは別様のものであった。現実には、全く独特の予測されない姿で、植民地の諸革命、植民地での現実の過渡期が生まれ発展した」。こうして「レーニン、トロツキーとローザたちの予測と展望からするならば世界革命は逆立ちし、あるいは裏返しで進んだというかもしれない」「つまり第三インターナショナルの流産は、レーニン、トロツキー、ローザたちに人格的に代表を見出す革命的左翼が予測・展望した世界革命の全行程を『ねじまげ』てしまった。これが現実の世界史の行程であった」「レーニン、トロツキー、ローザは第三インターナショナルそのものの人と世代であり、そして第三インターナショナルは破産した」。だが「トロツキーは、この革命の展望を最後まで歴史の反動に抗してかかげつづけようとした。トロツキーは世界史のこの反動を実践上結論において認めることを拒みつづけたというべきであろう」「レーニン、トロツキー、ローザたちは歴史においては絶対に正しかった」。だが「現代のわれわれは、この世界史=過渡的世界の現実をわれわれの意識に獲得し、われわれの時代の展望を獲得しようとしなければならない」(以上、酒井『テーゼのまえに』)。

 ここで展開されている歴史とレーニン、トロツキー等革命的左翼に関する認識は、第一に、レーニン、トロツキー、ローザたちの革命の展望と予測はその歴史的時代においては正しかった。だが第二に、彼らの革命戦略は、「世界革命の全行程の逆立ち」によってそれ自身としては、現代革命の実践的な発展の道筋から切り離された抽象的原理(古典)となってしまった。第三に、それにもかかわらずトロツキーは、世界史の反動=「世界革命の全行程の逆立ち」を認めることを拒みつづけ、その結果として第四インターナショナルの「死産」の歴史的構造を拒むこととなった。そして第四に、われわれは、世界革命史の現実の行程−植民地革命の発展の中から新たな世界革命の展望を獲得していかねばならないし、またこうした永久革命の新たな発展と展望を基礎にトロツキズムの現代的再生をはからねばならないというものである。

 だが第一に、レーニン、トロツキー等によって考えられたヨーロッパのプロレタリア革命と結びついた世界革命の展望は、単なる世界史の行程の展望や予測の問題ではなく、ヨーロッパ革命の勝利を切り開くことが世界革命へとむかう自らの不可欠の任務として設定されたのであった。彼らは、その闘いの敗北が全人類の深刻な反動へと直結することを自覚していた。彼らにとっては、世界史の行程を客観主義的に予測・展望することなど無意味であり無縁なことであった。彼らにとっては、ロシア革命が切り開いた世界革命の可能性を真に前進させうるのは、ただヨーロッパのプロレタリア革命が発展する時だけであった。そして世界革命に関するこうした原理は、そのまま今日においても貫かれており、生き続けているのである。それは、その後の歴史の事実によって逆説的ではあれ証明されてきたことであった。

 第二に「世界革命の全行程の『ねじまげ』」−すなわち「植民地の諸革命、植民地での現実の過渡期」の闘いは、世界永久革命の挫折をうち破り永久的世界革命の新たな基礎を切り開くものとはならなかった。世界革命の前進にとって、現実は依然として帝国主義諸国におけるプロレタリア革命との結合が不可欠のものであることが示された。
 こうしてレーニン、トロツキーによって確立された帝国主義時代における世界革命の内的な構成要素とその相互関係(プロレタリア革命と植民地革命、そして反官僚政治革命)に関する認識は、依然として現代革命の発展法則を規定しており、革命的戦略の方法的前提なのである。

 第三にトロツキーは、ここで語られているように現実に進行した世界史の反動−「世界革命の全行程の逆立ち」の構造を理解できなかったわけでも認めなかったわけでもない。そうではなく世界史的反動の時代にもかかわらずトロツキーは、それがいかに困難であろうとも、植民地周辺からはじまる革命にとって、世界革命のヘゲモニーは依然として帝国主義諸国におけるプロレタリア革命の勝利と結びつくことの中にあることを一貫して主張しつづけたのであり、そうした闘いへの彼の確信を示しつづけたのである。トロツキーは歴史的反動を認めることを拒みつづけたのではなく、その反動に屈して修正主義へと転落することを拒みつづけたのである。
 第四インターナショナルの結成が世界史的反動の頂点においてなしとげられたのは、まさにこうしたプロレタリアートの革命的能力への確信が前提となっていたからである。世界史の反動を理由とする第四インターナショナルの「死産」論は、結局世界永久革命のヘゲモニーたるプロレタリアートの革命的能力に対する不信と疑惑が根底にある結果である。

 第四に、「世界革命の現実の行程」(先行する植民地革命とその不均等的孤立)を基礎に置く新たな世界永久革命論は、帝国主義諸国のプロレタリアートへの不信の裏返し的表現であると同時に、世界永久革命の綱領を植民地革命=ベトナム革命の現状のレベルへと低め、トロツキズムの政治=綱領的立場をそれへと解消してしまうことを意味するものである。そしてそのことは、トロツキズムを抽象的理論として建前化し、現実には自己を急進主義のレベルに転落させることを意味するのである。

(4) トロツキズムの建前化と現代急進主義の歴史綱領

 トロツキズムの革命的理論とベトナム革命に依拠した急進主義の綱領との二元論的分断は、同盟第4回大会が提起したイデオロギー闘争に関する次のような提起の中に最も鮮明に現れている。

 同盟第4回大会は「イデオロギー闘争の二つの点」について次のように提起した。

 「一つはアジア革命と極東解放革命とするわが歴史綱領かつ世界綱領のための闘争であり」「二つは…トロツキズム全理論成果の無条件的継承をかちとるための闘争である」
 ここで提起される「わが歴史綱領かつ世界綱領のための闘争」とは、「(急進的反帝国主義)へと経験的に流れつつある…活動家層との政治綱領的な統一戦線を徹底的に発展させようとすることであり、彼らアジア革命派(急進的反帝国主義意識の萌芽)にたいして…アジア革命と極東解放革命の歴史綱領の過渡的展望を提起し、彼らとともにアジア革命(極東解放革命)の歴史綱領を徹底的に発展させその行動綱領化のために闘いぬくことであ」り、「アジア革命と極東解放革命の綱領的立場をもって経験的アジア革命派の活動家たちとともに登場し、これらの諸闘争をもっとも非妥協的かつ戦闘的に闘いぬこうとする全国分派として自らを確立」することであると。
 他方「トロツキズムの全理論の無条件的継承」のための闘争は、「すべてをただトロツキズムから出発させよとするイデオロギー的な絶対的忠誠心−われわれはこのことのために断固として闘いぬかなければならない」ものとされる。(以上 第四回大会『同盟建設』)

 だが問題なのは、この「イデオロギー闘争の二つの点」の間にいかなる有機的一貫性があるのかということである。ここでの提起は、一方はベトナム革命に主導される急進的諸闘争を非妥協的かつ戦闘的に闘いぬくことによって急進的反帝意識をうえつけることとその全国分派を組織することと言うように大衆運動主義の方法で語られており、他方ではトロツキズムに対するイデオロギー的絶対的忠誠心と表現されるように、理論に対する絶対化、革命党についての建前化が主張されている。 ここに示された「トロツキズムの理論」と「アジア革命の歴史綱領」の間には、深い分断のミゾがあり、そこには「理論」の絶対化−抽象的建前化と「綱領」の大衆運動主義化−自然発生主義化の両極化が生み出されているのである。

 同盟第4回大会の立場は、まさに理論と綱領(実践)の二元論的分断を極度におし進めると共に、その分断の構造を1930年代前半における西ヨーロッパプロレタリア革命の歴史的敗北−その反動の時代が生みだした必然的産物であったととらえる。そしてその克服は、トロツキズムの政治−組織的実践を現代の世界永久革命の前衛・ベトナム革命=第三次アジア革命が生みだす急進的反帝闘争と一旦合体し、そのことを通じてトロツキズムを大衆運動の必然的で現実的な潮流へと再生することだとされるのである。そしてこうした闘いの成立によってはじめて革命党のための大衆的基盤が成熟することになるとされたのである。

