組織内女性差別問題の総括 その1

三中委決定と組織内女性差別問題

(労働者の旗創刊準備2号:1988年6月刊 掲載)                                         夏井萌


1、はじめに

 私たちは、マルクス主義=ポリシェビキ=レーニン主義の党として第四インターナショナル日本支部の再建をめざすたたかいに着手した。
 「同盟」は、十三期三中委と以降の過程において、組織内女性差別問題に示された政治的破綻の克服ー同盟再建の前提とも言うべき原則的立場をなげすて、組織内女性差別問題にとりくむ主体を放棄してしまった。私たちが自ら加盟し活動して来た「同盟」の政治的崩壊と死を認識しえたことは、日本支部再建のたたかいにとって必要条件ではあるが、同時に私たちもまたそうした「同盟」の負の遺産から自動的に自由でありえず、再建のための十分条件をすでに備えているわけではないことを自覚している。組織内女性差別問題は「同盟のマルクス主義」とその下での団結の破綻を明らかにした。したがって総括は、自らもその下で身につけた「同盟のマルクス主義」がいかなるものであったのか、を政治組織総括として明らかにすることであり、同時にマルクス主義の再獲得のたたかいを、現実との緊張関係の下でなさねばならないと考えている。
 こうしたたたかいの出発において、「同盟」十三期三中委と以降の経過に凝縮されている組織内女性差別問題の理解、把握に対する私たちの考え方を明らかにすることが必要であると考える。

2、女性差別を固定化した三中委決定

 「同盟」十三期三中委は第四インター女性解放グループ(以下、女性解放グループ)の結成とともに中央委員会に対してなされた表明・通告に対して、どのような態度を取るのかをめぐって開催された。
女性解放グループの確認と同盟機関に対する態度と通告は、別号でも紹介したが以下の五点である。

1)この会議の結論として全国グループ化を確認した。名称は「第四インター女性解放グループ」とした。構成メンバーの範囲には、現に日本支部に在籍している女性メンバー、ならびに在籍していたがこの四年間の経過のなかで脱盟した元女性メンバーも含めてゆきたいと考えている。
2)財政に関しては「女性解放グループ」に所属する女性メンバーについては自分達でP費、夏冬カンパを集め、ブールし、活動に必要な分を差し引いて残った分は中央に上納する。具体的には、今年(八七年)の夏カンパ、七月分P費から始めたい。
3)WR(『世界革命』紙)に約一面文をさいて「女性解放グループ」の立場を公表したい。時期は七月上旬を希望する。
4)「女性解放グループ」は現在、代表や指導機関をもっていない。当面このやり方で続けるつもりである。
5)JRの各級会議へ出席やブレチンなどについては、権利を放棄しない。

