【長野県知事選】田中前知事圧勝の意味

大衆的な県政変革運動の可能性のために

破綻した代行主義に代わる大衆的民主主義のための協働へ

(インターナショナル129号・02年10月号掲載)


 9月1日、田中前県知事の失職にともなう長野県知事選挙の投開票がおこなわれ、田中前知事が822,897票(絶対得票率47・04%)を獲得して再選された。
 選挙戦は当初から、田中知事に不信任を突きつけた県議会多数派と県内市町村長の多くが推す長谷川敬子候補と、田中前知事の一騎打ちだった。それは選挙戦の終盤になって、無党派層におもねった選挙戦を展開していた長谷川陣営が、その装いを投げ捨てて典型的な企業・業界ぐるみの組織選挙を展開したことでだれの目にも明らかになったし、それによって田中知事と対立する勢力が、各種政治利権に群がる企業や業界団体であることも明白になったのである。
 この業界ぐるみ選挙こそは、保守王国・長野の支柱でもあったのだが、そうした選挙戦の結果として長谷川が406,559票(同11・36%)の得票にとどまり、文字通りダブルスコアーで完敗した事実の中に、2002年長野県知事選の際立った特徴がある。そしてその後、県議会主流派・県政会の古参議員が敗戦の責任をとって辞職し県政会も解散に追い込まれるなど、長野県政の主流派構造が再編をはらむ流動化に直面したのは、選挙結果もさることながら、彼らもまた自らの構造的破綻を認めざるをえなかったためである。
 なぜなら田中前知事の再選は、なによりもこの主流派構造に対する大衆的拒絶を意味したからである。とりわけ密室談合を常とする行政官僚あがりの「プロの政治家」が、政治利権を独占的に差配しつづける政治の在り方への反感は予想外の強さであった。長野県民は、多少の問題児ではある「素人政治家」田中を圧倒的に再選することで、そうした政治への不信がいかに根深く大衆的だったかを示したのである。

     旧体制に戻してはならない

 県議会が田中知事不信任を決議したことで決定的となった両者の対決は、直接的には浅川ダム建設の解約問題が契機だった。
 周辺関連工事がほぼ終了した段階で、残されたダム本体工事を解約するのは史上初めてだったことや、浅川ダムに代わる治水対策が未定だったこともあって、県議会多数派の田中知事への反発が噴出した形だった。だからそこには、それまでの田中知事の「旧構造との対決姿勢」に対する鬱積した不満の爆発という側面もあったと言える。
 つまり知事選最大の争点が「脱ダム宣言」にあるかのような大々的なマスコミ報道にもかかわらず、実際の選挙戦の焦点は、県議会多数派が槍玉にあげた「知事としての資質」も含めて、田中県政2年間の評価をめぐる信任投票だったのである。
 結果は、衆目の一致した予測どおりに田中県政の2年間は信任されただけでなく、前回選挙(2000年10月)をさらに30万票も上回り、全選挙区で田中がトップになるという圧倒的支持のおまけつきであった。ところが、この圧倒的支持は必ずしも田中知事の政策や実績への高い評価というわけではないという興味深い事実も、選挙後のさまざまな報道によって明らかにされはじめた。
 県政改革に挑んだ田中県政の2年間は支持するが、再選された知事には多くの注文もある。これが、今回の知事選に示された民意だったというのである。
 9月2日づけ毎日新聞夕刊に掲載された「長野県知事再選・田中康夫氏への期待と注文−田中秀征氏に聞く」で田中は、「有権者は『旧体制に決して戻してはいけない』と望んだということだ」と端的に述べたし、9月6日づけ朝日新聞の長野県版に掲載された記者座談会では、「吉村時代には戻してはならない」というの雰囲気が非常に強かったという指摘もある。事実、選挙戦でも田中は「『夜明け前』に戻してはならない」と訴えつづけたし、対立候補の長谷川も「いつまでも目覚まし時計が鳴りつづけるのはたくさん」とこれに反論していた。
 ところで田中秀征や朝日の記者が指摘した旧体制や吉村時代とは、いうまでもなく冬季オリンピックの誘致、高速道路と新幹線の建設という3大プロジェクトに総額6兆円もの巨費を投じ、結果として県財政に1兆6千億円もの借金を残すことになった、県政会絶頂の体制と時代のことである。
 あげくにこの体制は、オリンピック誘致と関連公共事業にまつわる帳簿の不正疑惑が発覚するとそれを「焼却した」などと証拠隠滅をはかり、何の反省もしないまま現職の副知事を後継知事に据えようとするなど、県民が拒絶感を抱くの当然と思われるデタラメさではあった。
 もちろん3大プロジェクトは一時期、長野の経済を潤しはした。だがその恩恵に浴したのは知事や有力県議らに連なる業界団体や企業であり、反対に冬季オリンピックの波及効果を期待して設備改修などをした多くの民宿や土産店経営者たちは、投資分の実害を被ったとの思いがむしろ強いと言う。
 つまり田中前知事への圧倒的な信任は、こうした失政を顧みようともしない県議会主流派への反発、言い換えれば県の官僚機構と県政会そして特定の業界団体が癒着した政治そのものへの拒絶であり、前回選挙で揶揄されたような「なんとなく田中」という選択ではなく、「はっきり反吉村」(前掲・朝日)という選択だったのである。