第三章 世界永久革命論の根本的修正

 (1) 世界永久革命論と一元的世界権力(国家)論

 では同盟第4回大会の政治テーゼ(第三次アジア革命と極東解放革命)がトロツキーによって定式化された世界永久革命の理論をどのように根本的に修正したのであろうか、その諸問題について検討してみることにしよう。

 同盟第4回大会の政治テーゼの特徴は、先に何度も述べたようにベトナム革命を新たな世界永久革命の前衛として位置づけ、その前提の上に第三次アジア革命論−極東解放革命論の歴史綱領としての立場が主張されていることである。
 われわれは、ベトナム革命を前衛とする現代の世界永久革命の提起が、どのような戦後構造の認識の上にくみ立てられているのか、それはトロツキズムに内在する理論的方法を真に継承するものとなっているのかどうか、まずその点を解明してみることが必要であろう。第4回大会の政治テーゼの中に次のような内容がくり返し提出される。

 「第二次アジア革命戦争は、労働者国家中国、ベトナム、朝鮮という軍事的二重権力を創出せしめたもののこれを超軍事的に包囲、圧迫しかつ残余を単一かつ絶対的に支配するアメリカ帝国主義の反革命軍事秩序が形成され終了した」「この時代を転機として帝国主義反革命の世界綱領は、…ただアメリカ帝国主義の軍事力のみがその現実性を体現しうる時代に入ったといわねばならない」。第二次アジア革命を「解体敗退せしめたのは、アメリカ帝国主義の直接の軍事力であり、アジア民衆は政治的には決して敗北したものではなかった。」「帝国主義反革命の世界綱領がアメリカ帝国主義の軍事力のみに単一かつ絶対的な実現性をもつこと、このことは根本的にわが革命の綱領を決定する」「すなわちわが世界革命の綱領の本質的核心は、なによりもアメリカ帝国主義を軍事・政治的に打倒せんとすることにこそある」「かくしてアメリカ帝国主義の軍事的一元支配は、どのような闘争をも永久的世界革命の根本法則を深く刻印させていく。アメリカ帝国主義の世界綱領−これに相対するアメリカ帝国主義の軍事・政治的打倒を根幹とする永久的世界革命の綱領、この対極的な二つの綱領しかこの世界には存在しない」「ベトナム革命がすぐれて現代の永久的世界革命の本質的源流であるとするわれわれの主張の根拠こそは、なによりも……ベトナム人民のみが全世界人民にこの綱領的水路を現実に教示した点に基づく」と。(以上第四回大会『当面する情勢とわれわれの任務』)

 ここで提起されているベトナム革命を新たな前衛とする世界永久革命論のもつ理論的、綱領的特徴を整理すると次のようになる。

 戦後革命の中途挫折以降の現代世界を特徴づけるのは、「アメリカ帝国主義の軍事的一元支配」であり、これが「世界永久革命の根本法則」を決定づけている。そして「世界永久革命の綱領の本質的核心は、なによりもアメリカ帝国主義を軍事・政治的に打倒せんとすることであ」り、またベトナム革命が世界永久革命の新たな前衛として位置づけられるのは、こうしたアメリカ帝国主義の軍事的一元的世界支配の連鎖の環をうち破ったからであるのだと。
 この主張は、単に世界革命の完成が、世界帝国主義体制の盟主たるアメリカ帝国主義を打倒し、帝国主義支配をこの世界から最後的に一掃することにあるという世界革命の一般概念について語っているのではない。
 この「永久的な反帝国主義世界革命というわれわれの革命に関する鍵概念は、…闘争の具体的展開にたいしてわれわれの経験的態度決定をみちびくもっとも基本的指針」なのであり、「19世紀におけるマルクス・エンゲルスの(また)帝国主義時代のレーニン・トロツキーの一元的な世界革命という(……)もっとも根本的概念をわが同盟の意識性として(今日の階級闘争の中に)決定的に回復した」ものと主張されているのである。(以上第4回大会 『同盟建設』)

 同盟第4回大会のこうした政治テーゼの内容から次の二点が理論上の重要問題として提起される。その第一は、権力=国家を世界的一元性において把握することの問題である。
 すなわちこの提起は、現代の世界永久革命の発展法則の前提を帝国主義権力(国家)の一元的世界性に求めているということである。
 権力(国家)に関するこうした規定が現代における世界革命を根本的に特徴づける綱領上の鍵概念として提起されたのである。この綱領上の鍵概念たる「帝国主義的世界権力」や「帝国主義的世界国家」についての提起は、さらに現代を把握する理論として深められていく。すなわち「世界資本主義が世界帝国主義段階へとその発展を完了し終ったとき、一国的独立性は基本的に終えんする新しい歴史的段階に突入したのであり、また軍事政治的上部構造と経済的下部構造は、有機的かつ単一に癒着と結合をなしとげたのであった」と。(第四回大会『当面する情勢とわれわれの任務』)さらに酒井は、これらの諸問題を国家論に関する理論的考察として次のように述べている。

 「西ヨーロッパを中心とするブルジョア諸民族経済は、自ら主軸となった世界経済を帝国主義的に組織し、それらのブルジョア国民国家は、たがいに抗争する帝国主義的な国際国家−世界国家へと成長転化」した。そして「文字通り、国民的範囲にとどまる民族国家は消滅し、帝国主義的な国際−世界国家に、これに従属する半植民地諸国だけが民族的諸国家として残」ったと。(以上 酒井『帝国主義と民主主義について』)

 この「帝国主義世界権力」や「帝国主義世界国家」の提起は、帝国主義の権力論・国家論がもつ本質的性格について問題にしているのである。ここでは、現代帝国主義の権力(国家)の基本的性格が「一国的独立性を基本的に終えん」し、「国民的範囲にとどまる民族国家は消滅し」「帝国主義的国際国家−世界国家に成長転化」したとされている。「帝国主義段階へとその発展を完了し終わった」資本主義は、各国支配の構造を消滅させ、世界権力(国家)支配のもとに一元的に統合されていくというのである。こうして現代における世界永久革命の成立基盤は、全世界労農人民が単一の帝国主義世界権力−世界国家と直接に対決する国際反帝闘争へと結集することだけだとされるのである。
 こうして国民国家を単位とする階級闘争への対応は、一国主義として批判され排除される。すなわち現代における永久的世界革命は、各国を単位とする階級闘争の発展過程から切り離された世界的軍事反革命との直接的闘争に基礎をおくものであると主張されているのである。そして各国単位の階級闘争は、その闘いが国際反帝闘争に直接に結びつくかどうかによって評価が決定されていくこととなる。

 だがこうした一元的な世界権力論−世界国家論の成立は、国家論に関するマルクス主義的方法の完全な無視−放棄によってはじめて可能となる。すなわちこの権力(国家)論は、帝国主義的国民国家の支配構造−その社会的・経済的・政治的・文化的な支配のトータルな構造と歴史的基盤についての認識を完全に欠落させ、そのことによって権力−国家の問題をただ軍事の問題へと一面化し、矮小化してしまっているのである。

 現代の永久的世界革命の前提条件とされる世界権力−世界国家論の提起は、戦後アメリカ帝国主義によって全面的に担われた世界反革命軍事体制の機能を帝国主義権力=国家の本質的規定と混同してしまったのである。
 戦後におけるアメリカ帝国主義の絶対的優位のもとで形成された世界資本主義の防衛とそれへの統合力の発揮は、帝国主義各国における国民国家としての基盤を終えんさせたり、民族国家を消滅させたりすることを意味したのではなく、それとは逆に帝国主義各国の国家的支配の基礎を強めていくことと結びついておし進められていったのである。
 戦後アメリカ帝国主義の主導のもとで帝国主義相互間の軍事・政治的・経済的協調がおし進められていったことは確かである。だがそのことを帝国主義的世界権力−世界国家の形成と同一視することは決定的に誤っている。もしそれが可能であるとするなら帝国主義の根本的矛盾たる国際的無政府性(ブルジョア経済の国際的性格と帝国主義国家の民族的障壁の間の矛盾)は、帝国主義自らがそれを解決しうることになろう。こうしてカウツキーの超帝国主義論は、現代における有効な理論として再評価されなければならないこととなる。こうして同盟第4回大会の政治テーゼは、マルクス主義の権力論−国家論の全面的修正を内包するものとして提起されたものであった。

