【フォーラム90s】 総会で解散を承認
古い枠組みからの脱却にむけて


 さる12月5日、東京(文京区民センター)で開かれたフォーラム 90sの総会は、今回のシンポジウム(12月6日)を最後に解散したいとする運営委員会の提起を受け、これを了承した。これによって、89年からの準備期間を含めれば10年にわたって活動してきたフォーラム90sは、残務整理のために来年2月に開かれる運営委員会と、3月まで予定されている講座の開校を除いては最終的に解散し、この活動を支えた学者、研究者、活動家たちもそれぞれ新たな課題を背負ってそれぞれの道を進むことになった。フォーラム90sの存続と解散をめぐる運営委員会ならびに総会での討論は、すでに昨年から始められ、今年98年の年頭からは、準備活動当初から発行をつづけてきた「月刊フォーラム」を廃刊にし、運営委員会を中心とした会員むけのニュースレターを隔月で発行しながら、研究会などの活動をつづけてきていた。
 フォーラムの解散を惜しむ声は、とくに地方の学者や研究者のあいだにはなお多くあったが、月刊誌の発行や各種イベントの企画と推進などをうけもつ事務局体制は、発足当初のような求心力を失って活力が大きく低下し、結果的には特定の人々にだけ様々な負担が集中するといった弊害が目立ちはじめていた。さらに発足から2年目の92年末には、1,000名になろうかと思われた会員数も暫減をつづけて年間予算の先細りが懸念されるなど、フォーラム90の存続は、客観的には困難さを増してきていたのである。
 運営委員会による解散の提案は、こうしたフォーラムの現状を冷静に判断して提起されたものだが、「フォーラムをつくった意義、理論的課題への取り組みなどは、国際金融危機が顕在化しはじめた今後こそ問われるのではないか」との意見をめぐって、解散総会とは思えない有意義な討論も行われた。

新左翼的枠組みの終焉

 たしかに89年のベルリンの壁が崩壊した年に準備活動をスタートさせたフォーラム90は、21世紀を見据えた歴史的転換点に主体的に対応することをめざして、様々な活動に取り組んできた。その意味では、まさに「課題と任務はこれからが本番」と言える。しかしこの問題提起に対する率直な応答もあった。
 「フォーラム90は、いわば新左翼的枠組みの理論と運動としてはじまった。そしてその枠組みでは、これからの情勢には対応できないということであり、政治的・組織的求心力の低下もまたここに原因でがある」という、降旗代表の応答がそれである。もちろんこうした見解に異議をとなえる人々もいるだろうが、これは今日、フォーラム90という運動体が何ゆえに解散せざるをえないのかの核心をつくものであろう。
 新左翼的枠組み、つまり60年代後半から70年代初頭にかけて台頭した急進的な青年労働者と学生の運動を基盤に、スターリニズム的権威の虚構を容赦なく暴き出して一世を風靡した運動は、結局はその青年労働者たちの基盤であった総評・社会党ブロックと呼ばれた政治的枠組みの解体と共に衰退した。そしてフォーラムは、この衰退の過程で、多くはなくとも新たな出会や連携の糸口を残しつつ、その歴史的役割を終えたのであろう。新しい出会いや、新たな連携の糸口はしかし、それを共有しうる人々の協働を通じてでなければ発展することはできない。そしてフォーラム90は、むしろこの新たな協働を組織するには、すでに「旧すぎる枠組み」になりはじめていたのかもしれない。
 そうであれば、フォーラム90の解散とそれぞれの研究者や活動家たちの独自の出発は、自覚的な解散という決断によって、将来の協働への可能性をも残した、積極的意味をもつことにもなるだろう。

     (K)


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