【書評】『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜうまれたか』●その2
    【開沼 博 著 2011年.6月青土社刊 2,310円】

原発はどうして村と「共存」できたのか

―「危険」の告発が地元を苦境に陥れる差別と蔑視の構造―

(インターナショナル第208号:2012年5月号掲載)


▼ 中央、県、地元の同床異夢

 『「フクシマ」論』は、福島原発の建設にあたっては中央、県、地元それぞれの思惑は違っていたという。
 中央にとって地域開発はどうでもよく、原子力開発がメインだった。だが 福島県知事にとっては、原子力開発だろうが他の手段であろうが、いかに地域開発を持ち込むかが重要という考えだった。そのための中央とのコネクション、利益の一致を探す。高度経済成長の推進部にしっかりと食い込むことで公共投資を誘致し、後進性・周縁性からの脱却を実現する手段がたまたま原子力だった。県知事は、反原子力の機運の高まりを利用して中央から条件を引き出す。
 1960年、県は大熊町に原発立地の打診。61年に大熊町議会は誘致促進を決議して県と東電に陳情した。住民は町議会決議を知らなかった。「ここは福島のチベットと言われ、秋になると出稼ぎに行く土地だった。地域が発展するなら、という気持ちだった」という切実さが役場にあったという。


▼住民は地域振興と雇用

 原発建設予定地の大部分は、国土計画興業1社が所有していた。
 62年に県は東電から用地買収を委託され、県開発公団が用地買収を手掛ける。しかし県は地元のことはよく分らず、実際は役場の職員が中心だった。
 住民は、63年に買収が開始されて初めて「ここに原子力発電所を作る予定になっている」と知る。64年には、県開発公社が地権者の承諾を取り付ける。
 中央からやって来た、はじめて見る東電エリート、外国人技術者がもたらす「近代の先端」はムラと積極的に触れ合いながら、ムラに対して少なからぬ驚きと戸惑い、そしてそれまでになかった喜び、すなわち中央と自らの差の実感の中にある種の欲望を生み出していったという。
 住民は地域振興になるという思いで受け入れる。最優先は雇用である。その思いを語っている聞き取りがある。
 「地域内の発電所ができたことで、周辺の道路も立派に拡幅、舗装され、便利になった。所員との交流も徐々に深まった。6月の地区運動会の際には大勢の所員が参加し、玉入れやリレー競争、輪投げ、パン喰い競争、ソフトボール大会などに活躍している。地区住民も所員を特段に意識することなく、和気あいあいと触れ合っている」などなど。

▼原発は安全! だが誰にとって?

 1979年に刊行された堀江邦夫著の『原発ジプシー』は、原子力発電所で働く下請け労働者のルポルタージュ。原発の定期検査は短期流動労働者が行う。1つの原子炉につき1〜2か月間の期限付きで1.000人の労働者が外部から来る。その労働者は東電から何段階かを経た下請け労働者。堀江さんは78年12月19日から3月15日まで福島原発で働いた。
原発事故後、東電は下請けを「協力会社」と呼んでいた。
 堀江さんは、『朝日新聞』で原発推進の旗振りをした大熊由紀子記者の著書『核燃料』(朝日新聞社発行)を引用している。大熊氏は、各地の原発地域に講師として招かれている。
 「この格納容器の外側には、鉄筋コンクリートの厚い“とりで”がさらに築かれている。
 死の灰は、このように、念入りに、きびしく閉じ込められている。こういう仕組みを『多重防御』という。……これほど徹底した安全対策が、ほかの産業や、人間の命をあずかる病院で、果たしてとられているだろうか。」
 政府と電力会社は大新聞社や学者を積極的に利用したが、堀江さんのルポルタージュはそれが嘘であることを暴いている。