(2) 革命の軍事への一面化と軍事・政治力学主義

 一元的な世界権力論−世界国家論の成立は、その理論的根拠が国家支配の本質を軍事支配の機能におきかえることにあったことは先に述べたとおりである。同盟第4回大会の反帝国際主義綱領の本質は、まさに革命の課題を軍事の問題に一面化し、革命的闘争を急進的闘争によって代行させ、また階級闘争を軍事・政治力学主義的な方法によって表現すること中に明確に示されているのである。

 こうした傾向は、次のような一連の同盟文書の中でくり返し述べられている。

 「わが革命の歴史的、綱領的性格と任務」は、「反帝国主義永久革命である。…アジアにおける帝国主義反革命支配体制が、ただアメリカ帝国主義軍事力によって支えられていること、第二次アジア革命以後のアジア情勢は、革命と反革命の双方にとって深く軍事性が主導してきた」のであり、かくして「わが革命はこの反革命の軍事中枢にたいして徹底的に挑戦しかつ解体を図る」「反帝国主義永久革命」であると。また「具体的にはこの革命がアメリカ帝国主義の軍事反革命との関係においてまさに直接的に世界革命性を体現している」のだと。(第四回大会 『当面する情勢とわれわれの任務』)

 ここでは、現代帝国主義の構造を軍事の問題に一面化すると同時に、世界永久革命の基本性格を軍事力学として認識しているのである。世界永久革命についてのこうした軍事力学主義的方法は、マルクス主義−トロツキズムの本来の革命理論と根本的に異なったものである。
 マルクス主義−トロツキズムが提起してきた世界革命の原動力は、いうまでもなく資本主義経済の国際規模への発展と、その国際的発展を阻害するブルジョア政治=国家の民族主義的、一国主義的反動性の間の矛盾に土台をおいているのである。世界永久革命論の成立は、社会経済闘争(社会革命)と政治軍事闘争(政治革命)相互の国際規模での複合的発展を基礎にした闘いであり、闘いの原動力の認識を世界反革命との軍事上の対抗として単純化したり一面化してはならない。
 世界経済の不均等発展や階級闘争を国際的に分断するブルジョア国家の障壁にもかかわらず、世界永久革命の原動力は、国際規模へと発展した世界経済の構造に基礎をおいており、その経済的発展の基礎の上に世界の政治・社会構造を照応させようとする階級闘争の発展法則に依存しているのである。
 だがここでは、世界永久革命に関する軍事力学的認識が、あたかもマルクス主義=トロツキズムの永久革命論を現代世界の構造に対応させた新たな理論的創造として提起されているのである。
 ここでは、その正当化のために次のように語られている。

 「世界資本主義が世界帝国主義段階へとその発展を完了し終わったとき……また軍事・政治的上部構造と経済的下部構造は、有機的かつ単一の癒着と結合をなしとげたのである」と。(同前)

 軍事・政治的上部構造と、経済的下部構造が相互に有機的な関係にあることはいまさらここで述べる必要もない。だがこの提起の真の意味は、現代帝国主義の支配構造の徴を経済的土台が軍事主導の政治的上部構造へと吸収され単一化されているということにあるのである。すなわち「経済的土台が軍事・政治的上部構造へと吸収され単一化された」現代帝国主義は、軍事が主導する単一の帝国主義世界権力構造が、今日の普遍的な支配のあり方として定着しているということなのである。

 だが新植民地諸国に特徴的なこうした軍事力主導の構造は、第一に、戦後帝国主義支配が新植民地諸国において社会・経済的支配の有効な基礎を確立することができなかった結果、アメリカ的の軍事反革命支配に依存する以外に方法がなかったことを示しているのである。すなわち軍事力学的方法は、慢性的危機が不断に再生産される今日の新植民地諸国における階級闘争の特徴なのであり、それはまさに有効な社会・経済的支配体制を確立しえない植民地的基盤のもとでの階級闘争の表現なのである。
 他方階級闘争における軍事力学のこうした特徴は、帝国主義本国におけるプロレタリアート・都市におけるプロレタリアートの敗北が強制する植民地人民の国際的な分断・孤立がもたらしたものでもあった。すなわち植民地革命−農村解放区とゲリラ戦争という革命のあり方は、まさに帝国主義本国(都市プロレタリアート)の闘いから分断された結果−プロレタリアヘゲモニーの不在が強制した階級闘争の方法であったといえるのである。   社会経済闘争(社会革命)と政治軍事闘争(政治革命)、文化イデオロギー闘争(文化革命)のトータルな複合的闘いの基礎の上に成立する世界永久革命の構造を軍事へと一面化し、軍事力学主義へと変質させたこの提起は、まさに帝国主義諸国のプロレタリア革命からの分断が強制する植民地革命の軍事主導的性格を世界永久革命の普遍的方法へと高めてしまったのである。

第四章 永久的世界革命と世界的二重権力論

(1) 世界的二重権力論とプロスターリニズムの構造

 同盟第4回大会の政治テーゼが提起した永久的世界革命論の性格は、まさに革命をアメリカ帝国主義の主導する反革命軍事体制との攻防へと一面化し、またその永久的発展の基盤を軍事的勝利の量的拡大の問題へと歪曲化することとなった。
 70年代同盟の綱領的鍵概念として認識されてきた世界的二重権力論は、先に見てきたように現代世界の構造を一元的な世界権力(国家)論として把握し、また世界革命のダイナミズムを軍事力学の問題として認識しているのである。
 酒井は、同盟第4回大会の永久的世界革命の基本性格を要約して次のように特徴づけている。

 「労働者国家群、植民地革命、そしてアメリカ合衆国を国際的主導軸とする帝国主義世界体系の相互関係として成立している世界的二重権力状態として現代の世界情勢を一元的有機性においてとらえること−−この世界的二重権力関係における一方の世界権力極に依拠すること(帝国主義との関係における労働者国家群と植民地革命の無条件防衛)から出発して、他の世界権力極たるアメリカ合衆国を国際主導軸とする帝国主義世界権力体系の永久的解体と最後的に絶滅させるということ−−労働者国家における政治革命、植民地の植民地革命、帝国主義プロレタリアートの革命のそれぞれは、以上の複合的で永久的な一元的世界革命のなかでだけ現実的であり、また国際的一元性をもって成立している反帝国主義と帝国主義の世界的二重権力関係にたいする現実的寄与の度合におうじてそれぞれ計られなければならないということであった」「われわれは帝国主義世界権力体系の解体と打倒こそが革命であると主張した。今日この帝国主義世界権力体系は、労働者国家群と植民地革命によって構成される客観的な反帝国主義的世界権力とのあいだに国際二重権力関係を強制されており」「世界的二重権力関係という現実から出発する複合的で永久的な反帝国主義世界革命というわれわれの革命にかんする鍵概念は、−闘争の具体的展開にたいしてわれわれの経験的態度決定をみちびくもっとも基本的な指針」である。そして「国際的二重権力関係が東アジア地域全域全般のもっとも根本的一元的土台であり、その東アジア情勢としての有機的統一性の物質的基礎をなしており−−この地域における諸人民の解放闘争は、…国際二重権力関係を媒介にして貫徹されざるを得ない」と。(以上 酒井『綱領のための闘争、インターナショナルのための闘争』)

