戦後反戦・平和運動の転機 周辺事態法の成立
国家社会再編とどう対峙するか


歴史的転換点

 日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法案が、参院本会議で自民、公明、自由3党の賛成多数で可決されたのは、5月24日夕方のことである。いわゆる周辺事態法が成立し、「アメリカ軍の後方支援」という名目で、戦後日本の軍隊(自衛隊)が、国外での戦争に公然と参戦する道が開かれた。
 5月21日の「朝日新聞」に、「コソボはひとつの周辺事態」との見出で周辺事態法に関する特集記事が掲載されたが、当時のNATO軍によるユーゴ空爆は、日本の現実となった周辺事態法なるものが、主要に朝鮮半島での有事つまり軍事衝突などを想定し、これに対するアメリカ軍の軍事プレゼンスの一翼を、日本の自衛隊が積極的に担うことを可能とする目的でつくられたことを、実に分かりやすく示す事件であった。そればかりか、ドイツ軍戦闘機による戦後初の外国の爆撃と、自衛隊の海外での参戦を可能にする周辺事態法の成立という二つの「事件」は、戦後日本とドイツの憲法(ドイツでは基本法)と外交に関する、歴史的転換点であることをも浮き彫りにしたのである。
 ところが日本の周辺事態法反対闘争もだが、日本のリベラリストたちが、ことあるごとに歴史教育や戦後賠償で日本より優れていると紹介してきたドイツのユーゴ空爆反対闘争も、社会的に見れば少数派の運動にとどまり、大衆的高揚は見られなかった。
 社会変革を担う主体(階級)に関するこの深刻な問題は、第二次大戦以降に世界を再組織した「後期資本主義」(マンデル)の歴史的分析と、この大きな変貌をとげた資本主義の下で形成された階級関係ならびに階級意識の再把握として解明されなければならないが、ここでは当面する闘いの課題に引きつけて、周辺事態法成立以降はその重要性を増すと思われる、軍事協力を拒否する市民条例制定運動と、日本帝国主義の国家・社会再編について考えてみたい。

国家再編と社会再編

 冷戦時代の日本における反戦・平和運動は、戦後世界を帝国主義勢力と平和勢力(社会主義勢力)の対決であるとの認識を前提に、自民・社会二大政党として「世界の構図」を反映する議会での対決を主眼にしてきたと言える。それはまたあらゆる戦争法や制度改悪は、帝国主義的な「国家再編」として、反動勢力によって「上から」押しつけられるものとの認識と表裏をなす、ステロタイプ化された運動だったように思われる。
 ところが高度経済成長を通じて、決定的には70年代後半から80年代に実現された日本の「経済大国化」が労働者民衆の生活状態を大きく改善し、「反動勢力による強権的国家再編」の説明はゆっくりと、だが確実に説得力を失った。むしろ戦後日本の現実は、この生活向上と軌を一にして進んだ社会的再編が、つまり近代的核家族を単位にした「一億総中流化」が、農村共同体や地域共同体の解体を促進し、他方でこれに代替えする「共同体」として企業社会が形成されるという社会的再編が進み、議会での対決法案も、こうした社会再編を反映しはじめていたからである。つまり国際貿易と安全保障というワンセットの利害に立てば、親米外交を基本とする国際関係の要請にしたがって戦争法必要とされ、あるいは経済成長の担い手である企業社会の要請に添って様々な制度改悪が提起されるというように、国家再編は「上から」の押しつけだけではなく「下から」の変化にも対応していたのである。
 つまり今後の反戦・平和運動の再構築を展望する場合、注目すべきはこの社会再編の進行と国家再編の相互関係であり、だからまた周辺事態法の成立や労働法制の一連の改悪を、「国家再編か社会再編か」という二分法で捉える方法論を、歴史的問題との関連で言えば「上からか下からか」という二元論を、克服することだろうと思われる。
 この観点から見れば、港湾管理権をもつ地方自治体に対して、周辺事態法による協力を拒否する市民条例の制定を迫る地域の市民運動は、より社会的再編に対応する運動と言えるだろうし、法案阻止の国会闘争や全国的な政治キャンペーンの展開は、より国家再編に重点を置いた闘い方と言えよう。そしてひとつだけ明らかなことは、この両方の運動や闘いが分断されて相互に弱点を上げつらう状態がつづく限り、日本帝国主義の国家・社会再編は、無人の広野を行くごとく加速されることになるだろうということである。
 すでに周辺事態法の法案阻止闘争が敗北を喫した以上、階級的労働者は社会再編に対応した市民条例制定運動との連携に努め、あるいは国家・社会再編に文字通りの意味で直面する労働運動の中から登場した周辺事態法反対を掲げる海員組合、全港湾、自治労などの労働組合との連携を粘り強く追求し、そうした運動との信頼関係を強化し、新たな全国的な大衆的戦線の構築にむけた闘いに挑戦しなければならないだろう。

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