【書評】五野井郁夫「デモとは何かー変貌する直接民主主義」・小熊英二「社会を変えるには」

広がる社会的格差と多様化する要求に対応できない既存の社会システム

−世界中で広がる民衆の直接行動の背景を探る−

(インターナショナル第211号:2012年12月号掲載)


 2011年3月の福島第一原発事故以来、日本でも脱原発を求める民衆の直接行動が広範に広がり継続している。それは、今も続く毎週金曜日夜の首相官邸前での行動や節目節目に各地で開催される脱原発を求める万を越す人々が集まる集会となって、直接的には目に見えるものとなっている。
 この現象は何を意味するのか。そしてこの行動が社会をどう変えていくのか。直接行動が広がる中で、その意味するところを考察する興味深い書物が幾つも出された。
 その中から、筆者の目に触れた中でもとりわけ興味深い印象を与えた本を二冊紹介する。
 それは、五野井郁夫著「デモとは何か−変貌する直接民主主義」(2012年4月NHK出版刊・950円)と、小熊英二著「社会を変えるには」(2012年8月講談社刊・1300円)である。

▼世界中に広がる広場占拠闘争

 政治学者五野井は、首相官邸前のデモのように、ある重要な場を占める広場を占拠することによって社会にあるメッセージを発していく民衆の直接行動が、世界中に広がっていることに注目する。
 五野井によればそれは、2010年末のチュニジアの民主化運動に始まってまたたくまに「アラブの春」と呼ばれる中東全体の民主化運動に広がった。その象徴的存在が、エジプトのカイロのタハリール広場である。「アラブの春」の動きは、独裁的政権に連なる一部の人々が富を独占して政治の世界を牛耳り、社会の多数を占める人々の要求がないがしろにされていることに対する抗議と民主化の動きであった。
 そしてこれはその後世界中に広がり、2011年5月15日にはスペインのマドリードで、福祉予算の削減や政治汚職、そして21.29%にも上る高失業率に抗議する「怒れる若者たち」によるプエルタ・デル・ソル広場の占拠デモが約1ヵ月行われたことがきっかけになり、スペイン全土に波及した。
 この動きは同年10月15日には同広場に50万人規模の群衆が集結するほどの高揚を見せた。
 続いてこの動きは、2011年9月14日に、ニューヨークのウォール街の側にあるズコッティ広場が「わたしたちが99%だ」と唱える若者達に占拠される動きとなってアメリカにも飛び火した。ここでも一部の人々が経済的利益を独占する社会に対して、格差是正を求める試みとして広場占拠闘争が行われたのである。いわゆる「オキュパイ・ウォールストリート」闘争である。
 そしてこの動きはさらに日本を含む世界各地に広がっていった。
 3.11に伴う原発事故をきっかけにして日本中に広がった大規模な民衆の直接行動は、以上見たような世界的な動きの一環だと、五野井は見るのである。
 なお五野井は指摘していないが、「オキュパイ・ウォールストリート」闘争を企画した人たちが、広場を占拠する行動を構想した際に参照した動きとして、ここに見た「アラブの春」の動きやマドリードの動きとともに、それ以前に行われた、日本における厚生労働省前広場での「テント村」闘争を挙げていることが興味深い。
 この意味で世界的に広がる広場占拠闘争の初発は日本であった。

