【投稿】参院選・ある実感の報告

憲法の危機は9条だけの危機なのか

−「護憲派選挙」の現実と限界−

(インターナショナル第175号:2007年8・9月号掲載)


 7月29日に実施された参議院選挙は、すでにマスコミでも様々な角度から分析されているように、〃歴史的様相〃を呈するものとなった。
 私はこの選挙に「9条ネット」というマイナーな団体の一員として関わったのだが、そこからは護憲勢力のプラス・マイナスを実に鮮明に見て取ることができた。その実感を報告する。

▼「9条ネット」=経緯と反響

 「9条ネット」結成の経過は、昨年の「平和共同候補」擁立運動にまで遡る。危機に瀕する憲法9条を守るためには、すべての護憲勢力が共同して07年の参議院選挙を闘うべきであるという「平和共同候補」擁立運動は、昨年7月7日に日本教育会館で開かれた1千人集会の成功で、1つのピークを迎えた。
 しかし共産党は昨年5月の段階で、社民党も昨年末に拒否の姿勢を明らかにしたため、この運動は頓挫することになった。また、比例区では政党の利害と共同候補運動が直接ぶつかるので、千葉選挙区などいくつかの選挙区で共同候補擁立の努力が続いたが、それらの選挙区でも共産党、社民党が独自候補を立てたために、すべての試みは失敗に終わったのである。
 こうした中で今年2月、「9条ネット」が結成されたのだが、この組織は、平和共同候補運動の一定部分を継承する性格を持っていた。なぜなら、同運動の中心だった前田知克弁護士が、「9条ネット」結成の中心を担っていたからである。また「9条ネット」が掲げる理念は、「憲法9条改悪反対の1点で同意するすべての勢力、団体、個人に開かれた組織」であり、このような組織が確認団体の資格をとって国政選挙を闘うこと自体、画期的といってよかった。
 こうした「9条ネット」の理念は一方で、自らの政党維持という党派的エゴイズムを露骨に示した共産党、社民党に対して、道義的優位性を示すものでもあった。
 ただし、全国組織としての「9条ネット」を支えたのは新社会党だけであり、そこから来る幅の狭さは、「9条ネット」を最後まで苦しめることになった。もちろん新社会党は、開かれた共闘組織としての「9条ネット」の実現に、真剣に取り組んだ。自らの党派的利害を後景に退けたその努力は、高く評価されねばならない。しかし、〃「9条ネット」は新社会党の別働隊〃というレッテルが、最後までついて回ったことも否めない事実なのである。

 いずれにしても、こうした背景を持って「9条ネット」はスタートした。しかし、確認団体の資格要件である10人の候補者擁立は困難を極めた。元レバノン大使の天木直人、ミュージシャンのZAKI、元三派全学連副委員長の成島忠夫など、候補者10人が出揃ったのは5月末であり、選挙態勢は大きく出遅れることとなった。
 それでも、「9条ネット」発足の反響は悪くはなかった。「美しい国日本」「戦後レジームの転換」を掲げ、憲法9条を改悪しようとする安倍政権に対する危機感は、根深く存在していたからである。
 事実、選挙戦中盤にNHKの政見放送と選挙公報が出され、人々の目に初めて「9条ネット」の存在が明らかになると(マスコミは「9条ネット」をまったく報道しなかった)、事務局の電話は、問い合わせで鳴りっ放し状態になったのである。また、天木直人を支持する勝手連などが、遅まきながら各地で産声を上げた。
 「9条ネット」に寄せられた応援メッセージの中には、自衛隊高級幹部のものもあり、そこにはこう記されていた。
 「自衛隊と米軍との関係では近年、屈辱的とも思える事態に数多く出会っている。私が自衛隊員になったのは日本国民を守ろうと考えたからであり、そのために命を落すこともやぶさかではない。しかし(外征軍となった)自衛隊を利用した米国のために命をかける気にはなれない。それを阻止するためには(外征軍化の歯止めである)憲法9条を絶対に守らなければならない」。
 このメッセージは、日米軍事態勢の矛盾と憲法9条を結びつけた鋭い指摘であった。
 だが、そのような流れを生み出したにもかかわらず、「9条ネット」が獲得した得票は27万票でしかなかった。民主党の大勝と自民党の〃歴史的大敗〃、そして27万票という現実をどのように見るのかが極めて重要になるのである。

▼一面化された「憲法の危機」

 現在の日本が抱えている危機は、極めて深刻である。老人や若者を直撃する格差の拡大、農業の危機、シャッター街に象徴される地方都市の衰退。
 これらはいずれも、小泉政権がもたらした新自由主義政策による弱者切捨て政策の結果であり、老人や若者、農村、地方都市は生存の危機に立たされているのである。
 このようなときに、日本政治の危機を〃憲法9条の危機〃に特化したり、9条を軸とする〃憲法決戦〃に一面化するのは、大衆的に存在する危機意識とは遊離していたと言わざるを得ない。日本国憲法の危機とは、憲法で保障されているはずの生存権、労働権、基本的人権の危機であり、その一部である平和的生存権(9条)の危機なのである。
 従来、憲法9条の危機を訴えれば、平和意識に基づく〃左翼バネ〃が働くという感覚が、戦後左翼には根強く存在していた。
 しかし、危機がここまで広がった今日にあっては、そのように単純な〃左翼バネ〃は作動しないのである。その現実を見ずに、憲法の危機を9条の危機に特化させたという点では、「9条ネット」に限らず、共産党、社民党も含めた日本の左翼勢力全体が完敗したのである。
 こうした中で民主党は、平和的生存権の危機には口を閉ざしたまま、格差社会と農村、地方都市の危機を全面に押し出すことによって大勝した。
 民主党は、大衆的に存在する生存権の危機意識を掘り起こして勝利したのである。だが彼らの解決方法は、戦後保守政治の決まり手であった〃ばら撒き財政〃の枠組みを一歩も出ていない。次の総選挙を経て、仮に民主党が政権を握るならば、この矛盾はたちまち露呈することになるだろう。自民党に方針がなく、民主党の政策も対案たり得ないという羅針盤なき時代が始まろうとしている。
 そうした中で問われているのは、憲法改悪反対運動の幅と質である。3年後の〃国民投票法〃に向けて、生存権、労働権、基本的人権から平和的生存権までを射程に入れた、オルタナティブを持つ運動と政治勢力を作り出さねばならない。
 そしてこのような三極目を形成することによって、民主党の矛盾に介入すべきではないだろうか。
 これが「9条ネット」として選挙に関わった、私の偽らざる感想である。

(8/27:えとう・まさのぶ)


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