▼東電への忠誠心

 実際はどうだったか。堀江さんが福島に到着した翌日の地元新聞に、1号機の放射能漏れの記事が載った。現場で働く労働者は、事故をこのようにして知る。
 下請け労働者は県外が7割、地元が3割。東電の社員と接する機会はほとんどない。堀江さんが怪我をした。車で安全責任者と一緒に病院に行く間に彼が話を始める。
 「治療費の話だけど……。労災扱いにすると、労働基準監督署の立入検査があるでしょ。そうすると東電に事故があったことがバレテしまうんですよ。……ちょっとマズイんだよ。それで、まあ、治療費は全額会社で負担するし、休日中の日当も面倒みます。だから、それで勘弁してもらいたいんだけど、ねえ」
 「もしあんたが労災でなければいやだと言い張ったなら、事故が公になり、東電に迷惑をかけることになる。そうなれば会社に仕事がまわってこなくなり、最終的には、あんた自身が仕事にアブレることになるんだぜ――ということを暗にほのめかしているのだ。
 ここに原発の「閉鎖性」が生まれる土壌があるようだ。」
 「東電に対する異常なほどの“忠誠心”。この背景には何が存在知るのか。
 業者にすれば、仕事が受注できなくなる不安がある。が、それだけではない。むしろ、電力会社が原発の安全性を主張するあまり、『異常』とも思える対マスコミ・対住民への“配慮”が、有形無形の圧力となって業者にはね帰っているのではないか。『事故・故障隠し』や『労災隠し』は、同じ一本の根から発生しているのだ。」

▼安全性を無視

 地元出身者は安全をどうとらえていたのか。
 「なぜ東電で働くことにしたのか。『どうも東京のゴミゴミした雰囲気に馴じめんで』帰郷。『帰ってきたけど、こっちじゃ、ぜんぜん働く場所がなかっぺしゃ。そんで』
 彼は、以前はポケット線量計やアラーム・メーターを隠し、実際には“パンク”するような高線量エリアで作業をしたことがある。
 『最初はオレだって、そんなことやらなかったよ。でも、みんなやってるんだし……。会社の者も何も言わなかったしねえ』『みんな、平気でやっていたし……。それに、(作業を)早く終えちゃえば、あとは楽だもん。会社にしたって、工事が予定より早く進めば、それだけ儲かるし……』
 みな、危険に目をつむり、『上』を向いて働く。そのような意識が下請業者と下請労働者に染み込まされている。」これだけではない。
 堀江さんが福島原発にいた時、外国人労働者を見かけた。そのことを皆の前で話すと『また来ているのか』という返事が返ってきた。
 77年3月、福島1号機で給水ノズルと制御棒駆動水戻りノズルにヒビ割れが見つかり、その修理のために米国籍企業ゼネラル・エレクトリック(GE)社の労働者118人が日本に来た。彼らは、日本人労働者が立ち入れないような高線量区域で、それも肉体的にもかなりきつい作業に従事していたという。3、4日働くと、すぐ入れ替わりでいなくなる。彼らの『計画線量』は日本人の10倍だったという。」

▼事故はマスコミが騒いだ時に起きる

 地元住民は、原発を「作ると決まったら今更危ないなんて言っていられないという感じ」なのだという。
 切り離された構造の中で、危険な作業は「遠くから来た資格を持っている人」、あるいは「国籍もわからない外人さん」であり、自分たちからは切り離された人で「特殊な技能を持った人」が従事してくれていると捉えている。侮蔑的、差別的な感情ではなく、それを『上』に見ている。
 この意識は危険性を覆い隠すことにも役立っているという。
 安全性の有無は、現場に入らないスポークスマン、現場で作業をしない東電社員、現場作業員の立場の違いで異なるのだ。「事故」は隠し切れない時、マスコミが騒いだ時に「発生」し、それ以外は「ない」のである。
 原発に反対する住民が農作物への影響を訴えたり、遠隔地から来た支援者が危険を叫ぶことは地元への風評被害をもたらし、結果としては地元と消費者を切り離すことになってしまう。地元の生活を脅かすことになる。抑圧を訴えること自体が抑圧を生み出すことになってしまうという。
 この構造は、福島原発事故後の「風評被害」を捉えかえすと理解できる。風評被害の影響は原発に賛成する住民だけでなく、原発が危険、放射能が危険と叫ぶ住民にも、さらには作物や製造品だけでなく人間までもが危険視された。危険と叫ぶことは、自分自身や周囲を含めて危険と受け止められることを覚悟しなければならないのである。
 危険と訴えて得することはない。その結果、安全とは言えなくても、危険性を積極的に主張しようとはしなくなる。