▼SNSの発達によるデモの自由な参加と祝祭化

 五野井は、なぜ世界各地でかくも大規模な民衆の直接行動が広がったのかを考察し、そこには二つの要素があったと指摘している。
 一つは、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)の発達である。
 インターネットを介した、フェイスブックやツイッターのサービスを介して、地上に運動の拠点が存在しなくても、インターネット上のフォーラムを通じて情報交換と意見交換が行われることで、情報が瞬時に共有化され、人々を直接行動に駆り立てることが可能となった。
 もう一つは、これらの運動を主導する人々が、行動において暴力を否定して非暴力を徹底化させるガイドラインを構築するとともに、意思と情報の相互疎通を促すことで、運動そのものを極めて民主主義的に組織することが可能となったことである。
 このため運動は、特定の組織に組織されたわけではなく、ネット上の緩やかな繋がりに依拠して参加や意見表明も自由となり、また暴力が明確に否定されたことで、路上や広場に通常の社会とは異なる、自由で平等な民主主義的な空間が出現した。そしてこの場は、一種の直接民主主義的な政治空間となり、現状への不満や変革の意思を交換できる非日常的世界=祝祭的空間へと化していった。
 だからこの路上や広場の占拠闘争においては、今までのデモや闘争とは異なり、音楽や仮装などのパフォーマンスが広く行われ、場の空間の祝祭的な自由なイメージをさらに広げているのである。
 五野井は、以上のように事態を見ている。
 そして彼の本は、このような新しい社会運動は今急にここに出現したのではなく、長い社会の変動のなかで準備されたものであることを、日本の大正デモクラシー以後の100年間の政治と社会運動の歩みの総括を通じて明らかにしようとしている。

▼ポスト工業化社会によって広がった格差

 一方社会思想史家である小熊は、この自由な直接民主主義的な運動空間が現れた背景を、日本における「工業化社会」の行き詰まりと、「ポスト工業化社会」の到来とこれに伴う格差拡大に見ている。
 小熊も積極的に脱原発の直接行動に参加し、彼らと野田首相(当時)との懇談を実現するべく奔走するなど、運動の広がりとその要求の実現のために動き回った。その過程で、主としてメディア関係者らから、「デモをやって何か変わるのか」「デモをやったら社会は変わるのか」「デモより投票のほうが有効だ」「デモより政党を組織した方が良い」との疑問をぶつけられた。
 この疑問に答える形が書かれたのが本書「社会を変えるとは」である。
 小熊は、大工場による大量生産に支えられた豊かな社会である「工業化社会」が行き詰まる中で、ITの発達を背景とした工業のネットワーク化と情報産業や金融業、そして様々なサービスを提供する第三次産業を中心とする「ポスト工業化社会」が生まれ広がったことが、今回の広範な直接行動の背景にあると分析する。
 つまり、「工業化社会」の段階では、人々の生活は類型化しており、企業家とか労働者とか農民とかといった固定的階層に組織されているので、それぞれの「業界」に依拠する団体、つまり業界団体や労働組合や農協などといった団体によって人々の要求は組織され、それぞれを基盤とした政党にその要求は集約されて、国政に反映されていた。そして右肩上がりの経済成長は、輸出中心の大企業の利益を拡大化するとともに、「福祉的」な政策を通じて下々までに富が還流して、全体として豊かな大衆社会を実現した。
 しかし「ポスト工業化社会」の到来は、この循環を破壊した。
 人々の働き方や生活は多様化し、固定的な階層では括れないほど多様化した。
 労働者といっても、大企業正社員とそこでの派遣社員や季節工やパート労働者では異なる生活と利害が発生しており、正社員を中心として従来の労働組合では、多様な労働者の要求をくみ上げることが不可能になっている。そして業界団体も、業界における過当競争の深化で一元化は不可能となっているし、農民も農協を通じて市場に産物を送るシステムから離脱し、直接都市の消費者とつながった産直運動が広がっていることに象徴されるように、農業のスタイルも多様化している。
 「工業化社会」で実現した豊かな社会を背景にしながらも、「ポスト工業化社会」は、人々の生活スタイルも要求も多様化しているし、生活格差も拡大している。
 このため「工業化社会」に依拠した既存の社会システムでは、多様化した人々の要求を集約することが不可能になったと小熊は指摘する。
 そして「工業化社会」から「ポスト工業化社会」への転換は、小熊によれば、西欧においては1960年代であったが、日本においては、1990年代であった。
 こうして2011年3月11日以前に、日本の既存の社会システムは陳腐化し時代遅れとなっていたのだが、震災と原発事故によってその姿は突如誰の目にも明らかとなって、社会を動かすことを人任せにしていては、自分の命すら危ないことに気がついた人々が、直接その要求を出し始めたのが、この間の脱原発運動だと小熊は指摘している。

