【シンポジウム】トロツキーとグラムシ
歴史と知の交差点のこれから
権威にとらわれない真摯な研究と協働のために


 11月14日、東京のイタリア文化会館で、シンポジウム「トロツキーとグラムシ−その歴史と知の交差点」が、トロツキー研究所と東京グラムシ会の共催で開催された。
 本紙93号に掲載した同シンポジウムの呼びかけに、「20世紀前半における最もすぐれた思想家であり理論家であり、そして革命家であったこの2人について、その交点や知的・政治的関連について研究する作業は従来ほとんど行われておりませんでした」とあるように、旧来のトロツキー研究とグラムシ研究は、とくに日本においてはほとんど相互に関連をもたない、むしろ異質な思想家として扱われてきたと言える。それは「両者の受容のされ方、トロツキーは反スターリン主義運動の旗手として、グラムシはトリアッティ指導下のイタリア共産党、とりわけ構造改革路線の思想的バックボーンとして紹介されるという傾向がその背景にあると考えられます」(同呼びかけ)と指摘された、日本のマルクス主義運動の歴史的経緯に根差している。
 そうした歴史的経緯を考えれば、今回トロツキー研究者とグラムシ研究者との共催によって開催されたシンポジウムは、それ自身として画期的な企画であったということができる。そしてシンポジウムで行われた報告の数々もまた、この企画と同様に画期的な内容を多く含むものであった。
 このシンポジウムの開催に合わせて、「トロツキー研究」27号(98年秋)は「グラムシとイタリア共産主義」を特集しているが、これに掲載された論文のいくつかは、当日のシンポジウムでも報告された内容と密接に関連しているので、これにも触れながらシンポジウムの意義を振り返ってみたい。

イタリア共産党「3人組事件」

 トロツキーとグラムシの《思想的共通項と組織(運動)的対立》とでも言うべき関係の歴史的背景に、1930年にイタリア共産党で、6人の政治局員のうちグラムシと近しい3人の政治局員が除名されるという、いわゆる「3人組事件」があったこと、そしてこの「『3人組』の除名から、国際左翼反対派イタリア支部としてのイタリア新反対派(NOI)が誕生することになった」(トロツキー研究27号:263頁)ことは、わたしのような全共闘世代のトロツキスト活動家が多分に勉強不足であったせいもあるが、今回のシンポジウムと「トロツキー研究」のグラムシ特集で始めて接した歴史的事実であった。
 そのうえこの除名事件が、1929年のコミンテルン第10回執行委員会総会での、いわゆる極左転換として知られる路線転換とこれに伴うブハーリン派の失脚を受けて、この総会にイタリア代表団として出席していたトリアッティらと、トレッソら3人の政治局員の対立が契機となった以上、それはその後のヨーロッパ革命に極めて否定的な影響を与えた「社会ファシズム論」や大衆の「急進化」論をめぐる対立を内包した事件だったことは明かである。だからこそ除名された「3人組」は、こうした極左路線に対する批判を精力的に展開していた国際左翼反対派の理論に引き寄せられざるをえなかったのである。
 しかしこのとき、グラムシはすでに獄中にあり、このイタリア共産党の組織問題に直接関与することはもとより、詳細な見解を公表することもできなかった。そしてシンポジウムと「トロツキー研究」の特集では、この事件についてのグラムシの反応などが、新たな証言や資料を用いて紹介され、これまでのイタリア共産党の公式見解とは異なる、だが実に説得力のある解説と分析が明かにされたのである。詳しい内容は、むしろ「トロツキー研究」の特集を読んで頂いた方がいいが、こうした研究が、トロツキー研究者による一方的な見解としてではなく、グラムシ研究者もまた納得しうる事実や分析にもとづいて提起されたことに、今回のシンポジウムの内容の深さが示されていた。

獄中ノートと今後の課題

 したがってシンポジウムの討論は、これまでのトロツキー解釈やグラムシ解釈を前提にした論争というよりも、「トロツキーとグラムシを新しい視点で再評価し、両者の出会と相克、共通性と相違を明かにする作業」(同呼びかけ)を共にはじめる、そうした協働の出発点にふさわしいものとなった。
 もちろん課題は山積している。とりわけグラムシ「獄中ノート」に散見されるトロツキーへの批判は、獄中でトロツキーの著作に直接は触れることのできなかったグラムシという条件を考慮し、あるいは後進国ロシアとファシスト支配下のイタリアという革命の前提条件の違いを考慮したうえで、なお今日のわれわれにどんな教訓や理論的武器を提供するものなのか。さらにそれは、いわゆる構造改革路線として知られるイタリア共産党の戦後の路線とどう関連し、またどのように再把握されなければならないか等々である。
 残念ながらシンポジウムでは、こうした議論を深める時間はまったくなかったし、「トロツキー研究」の「グラムシとイタリア共産主義」特集もまた、これらの課題に着手したばかりといって良いだろう。そしてこうした課題の中心的テーマは、グラムシが「獄中ノート」として残した膨大な彼の思想的片鱗の研究であることは明かである。だがそうであればわれわれには、今回のシンポジウムの画期的意義を踏まえて、旧来的な権威やその権威による解釈に囚われない、その意味で真摯な研究が要求されると思われる。よりはっきり言えば、イタリア共産党とトリアッティがグラムシ解釈の全権を独占し、これへの異論に極めて不寛容であるという権威のあり方を越えて、このすぐれた理論家にして革命家の思想的遺産を、すべてのプロレタリアートの財産として扱うことが求められよう。
 それはレーニン理論を解釈する全権を独占し、その解釈への異論を反革命と断じて政敵の粛正にすら利用したスターリニズムが、70年もの間支配してきたソ連邦が崩壊したという現実を踏まえて、しかもそうしたマルクス主義理論の権威主義的な教条化が、アメリカを中心とした戦後の新たな資本主義の発展と矛盾を解明するマルクス主義の理論的発展を妨げたことをも踏まえた、現代資本主義の批判的解明によってプロレタリアートの革命的前進を促す、現代マルクス主義の真実の復権をめざす闘いの一里塚となろう。

  (きうち・たかし)


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