 この提起に示されているように世界的二重権力の構造は、情勢や階級闘争に国際的な有機的一元性を与え、闘いの発展法則を決定づける土台とされるのである。そして三セクターそれぞれの革命は、自己が世界的二重権力関係の有機的一部を積極的に構成することによってはじめて世界永久革命の現実的基礎を獲得しうるというのである。
 だがそうなのであろうか? 戦略的見地に立てば、わが七○年代同盟が世界的二重権力と規定した戦後政治の構造は、戦後革命の中途挫折のもとで成立したアメリカ帝国主義とソ連スターリニスト官僚の対立的共存の政治的枠内に国際階級闘争を統制するものとして機能したのである。
 世界的二重権力構造の一方−「帝国主義的世界権力」の実態は、まさに戦後アメリカ帝国主義の絶対的優位を背景とした国際管理=統合力を意味しており、他方「反帝国主義世界権力」の実態は、戦後革命の挫折のもとで成立したソ連スターリニスト官僚による労働者国家・植民地革命=国際階級闘争への一枚岩的な統制力の発揮を表現するものでしかない。
 かくして世界的二重権力関係の政治的枠組とは、まさに情勢や階級闘争に有機的一元性を与えるものではなく、戦後世界の均衡の上に成立したアメリカ帝国主義とソ連スターリニスト官僚の対立的共存の枠組へと階級闘争を戦略的に統制することを意味するものである。
 世界的二重権力論の綱領的役割は、まさに三セクターそれぞれの革命を世界永久革命の有機的一部へと結合する戦略的主導力として機能するのではなく、逆に三セクターそれぞれの革命を米ソが主導する世界政治の戦略的枠組へと統制し、そのことによってそれぞれの革命をバラバラに分断しそれへと服従させるのである。
 世界的二重権力のこうした論理が現実の階級闘争の中に最もリアルに貫徹されたのは、アメリカ帝国主義とソ連スターリニスト官僚がその相互関係の中で国際的統制力を強力に発揮した五〇年代においてであった。当時その統制力は、軍事の問題にとどまらず各国の階級闘争(世界労連、世界平和評議会、世界民青連、国際学連等の戦略として)の戦略的枠組として貫徹された。その戦略は階級対立の主要な矛盾を「体制間矛盾」(世界的規模での社会主義体制と資本主義体制の矛盾)と規定した戦後スターリニストの世界戦略として展開されたものであった。こうしたスターリニストの戦略−−その世界的二重権力の論理が現実の階級闘争の中で戦略的機能を喪失していくのは、米・ソの国際的統制力が衰退していくのに対応していた。その衰退過程は、まさに六〇年代からはじまり七〇年代において全面化した。こうした世界的二重権力構造の衰退過程を、アメリカ帝国主義の世界軍事反革命に対決するベトナム革命の新たな対立の構図によって修復しようとしたのが、わが七○年代同盟の世界二重権力論−第三次アジア革命論とその歴史綱領としての提起であった。
 わが同盟による世界的二重権力論の綱領的修復のこうした性格は、スターリニストによる一枚岩的統制の崩壊に代り、「帝国主義世界権力」と対決するベトナム革命の政治的イニシアチブによって、再度国際反帝勢力の結集を展望しようとするものであった。スターリニストの五〇年代戦略が、ソ連官僚の一枚岩的統制力を国際革命の戦略的イニシアチブとして評価したのに対し、わが七○年代同盟の戦略は、ベトナム革命のイニシアチブを労働者国家と植民地革命をひとつの反帝世界権力へと統合する世界永久革命の前衛として評価するものであった。
 同盟第四回大会は、この点について次のように述べている。

 「アメリカ帝国主義の軍事反革命によって……抵抗能力を奪われていた第二次アジア革命の偉大な残存勢力は、ベトナム人民の闘争によって自己再生をなしとげ、更に新しい大衆的土台を獲得した」と。こうした第三次アジア革命は、「労働者国家中・朝官僚指導部にたいして主導的位置を強化し」「中朝両人民の凍結された反帝国主義的自発性を蘇生させ復活せしめる最も新鮮なテコである」と。

 ここにあるのは、まさにスターリニズムの政治的枠組を永久的世界革命の原型にみたて、ベトナム・インドシナ革命をその前衛として評価する左翼スターリニストの方法である。
 この論理は、体制間矛盾論にもとづく五〇年代のスターリニスト官僚の世界戦略と基本的に同質のものであり、その焼き直しにすぎない。こうして世界的二重権力論は、まさに同盟の綱領的立場にプロスターリニズム的性格を明確に刻印するものとなったのである。

(2) 世界的二重権力論と周辺革命戦略

 先に見てきたように、七○年代同盟の永久的世界革命論の構図は、まさに労働者国家群と植民地革命のブロックの現状を世界永久革命の実在する姿として把握し、その闘いの先端を牽引するベトナム革命がその前衛として位置づけられたのである。
 同盟第四回大会の新たな永久的世界革命に関するこうした概念は、労働者国家とブロックを結ぶ植民地革命が帝国主義に対する包囲の環を強くしめあげていく周辺革命論としてその姿を明確に現すものであった。
 新たな永久的世界革命論の周辺革命論としての性格を酒井は、論文『パリ会談とゲバラ』の中で次のように提起している。

 「中ソ両巨大国は、結局のところ消極的支援以上に……世界戦略の計算にいれることはできない。帝国主義世界の産業プロレタリアートたちは…未知数である」「南北ベトナム民衆の解放革命は…世界帝国の弱体化を確実にはかりつつある。まさにこの中にいまはじまっている時代の世界解放革命の原型がある」「世界民衆は、この帝国の武力の戦場をくぐりぬけることなしには、解放された民衆たちの世界を獲得することはできない。」「これは、…幾万幾十万の反革命の軍事要員と巨大な軍事装置を結局のみこみ、放血たらしめる民衆の真実の解放である。」 それは「帝国に間断ない放血を強制しその可能的力の衰退を永続させる世界民衆の包囲の陣を形成してゆこうとするものである」「この闘いを包囲として完成しようとすることによって帝国の積極的衰退を永続化させようと想像する」「これは鮮やかな民衆的解放闘争の永続的世界展望である」「ベトナム革命は、この世界解放闘争の永続展望の深い現実性を示した。」
 「二つ三つもっと多くのベトナムを!」=ゲバラのこの提唱は、まさに「植民地民衆を前衛とする永続的世界解放革命のテーゼであった」。われわれの闘いは、「民衆の自発的で経験的諸闘争の一切をベトナム革命とゲバラの綱領的〃呼びかけ〃=民衆の永続的世界解放闘争のテーゼにみちびかれた…解放戦線に物質化定着させることである」と。

 ここでは、世界永久革命の展望が、ベトナム革命を前衛とする植民地革命の軍事的包囲が帝国主義に間断なき放血を強制し、その積極的衰退を永続化させていくものとして描かれている。ベトナム型武装闘争(農村解放区とゲリラ戦争)は、世界革命の新たな攻勢的な周辺革命戦略として積極的に位置づけられている。さらに酒井は「二つ三つもっと多くのベトナムを!」とのゲバラの呼びかけを、永久的世界解放闘争のテーゼとして位置づけた。
 われわれは、ゲバラの革命的英雄主義、革命への献身に対して感動し、賛美することに異論があるわけではない。だがそれと彼の提唱を世界革命の綱領=テーゼとして承認することは全く別の問題である。世界革命に関する綱領=テーゼを語るとき、われわれはそれをマルクス主義=トロツキズムの理論的成果に照らして検証してみなければならない。それは、急進主義的気分と置き換えてはならないものなのである。
 帝国主義に対する植民地革命の長期にわたる軍事的攻防は、先にも述べたように植民地革命の帝国主義本国プロレタリアートの闘いからの分断、孤立を示すものであり、その結果としての革命の困難性を表現するものである。
 植民地革命の帝国主義包囲の戦略は、それ自身の中に世界階級闘争の不均衡を反映しており、植民地革命と帝国主義本国プロレタリアートの闘いの分断を表現しているのである。世界永久革命戦略にとっては、国際階級闘争に関する不均衡−分断の構造をいかに克服し、その統一性を獲得していくかが最大の課題なのである。国際的階級闘争の不均衡−植民地革命と帝国主義本国のプロレタリア革命の分断構造をそのままにし、その現状の延長上に世界永久革命の戦略を組立てようとすることは全く不可能なことなのである。
 世界的二重権力状況を前提に組立てられる周辺革命戦略は、まさに帝国主義本国プロレタリアートから切り離された植民地革命の発展の単純延長上に世界永久革命を展望すようとするのである。
 植民地革命の発展は、その闘いが帝国主義本国プロレタリアートの闘いから分断されるかぎり、スターリニスト官僚の統制の枠組を突破することができず、その政治的枠内での闘いの量的拡大以上のものとはならないのである。スターリニスト官僚の政治的枠組(世界的二重権力の構造)を突破する力は、植民地革命がその周辺革命としての枠組を越えて帝国主義本国プロレタリアートとの革命的結合を獲得するときである。すなわち労働者国家における反官僚政治革命の国際的条件は、まさに植民地革命と帝国主義本国におけるプロレタリア革命がその不均衡(分断構造)を克服して闘いの合流を開始するときなのである。
 帝国主義の包囲を企図する周辺革命戦略は、世界永久革命の展望を切り開きうるものではなく、逆に世界永久革命の名のもとにスターリニズムの政治的枠組を正当化し、それへの幻想を積極的に組織していく結果となる。
 同盟第四回大会は次のように述べている。