▼東電社員は安全である

 地元出身の東電社員は、危険な現場には就かない。だから地元住民は原子力について完全な情報を持っていない。むしろ情報を避けている傾向があるという。
 堀江さんの『本』は昨年、タイトルを『原発労働記』とかえて再版され、加筆されている。堀江さんは、1970年から2008年までの「放射線業務従事者被ばく線量と原子炉基数の推移」の図を作成した。そこからどのようなことが明らかになるか。
 「電力会社社員の被ばく量と、それ以外のいわゆる『協力会社』と称される外部企業の従業員やそこの下請け労働者たちの被ばく量の格差のほどです。原発内では電力会社社員の姿をほとんど見たことがない、という話はこの本のなかでも幾度か記述していますので、読者方はすでにおわかりだと思うのですが、ネット上の書き込みなどを読んでいると、原発は電力会社社員だけで運転されていると思い込んでいる人がすくなからずいることに驚かされます。それはともかく、電力会社社員と非社員の被ばく量の違いは、図をご覧いただければ一目瞭然。ちなみに2008年度における電力会社社員の被ばく量は、全体のわずか3パーセント程度に過ぎません。つまり、原発内の放射線下の作業のそのほとんどは、『協力会社』という名の関連会社、およびそこの下請け会社の労働者たちに委ねられているという事実、そしてさらには、私が働いていた当時にくらべ、電力会社社員の被ばく量だけは着実に減少しているという事実、といったことなどもこの図から読み取れます。」
 だから地元の東電社員は、自分は安全ということを言葉を変えて「原発は安全」と周囲に語ることができたのである。

▼小さなユニオンが原発労働者にアピール

 今回の原発事故の後、そこで働く労働者に対してどのような対策、対応がとられているのだろうか。事故が発生した時、9次下請けまでの関連会社が存在するといわれた。ではこれらの労働者の安全対策は誰がチェックしているのだろうか。
 「連合」の機関誌によれば、東京電力労働組合は、使用者側に安全対策の要求をするとともに現地にユニオンショップ組合員のための相談窓口を設けたという。どれくらい機能したかは推して知るべしである。仮に機能しているとしても、「協力会社」社員は対象ではない。
 一方、首都圏のユニオンは、「協力会社」社員にアピールを出した。