 三中委は「グループから通告されている財政問題については受け入れる」という動議を採択した。決議は財政に関してだけであるが、彼女たちの表明・通告に対する基本姿勢は決議と同じく「受け入れる」ものであることは、すでに前号でも指摘しているように中央委員会討論や政治局多数派文書によっても明らかである。
 「同盟が取るべき態度と方針は・・・この四年間の現実が作り出した〃決裂的現実〃を現実として真っ正面からとらえることである。結論的にいえば 『グループ』の発足と要求を基本的に受け入れることである。しかし受け入れるということは、何か他の選択肢があって受け入れる、受け入れないと判断するというよりは、現実を現実としてとらえきるという姿勢でいうところの『受け入れる』ということである」
 彼らは「同盟の危機の最大のものは女性メンバーとの信頼関係の破壊である」という認識にたち、「JRCL内での〃決裂的現実〃を彼女たちに強制した」のであるから、自動的に「彼女たちの通告を受けとめ、要求を受け入れる」のだという。
 組織内女性差別問題がマルクス主義革命党としての存立を問うものであることをとらえられなかった =同盟」・機関は、告発・糾弾に敵対し、組織の現状維持的防衛に終始したことによって、女性同盟員の怒りと不信を拡大した。そもそも組織内女性差別問題とは、女性同盟員とのあいだに同志的信頼関係を結ぶことすら考えなかった男性同盟員を温存してきた同盟の団結の実態そのものを反映していたのである。にもかかわらず、組織に告発・糾弾がなされたことは、女性への侮辱・屈辱を許さない意志と、組織の根底的変革が希求されていたからである。つまり、女性同盟員のたたかいは、一人の人間としての人格を尊重することを要求するだけではなく、党建設の主体としてとらえ、むきあうことを要求しているのである。「同盟」|・機関は、この女性同盟員のたたかいにこめられた意志をつかみとれず、敵対し切りすてた。この破綻が暴露されて以降、「同盟」・機関は自らが犯した致命的誤りの根拠を明らかにすること、その思想的基軸を鮮明にすることができず、破綻した現実の前にいわば政治的判断停止状況におちいってきた。これこそが「同盟の危機の最大のもの」なのである。「女性メンバーとの信頼関係の破壊」とはこうした「同盟」の現状の結果である。評価をもたずに態度をとるという没主体的な、現実への追随は、「同盟」の最大の危機である政治的判断停止状況そのものである。ここからどのようにして女性同盟員とのかかわりをもとうというのだろうか?。
 三中委決定は女性解放グループの要求についての決定である。しかし、女性同盟員に「態度と対応の差をつけないように」と、女性解放グループに属さない女性同盟員に対しても適用するとの指導がなされた。組織内女性差別問題の全経過を通して、女性同盟員は「同盟」・機関、男性同盟員に対して不信をいだき、苦闘してきた。だが女性解放グループの結成は、不信の表明一般ではなく、彼女たちの組織内女性差別問題を通した「同盟」に対する評価・判断にもとずく組織的結論である。「差別を許さない」「『同盟』・機関、男性同盟員に対する不信・怒り」は共通しているとはいえ、その克服をどう考えるのかという政治的見解は、女性解放グループとそれに属さない女性同盟員とでは異なっている。女性解放グループは特定の政治的見解をもつ「同盟」内の潮流であり、女性同盟員を政治・組織的に代表しているわけではない。
 三中委決定の趣旨は、「同盟」・機関、男性同盟員への不信に基礎をおきつつ、つきつけられた解党的要求に対して、不信をもつのは正当であるということで自らの評価をもたない、選択すべきではない、ということである。自らの政治的判断を停止した三中委決定は党建設の肝心な所で女性差別を固定してしまったのである。なぜなら、三中委決定は女性同盟員を規約の適用対象とはしないという決定、女性同盟員を規約の外におくという決定だからである。党建設における解党主義の立場は、それを要求した女性解放グループだけではなく、それに属さず苦闘している女性同盟員全体を規約の外においてしまったのである。女性同盟員を規約の外におくということは、女性同盟員を党建設の主体と見なさないことである。組織内女性差別問題に一貫した誤りは「同盟」・機関、男性同盟員が女性同盟員を党建設の主体とはみなさないところにあった。三中委決定は組織内女性差別問題を貫く誤りを中央委員会の立場とし、組織原則に高めたのである。
 現実への追随という没主体的な立場からは三中委決定が女性同盟員を党建設の主体とみなさない決定であるということは理解できないであろう。そうした例はたくさんあった。たとえばXX地方委員会は女性解放グループの要求を受け入れることと同時に、社会主義婦人会議への援助金うちきりを決定した。これは、「同盟」と社会主義婦人会議とを混同してつじつまあわせを行うということや、女性のたたかいに対して「同盟」の政治的責任を放棄するものであるという誤りであるとともに、本質的には女性を党に獲得しようとは思っていないことのあらわれである。ここにも「同盟」中央委員会と同じ誤りが貫かれている。
 また中央委員会の討論で(前号参照)「女性同盟員の自主的活動を保障する」との論理から女性解放グループの要求を受けいれるべきであるとの発言がなされた。一見耳ざわりのよい自主的活動の保障とは、組織活動と大衆運動全体の中で、その活動が位置づけられ、評価と方針を組織としてもとうとするのでない限り、女性同盟員の活動を「聖域」にし、実態は放置することになる。女性に関することは社会主義婦人会議まかせであったこととどう違うのであろうか。
 そしてまた、三中委決定以降の論争の過程で、「三中委決定は女性同盟員を規約の外におくという許しがたい〃差別〃である」との女性同盟員の発言に対して、三中委決定を支持する同盟員からは何らの見解も述べられなかった。それどころか、ある会議では威嚇的対応すらなされたのである。そして女性同盟員有志の中央委員会への公開質問状(『世界革命』紙第一0一八号)は無視、切りすてられた。
 「同盟」再建のたたかいは、私たち女性同盟員にとって二重の意味でその基盤をうばわれたのである。三中委決定を撤回し自己批判しない限り、現にある「同盟」は、分派、潮流をこえて、まだ在籍するすべての女性同盟員を党建設の主体と見なしていないのである。