▼社会の変化を背景とした戦いの拡大

 国際政治学者としての五野井の視覚と、社会思想史家としての小熊の視覚は、多少異なった視点から今回の大衆的運動の広がりを見ている。
 五野井はニューヨークの運動などに直接足を運び、運動の参加者たちと直接討論するなどして、その運動のあり方と参加者の意識を観察している。したがってその視覚は国際的である。
 社会思想史家として戦後日本の社会思想の変化を通じて社会の変化を見ていく作業に没頭してきた小熊は、2009年9月から2011年4月まで大病を患って療養生活をしていたが、医者から全快を告げられた直後の大衆的運動の勃発に刺激され、直接運動に参加することを通じて、日本社会の変化についての自分の理解をたしかめようと動いた。だから小熊の視覚は、日本に限定されている。
 しかし両者ともに、運動に直接参加しながらそのあり方を観察してその背景を考察するという視点は共通している。
 この二人の分析の結論が同じであることが興味深い。
 つまり格差社会の拡大と既存の社会システムの機能不全。これが運動の広範な広がりの背景にあり、これを可能にした、インターネットを通じた意思疎通の実現と、従来とはことなった非暴力主義の広がりが、今回の大衆的な直接民主主義行動を生んだと。
 この運動がそれぞれの国における社会の変化と既存の社会システムの機能不全にあるとするならば、この運動は一過性ではない。
 むしろこの運動を通じて社会を変えようとする人々と、既存の社会システムを温存することで自らの利益を守ろうとする特権的な人々との戦いは、まだ始まったばかりである。
 それは場所や運動の課題を変えて、続いていく。
 例えば日本における脱原発の運動の前には、原発を断固推進しようとする自民党政権という大きな壁が、今回の総選挙によって立ちはだかった。
 安倍首相は、選挙で自民党に対する国民的支持は戻ったわけではないので、慎重に行動すると選挙直後には殊勝にも語っていたが、日がたつにつれて自民党首脳陣や経済界首脳は、次第に勝利に有頂天になり、原発の再稼働や新増設、さらには輸出の拡大など、選挙中には秘められていた彼らの本質をあらわにしつつある。
 それは2011年の夏も2012年の夏も原発なしに日常を維持することが出来たという現実や、液化天然ガスなどの調達先を、中東一極依存から多極化することによって、その価格を半分から四分の一まで削減することによって、電力料金の上昇を抑えることが可能であると云う現実にも反した、軽挙盲動的言動である。
 2013年の夏に向けて政財界は、電力料金上昇阻止を名目にして原発再稼働を目論むであろう。
 2012年夏に向けては、関西電力の大飯原発再稼働なくして夏の安定的電力供給は不可能との嘘で押し切られて再稼働を許してしまった。だが柳の下には二匹目のドジョウはいない。
 同じ嘘は二度とは通じない。
 原発再稼働に向けて、2013年は個別具体的な戦いが繰り広げられるだろう。それを通じて、首相官邸前の抗議行動も、そして各地での大規模な反対集会も衰えることはないに違いない。
 社会がすでに変化してしまっている以上は、社会システムもそれに応じて変えないかぎり、社会を変えろという運動はつづくのである。
 この点では小熊の議論、「社会を変えるとはいかなることか」という考察は、とても参考になると思う。
 最後に小熊の著書の目次を提示しておこう。
第一章 日本社会はいまどこにいるのか
第二章 社会運動の変遷
第三章 戦後日本の社会運動
第四章 民主主義とは
第五章 近代自由民主主義とその限界
第六章 異なるあり方への思索
第七章 社会を変えるには
 

(12/30 すなが・けんぞう)


書評topへ hptopへ