 「反帝国主義としての永久的世界革命の主張は、…中間的な世界の三セクター論に対して革命をただ一つの永久的世界革命としてとらえさせ」た。そして「プロレタリアートはプロレタリアートであることによって自動的に進歩的かつ革命的なものではなく、ただ反帝国主義闘争つまり永久的世界革命の闘争を介することによってのみその革命性と前衛性を実現しうるのであることを明白にしてきた」と。(第四回大会『同盟建設』)
 軍事・政治力学主義を基盤とするこうした周辺革命戦略−反帝国主義綱領の立場は、まさに世界永久革命の水路を世界軍事反革命との直接的戦闘として単純化(一面化)し、そのことによって三セクター合流論=革命の複合的発展の性格を中間主義として否定するのである。そしてそのことは、同時に階級闘争におけるプロレタリアヘゲモニーの否定と結びつき、急進主義の軍事力学主義を深化させていく。

 ここでは、世界革命における三セクター合流論の立場を中間主義として否定する。だがスターリニズムへの幻想を基盤とする周辺革命戦略−反帝国主義の綱領的立場こそまさに左翼中間主義とプロスターリニズムの政治傾向を表現したものである。
 「世界革命の三セクター論」に対立する「ただ一つの永久的世界革命論」とは結局どのような革命なのか。
 この論理にはらまれている問題は、第一に、物事を多様な要素の複合体として認識する弁証法的方法が完全に欠落していることであり、第二に、「ただ一つの永久的世界革命」論とは、「単一の世界軍事国家」論に機械的に照応して階級闘争の軍事的闘争への一面化に論拠を与えるものであり、第三に、依拠する労働者国家と植民地革命の軍事ブロックの力をスターリニスト官僚の政治構造から切り離して評価し、そのことによってスターリニズムへの幻想を組織していく結果をまねき、そして第四に、、世界革命におけるプロレタリアヘゲモニーを欠落させかつ否定することである。「プロレタリアートがプロレタリアートであることによって自動的に進歩的かつ革命的でない」のは自明のことである。だがここで問題なのは、この自明の命題をプロレタリアヘゲモニーの否定と結びつけて提起していることである。「反帝国主義闘争…を介することによってのみ革命性」を実現しうるとの提起は、プロレタリアートの革命性・前衛性を反帝国主義的な軍事的闘争の問題にすり替え、反帝軍事闘争のヘゲモニーをプロレタリアヘゲモニーより優位なものにしてしまっているのである。
 こうして、階級闘争を軍事力学主義の問題へと単純化してしまった世界的二重権力論とそれを基盤とした周辺革命戦略は、世界革命における三セクター合流論を否定することによって世界永久革命論がもつ革命的本質を否定し骨抜きにしてしまうことになったのである。

