なみの自民党内閣になった-

小泉政権といかに対決すべきか

ポピュリズムが含意する大衆蔑視の危険

(インターナショナルNo.126/02年5月号掲載)


なみの自民党政権に

 小泉政権のゆくえを占うと言われた参院新潟補選、衆院和歌山2区補選、徳島知事選のいわゆる「トリプル選挙」(4月28日投票)は、和歌山では公明・保守両党の推薦をうけた自民党の新人候補(得票率49%)が当選したものの、新潟では公明・保守推薦の自民党新人候補(同33%)が、民主・自由・社民などの野党各党の推薦をうけた新人候補(同50%)に20万票もの大差で惨敗、「保守王国」徳島の県知事選も、円藤前知事が収賄容疑で逮捕された(3月4日)影響もあって、自民党が支援する保守系無所属候補(同42%)が、民主・社民・共産などの推薦をうけた元社民党県議(同47%)にあっさりと敗退した。
 この3つの選挙を、発足後1年目の小泉政権に対する中間評価と位置づけてきたマスメディアは、自民党1勝2敗という結果を「曇り空」や「警報」との表現で報じ、小泉人気のひきつづく低下を裏付ける結果だと評することになった。
 たしかに、現在の小泉は「なみの自民党政権」より多少高い程度の支持率しかない。トリプル選挙での苦戦にしても、すでに3月31日投票の横浜市長選と鳥取市長選で自民・民主両党推薦の現職候補がそろって敗れ、4月21日投票の秋田県湯沢市市長選では初の共産党員市長が誕生するなど、地方での首長選の流れには予兆が現れていた。
 小泉政権の求心力はおとろえ、いわゆる構造改革は自民党実権派との協調なしにはますます困難になり、この協調が小泉に対する大衆的幻想を掘り崩しつづける。かくして自民党でポスト小泉の蠢動がはじまる。

ポスト小泉の蠢動

 政権運営のカギを握るのは、政府官房長官と自民党幹事長と言われる。小泉政権に限らず、首相になった人物が腹心や盟友をこれに就任させるのは、この2つのポストが政府と与党の事務局長、いわば実務の中枢的機能と権限をもつからである。だからまたこのキーポストに腹心や盟友を配置できない首相は、この実務の中枢を押さえた勢力(派閥)の傀儡と見なされもする。
 小泉政権の官房長官・福田は森政権からの継続だから、まあ派閥の同志と言えなくはないし、一匹狼と言われる小泉には若手以外には腹心の子分らしい子分がいないことを考えれば、小泉にとって悪い人事とまでは言えない。もう一方の自民党幹事長・山崎も、いわゆるYKKトリオ(山崎、小泉そして先に辞職した加藤)の盟友だから、これも悪い人選ではなかったはずだ。
 だがこの同志と盟友が、内閣支持率の低下と軌を一にするように、小泉の思惑とは微妙に違った行動をとりはじめたといった話が、日刊のタブロイド新聞やスポーツ新聞、週刊誌で報じられはじめている。それが浮き彫りになったのは、武部農水相の進退問題だったという。そして確かに武部の問責決議案否決の直後、私的な席上とはいえ「おれは絶対総辞職しない。解散を打ってやる」と小泉が声を荒げたとの報道もあった 。
 タブロイド紙や週刊誌に比べれば、その取材力と信憑性ではかなり高い水準にあるといえる『文藝春秋』6月号の赤坂太郎署名の記事によれば、公明党の要請をうけた参院自民党幹事長・青木が官房長官・福田を介して小泉に武部の更迭を打診したが、自分の派閥から入閣した武部の更迭を回避しようとした幹事長・山崎が言葉巧みに福田の内通者疑惑を小泉に囁き、武部更迭の流れを土壇場で逆転させたという。もちろん青木と福田は公明党に対する面目を失い、福田の小泉不信も増幅されたというのだ。
 もっとも、この内幕暴露記事で肝心なのはこんな化かし合いの話ではなく、武部の進退問題に関する小泉の態度である。小泉は「政権維持に有利なら」武部の進退はどちらでもよいと、実に無責任で何の理念も感じさせない態度だったというのだ。
 福田は小泉のこの思惑に感づき、武部更迭の可能性が高いとして事態に対処したのに、公明党と盟友・山崎を天秤にかけた小泉がまんまと山崎に乗せられたというのがこの記事の筋書きだが、深刻な社会問題になった狂牛病問題について政治はどんな責任をとるべきか以上に、政権維持の思惑と盟友関係で対処方針を導き出す小泉が、「自民党を壊す」ことなどできるはずがないことを象徴する裏話ではある。
 支持率が「なみの自民党政権」になった小泉は、実態としても「ただの自民党政権」に過ぎないことが暴かれつつある。