 「東京電力および原発関連労働者とご家族のみなさんへ
                  よこはまシティユニオン
 原発事故被害の拡大を阻止する作業に従事する皆さんに、最大限の敬意を表します。
 私達は、横浜地域を中心に活動する一人でも誰でも入れる労働組合です。これまでも原発内被ばく労働に高い関心を持ち、昨年まで、福島第一原発で働いて、多発性骨髄腫という病気になって労災認定された組合員の裁判を闘っていました。残念ながら東電は、国の労災認定という事実を否定し、国までも厚生労働省の決定を無視し東電を応援し、裁判所もそれを鵜呑みにする判決となりました。
 今日の事態は、被ばく労働や原発を問題視してきた私達にとって、予想していたとはいえ、その力不足を痛感させられました。本当に残念です。東電や国の責任は極めて重大です。強い憤りを禁じ得ません。一方で、働く仲間として、ほとんどまともな睡眠や食事も得られない中で、働いておられる皆さんのご苦労やご家族の不安を考えると、言葉では言い表せない気持ちになります。
 市民の中には、早期に事態を終息させるために、東電の社員が責任を取って被ばく労働に従事すればいいのだ、仕事だから仕方がないのだなどという方もいます。私達はそうは考えません。こうした緊急事態であるからこそ、労働者の安全と健康を確保しなければならないと強く考えます。ただし、事故があり得ないとしてきた東電や国に、十分な対応能力があるとも思えないのです。労働者が自衛するしかないと考えます。具体的には下記の通りです。
@ 記録をつけましょう
 誰からの指示で、どこでどのような作業にいつからいつまで従事したのか、ぜひ記録を取るようにして下さい。被ばく線量だけではありません。出来る限り一日の作業内容や体調のことを記録しましょう。
A 情報を外部に提供しましょう
 皆さんの状況は、新聞でも報道されるようになりましたが、まだまだ限られています。家族とも連絡が取りづらいようですが、とにかく外部に情報を提供して下さい。もちろん匿名でも構いません。私達ユニオンもいつでも相談に乗ります。秘密は厳守します。
B 労働組合に相談して下さい
 どうしようもない。労組なんて力にならないとあきらめていませんか。この事故を目の当たりにしているはずなのに、ある電力会社の労組幹部は、地方労働団体の会議で「うちの原発は安全だ」と発言しています。そんな労組はあてにならないと考えておられるかもしれません。それでも団結すれば事態は変わります。たとえ企業内で一人でも、労働組合として会社と交渉ができます。私達のユニオンは、そうして労災、解雇、賃金未払いはもちろん、職場改善の交渉をして、解決してきました。下請けでも指揮命令下にあれば、元請け会社などと交渉できます。 
 一日も早く事故が終息し、皆さんと共に、気持ちよく働ける職場作りに取り組めることを、心から祈願致します。」

 大きな労働組合は、労働者の権利を守らない。小さなユニオンが、外から生命を大事にしようとアピールする。これが安全衛生を含む権利闘争を放棄した現在の労働運動の実態なのである。

▼危険は、隠されたままである。

 事故を起こした原発の補修工事はこの後数十年かかるといわれる。しかしそれを担う労働者の生命と人権は問題にされていない。安全保障は過去の問題ではなく、現在、そして今後の問題であることは声高に叫ばれなくてはならない。
 原発の危険性はどのようにして「回避」されたのか

 『「フクシマ」論』は、電力会社が作った原子力PR館の遠足などでの見学やイベント開催による「活気」、電力会社が所有する施設の地元住民への開放は原子力を身近にし、原子力事態やそれに媒介された文化が成立したという。
 原発に対して怖い、不安だ、反対などそれぞれの思いはある。その思いはどのようにして「処理」されたのか。
 原発が運転される頃になると地元住民の4人に1人の割合で原子力関連の仕事に従事している実態がある。とりわけ、原子炉の定期検診に訪れる流動労働者は、人口数千人から数万人の原子力ムラに1000人単位でやってくるために、一見原発とは関係がないような民宿や飲食業、娯楽施設も原発関係者から売り上げを上げるようになる。原発なしでは地元は存在しないという構造にからめ捕られている。
 さらにもう一つ「交付金」と呼ばれる補助金という原子力ムラの経済構造がある。
 自治体にとっては電源3法交付金や固定資産税による収入をはじめ、あらゆる直接的、間接的な収入が増える。これによって産業が生まれ、また道路や図書館、文化ホール、クーラーや整備されたグラウンド・体育館を持った小中学校なども作られる。
  原発反対を覆う「愛郷」
 70年頃から原子力への批判が起きてくる。79年のスリーマイル島、86年のチェルノブイリ事故が発生する。しかし大きな反対運動は起きない。
 85年当時、双葉町に落ちる大規模償却資産税の額はすでにピークを過ぎて下降傾向にあり、それが今後も続くことは明らかだった。「ポスト原発」の声もささやかれ始めた。同時にかつての貧困が戻ってくるという感覚も生じる。 
 原発反対という思いのさらに奥に「愛郷」の思いがあるという。
 原子力ムラの政治的コミュニケーションにおいてとられてきた二値コードの再定式化の試みは原発「推進・反対」から「愛郷・非愛郷」へのコードの転換だという。
 反対を主張してきた人たちが「転向」した理由はここにあった。各地の選挙で反対派が当選できないのはこのような構造からである。
 一方、原子力ムラとして原発・原子力施設を作り、持っているうちは依存できるだけの税収なり経済効果などがあっても、それは原発の老朽化とともに徐々に低下する。すると一度経済水準が上がった状態に慣れてしまった財政は多くの場合歳出超過傾向を示すようになる。そして、その赤字分を補てんするために、さらに原子力施設を誘致しようとするようになっていく。