(3) 七○年代同盟の綱領的原型と解党主義論争

 では七○年代同盟を規定した同盟第四回大会の政治・組織テーゼ−その修正主義と解党主義の傾向は、どのような過程を通じて準備され、蓄積されていったのか。
 七○年代同盟をとらえたこのような意識構造はいったいどうして成立しえたのか、その成立基盤は、どのような歴史的・実践的過程の中でその根拠を獲得していったのか、こうしたことの解明なしには、同盟第四回大会の政治・組織テーゼがもつ修正主義・解党主義の真の意味を把握しえたとはいえないのである。七○年代同盟を貫く修正主義・解党主義の成立基盤を解明するには、まず第一に不断に孤立と危機を強制されてきた第四インターナショナルの歴史的総括が必要であり、特に第四インターナショナルの戦後における結集の綱領的・組織論的基礎を形成した第三回世界大会の政治・組織路線を全面的に再検討してみることが必要であろう。
 なぜなら七○年代同盟の綱領的性格は、第三回世界大会の政治・組織路線を極端に一面かしつつ踏襲するものであったからである。すなわち七○年代同盟の政治・組織路線の形成は、まさに「第四インターナショナル第三回大会の世界情勢と国際革命に関する基本方針を…再獲得してゆく過程であった」(同盟第四回大会『同盟建設−総括、展望、任務−』)のである。
 第二は、五〇年代後半から六〇年代前半にかけて組織された日本における第四インターナショナル建設の創成期の闘いと、その後の社会党−社青同への加入活動期を全面的に総括してみること、特にこの時期の同盟の孤立=崩壊の経験が、後の解党主義論争の基盤となったことの意味について全面的に解明してみることが必要であろう。なぜなら七○年代同盟を貫いた綱領的原型は、この解党主義論争の経過を通じて形成されていったからである。
 だがここでは、以上の問題を全面的にとりあげて総括することはできない。ここでは、解党主義論争の問題点をとりあげることを通じて、反帝国主義綱領が七○年代同盟の綱領的原型となりえた根拠を解明してみることにしよう。
 われわれは、まず七○年代同盟が自己の綱領を反帝急進主義(プロスターリニズム)へと変質させていった背景をみていくことが必要であろう。  トロツキズムと第四インターナショナルが日本において一つの大衆的な政治潮流として登場しえたのは、二つのドラスチックな激動の要素がそのための歴史的、時代的条件を与えることとなったからである。
 その一つは、五六年のソ連共産党二〇回党大会によるフルシチョフのスターリン批判の衝撃であるり、それを契機とした国際共産主義運動の政治的混乱と思想的再編のドラスチックな進展であった。その混乱と動揺は、労働者国家における労働者大衆の蜂起−−すなわちポーランドとハンガリーの動乱において頂点に達した。
 こうした国際共産主義運動の混乱と動揺を背景に、共産主義運動の歴史的再検討とそれにもとづく思想的再編過程が進行していった。その思想的再編の軸となったのがスターリニズム批判とトロツキズムの全面的再評価の問題であり、急進主義左派潮流の新たな登場の問題であった。
 日本においては、こうした国際的動向を背景としつつ日本共産党の六全協による政治路線の全面転換がおし進められ、それを契機に政治−組織的混乱が顕在化していくこととなった。
 日本共産党のこうした政治−組織的混乱と、それからの再建過程は、国際共産主義運動の歴史的再検討の動向と結びついた綱領論争として全面的に開花することとなった。それは五六年の第七回大会まで続いたのである。
 日本におけるトロツキズムと第四インターナショナルの運動が一つの政治−思想潮流として登場しえたのは、まさにこうしたスターリン批判を軸とした国際共産主義運動の歴史的転換−再編と、スターリニズムの歴史的衰退が大きく影響していたのである。
 第二の要素は、先に述べたスターリニズムの歴史的衰退と密接に関連して進行した非共産党左派指導部の登場と、彼らに指導された植民地革命の前進と国際反帝闘争の高揚であった。
 戦後革命の挫折以降、五〇年代後半から開始された植民地革命の新たな高揚は、キューバ革命、アルジェリア革命、コンゴ革命等にみられたように非共産党の急進主義左派によってその指導部が担われていった。彼らは、ソ連共産党や各国共産党の政治路線と対立し、それを批判することを通じて革命を発展させていったのである。
 キューバ革命を担ったカストロ−ゲバラ指導部は、民族資本との統一戦線を主張するキューバ共産党と対立しつつ、自己の反帝急進主義の立場を鮮明にしていった。アルジェリア革命を推進したアルジェリア民族解放戦線は、平和主義的立場(アルジェリアに平和を!)を主張するフランス共産党との全面的な論争を通じて自己の反帝急進主義の立場を打ち出していった。
 日本においてトロツキズムと第四インターナショナルの運動が、一つの政治−思想潮流として登場しえたもう一つの背景は、まさに国際スターリニズムの指導を越えて進展する植民地革命の発展であり、それを指導し、基盤とする反帝急進主義指導部層の政治│思想潮流としての登場であった。
 日本における第四インターナショナル運動の大衆的成立基盤は、まさに@国際スターリニズムの衰退と、それを基盤とする国際共産主義運動の新たな歴史的再編であり、A植民地革命の新たな発展と、それを基盤とする反帝急進主義潮流の登場であった。
 こうしてスターリニズムの分解│再編過程は、植民地革命の発展を基盤にスターリニズムを批判しつつ登場した反帝急進主義潮流の形成と深く結びついて進展していった。
 日本における反帝急進主義潮流の形成は、全学連運動を基盤とした学生共産主義者が、代々木指導部との政治的衝突(砂川闘争からはじまる)を通じてその基盤を形成していった。だがそれは、同時に国際学連における政治分化(アジアを軸とした反帝派とソ連・ヨーロッパを軸とした平和共存派の対立)の中で自己を反帝派として位置させてきたことと深く結びついていたのである。
 トロツキズムと第四インターナショナルの思想潮流としての基盤は、くり返し述べているようにスターリニズムの衰退と、それを基盤に進展した国際共産主義運動の歴史的再検討の動きと深く結びついて形成されていったものであった。だがその大衆運動としての基盤は、圧倒的に反帝急進主義の流れに依拠するものであった。
 日本における第四インターナショナルの成立は、まさに思想としてのトロツキズムと、大衆運動としての急進主義という矛盾した二つの流れが、未分化のまま共存するアマルガムの状態を基盤としていたのである。そしてこの矛盾の構造は、第四インターナショナルの活動を不断に引き裂く危機の要因として作用することとなるのである。
 日本における第四インターナショナルの創成期の闘いは、勤評、安保、三池の闘いの中でブンド(中核派)との対立を鮮明にし、急進主義から自己を政治│組織的に分離すると共に、トロツキズムと第四インターナショナルの原則的立場を貫徹していくために闘った。その対立は、学生運動を階級闘争の先駆として位置づけるブンドに対し、学生運動を労働者階級の同盟軍として規定する第四インターナショナルの立場の対立として開始された。そしてその対立の性格は、あらゆる領域へと貫かれる本質的対立へと発展した。
 すなわち日本における第四インターナショナルのための闘争は、小ブル急進主義(左翼中間主義)に対抗するプロレタリアヘゲモニーのための闘いとして展開されたいった。
 プロレタリア独裁、労働者国家、労働者政府、プロレタリア統一戦線等々、プロレタリアヘゲモニーをめぐる急進主義派との政治−路線的対立は、六〇年安保闘争の高揚を背景に急進主義派(ブンド)との対立を先鋭なものにしていった。だがそのことは、同時に大衆闘争の急進的爆発の中で同盟の完全孤立と、政治組織的危機を生みだす結果となった。こうしてトロツキズムの政治的立場の貫徹は、急進主義潮流に依拠した自己の大衆的存立基盤との矛盾に引き裂かれ、それとの衝突を強制されることとなった。こうして第四インターナショナルのプロレタリアヘゲモニーのための闘争は、急進主義潮流との衝突を不可避的に激化させ、急進主義潮流からの完全な孤立を強制されることとなったのである。
 スターリニズムの分解−再編過程は、植民地革命の高揚の中でくり返し再生産される反帝急進主義のエネルギーのもとに吸収され、それを左翼中間主義の政治傾向へと固定化させていく。
 一方、第四インターナショナルの党建設のための闘争は、スターリニズムの分解−再編過程を左翼中間主義へと固定化させようとすることに反対し、プロレタリアヘゲモニーの回復のために闘おうとする。だが現実は、植民地革命の高揚とそれを基盤とした反帝急進主義潮流(ブンド、中核)の発展に反比例して帝国主義本国のプロレタリアートは、その改良主義的性格をますます色濃くしていくのである。五〇年代後半にいたるまで総評内左翼反対派として存在してきた高野派−革同は、安保−三池闘争を通じて最後的に解体されてしまった。こうして第四インターナショナルのプロレタリアートヘゲモニーのための闘争は、その主張の実践的・物質的基盤を失い、その抽象的原則は急進主義の圧倒的流れの中でますます孤立を深め、危機を強制されていくことになったのである。
 スターリニズムの分解−再編過程を通じて成立した新たな政治的基盤は、植民地革命の発展に依拠した急進主義潮流のもとに固定化し、諸々の左翼中間主義党派の再生産の場へと固定化した。第四インターナショナルの党建設のための闘いは、スターリニズムの分解過程を中間的に固定化する急進派潮流の壁にはばまれて自己の政治基盤を獲得することができない。
 こうした関係は、六〇年安保闘争におけるブンド、六〇年代後半の反戦・全共闘での中核派との関係の中に貫かれたのである。スターリニズムの歴史的衰退の過程が何故第四インターナショナルの党建設の基盤となり得ないのか、何故その成果を左翼中間主義潮流へと吸収・固定化されることとなるのか、第四インターナショナルは、何故歴史的孤立の構造から脱出することができないのか?
 解党主義論争は、まさにこうした第四インターナショナルの歴史的孤立と、くり返される同盟の危機の進展を前提として提出されたのである。
 ここには、第四インターナショナルの党建設に関する危機意識−−すなわち五〇年代後半から六〇年代の党建設に関する孤立と苦闘が反映されており、その閉ざされた円環を打破するための模索が込められていることは確かである。
 第四インターナショナルの歴史的孤立がコミンテルン最初の五ケ年以降の歴史的断絶を背景としているが故に、自らの原則的で正しい主張をくり返すだけでは闘いの経験を媒介とする大衆自身の歴史的復権過程に結びつくことはできないのではないか、党建設に関するこうした疑問は、五〇年代後半から六〇年代での孤立的経験とその実感に深く根ざしたものであった。
 五〇年代後半から六〇年代前半の党建設に関する孤立的経験と社会党−社青同へと自己を合体することを通じてそこからはじまる政治分化を再度第四インターナショナルの党建設の基盤へと獲得しようとした六〇年代の長期加入活動の経験とが結びついて、新たな解党主義的発想となって提出されてくることとなった。
 こうした背景のもとで展開された解党主義論争は、大衆の急進化の過程と結びつくため、第四インターナショナルの原則的主張をこの一時期組織的結集の条件としない(実質的解党)ことを主張するものであった。すなわち第四インターナショナルの理論と綱領は、全面的に正しい。だがそれを無媒介的に主張するだけでは、大衆の発展過程と結びつくことができない。
 大衆の発展を革命党建設へと結びつけるためには、わが同盟は一旦反帝急進主義のレベルへ自己を合体し、そこから出発することが必要なのではないか。
 こうして第四インターナショナルは、一旦解党して「国際的大衆闘争の自然発生的で経験的エネルギーと一度決定的に合流合体し、この自然発生的エネルギーを再生することが」必要だとの結論に達したのである。
 こうした党建設における解党主義的方法は、単に党組織論上の問題にとどまらず、理論、綱領上の問題へと貫かれ、党の綱領的基礎を反帝急進主義のレベルへと一旦合体させていくことになっていくのである。
 ベトナム革命を世界永久革命の前衛と位置づけ反帝急進主義綱領を世界永久革命の綱領とする同盟の第四回大会における第三次アジア革命と極東解放革命の立場は、まさに第四インターナショナルの閉ざされた円環(歴史的孤立)を打破せんとして、結局自己の綱領を急進主義のレベルへと転落させてしまったことを示したものである。
 そしてより重要なことは、この急進主義への綱領的・組織論的合体を世界永久革命と革命党建設に関する現代の理論的創造として提起したことである。
 同盟第四回大会の政治テーゼがはたした役割は、かくして自己を急進主義へと合体させただけでなく、それをトロツキズムと世界永久革命の名において展開したことの中に二重の誤りがあったと言えよう。

