アメリカ・ティームスターの「やり直し会長選挙」
現職会長の立候補資格剥奪
改革推進の姿勢堅持するTDU(民主的組合のためのティームスター)

(インターナショナル第87号:1998年2−3月号掲載)


 96年12月の会長選挙で再選されたロン・ケアリーの選挙スタッフが、組合費の不正使用をしたとして選挙のやり直しを命じられたティームスター(国際トラック運転手友愛会)に対して昨年11月17日、今度は選挙管理委員のケネス・コンボイが、ロン・ケアリーに立候補の資格がないとの決定を下した。
 91年の会長選挙でケアリーを推して勝利して以来、守旧派(オールドガード)組合幹部の高額給与を削減し、ローカルを組合員自身のものにするための機構改革を推進し、未組織労働者の組織化を積極的にすすめてきた彼の組合指導を支持し、昨年8月のアメリカ宅配便の最大手企業ユナイテッド・パーセル・サービス(UPS)に対する2週間におよぶストライキ闘争では、ティームスターの組合員が未組織のパート労働者の待遇改善を実現するために闘うことを呼びかけ、そうした待遇改善の成果を含む画期的な新協約を勝ち取る【本紙84号で既報】原動力ともなってきたティームスターの改革派にとって、ケアリーの立候補資格剥奪は、不正選挙の告発につづく打撃と痛手である。

困難に立ち向かうTDU

 しかし、「レーバーノーツ」誌と親密な関係にあるティームスターの改革派「民主的組合のためのティームスター」(TDU)は、この決定が下された数日後に例年のように年次大会を開催し、そこではケアリーの6年間の組合指導方針を支持する決議と、TDU指導部に他の改革派との連携を強めて右派・守旧派に対抗する改革派を支持して活動するように求め、守旧派組合幹部との和解を図る候補者名簿に強く反対する決議の2つの決議が採択された。と同時にこの大会では、いまだ選挙の日程も選挙規則も明らかになっていない「やり直し会長選挙」に向けて、改革派選挙名簿の大まかな構想を検討したり、さらには会長候補擁立の可能性を検討するために3人の活動家の見解を聴取したのである。
 こしたTDU大会の動向は、ケアリー陣営選挙スタッフによる不正とその摘発、そして今回のケアリー自身の立候補資格の剥奪というティームスター改革にとっての大きな痛手にもかかわらず、さらにはこれを契機に再び始まった右派・守旧派によるTDUへの攻撃にもかかわらず、労働組合を食い物にする腐敗した守旧派組合幹部に対抗し、ケアリーの下ではじまったティームスター改革を、以降も頑強に推進しつづける姿勢を堅持し、次の闘いに備えようとしている確固たる改革派の姿を強く印象づけるものである。
 そのTDUの大会が、会長候補の検討のために見解を求めた3人の活動家は、倉庫労働者部門を指導する古くからの改革派で、組合員自身が組合員を組織するという組織化方式のパイオニアであるトム・リーダム(46歳)、小包部門の指導者で、昨年のUPSとの交渉で中心的な役割をはたしたケン・ホール(40歳)、そして3月に期限切れとなる貨物運送協定で、交渉の中心を担うことになるであろう貨物輸送部門を指導するリチャード・ネルソン(61歳)である。この、3月に期限切れとなる貨物運送協定の交渉は、ティームスターにとっては差し迫った懸案である。というのも貨物運送業界は、高収益を上げているUPSなどの小包宅配業とは違って、厳しい経済的状況に直面しているからである。したがってTDUの大会でも、この協定についての検討は重要な議題であった。
 ところでホールとネルソンは、91年の会長選挙ではケアリーを支持しなかったのだが、そうした人々が改革派として活動するようになった事実のなかに、ティームスターの、ケアリー当選以降この数年間の大きな変化が如実に示されていると言える。しかしいずれにしてもこの3人の知名度は、右派・守旧派の推すジェームズ・ホッファ・ジュニアには到底及ばないのは明白である。だがこのホッファ・ジュニアもまた、180万ドルもの選挙費用の使途が不明であるとして調査を受けており、彼が立候補を認められるかどうかは流動的である。ただTDUの活動家たちは、ホッファの背後にはマネー・ロンダリング(資金洗浄)のプロたちがおり、彼の立候補資格を剥奪するのはかなり難しいだろうと予測しているようだ。
 その意味で次期会長選挙は、TDUにとってかなり厳しい闘いとなることは覚悟しなければならない。TDUにとって有利な可能性はただひとつ、不正選挙資金の相次ぐ摘発の結果として、会長選挙の資金規制が新しくより厳しくなることで、一般組合員の草の根運動の積み重ねによって得票を伸ばす、91年の会長選挙でケアリーを当選させる重要な力のひとつとなったTDU得意の戦術が、その効果を発揮するときである。
 そしてもちろん、こうした組合員の自発的な底辺からの参加が組織されなければ、ティームスターの民主的改革は、なお中途挫折する危険な可能性をはらみつづけることになる。本紙84号でもすでに紹介したように、ケアリーは再選をめざしてこうした一般組合員による選挙運動に飽き足らず選挙コンサルタントを雇い入れたのだが、それは91年の当選直後に、ケアリー自ら民主党と密接な関係にある政治顧問を雇い入れたことと無縁ではない。96年の選挙ではこうした人々が選挙の責任者となり、そこで雇われた選挙コンサルタントの組合費不正使用が彼の挫折につながったのは、なんとも皮肉な結果であった。