3、女性を無視した党建設

 女性を党建設の主体とみなさない、このことこそ、組織内女性差別問題の全経過に貫かれている誤りであり、三中委はその集大成として女性同盟員を規約の外において、解党主義を自らの立場とした。
 私たち女性は、私有制の発生という古い起源をもち、資本制社会によって近代化された支配の下での差別・抑圧の中で生きている。社会的差別・抑圧は、資本制的単婚と結びついた性的権威主義とともに日常生活の中に貫かれている。日々、不当だと感じ、何故?と思う中で、そうした女性への差別・抑圧が歴史的社会的な基盤をもっていること、その基盤を解体するたたかいを階級社会の廃絶の展望の中に見いだすからこそ、女性同盟員はマルクス主義革命党をめざして第四インターナショナル日本支部に結集した。女性の解放を自己の契機としてはいなくても、女性が党建設の担い手になろうとする時、ブルジョア秩序との衝突を経ることぬきには困難である。自覚しているかどうかは別として、女性が党建設の担い手になるということは、歴史的社会的に基盤をもつ差別・抑圧に対する女性としての自立と政治的自立とが問われるたたかいなのである。
 同盟はこのことについて全く自覚していなかった。七0年代同盟において中央委員会がしたことは、「女性解放テーゼ」(草案)の起草と社会主義婦人会議の結成に指導的にかかわったこと(これらの点については別個に同盟総括の一部としてなされねばならない)だけである。実態は組織活動と私生活の機械的分離の中で、女性同盟員は位置づけられていなかったのである。
 女性同盟員にとって男性との共同生活なり、子供を生む生まないといったことは組織活動と分断して考えられないことである。組織活動と私生活の機械的分離とは、頑固な保守性に覆われている日常生活の諸問題を政治的に(政治主義ではなく)とらえ返すのではなく、女性に矛盾をしわよせすることによってのみなされる。そうした私生活と対になった組織活動において、女性を自らと同じ党建設の主体とみなしえないのは必然でもあろう。私生活において貫かれている性的権威主義は組織活動の中においても貫かれるからである。
 強姦をはじめとする女性への性的抑圧・侮辱は、資本制社会の女性への差別・抑圧と性的権威主義が結びついた許すべからざる行為である。こうした犯罪が発生・温存されていたことは、同盟が女性同盟員を位置づけられず、ブルジョア社会のあるがままの実態であったことを暴露した。労農合宿所での告発、女性同盟員の告発は、プロレタリアートの解放をめざすマルクス主義革命党として名乗る資格をもてるのか、という根底的問題を提起したのである。女性差別を許さないという女性の自立のためのたたかいは、同時に党建設ー組織をつくりかえることを通した革命への意志がこめられていたのである。「同盟」・機関は、この意志をつかみとることができず、敵対・切りすてた。女性同盟員を党建設の主体と見なさないことの究極的対応である。この敵対は現実によって破綻を暴露された。
 組織内女性差別問題は「同盟」の政治的破綻であり、それは結集している同盟員の生きざまと結びついているから、否やが応でも機械的に分断されている私生活に光がなげかけられる。自らの私生活のありようを抽象的レベルを越えてとらえ直すことが客観的に要求されたのである。男性同盟員は私生活をとらえ直し再組織するという課題に初めて直面した。どのようにとらえるのかわからないという困惑や、とらえ返すことを拒否することが彼らを沈黙させたのであろう。あるいは理解出来ないから、女性の指摘に対して受動的になり拝脆していく。沈黙は逃避や不同意の表れであり、拝脆は敵対、切りすての裏返しともいうべき追随と同じであり、どちらも共通して女性同盟員と政治的関係をもちえないのである。敵対、切りすてと沈黙、女性への拝脆はどちらも本質的に女性同盟員を党建設の主体と見なしていない点で共通しているのである。
 この暴露された「同盟」の実態に対する一つの判断をもって女性解放グループは結成された。女性解放グループは政治局にグループの結成と通告を伝える場で「日本支部再建を担い続けることを必ずしも前提にするものではない」と説明した、と報告された。また、彼女たちの通告は、「男も女もない全国単一同盟の義務に必ずしも拘束されない」との表明を含んでいる。彼女たちから、自身と第四インターナショナル日本支部との組織的関係については、この説明と通告以外に明確な定義がなされているわけではない。しかしながら、彼女たちの通告は、女性解放グループが「同盟」再建を主体的立場にしないことの表明である。男性同盟員かかわることがない限り、「同盟」再建はありえないという彼女たちの主張は一面の真実を含んでいるけれども、党建設の主体であることを自ら放棄する理由にはならない。彼女たちは「組織内女性差別問題の総括、とりくみをなしえない『同盟』・男性同盟員は破産しているのだから解党すべきだ」とは主張しない。彼女たちの表明・通告は現存する「同盟」を前提にして自らも同盟員であるという立場から、「同盟」の組織運営にかかわってだされており、その内容は規約に拘束されないというものである。女性解放グループの通告は明らかに規約に抵触し客観的には解党の要求なのである。しかし彼女たちは、自らを党建設の主体として位置づけないために、自らの表明が解党の要求であることについて自覚的ではない。したがって、「女たちの団結」を主張しているにもかかわらず、彼女たちは、彼女たちに通告を受け入れた三中委が、女性同盟員を規約の外におき、機関が女性解放グループと他の女性同盟員を分断したことに気がつかないのである。
 結局「同盟」は女性を党建設の主体とみなすことについて理解できぬまま崩壊してしまったのである。