▼「危険」を払拭するのは東電への「信心」

 成長の夢は幻想と化し、ポスト原子力が自覚されていく。しかしそこに残ったのは東電への「伸心」という願望である。
 福島大学の清水修三教授が語る。
 「原発の安全確保については政府や電力会社を『信じるしかない』と地元代表たる町長がしみじみと述懐する。政府や東電は町長の肩に手を置き『そう信じなさい。任せなさい』とやさしく、またたのもしく胸を張って見せる。まことにうるわしき信頼関係といいたいところですが、……相当いい加減で投げやりな挨拶に違いありません。……そこでは原発は科学の次元を超越してほとんど『信心』の問題になっています。『信じないこと』によって不安な毎日を送るよりも『信じること』で安穏日々を暮すことのほうを選ぶのが庶民の知恵なのだとしたら――それは奴隷の知恵でしょう」
 「奴隷の知恵」は、ただ単純に事実を見て見ぬふりをするようなものではなく、原子力ムラがムラであり続けられるような基盤を構成するものだという。
 他に振興策がない中では原子力への「信心」を持ち続けるほかはないのである。
 原子力ムラの住民は、危険性を無効化する理論を持っているという。
 全体的に危機感が表面化しない一方で、個別的な危険の情報や、個人的な危機感には「仕方ない」という合理化をする。そうして生きることに安心しながら家族も仲間もいる好きな地元に生きるという安全要求や所属欲求が満たされた生活を成り立たせるという。

▼事故を起こした原発は存在し続ける

 「企業城下町」という言葉がある。企業を町の経済の中心を担っているという意味だけではない。空から見たら、工場があって、その周囲に社宅群があり、社宅の近くに商店街がある。少し離れたところに下請け関連会社がある。あたかも江戸時代の本丸があって、旗本屋敷があって、商人の町があり、加治屋や運送業があるような構造をいう。(実際の江戸時代の武士はさほど力を持っていなかった)
 時代が進んで社員が社宅を出てマイホームを建設するときは、会社融資のローンで関連会社の建設会社が工事をする。社員はますます会社に縛られる。そのような街では、社員が町内会役員、PTA役員に就任して地域を牛耳る。二重三重に「企業文化」が浸透した街をさした。その構造の外に季節労働者が存在する。
 原子力ムラは、まさにこのようなものに作られている。
 しかし企業と原発は大きな違いがある。
 景気が後退し、経営が悪化すると企業は撤退する。その典型が夕張。閉山後に炭鉱所有者は政府から復興策の支援金をもらって利用者が見込めないことが最初からわかっている様々な施設を作り、完成後しばらくすると撤退していった。支援金を使い果たして撤退し、住民だけが残された。
 原発はいったん居座ると移動は難しい。事故が起きても後数十年は修理と維持が必要である。事故を起こした原発は残り、住民が追い出された。

▼原発と地元住民の関係は米軍基地問題と似ている。

 原発は国策であり、地方自治体、県、省庁の上に電力会社は居座っている。政策・方針決定に際しては事後通告で協議することもない。地元住民の意見は全く聞き入れられない、そのようなシステムとして存在している。
 事故は日常茶飯事であり、危険と隣り合わせである。住民への懐柔策としては莫大な資金が陰に陽に投入されている。危険を承知で原発に依存した生活を築き上げた。しかし着の身着のまま追い出された。
 原発事故の問題は、危険区域の問題、放射能の影響、避難者の生活保障だけでなく、長期的後始末対策、そして福島の復興の問題を含めて検討されなければならない課題である。

(いしだ・けい)

(つづく)


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