小泉人気のからくり

 ではなぜ小泉は、あれほどの大衆的人気を勝ち得たのだろうか。
 それは、われわれ自身もまた安易にもちいてきた「ポピュリズム批判」でこと足りるだろうか。なぜなら、一般に「大衆迎合」を含意するポピュリズム批判は、いいかげんな政治家の言動に惑わされ「不合理な判断をする大衆」という、大衆蔑視の危険をはらんでいると思うからだ。
 大佛次郎論壇奨励賞を受賞した経済産業研究所の加藤創太氏は、朝日新聞(3・14)の文化欄でこうした傾向を批判し、「ポピュリズムの本質は、政府と有権者の間に横たわる情報格差−政治経済学的には『情報の非対称性』−と、両者の信頼関係の棄損にある」との見解を明らかにした。
 情報の非対称性があれば「情報面で優位に立つ政府は、その優位性を活用して、情報を持たない有権者を、自分に有利な方向に誘導しようと」し、他方「有権者は、情報を握る政府に対し疑心暗鬼に陥り、時に正しい情報も信じなくなり、意見の振幅も激しくなる。そこに一見ポピュリズム的な現象が入り込む余地がある」のだと述る。そのうえで「政策当局者やマスメディアは、情報面での優位を生かし、一回限りなら有権者や視聴者を騙すことができる。しかし、・・・一度相手を騙した(あるいは重要情報を秘匿した)者は、次からは信頼されなくな」り、90年代の日本ではこうした情報の秘匿や「大本営発表」が横行したために「政府と有権者との間の信頼関係が徹底的に棄損され、一見近視眼的で不合理な有権者行動が生まれた」と言う。けだし卓見である。
 つまり小泉は、不良債権の実態を隠蔽する「大本営発表」をつづけ、不透明な密室協議で後継首相を決めるなど、国家官僚機構と自民党政権が繰り返してきた情報操作や隠蔽が生みだした大衆的な疑心暗鬼をとらえ、日本経済の再生には相当の覚悟が、つまり「痛みに耐える必要性」を公然と語り、密室の談合政治を象徴する自民党の「破壊」を公言し、大衆的支持が自分に向かうように誘導したのだ。もちろん、痛みの大半が労働者大衆に企業倒産や失業として襲いかかり、自民党の破壊が、実は橋本派など旧主流派体制を破壊する政治利権再編の派閥間抗争であるといった重要情報は、「構造改革」なるスローガンの陰に隠してそうしたのだ。
 この文脈で小泉政権の軌跡を検証すれば、かなり納得のいくことが多いはずだ。
小泉の「抵抗勢力」との対決は、旧主流派利権の解体と再編の追求であってそれ以上でも以下でもない。経済の構造改革は旧主流派利権の解体を焦点にした選別的な業界再編にとどまり、行財政の構造改革もまた、旧主流派に連なる官僚機構内派閥の弱体化ということでは一貫しているからだ。

「汚いハト派」への攻勢

 かくして、鈴木宗男・前自民党政調会長によるアフガン復興会議からの非政府組織(NGO)排除問題は、NGOとも連携した新たな外交戦略をどう構想すべきかという本質的問題からはずれ、政官癒着と政府開発援助(OECD)利権の糾弾の嵐が外務省機密費問題を後景においやり、やがて北方領土をめぐる二重外交問題へとすり替えられ、汚職まみれの、だが日米関係とロシアや中国との外交関係のバランスをとる戦後外交を踏襲する「汚いハト派」官僚派閥は、鈴木に連座して外務省の主要ポストから一掃された。
 代わって外務省では親米派、とくに共和党的「タカ派」官僚の発言力が強化され、小泉は念願の、だが「テロの時代」には合致しない旧来型の戦争を想定した、あまり有効とは思えない有事法制諸法案を国会に上程する踏み台を手にしたのだ。
 もちろん「汚いハト派」の利権構造は解体されなければならない。だが小泉の構造改革が旧主流派VS「小泉支持派」という派閥抗争のレベルでしか構想されていないとすれば、それは日本資本主義の深まる経済的危機でいやおうなしに縮小する旧来的利権の争奪戦以上ではありえない。
 この利権争奪戦は政治的混乱を拡大して一貫した経済政策の実施を阻害し、日本資本主義経済への国際的信用をさらに低下させて経済的低迷を長引かせる要因となるのはあきらかである。だが他方でこの混乱の過程は、旧来的利権構造の縮小を基盤とする政官の「汚いハト派」派閥の衰退を促進し、9・11テロ以降のテロ撲滅の風潮にのった、あやしげで、しかも旧態依然たる「タカ派」を助長する可能性を強めることにもなる。
 加藤氏が指摘したように、小泉人気が「情報の非対称性」と「政府と有権者の信頼関係の棄損」によってもたらされ、それがまた同様の「情報の非対称性」と「小泉と有権者の信頼関係の棄損」によって危機的様相を呈しはじめているとすれば、階級的労働者の小泉に対する批判は、情報の非対称性を最小化する広範な情報公開と、政治と大衆の信頼関係を回復する民主主義の徹底という観点からなされるべきであろう。
 資本家政府のすべての秘密の公開と徹底的な民主主義こそは、大衆自治と自己決定の原理で統治される社会すなわち社会主義の不可欠の条件なのだから。

(さとう・ひでみ)


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