第五章 過渡的綱領の否定と綱領カンパニア主義

(1) ブルジョア民主主義の解体闘争と 日常的闘争からの分離

 先に述べて来た同盟第四回大会が提起した世界永久革命の根本的修正と解党主義的な党建設の方法は、どのような実践論−その戦略・戦術論へと帰結することとなるのか。
 われわれの綱領と戦略−戦術論は、革命的伝統の歴史的成果を継承し、集大成した過渡的綱領として結実している。
 わが過渡的綱領の現代的意義は、権力奪取=革命へとつながる階級闘争の今日的課題を革命党建設と革命的戦略戦術の有機的で統一的体系として提起したことである。すなわち過渡的綱領は、今日スターリニストや社民はもとより、急進主義派も含めて理論と実践を、戦略と戦術を、革命と改良を、世界革命と各国革命を、社会主義と民主主義を、そして党建設と階級闘争を二元論的に分断(その裏返しとしての混同=同一視)するのに対して、それらの関係を革命と党建設と階級闘争の有機的な関係の中で統一的に把握し、位置づけたことである。
 同盟第四回大会の政治テーゼの内実は、まさにこうした過渡的綱領の成果を否定し、革命と党建設と階級闘争を機械的に混同したり、その裏返しとしてその相互関係をバラバラに分断したりする急進主義左派の水準へと自己を引きおろしたことを意味した。
 それは、先に述べた「解党主義」の方法−−すなわち「党およびインターナショナルの建設そのものについての…徹底的に無慈悲な再検討」「国際階級闘争にかんする世界史的な批判的反省とその世界綱領を新たに再構成しようとする意識的努力」と結びついて提起された。
 同盟第四回大会は、その点に関して次のように提起した。それはまず日本におけるトロツキズム運動の創成期における破綻を総括することからはじまる。

 「それ自体抽象的なトロツキズムとしての綱領的イデオロギー」は、「現実の歴史的経験的な大衆諸闘争との関係においては必然的に抽象的であったが故に、経験的大衆運動そのものにおいて……われわれに相対的独自性をあたえるものではなかった」「当時われわれが経験主義的に保持していた現実的な綱領的目的意識性は結局のところ一九五〇年代以来の大衆諸運動の歴史的論理そのものでしかなかった」。その結果「伝統的なブルジョア日本大衆運動の歴史的性格をそのまま綱領化したわれわれの綱領的目的意識」は、「徹底的に破産した」こうして「強制された綱領的意識の歴史的転換」は、「トロツキズムとその歴史そのものにたいする深刻な反省をわれわれにせま」ったのだと。(第四回大会「同盟建設」)

 こうした綱領的意識の歴史的転換と反省は、実践的には第一に「日本革命とする一国主義の綱領的意識性を決定的にうち破ろうとする」ものとして提起された。そしてその内実は「現代日本ブルジョアジーとその青年プロレタリアートの本質的な政治分化が外から、つまりベトナム革命・沖縄・朝鮮、そして中国から強制的にもちこまれる」ものであること。なぜなら日本の「青年プロレタリアートは」「彼ら自身の社会的存在をつうじて植民地労農人民を完全に理解することはできない」からである。(第四回大会「同盟建設」)
 かくして闘いはその「革命的感性、政治意識、イデオロギー総じてわが綱領がベトナム・インドシナ革命に最も具体的に獲得され」(第四回大会「当面する情勢とわれわれの任務」)るものでなければならないとされたのである。
 このような提起からするならば日本のプロレタリアートの闘いや政治意識の発展は、自らの国家=社会基盤(日本国家−社会を基盤とした社会経済的矛盾)に基礎をおくものではなく、ただ外部から−−ベトナム革命=植民地革命の外在的衝撃から受動的対応によってのみ成立するものであるということになる。
 このことは、逆に日本帝国主義の国家−社会的矛盾に基盤をおく労働者人民の要求や闘いは一国主義、国民平和主義、ブルジョア民主主義的性格のものとして否定され、ただ解体の対象としてのみ認識されるのである。
 そのことから第二に日本帝国主義の国家−社会構造に基礎をおく国民平和主義、ブルジョア民主主義の徹底的な解体が前提とならないかぎり反帝国主義的闘争(ベトナム革命への獲得)の基盤を成立させることができないことになる。こうして当面する日本労働者人民の闘いは、国民平和主義、ブルジョア民主主義の解体闘争がそれ自身自己目的化されていくことになるのである。
 この点に関して第四回大会の提起を見てみることにしよう。

 「戦後における日本『革新』イデオロギーを…支配している日本民主主義革命のイデオロギーと政治幻想をもはや決定的に解体し、新しい急進的反帝国主義イデオロギーの大衆的形成なしには現代における永久革命はおよそ問題にならない」。国民平和主義やブルジョア民主主義イデオロギーは、「アメリカ合衆国を新しい軍事経済的主導とする新帝国主義体制にたいしては決定的に無力であるかただ改良主義的にしか作用することができない」「軍事反革命ヘゲモニーの外に出るような大衆闘争をブルジョア日本の大衆運動がついに形成しえなかった」結果、こうした「幻想的政治意識の延長線上においては、もはやどのような展望もない」。このような「幻想的政治意識は最大限の急進的諸闘争を通じて徹底的に解体しつくすことだけが唯一進歩的」である。このような認識を前提にして次のような闘いの獲得目標が設定される。「ここで勝利か敗北かが問題ではなくただ徹底的に急進的に徹底的に広範に大衆を動員しようとし、もっとも遠くまで闘いぬくだけが本質的な問題であり課題である。こうして勝利すればよし、それで敗北すればそれでよし−−この闘争的な幻想の解体と大衆的政治経験にもとづく大衆化された政治的教訓は、次の最後の闘いにむけて勝利のために生かされる」のだと。

 だがこれは、階級闘争に対する無責任以外のなにものでもない。革命的戦略を不在のままにした大衆的扇動は、闘いに敗北を強制するだけでなく、大衆に政治的混乱と志気阻喪を持ち込むこととなるだけである。
 国民平和主義、ブルジョア民主主義イデオロギーの解体は、「ただ徹底的に急進的に……大衆を動員するという」戦略不在のそれ自身が自己目的化されるような闘いによってなしうるものではない。意識変革(解体)の課題が階級闘争の客観的な戦略的課題から切り離されそれ自身が自己目的化されるときそれは、観念的な空文句と無責任な扇動を生みだすだけである。
 労働者大衆のブルジョア的(小ブルジョア的)幻想の解体は、自らの攻勢的な戦略課題への挑戦と、それに対応する革命的自己変革の闘争過程を通じてのみ可能となるのであって、それ自身独立して成立しうるものではない。
 幻想解体闘争の自己目的化は、結局日本国家=社会に基盤をおく日本労働者の闘争の原初的な成立基盤を、一国主義、ブルジョア民主主義として切り捨て排除することを意味するものであり、そのように結果する。それは、まさに急進主義派の自己否定の論理と同質のものでしかないことを示しているのである。
 労働者の多数が階級闘争へと参加する出発点は、いうまでもなく大衆自身の社会経済的不満や要求にもとづくものであり、その闘いは、部分的、個別的性格を不可避的にもたざるを得ない。そしてそれは、一国主義、ブルジョア民主主義、平和主義の色濃い幻想を基盤として成立するものである。
 だが幻想解体闘争の自己目的化は、まさにこうした労働者階級の原初的闘争そのものを否定し、それを解体の対象にのみ設定する最後通牒主義の根拠ともなるのである。また、植民地革命の防衛=連帯の闘いが、日本帝国主義の国家=社会矛盾に根ざす改良や民主主義の日常的闘いを一国主義、ブルジョア民主主義として一方的に排除=拒否するならばその闘いは、結局社会的根拠をもたない政治カンパニア以上のものとはならず、真の国際連帯の力を発揮することはないのである。
 こうしてブルジョアジ民主主義、平和主義解体闘争の自己目的化は、結局日本国家=社会の日常に内在する矛盾やそれに根ざす日常闘争から自己を分離した最後通牒的な革命的空文句や外在的な政治カンパニア以上のものとはならないのである。
 そしてそのことは、革命的空文句や政治カンパニア主義のかげで差別主義や能力主義、競争主義、官僚主義として日常的に貫かれるブルジョア秩序や慣習に不断に武装解除されていることを表現するものであるのだ。
 七〇年代同盟の女性差別の組織構造は、まさにこうした闘いへの外在的依拠、政治幻想解体闘争の自己目的化、ブルジョア的日常に貫かれる攻防からの自己分離と最後通牒的な革命的空文句等が生みだした同盟の政治・思想的空洞化の実践的帰結であり、その表現であったのである。  こうした政治カンパニア主義と最後通牒的空文句、その裏で進むブルジョア思想への武装解除の構造は、まさに階級闘争がもつ社会経済闘争、政治闘争、イデオロギー闘争の三位一体の複合的性格を否定し、それを外在的な政治=軍事力学主義に一面化してきたことの結果なのである。  同盟のこうした政治カンパニア主義の構造は、その裏返しとしての労働組合主義に容易に転換=吸収されることともなるのである。この点については次号において検討する。

