11.14シンポジウム トロツキーとグラムシ

(インターナショナル93、98年10月号掲載)


 以下に掲載するのは、トロツキー研究所と東京グラムシの会の共催による11月シンポジウムの呼びかけ文である【編集委員会】。

 このたび、トロツキー研究所と東京グラムシ会の共催で、シンポジウム「トロツキーとグラムシ−その歴史と知の交差点」を開催することになりました。
 レオン・トロツキー、1879年生まれ、アントニオ・グラムシ、1891年生まれ。日本流に言えば、ちょうど一回り歳の違うこの2人の辿った人生・運動への関わり・思想や理論の奇跡や変遷は、異質で対抗する面と同時に、共通で親和する面を持っています。
 ロシア革命とコミンテルンの輝ける指導者として前半生を送ったトロツキーは、スターリン派によって追放され、「帝国主義の手先」という悪罵の中で、1940年、60歳で暗殺者の手で倒れました。グラムシは、イタリア労働運動・革命運動の指導者として頭角を現し、ファシストの手で獄中につながれ、1937年、46年間の短い生涯を閉じました。2人の生きた過程と著作はロシア共産党やコミンテルン主流派の理論・思想とは異なる方向性を彼らが持っていたことを示しています。しかし、20世紀前半における最も優れた思想家であり理論家であり、そして革命家であったこの2人について、その交点や知的・政治的関連について研究する作業は従来ほとんど行われておりませんでした。これは両者の受容され方、トロツキーは反スターリン主義運動の旗手として、グラムシはトリアッティ指導下のイタリア共産党、とりわけ構造改革路線の思想的バックボーンとして紹介されるという傾向がその背景にあると考えられます。
 ソ連崩壊以降、社会主義思想総体を否定しようとする風潮が強い中、従来の受容のチャンネルの相違を超えて、トロツキーとグラムシを新しい観点で再評価し、両者の出会いと相克、共通性と相違を明かにする作業は、こうした風潮に対して建設的に対抗するという意味でも、大きな意義を持つと考え、今回のシンポジウムを計画しました。
 今なぜ「トロツキーとグラムシ」なのか?という問への答えを含めて、トロツキーに、あるいはグラムシに、また両者に関心をお持ちの研究者、運動家、そして腐朽を深化させつつある資本主義の変化への意志を抱いておられる方々が多数参集され、活発な議論に加わるよう呼びかけます。

●シンポジウム
トロツキーとグラムシ−その歴史と知の交差点

*1998年11月14日(土)午後1時〜
*イタリア文化会館(地下鉄九段下)
*参加費/\1,000-
  ◆トロツキーとグラムシの未邦訳論文・報告レジュメ等の資料代を含む
*共催/トロツキー研究所・東京グラムシ会
*後援/京都グラムシ研究会、マルキシズム&ラディカリズム研究会、ネアンデルタール21社、
労働運動研究所


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