     依存体質と代行主義

 2000年10月の田中知事の誕生は、3大プロジェクトが一段落し、その反動とも言える急激な景気の落ち込みと巨額の県財政の赤字に強い危機感を抱いた県内の財界人たちが、公共事業主導型県政の軌道修正を求めるといった性格をもっていた。
 それは、中央省庁の補助金を当てにした公共事業を行政主導ですすめる経済対策の限界を実感した彼らが、中央、行政、公共事業への過度の依存から脱却して、いわゆる改革派知事たちが挑戦をはじめている地域再生政策を長野の地でも実践してほしいという期待の表明でもあったと言えよう。
 現に90年代後半から、深刻化したデフレスパイラルの下で、大型土木工事を中心としたこれまでのような公共投資は景気対策としても有効性を失い、それとともに「不況のときの自民党だのみ」と言われたような利益誘導政治は、選挙でのあいつぐ自民党の敗北で破産を宣告されてきた。前回の知事選に田中の出馬を要請した長野の財界人たちは、こうした経済と政治の変化を見ていたのに対して、県政会はこうした変化にもまったく疎かったというほかはない。
 だがそこには、政治利権と経済的実利を仲介する戦後日本の代議制の機能マヒ、あるいは保守系議員たちが依拠してきた社会基盤=地縁や血縁で結ばれた旧い地域的共同体がほかならぬ資本主義的な個人主義の発展によって解体され、議員と民意の乖離が顕著になりはじめたという、代議制下の議員たちが容易には認めたくはない現実もあった。
 そしてこの代議制の機能マヒすなわち代行主義の破綻は、代議制議員たちのみならず地方自治体の公選首長という、もうひとつの代行的制度とそこで選出された市町村長や県知事の課題が、とくに改革派と呼ばれる首長たちの今後を占う課題がある。

     大衆の登場を促せるか

 田中康夫知事への支持は、「小泉首相に対する期待とまったく同じ」(前掲・毎日)という田中秀征の指摘がある。さらに彼は「田中知事はいまだ新しいものはつくり上げていなくとも、抵抗勢力と妥協しないという信頼感は非常に強い」とも言う。
 田中秀征の指摘がどの程度正確かは解らない。だが「『議会=既成勢力』との対立を意識的に演じていた面がある」(同・朝日)といった指摘はそれほど的外れとも考えられない。つまり田中知事は、首長のもつ強大な権限に頼って、「抵抗勢力」と単身で対決しようしてきた可能性は否定できない。
 今回の知事選にしても、不信任決議に対して議会解散をせずに自ら失職して再出馬するというものだったが、これはある意味で、県議会選挙というさまざまな傾向が表現できる選択ではなく、県政会か自分かの二者択一を迫る手法であった。
 だが県政改革のために「県民との対話」を重視して旧体制と対決しようとするなら、県議会選挙は共同して旧体制と闘う人々が県政に登場することを促す、絶好の機会でもありえたのではないだろうか。たとえ少数与党という結果となろうともである。なぜなら田中知事は、こうした「お友達」を増やすことでより広い人々の意見や忠告に接する機会を手にするだけでなく、いざというときに最もたよりになる《仲間》を得ることにもなるからである。失職して再出馬という方法は、むしろこうした「お友達」たちとの共同の闘いや運動を軽んじ、民衆と共に歩むといった感性の乏しさという彼の欠点を浮き彫りにした感も否めないのである。
 それは素人政治家・田中康夫もまた、ある種の代行主義として政治を認識していることを示唆しているとは言えないだろうか。
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 もちろんわれわれは、田中知事が進めてきた中央と行政と公共事業に依存する戦後日本の保守政治の解体や、それを象徴する脱ダム宣言を強く支持しつづける。
 だが代行主義に対して代行主義で、しかも行政の首長という強大な権限に依存して旧体制と対決する方法は、保守派とは違った理想にもとづくものではあれ、民衆自身が自らの未来を選択しうる民主的な政治システムの構築には繋がらないだろう。民衆自身の変革を望むエネルギーを大胆に解放し、政治舞台への大衆の登場を積極的に促進すること、それが県政を牛耳ってきた旧構造の改革にとどまらない変革への道だと思うからだ。
 幸いなことに田中知事は、来年の県議選ではそうした候補者を支援し、田中与党ではないとしながらも県政改革の理想を共にする人々との協働に意欲を見せ始めている。
 もちろん県議選は、政治の舞台に大衆が登場し、長野の地に「モデル」と呼ばれるにふさわしい運動をつくる一過程にすぎない。だがこの道を大衆と共にあゆむことで、資本主義が育んだ個人の自立に基礎をおき、なおかつ相互扶助で結ばれた新しい人間共同体の可能性を切り開くことができよう。

(きうち・たかし)


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