アメリカ労働運動とTDU

 ティームスターはかつて、右派指導部のもとでマフィアが関わる事件が頻発し、1989年には裁判所の間接的管理下に置かれることになった。したがって会長選挙も、裁判所が任命した選挙管理委員の監視のもとで行われるのだが、こうした選挙管理の下ではじめて、ケアリーのような改革派と連携した候補が当選したのである。この右派指導部の代表的人物が、ケアリーの対立候補となったホッファの父親ジェームズ・ホッファであり、TDUは彼を批判する権利のために、文字通りのマフィアによる暴力的脅迫と物理的に対抗してもきた。しかしケアリーの当選に象徴されたティームスターの変化は、今日のアメリカ労働運動の変化、とりわけAFL-CIOのスイーニー新会長誕生の先駆けとなったと言えるのである。
 もちろんスイーニーの体制は、ティームスターのケアリー程の改革すらすすめるものではないし、そのケアリーにしても改革派と連携はしても、自らが改革派と言う訳ではなかった。にもかかわらずスイーニーの体制も、TDUのような改革派の組織を弾圧したり敵対したりしてきたこれまでの指導部と比較すれば、一定の組合内民主主義を容認する、つまり改革派を支持はしないが、かと言ってそれを弾圧もしない、その限りでは進歩的な指導部と言うことができる。しかもこうした組合内民主主義の容認は、これまではAFL-CIOとは無関係に、あるいは巨大労組とはむしろ対立的に組織されてきた移民労働者の運動や女性差別と闘う運動のAFL-CIOへの接近を可能にし、そうした活動家たちの接近と流入が、AFL-CIOの変化を底辺からさらに加速するという関係をつくり出すことにもなった。こうした意味で、ティームスター会長選挙での改革派の勝敗は、AFL-CIOの民主的改革の推進という観点からも重要なものなのである。
 だが他方では、昨年のUPS争議におけるティームスターの画期的勝利は、アメリカブルジョアジーをしてTDUへの憎悪をかき立てるに十分であった。と言うのも、現在のアメリカのパート労働者の多くは、年に数回の解雇のたびに賃金が半減する職にしかありつけない事態、つまり現在のアメリカの好景気の土台とも言うべきダウンサイジング(人員削減合理化)の結果として生み出されており、このパート労働者の待遇改善を含む新たな協約は、好況を支える低賃金構造を食い破られる危険だからである。
 こうしてティームスターの次期会長選挙の攻防は、ティームスターの改革派と右派・守旧派の対決に止まらず、アメリカ労働運動の当面の趨勢を方向づけることになるかもしれない階級的攻防の要素をはらんで展開されることになるのである。そして少なくともTDUは、UPS争議の大衆的勝利を踏まえ、厳しい闘いであることを自覚しつつも、労働者大衆との一層強固な結合を求めて、着々と臨戦態勢を整えつつあるように見える。そしてそこには、22年にわたるティームスターでの闘争経験を通じて蓄積された、TDUの確固たる闘いの伝統が息づいていると、わたしには思われる。

  (M)


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