4、男女共産主義者の団結のために

 女性同盟員を規約の外におく「同盟」は結局のところ、イデオロギー的にマルクス主義から逸脱する道を歩き始める。女性を党建設の主体とみなさないことを公然と決め、女性同盟員がそのことを指摘してもわからずに無視、切りすてたことは、革命の道具としての党に女性はいらないということである。女性はいらないという党は、どのような革命を展望しうるのか?。プロレタリアートの事業である人間の解放、共産主義社会へのたたかいの展望には女性は入っていないのか?。女性の解放はそれとは違う道筋に展望を見いだせ、と言うのか?。それとも女性について一切関知しないというのだろうか?。これは性階級論や女性党の主張とどこか違うのだろうか?。
 マルクス主義革命党として名乗る資格があるのかという根底的な問いかけの前に立ちすくんでしまった「同盟」は、おのれのマルクス主義をなげすて、崩壊した組織の現状をとにかく維持する道を選択したのである。
 組織内女性差別問題は、歴史的社会的基盤をもつ女性への差別・抑圧に対する思想と生き方を党建設の問題としてたてきることを一貫して問うている。「革命というものは、人的素材によって遂行され勝利に導かれねばならない。しかるに人的素材たるや必然的に一定の個人から、すなわち資本主義社会において教育され、資本主義社会によって堕落せしめられた人間から成り立っている」とレーニンは指摘し、党を独立した階級意識の結集として不断に鍛え上げるためのたたかいを課したのである。
 「同盟」はここのところで致命的な欠陥をもったままであったのだ。ブルジョア社会のあるがままの実態が組織という枠組みの中で「革命」の大義名分の下に横行していた。この現実を克服するためには、革命と党に関するレーニン主義の理論的立場に依拠して問題をたてることが必要である。男女共産主義者の団結が破壊されていた実態をとらえ、その根拠を明らかにし、克服する契機をつかむたたかいは、マルクス主義=ポリシェビキ・レーニン主義の党であることを否定するのでない限り、決意一般ではなくレーニン主義を理論的共通基盤とすることなしには不可能である。もちろん理論的共通基盤を明確にすることは、それによってアプリオリにメンバーが差別から自由であることを意味しないし、即時に男女共産主義者の団結がかちとられたことを意味しない。「同盟」の全面的な政治組織総括にとりくみ、男女共産主義者の団結をたたかいとっていくものとして日本支部再建のたたかいの出発を築くための前提が問題なのである。三中委決定に対決した私たちのたたかいはまさしくそのためのものであった。
 私たちは今、このたたかいの出発点にたち、次号より、組織内女性差別問題の、経過に即した問題の切開と総括、「同盟」の女性解放に関する理論と政策の総括、「同盟」内諸傾向の検証とその根拠などを女性解放に関する理論的検証とともに明らかにして行くつもりである。


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