 (2) 過渡的綱領の否定−−綱領カンパニア主義と闘いの軍団的組織化−−

 七〇年代同盟の実践的運動−組織構造は、政治カンパニア主義と労働組合主義の二つの間を動揺し、またその混合体として組織され機能してきた。
 同盟の思想的空洞化を基盤にした綱領カンパニア主義の体質は、先に述べた同盟第四回大会が提出した第三次アジア革命=極東解放革命の綱領的立場と先に述べた政治カンパニア主義の運動構造の接木を基礎に成立したものであった。
 革命的綱領は、大衆闘争の日常に内包する政治分化と結びつき、それを不断に革命的目標へと結びつけ組織していきうるものでなければならない。だが七〇年代同盟に貫かれた政治綱領=第三次アジア革命論と政治カンパニア主義的な運動論の基本性格は、大衆の日常的闘争に内包する革命的な諸要素−−その発展の萌芽に結びつき、それを革命の目標へと不断に導き、組織するというものとは無縁であり、逆に大衆の日常的闘争を切り捨て、植民地革命の衝撃に外在的に依存することによってその存立基盤を獲得してきたのである。すなわち第三次アジア革命=極東解放革命に内包する論理は、ベトナム革命がもたらす政治的衝撃に依拠して労働者を改良的・個別的性格を色濃くおびた日常的闘争から切り離し、それをバイパスして動員することに理論的根拠を与えるものであった。そしてまた政治カンパニア主義の運動論は、そうした闘いと動員に実践的な政治・組織方針を与えるものであった。
 こうして同盟の綱領は、大衆的結集と動員のためのシンボル的なカンパニアスローガンへと転落させられたのである。
 綱領のこうした政治カンパニア的性格は、同盟組織の政治性格を規定する決定的な要素として機能した。
 大衆的接点における党組織(細胞)の不在と、党的機能の共青同による代行という同盟の組織構造は、まさに先に見てきたような綱領と運動論の政治カンパニア主義的性格によって決定されたのである。これでは職場におけるカンパニア組織は組織できても、労働者を思想的に教育し、獲得しうる党組織(細胞)を組織していくことはできないのである。
 こうした同盟組織の性格は、綱領カンパニア主義の政治性格に対応して軍団的結集の組織化を基本的性格とすることになる。すなわち同盟−共青同組織の階級からの政治=組織的独立は、綱領カンパニア的結集とそれに対応した軍団的組織化として体現されていくのである。こうした闘いの軍団的組織化こそ階級の日常から分離した同盟組織の基本性格を表現しているのである。
 こうして同盟第四回大会における世界永久革命論の根本的修正と党建設における解党主義の提起は、同時に実践における運動論−その戦略・戦術において過渡的綱領の全面否定とも一体であることを明らかにしたのである。
 労働者大衆の日常的闘争の切り捨てと植民地革命への外在的依存は、まさにその運動−組織論において過渡的綱領の革命的本質を根本的に骨抜きにしたのである。
 過渡的綱領の次の提起は、まさに今日革命的闘争が保持すべき基本的性格を鮮明に提出している。

 「大衆が、日常の闘争の過程において当面する諸要求と、革命の社会主義的綱領のあいだの架け橋を発見するのを助けることが必要である。この架け橋は、今日の諸条件と労働者階級の広範な層の今日の意識からはじめて、一つの究極的結論、つまりプロレタリアートによる権力の獲得に不可避的に導く過渡的諸要求の体系をふくまねばならない。
 進歩的な資本主義の時代に活動した古典的社会民主主義は、その綱領をたがいに独立した二つの部分に分け−−ブルジョア社会の枠内での改良に限定された最小限綱領と、不特定の未来において資本主義を社会主義によってとってかえることを約束する最大限綱領とに。最小限綱領と最大限綱領とのあいだにはいかなる架け橋も存在しなかった。事実また社会民主主義はそのような架け橋を何ら必要としなかった−−というのも社会主義という言葉はただ休日のおしゃべりのために用いられるにすぎなかったからである。コミンターンは資本主義の衰退期に社会民主主義の道にしたがいはじめた」「第四インターナショナルの戦略的任務は、資本主義の改良ではなく、それを打倒することにある。その政治目的は、ブルジョアジーの財産を没収するためにプロレタリアートが権力を獲得することである。しかしながらこの戦略的任務の達成は、戦術上の一切の問題に、たとえそれが小さな部分的なものであったとしてももっとも慎重な注意をはらうことなしには考えられない。
  プロレタリアートのあらゆる部分、そのあらゆる層を職業とグループを革命運動にひきいれなければならない。現在の時期は、革命党を日々の活動から解放するのではなく、この活動(日常的活動)を革命の現実的諸任務と緊密にむすびつけて遂行しうるというところに特徴がある。
 第四インターナショナルは、古い『最小限』要求の綱領が少なくともその重要な力の一部を保持しているかぎりこれを無視しない。第四インターナショナルは、労働者の民主主義的権利と社会的既得権の成果をあくまでも防衛する。だが第四インターナショナルは、正しい現実的な、つまり革命的展望の枠内において、この日々の活動を遂行する。大衆の古い部分的な『最小限』要求が退廃的資本主義の破壊的で退化的な諸傾向と衝突するかぎり…第四インターナショナルは過渡的要求の体系を提起する」(以上、トロツキー「過渡的綱領」)

 同盟第四回大会の政治・組織テーゼから導き出された労働者大衆の日常的闘争からの分断と、植民地革命への外圧的依存=その政治カンパニア的闘争の性格は、まさに「現在の時期は革命党を日々の活動から解放するのではなく、この活動(日常的活動)を革命の現実的諸任務と緊密にむすびつけて遂行しうるというところに特徴がある」との過渡的綱領の提起と全面的に衝突することとなる。そしてそれはまさに過渡的綱領そのものの否定へと到るのである。
 われわれは、過渡的綱領を単なる大衆闘争のための戦略・戦術の体系として限定してとらえてはいない。(過渡的綱領を党建設から切り離して大衆運動主義的に把握することによって、過渡的綱領が今日の情勢に対応力を失ったとする人達がいる) 「この活動(日常的活動)を革命の現実的諸任務と緊密にむすびつけて遂行しうる」力は、革命党の組織された指導力なしには不可能であり、また革命党建設は、「(大衆の日常的活動)を革命の現実的諸任務と緊密にむすびつけて遂行する」能力を階級の前衛として組織することなのである。
 こうして過渡的綱領は、大衆闘争における戦略・戦術体系であると同時に革命党建設のための組織論でありその革命的方法なのである。

1989年1月5日


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